表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ネットで小説書いてるけどあまりにも読まれなさ過ぎて読者の幻が見えるようになった〜毎日「面白い!」と褒めてくれる幻影読者〜

作者: ものじとり

「面白い! イノストランケビア先生の新作面白いよ! 前作も良かったけど今作も最高! ブックマークして星5入れとくね」


 僕のベッドに寝っ転がってスマホを眺めるかわいいツインテールの女の子が言う。


 イノストランケビアは僕のペンネームだ。小説投稿サイトで小説を書いている。

 たった今新作を投稿したところだ。


 ブックマークは0。

 評価も0のままだ。


 そりゃ投稿したばかりだから当然だが、さっき女の子がしてくれたと言うブックマークと星5もいつまで経っても反映されない。




 当然だ。


 この女の子は僕が見てる幻覚なのだから。


 女の子の名前はルーシー・ダイヤモンド。

 長い金髪を二つにゆわえて、緑の瞳が綺麗な。


 僕の幻影の読者だ。




敬祐けいすけー、面白かったよー」


 ルーシーが背中から抱きついてくる。

 視覚と聴覚はかなりはっきりした幻覚だけど触覚は今ひとつだ。

 知らないものを想像するのは難しい。


「今日はたくさん書いたしもう寝なよー」


 むなしくリロードを繰り返す僕に語りかけてくる。

 僕の新しい小説はポイントどころかアクセス数すらほとんど無いまま流されていく。


「面白かったよ。大丈夫だよ」


「うん……」


 初めのうちは無視していた幻覚に返事を返すようになったのはいつ頃からだろう。


「おやすみ。見ててあげるから。おやすみ」


「おやすみ……」


 目を閉じるとルーシーの気配が感じられなくなって怖くなる。

 目を開けると空っぽの部屋。


「どうしたの?」


 声がした方に目を向けると、ルーシーはいた。

 輪郭がわからない。


「いるよ。いるから。眠って」


「ん……」


 人は自分が眠りに落ちる瞬間を認識できない。

 きっと死ぬ時もそうだ。




 まだ暗い冬の朝。

 僕はもぞもぞと起き出す。


「おはよう。目が覚めておめでとう」


 部屋の真ん中に立っていたルーシーが朝の挨拶をくれる。


「学校行く?」

「行く」


「朝ごはん作ったげるね!」


 ルーシーが台所へ向かった。


 トイレに行ってから台所に行くと、ルーシーは流しの前でただ立っていた。


「ごめん、できなかった」


「うん、いいよ。いっしょに作ろうか」


 僕がパンを焼いて。バターを塗って。牛乳を温めて。

 ルーシーが手伝ってくれる。手伝おうとしてくれる。


「いただきます」


 パンを食べる。牛乳を飲む。


 ルーシーの前に置いたパンと牛乳が冷めていく。




 ルーシーの分の食事も僕の腹に収めて、


「行ってきます」


 家を出る。


「いってらっしゃい。行って帰ってきなさい」


 ルーシーが見送る。


 ルーシーは家から出ない。僕がルーシーを見るのは家の中でだけだ。

 玄関のドアを閉じると、その向こうにルーシーは。


 幻影がいる。

 幻影はいない。


 どちらも同じ意味だ。




 学校で僕はひとりだ。


 少し前に、いじめが問題になって。何人か処分された。


 いじめの標的だった僕はそれ以来腫れ物を触るような扱いで。

 誰もが遠巻きにしている。


 別にそれで構わない。慣れたから。受け入れたから。

 望んだわけではなくとも。


 石のように静かに過ごす。

 本当に石ならもっと楽だろうか。




 家に帰る。途中でスーパーに寄って食料を買った。


「おかえり。帰ってきてありがとう」

 ルーシーが出迎えてくれる。


「ただいま」


「今日も敬佑の過去作読み返してたよ ! 面白いよ! 書籍化できるよ!」

「うん、ありがとう」


「お風呂沸かすね」

「ありがと」


 礼を言って給湯スイッチを入れる。

 ルーシーがしてくれることは僕がすることだ。


「部屋、散らかってきたね。片付けてあげよっか」

「うん、いっしょにやろう」


 風呂が沸くのを待つ間に部屋の整頓をする。


 ルーシーが見えるようになる前は、部屋は散らかり放題で、食事もろくに摂らず、寝る時間も適当だった。


 逃げ込むように小説を書き始めて。まるで読んでもらえなくて。もう他に逃げ込む先もなくて、書くことにしがみついていた。

 そんなある日、ルーシーが現れた。


「イノストランケビア先生の作品はじめから全部読んでるよ、面白いね!」


 幻覚だということはすぐわかった。

 いたりいなかったりするし、初めは姿形も定まっていなかった。黒髪だったり、眼鏡だったり。


 幻覚が見えてしまう自分に怯えて、どうすればいいかもわからずになるべく無視していた。


 小説なんか書いてるせいかと思って書くのをやめた。


「書かないの? 読みたいよ」


 幻覚が言う。


 よみたい。


 欲しかった言葉だ。

 読んでもらいたかった。


 僕の欲しい言葉を幻覚がくれる。

 僕の望みを幻覚が肯定する。


 沼にはまったような感覚だった。


 今も沼から抜け出せない。




 名前はなんだろうと考え始めたころから幻覚の姿が定まってきた。名前を聞いてみても、聞こえなかったかのように答えない。

 僕が名付けなければならないのか。


 幻覚にふさわしいかと思って、有名な洋楽にちなんでルーシー・ダイヤモンドと名付けた。

 あとで調べてみたら、あまりふさわしい名前ではなかった。あれは幻覚剤( LSD )の歌じゃなかったのか。


 でももうルーシーはルーシーで、他の名で呼んでも反応しない。


 幻覚は空想とは違って、制御はできない。




 ルーシーが読みたいというから。


 僕はまた書き始めた。


「面白い! 最高ー!」


 毎日ルーシーが褒めてくれる。

 書くのがやめられない。


 制御ができない。


「お風呂入ろー、背中流してあげる」


 風呂でもルーシーは服を着たままだ。

 幻覚は空想と違って思い通りにはならない。


「おやすみ」




 ルーシーが現れてから生活が整ってきた。


 ルーシーがご飯を作ってくれる。

 (僕が作る)

 ルーシーが洗濯してくれる。

 (僕が洗う)

 ルーシーが掃除してくれる。

 (僕が掃除する)

 ルーシーが寝かしつけてくれる。

 (僕は眠る)

 起こしてだけはくれない。僕の意識がないからだろうか。




「散歩に行こうよ」


 以前はあまり外出することがなかったが、ルーシーがよく外へ出ようと誘うから、外歩きが増えた。もう寒いんだけどな。


 いっしょに玄関を出たような気配はあるのに、外に出てしまうとルーシーはいない。


 家の外は現実の力が強くて、ルーシーはかき消されてしまう。


 すぐに家に戻ったことがあるが、そうするとルーシーがまたすぐに外に出そうとしてくる。


 だから家に帰るのは一応散歩したと言えるくらい出歩いてからだ。


 しなくてはいけないこと。したいこと。

 ルーシーはそれをさせようとする。させる。僕はする。


 たぶん僕は救われている。




 外は寒い。日が落ちるのも早くて、あたりは薄暗い。

 逢魔時おうまがとき

 大禍時おおまがとき

 人はこんな時に災難に遭うのだろうか。


 人気ひとけの無い土手道に差し掛かる。

 あたりはもうとっぷりと暗くなっている。

 懐中電灯は持ってきてるけど、この先に進むのはちょっと怖い。


 引き返そうとした時。


 遠くから防犯ブザーの音が鳴り響いた。


 誰かが、犯罪被害にあってるのか?




「助けてくる!」




 そこにいないはずのルーシーが走り出した。

 なんで。

 ルーシーが外に?


 どうして助けようとなんて。


 ルーシーが走る。

 なぜなら僕が走っている。


 ルーシーがすることは

 僕がしたいこと。しなければいけないこと。


 助けたいなんて思ってるのか? 僕が?


 分からないけど、ルーシーは走る。僕は走る。


 防犯ブザーの音が止まった。


 間違えて鳴らしてしまって止めたのならいいけど、もし誰かに壊されたりしたのだとしたら、そういうことに慣れた人間の手口かもしれない。


 また防犯ブザーが鳴り、すぐ止まった。

 さっきとは違う音だ。


 遊んでるんでなければこんなに何度も誤作動させないだろう。


 三つ目の防犯ブザーが鳴り、今度は止まらなかった。

 壊されないように何処かへ投げたのだろう。


 これでだいたい相手の位置がわかるし、ブザーの音で僕の足音は聞こえないだろう。


 三つもブザーを持ち歩くほど用心深いならこんな人気ひとけの無い道を通らなければいいのにな。




 ブザーの音が近くなってきた。

 土手の上で揉み合う人影が見える。

 が、そっちは後だ。


 土手の下の道路に窓ガラスをスモークにしたバンがエンジンをかけたまま止まっていた。

 運転席に人がいる。

 ブザーの音が聞こえているはずなのに何もしようとしていない。


 『犯人』の仲間だ。


 静かに、身を低くして運転席のドアに近づく。


 せーの。


 勢いよくドアを開ける。

 驚いてこっちを見た運転席の男の目に向けて、懐中電灯のスイッチを入れた。

 900ルーメンの光が目に突き刺さる。


「うっ」


 同時に催涙スプレーを吹きつけた。


 いじめの標的になっていたとき、本格的に危害を加えられた時に備えて防犯グッズをいくらかそろえていた。

 使う機会が無いままいじめは終わったが、とりあえず持ち歩いている。


 カップホルダーにスマートキーが入れてあるのが目に入った。運がいい。

 スイッチを押してエンジンを切ってスマートキーを取る。

 運転手は催涙スプレーの痛みに顔をかきむしっている。


 とりあえず足は潰した。

 被害者を連れたまま車で逃げられるのが一番まずい。


 車の異変に気づいたか、土手で揉みあってた人影の一人がこちらに近づいてきた。


 まだ揉み合うような気配がするから、被害者を拘束してるやつと、近づいてくるやつ、少なくとも二人は『敵』がいる。


 要領はいっしょだ。


 身をひそめて、足音が近くまで来たところで、懐中電灯の光を浴びせる。

 暗闇の中でこうされてしまえば、まぶしい光以外何も見えない。


 催涙スプレーを向ける僕の姿も。


 顔をおさえてのたうち回る男の姿を確認してから、懐中電灯を土手の方に向ける。女の子を羽交い締めにしている男が光に照らされた。


 あそこか。

 ライトを消してそっちに歩いていく。




「来るんじゃねえ!」


 土手から声がする。


「警察に通報済みだよ。その人を離してさっさと逃げてくれると助かるんだけど」


 余裕がなくてまだ通報はしてないけどハッタリだ。

 今更だが最初に110番通報するべきだったな。


「車の鍵はこちらが持ってる。その人と交換ってことで」


 まだ鳴っている防犯ブザーの音がうるさくて大声出さなきゃならないのが面倒だ。


 おかげで声の震えが抑えられてるけど。


 迷っているのか、返事がない。


 ライトを点けて相手の足元を照らす。


「急いだほうがいいんじゃない。警察が来るよ。離さないならその人ごと催涙スプレーを浴びせるけど。数時間は何も出来なくなるよ。このライトを目に当てるだけでも数分は何も見えなくなるよ」


 ライトを車の側でのたうちまわる男に向けてからまた戻す。

 数時間は言い過ぎだがこれもハッタリだ。


「その人を離したらすぐ鍵を車の方へ投げるから」




 しばし躊躇ためらうような沈黙の後。


「クソが!」


 拘束されてたひとを突き飛ばした。


「どうも。投げるね」


 こちらも素直にスマートキーを車の方へ投げた。

 男がそっちへ走っていく。


 ルーシーは突き飛ばされた人に駆け寄ってその手を取る。


「走って!」


 ルーシー()が手を引いて走り出す。




 走った。


 これ以上走れなくなるまで。

 二人でぜいぜいと息を切らす。


 周りはそれなりに人通りのある住宅街で、とりあえず危なくはなさそうだ。


 追ってこなかった。よかった。




「ご、ごめんなさい、岡野くん、ごめんなさい」


「はっ?」


 名前を呼ばれてびっくりした。

 顔に見覚えがある。同じクラスの女の子? 名前なんだっけ。


「森田さんだよ!」


 ルーシーが言う。ほんとか?


「えっと、森田さんだっけ、ごめん、名前うろ覚えで」


「森川だけど……ごめんなさい」




 違ってるじゃないかルーシーめ! 


 ルーシーの間違いは僕の間違いだ。




「森川さん、とりあえず警察呼ぼうか。実はまだ呼んでないんだ。呼ぶヒマ無くて。さっき言ってたのはハッタリで」


「うん、ごめんね……」


 さっきから妙に謝られてるけどなぜだろう。


「別に森川さんが謝る筋合いじゃないと思うけど」


「違うの。そのことじゃなくて。岡野くんが、その、いじめられてる時、私、何もできなかった」


「いや、それは……」


 ここで持ち出すような話じゃない。


 覚えている限りでは森川さんはいじめに加わっていない。

 僕を助ける義理なんて無いのだし、介入しなかったことをそこまで気にすることはないと思う。


「そのことでもないの。私、岡野くんも何もできないんだって思ってた。私も何もできないけど、岡野くんもただじっと耐えてるしかないんだと思ってた。それを自分は安全なところで、ただかわいそうだなって思ってた。傲慢だった。だから、ごめん」


 うーん……傲慢と言えば傲慢かもしれないけど、気にしすぎじゃないかな。自分の胸にしまっておいていいと思う。わざわざ言わなくても。


「でも違った。岡野くんは何もできない人じゃなかった。私を助けに来てくれた。助ける義理なんか無いのに。岡野くんだって怖かったのに。震えてるのに。だからごめん。ありがとう。ごめん」




 それはルーシーが。


 ルーシーが走ったから。




 言われて僕は、自分の足が酷く震えていることに気がついた。


 走ってきたせいだけじゃないなこれは。

 割と冷静に事を運べたと思ったんだけどな。


「……森川さんも何もできなかったわけじゃないよ。ブザーを3回も鳴らしただろ。そのおかげで僕は走ってこれた。森川さんはちゃんと抵抗したと思う」


「そう、かな」


 微妙にズレてるような気もする僕の言葉にも曖昧にうなずいてくれる。


「そうだよ。とにかく警察呼ばないとかな。警察呼ぶのってなんかちょっと怖いけど」


「うん……」




 それから110番通報して。

 近くのコンビニで待ってるとパトカー2台で警察が来て。

 別々に事情聴取を受けて。

 すぐ立ち会いで現場検証になって。

 科学捜査の車も来て大袈裟に思えるくらい痕跡を調べていたりして。


 連絡を受けて駆けつけてきた森川さんの両親に何度も礼を言われたりして。


 僕の両親は海外にいて来ることはできない。

 以前から僕には関心が薄く、連絡はついたがこちらでどうにか処理しろと言われただけだった。


 とりあえず今日のところは解放された。

 催涙スプレーで実力行使したことについて警察からはけっこうな小言をもらってしまった。




「ほんと、ありがとう、岡野くん。あとで何かお礼させてね」


 別れ際に森川さんが言う。

 もう謝りはしないようだ。


 その方がいい。


「うん……」


 ちょっとためらってから。


「僕、ネットで小説書いてるんだ。『君はもう小説家だ』ってサイトで。良かったら読んでみて」


「『はもう』で書いてるの? うん、読んでみる」


「待ってやっぱ読まなくていい」


「なんで? 読むよ」


「つまんないから。今あるやつは。だから、新しく書くよ。書けたら読んで。イノストランケビアって名前で書いてる」


「わかった。イノストランケビア? だね」




 僕の家に戻ってきた。


 疲れた。


 疲れたけど、休んでいられない。

 パソコンに向かった。


 昨日書いた小説を読んでみる。

 書いたものを自分で読むのは初めてだった。いつも読み返しもせずに書いたまま投稿している。


 ちょっと愕然とするくらいつまらなかった。


 めちゃくちゃだ。

 何を書いてあるのか分からない。

 こんなのを面白がってくれてたのかいルーシーさんや。


「面白いのに。面白いよ」


 ルーシーが不服そうな顔をしてる。


「うん、これはルーシー以外には見せられないね」


 今まで書いた17本の小説を全部非公開にした。


「じゃあ私だけが読むね。私だけのお話だね」


「そうだね。ルーシーだけの小説だ。これから書くのは森川さんに読んでもらうためのものだけど、ルーシーも読んでね」


「もちろん、読むよ。書いて。書こ」




 新規小説を作成する。


 タイトルを……どうしよう。


 後だ。内容ができてからにしよう。


 本文を書こうとして、……どうしよう。


 一行目から詰まった。


 色々思い浮かぶものはあるけど、何をどう書けばいいか、こう書いてもいいのか、ああ書いてはいけないのか、今まで悩みもしなかったことが筆を止める。


 ウンウンと唸って、頭の中でどうにか形になってきたものをやっとのことで文字にする。


 1行書いて疲れ果てた。


 ルーシーはベッドに座ってニコニコして僕を見てる。


 続きが出てこなくて、立ち上がって部屋の中をグルグル歩く。


 また座って、文字を打ち始める。

 今度は10行くらい書けた。

 そしてまた詰まる。


 小説を書くというのはこんなに大変なものだっただろうか。


 苦しみながら書き続ける。

 つっかえて。書き直して。読み直して。消して。また書いて。


 夜が更けていく。




 いつもなら寝る時間になるとベッドに入るようにうながしてくるルーシーは、今日はただ笑顔で僕を見つめている。


 そうだね。


 書かなくてはいけないこと。書きたいこと。

 ルーシーはそれを書かせようとする。書かせる。僕は書く。


 僕はルーシーに救われてる。




 出来上がった。


 もう朝が近い時刻になっていた。

 土曜日で良かったな。


 小さな女の子とかわいいヘビが、リスが森のどこかに埋めてその場所を忘れてしまったどんぐりをいっしょに探すお話。


 そんなのが出来た。


 何でこうなったのかはよく分からないけど。


 とにかく眠い。

 小説を投稿して、ベッドに入る。


「おやすみ。敬佑(けいすけ)


「おやすみ、ルーシー……」


 眠りに落ちる瞬間が、分かり……そ…………う…………




 起きた時には夕方だった。


「おはよう、敬佑。イノストランケビア先生の新作面白かったよ」


「おはよう、ルーシー」


 軽く食事をとって、パソコンに向かう。


 森川さん、読んでくれたかな?


 アクセス数を確認しようとして、評価ポイントが目に入った。


 86ポイント。


「んん!?」


 ポイントが、入ってる。こんなに。


 ブックマークが7件も付いていた。これで14ポイント。

 それに評価が10ポイントが五人、8ポイントが二人、6ポイントが一人。


 合わせて86ポイント。


「待てよ、童話カテゴリでこのポイントだと日間ランキングの表紙(5位以内)に入るんじゃ」


 ランキングページに行ってみる。


 童話カテゴリの日間3位に入っていた。


 信じられない思いでリロードを繰り返しても、僕の小説はちゃんとそこにあった。


「この中の誰かは森川さんなのかな……あれ? ダイレクトメッセージが来てる」


 イノストランケビア宛てに、受け取ったユーザーだけが読めるメッセージが来ていた。

 差出人のユーザー名は、『亜影の暗』


 あかげのあん、って読むのかな? 何となく忍者っぽい字面だな。見たことのない名前だけど、これってもしかして。




『森川です。イノストランケビアというユーザーは一人しかいなかったので大丈夫だと思いますが、岡野君で良かったでしょうか。

『森のさがしもの』読みました。感想にも書きましたが、面白かったです。ブックマークして評価も星5を入れました。

思わずファンアートを描いてしまったので、良かったら見てください』




 ファ、ファンアート!? 


 画像アップローダーのURLが書いてある。

 恐る恐るURLを開いてみる。

 画像が表示された。


 森の中を歩く女の子とヘビ。

『ネネネネとポポポポ』と題名がついている。

 僕がつけた名前だけどなんでこんなのにしたかな。


 それにしても上手い。

 着色までされてる。

 萌えイラストではなく、絵本風のタッチだ。


 これを見た瞬間、ネネネネとポポポポのイメージが固まった。

 もう二人の外見はこれしかない。

 金髪のおさげの女の子。

 ちょっとルーシーに似てるかもしれない。


 この短時間で絵を描いて、『はもう』専用のアップローダーに画像を上げて、一般人には割と使うのに抵抗があるダイレクトメッセージで知らせてくるって、なんだか森川さん、『君はもう小説家だ』に慣れてる感じがする。


 そうだ、メッセージを返さないと。

 本当に僕かどうか確信できてないかもしれない。

 教え方が雑だった。ユーザー名を伝えただけだったからな。

 やっぱり昨日はあまり冷静じゃなかった。

 僕と同じユーザー名の人がいなくて助かった。


『亜影の暗』の公開ユーザーページに行ってみる。


 投稿作品は無いみたいだけど……IDの数字が8万台? すごい古参のユーザーじゃないか。僕のIDは200万あたりだぞ。

 森川さんは小学生の頃から『はもう』を見てる計算になる。


 ダイレクトメッセージの送信ページを開く。




『岡野です。読んでくれてありがとうございます。

 一応本人確認できる情報を書いておきます。

『防犯ブザーは3回鳴った』

 ブックマークと評価もありがとうございます。

 ファンアートもすごくきれいで、ネネネネとポポポポがどういう外見なのかをこちらが教えられました。

 作品内に挿絵として公開してもいいでしょうか?』




 送信。


 緊張するな。


 すぐに返事が来た。




『ありがとうございます!ぜひ挿絵として使ってください。昨日は本当に助かりました。必ず何かお礼します。もし良かったら、SNSのアドレスを交換してください』




 さらに緊張することを言ってきた。

 友達いないからSNSを使ったことはない。


「やりなよ、うまくすると付き合えるかもよ、やりなよ、敬佑けっこうエッチじゃん」


 ルーシーめ、それが僕のしたいことだとでも言うのかい。


 したいことをさせようとしてくるルーシー。


 僕は、する。


『SNSやったことがないのでちょっと待ってください』


 スマホで一応入れてあるSNSアプリを立ち上げる。

 慣れない操作で、さっきのメッセージに添えてあった森川さんのアドレスをどうにか登録できた。




     〔登録しました。これでいいのかな〕


【いいよー できてる】


     〔何書いたらいいかわからない〕


【こういうのは内容とかいらないから】

【つながってればいいんだよ】


     〔恐ろしい世界だ〕

     〔コミュニケーション怖い〕


【人間の感情の中で最も強く、最も古いものは】


     〔恐怖であり〕


【その中で最も強く、最も古いものは】


     〔未知への恐怖である〕


【ってラヴクラフトも言ってるもんね!】

【ネタが通じてありがたい!】




 思ったよりもずっと、気楽にやりとりができている。

 何でもやってみるもんだね。


 初めて小説を投稿するときも未知への恐怖に震えてたな。




     〔この短時間でイラスト仕上げられる〕

     〔ってすごいね〕

     〔というか『はもう』の大先輩〕

     〔拝む〕


【拝むな】

【水彩はむしろ素早く描かないとだよ】

【何描くか決まってれば早い】


     〔アナログなのかすごいな〕

     〔拝む〕


【拝むな】

【小説でちゃんとイメージ伝わったから】

【描きやすかった】

【森のさがしもの面白かったよ】

【拝む】


     〔拝まれた!〕

     〔ご利益は〕

     〔一生隕石に当たることがなくなる〕


【やったね】

【隕石に当たる心配のない人生】


     〔初めてのSNS〕

     〔やめ時がわからない〕


【あるある】

【やめるのが何か罪悪感】

【安心するんじゃ、イノストランケビア】

【こちらもそろそろ晩御飯】

【今がやめ時】

【じゃあまた今度】


     〔また今度〕




 ひとまずトークを終えた。

 女の子相手に初めてのSNSでなんか浮かれたことを書き込んでしまった気がする。

 変に思われていないだろうか。


 森川さんも意外とイメージが軽い。

 こっちが素かな。




 森川さんの書いてくれたイラストを『森のさがしもの』の中に挿絵として挿入する。

 どの辺に入れたものかな。

 最初。最後。途中のどこか。


 しばらく考えて、最初に入れることにした。

 外見のイメージが定まった状態で、本文を読んでもらいたい。


 作業を済ませて、絵を眺める。

 今まで続き物を書いたことはなかったけど、森川さんの絵のおかげもあって、ネネネネとポポポポのキャラが立ってしまった。

 これだけで終わるのはもったいない気がする。


 続きを、書いてみようか。


「書きなよ、敬佑、書いて。読むよ。読むから」


 ルーシーが背後から抱きついてきた。

 幻影のあやふやなぬくもりに包まれる。


「うん、書いてみる」


 ルーシーの手に僕の手を重ねる。


 いっしょに走った時に握った、森川さんの手の感触を思い出した。


 細かったな。

 あの細い手で、こんなきれいな絵を描く。


 すごいよ。


「森田さんの絵、きれいだね」


「うん……森川さんだけどね」


「敬佑のお話も、面白いよ」


 そうだね。


 僕のこのお話だって面白い。

 これまで書いてきたものとは違って。


 自分でもそう思うし、ポイントも入ってるし、森川さんも面白いと言ってくれた。

 多少のリップサービスが入ってるとしても、ファンアートまで描いてくれたんだ。


 確かに面白いんだと、信じることができた。


 ごめんね、ルーシー。


 今まではルーシーを信じていなかった。

 自分を信じていなかった。


 今だって過去の作品を面白いと言っていたルーシーの言葉を信じられるわけじゃない。


 うん、あれは間違いなくつまらない。森川さんもあれを読んだらリップサービス込みでも面白いとは言わないだろう。


 でも、書き続けてこれたのは、ルーシーの言葉のおかげだ。

『読みたい』と言い続けてくれたルーシーの。


 そして今、『森のさがしもの』を面白いと言ってくれるルーシーの言葉は、信じられる。


 僕はルーシー()を、信じられる。


「じゃあ、続きを書こうかな」


 どんなお話にしようか。






 ◇ ◇ ◇






けいくん、献本届いたよー」


「届いたかー。僕は配る相手いないから、すぐりさんの人脈でお願いね」


「まかせとき! 10冊くらいならすぐなくなるよ」


 僕はダンボールを居間に運んで、中から絵本を一冊取り出して表紙を眺める。




『まいごのトラフザメ』

 ぶん:おかのけいすけ

  え:もりかわすぐり




「出せたね。二冊目」


「うん、また出せた。『もりのさがしもの』が受け入れてもらえたおかげだ。すぐりさんの絵のおかげだよ」


「敬くんの書く文が私にイメージをくれるんだよ。それが無きゃ描けないもん。私たち二人の本でしょ」


「そうだね、僕たちの本だ」




 あれから。


 森川さんの挿絵がついた『森のさがしもの』はブックマークが一気に100件を超えた。


 調子に乗った森川さんがまたファンアートを何枚も描いて、僕はそれを全部挿絵に載せたもんだから『森のさがしもの』は挿絵だらけの、ほとんど絵本みたいな小説になった。


 そしたらブックマークがまた増え続けて、300件を超えた。ポイントも2000pt近くになる。


 次に書いた『クマが行方不明』にも森川さんが挿絵を描いてくれて、『森のさがしもの』と同じくらいの評価がもらえる。


 そしてその次に書いた『迷子のトラフザメ』は、最初から森川さんの挿絵がつくことを前提にした完全な共作だ。


『迷子のトラフザメ』は、ブックマーク2000件、総合ポイントは10000ptに達した。


 かなりの部分、森川さんのイラストのおがげなのは明らかで、小説投稿サイトでこれはいいのだろうかとも思ったけど、とりあえず運営からは特に苦情は来なかった。




 そして、書籍化の打診が来た。


 ライトノベルのレーベルではなく、絵本として出版しないかという話だった。

 当然森川さんもセットの話で、亜影の暗の方にもメールが来たそうだ。


 二人で相談して、受けることにした。


 絵本化にあたって絵は全部描き直しになるので、書籍化作業の負担は森川さんの方がずっと大きい。文章の手直しはそれほどは無い。


 一軒家に一人暮らしで場所だけは空いてる僕の家が主な作業場になった。


「男の子の一人暮らしって散らかってるかと思ったけどきちんとしてるんだね」


「一時期はけっこう散らかってたけどね。なんとか整理できるようになったよ」


「できるきっかけとかあったの?」


 きっかけ……なんだっただろうか?




 書籍化作業で森川さんは僕の家に入りびたりで、作業がない日も入り浸りで、僕らはいつのまにか付き合い始めていた。


 絵本の作者名に『イノストランケビア』と『亜影の暗』ではちょっとそぐわないので、本名をひらがなで載せることにした。


 そして、僕らの絵本が出版された。




『もりのさがしもの』

ぶん:おかのけいすけ

 え:もりかわすぐり




 絵本の新刊としてはけっこう売れたらしい。

 次につながるくらいには。


 高校卒業と同時に、森川さんは僕の家に住み着いた。


「ぬぬぬ、敬くんの方が家事ができる。私の負け!」

「家事は勝負じゃあないよすぐりさん」




 そして、二冊目の絵本が出る。


「感無量だね」


「ほんとに。すぐりさんの絵がなかったらここまで来れなかったよ」


「また言う。でもまあその通り。そして敬くんの文が無かったら私の絵も無いというのもその通り。自信持てー、ほらほら」


 すぐりさんが背後から抱きついてきた。

 現実の確かなぬくもりに包まれる。


「『はもう』に書く方、進んでる?」


「それなりに。そろそろすぐりさんに読んでもらって挿絵のイメージ作ってもらおうかな」


「よーし、イノストランケビア先生の新作、読ませていただきますよ。私が敬くんの最初の読者だからね!」




 最初の読者。




 その言葉に、何かを思い出しそうになって。


 だけど僕はそれに(ふた)をする。


 それはきっと、やさしくて、あやふやで、現実の前ではかき消されてしまうもの。




 人は、大切な思いを心の奥底にしまい込む。


 触れれば変わってしまうから


 無くさないように

 傷つかないように

 変わらないように


 大切なものを心の中の奥深くにしまい込んで

 誰にも触れられないように鍵をかけて

 自分でも触れられないように鍵をかけて


 やがてそこにあることも忘れてしまう

 森に隠したどんぐりのように


 でも


 触れられなくても

 忘れても

 確かにそこにあるんだ


 大切なものが


 無くなることなく

 傷つくことなく

 変わることなく


 いつまでも


 永遠に。


 大切な

 大切な




 僕だけの読者が。








 ◇ ◇ ◇








 ある日の一幕




【すまぬ……すまぬ……】


       〔どうしたのかね森川さんや〕


【あの後すぐ私は】

【イノストランケビア先生を】

【お気に入りユーザー登録したのです】


       〔ふむふむ〕


【そうすると】

【その後で非公開にした小説は】

【私からは見えちゃうんですよお】


       〔なんだと〕

       〔えちょっとまってまじ〕

       〔まさか〕


【星海の聖痕(スティグマ)】

【読んじゃいましたあああああ】




「がふっ!」

 僕はモニターに血を吐いた。という幻が見えた。


「面白かったよね! 星海の聖痕《STIGMA》!」

「がふがふっ!」

 ルーシーの言葉にさらに血を吐く。




【読んだけど、なんていうかその、あれです】

【何書いてあるかさっぱり】

【なにひとつ心に残りませんでした!】

【ほんとに同じ人が書いたんでしょうか】


       〔たいがい失礼だなテメー〕

       〔なんにせよ〕

       〔ミ タ ナ〕

       〔あれを見られちゃあ〕

       〔もう生きていけない]

       〔責任とって〕

       〔殺せ〕


【わかった!】

【お命ちょうだいいたします】

【これで】

【岡野くんの命は私のもの】




「森田さんって敬佑のこと好きなんじゃない?」


 あ、考えないようにしてたのにルーシーのやつ口にしよった。


「絶対そうだよ! 態度が思わせぶりだもん! 彼女にできるよ! いけるいける」


 僕の願望がルーシーを通してダダ漏れだ。




【かわりに私の命をあげましょう】

【私の命を二つに分けて】

【半分は岡野くんのもの】

【もう半分も岡野くんのもの】


       〔それシェイクスピアのパクリ〕


【シェイクスピアはフリー素材!】


       〔なら大丈夫か〕

       〔それはそれとして〕

       〔くれるんなら〕

       〔もらっとく〕




 これは、期待してもいいんだろうかというか、すでに思いっきり期待してしまっているけど、実際森川さんの態度はそんな感じだよね、僕の願望だけじゃないよね。


「彼女ができるよ! すごいよ! そのうちえっちなこともできるかもしれないよ!」


 僕の願望がルーシーを通してダダ漏れだ。


 幻覚は制御できない。




【じゃあ今度会ったとき】


       〔お命交換と行きましょう〕




 うむむ、森川さんに攻め込まれている気がする。

 このまま攻め落とされてもいいけど、こっちからも攻めなきゃダメかな。


「攻めなよ! 攻めなよ!」


 そうだね。

 やらなきゃいけないこと。やりたいこと。


 ようし、こっちから告白してやる!






 なんて決心してからもズルズルとできずに長いこと過ごしてしまって。


 後日、やっとのことで告白したら


「あれ? とっくに付き合ってるよ? 知らなかった?」


 と返された。


「え、いつから?」

「生まれる前から!」


 なんか知らんが負けた気がする。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ