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0−2.嬢ちゃんも楽しんでくれや

プロローグ2話目

 謎の痙攣で目が覚める。 「んごぉ」と自分でもみっともない声を出し、ふっと見た隣の親父と目があって愛想笑いを返された。口の中だけじゃなくて周りもなんだかカピカピで、きっと涎を垂らして寝ていたのだろう。拳銃を持ってこなくてよかった。危うく自殺するところだ。


 自死衝動を抑えるために寝る前に飲んでいたフレーバーウォッカの残りを一気飲みする。キャビンアテンダントに何でも良いからアルコールを、と頼むと出てきた。シンキア伝統のお酒らしく、じゃがいもの蒸留酒にハーブで香りづけしているとのこと。控えめに言ってまずいが、私が精神的余裕が極限まで無い時にキッチンで飲んでいた料理酒を思い出すので、ちょっぴりノスタルジーを感じる。


『シンキアエアラインをご利用頂き誠にありがとうございました。本機は只今よりマレヴァラ空港へ着陸いたします。今一度、シートベルトをかけ、座席は立ち上がらないようお願いいたします』


 シンキア語の機内放送が終わると続けてエイリック語で同じことを繰り返す。私は言われたとおりにシートベルトをかけ、座席に体を沈め、窓の景色を眺める。ちょうど機体中央部の座席のせいで、窓からは斜めに伸びる真っ白い翼しか見えなかった。鳥のように大きく上下に動いていた翼が徐々に固定されていく様をじっと眺める。


「航空艇は初めてかい」


 隣の親父からシンキア語で話しかけられたので無視した。そしたら今度は片言のエイリック語で「航空艇は初めてかい」と話しかけてくる。そのうち大陸中の言葉で同じ問いかけを投げられる気がして、私は横目で見ながら、控えめに頷いた。


「着陸と離陸の時だけああいうふうに羽を固めるんだ。一度空を飛んだら動力を切っちまって、次は新銘術の推進に切り替わる。こう、羽を微調整する滑空でな、言っちまえば渡り鳥になって優雅に飛んでいくんだ。静かで燃料も少なくて済むんだが、まぁ、もう今は機械じかけのジェット推進の飛行機ってのが主流だからな。最近のジェットエンジンの安定性はすこぶる良くてな、風任せじゃなくなる上、速度も上がるからまぁ便利は便利だよ。航空艇なんて船よりマシ程度の速度しか出ねえしな。エイリックからシンキアまで十時間だぞ十時間」


 親父は腕を組み替えながらべらべら喋り続ける。やがて眼下に海に突き出した空港が見え、それに向かい徐々に徐々に高度を下げていく。親父が言うところの『ジェットスイシン』の音だろうか、離陸するときの五分の一ぐらいの音量で、甲高い回転音が聞こえる。


「嬢ちゃんは何か、やっぱ観光かい」

「……仕事で」


 と私は答えるが、正直なところ私もよくわかっていない。手紙に同封されていた謎の申請書を、その手紙に書かれていた通りにシンキア大使館に提出すると、個室に通されティーを出され、挙げ句の果に大使が直々に挨拶に来て渡航費と、観光でもビジネスでもない謎のビザを貰った。同封されていた身分証には私はシンキア政府からの招待客だと書かれ、なんでも現地でトラブルに巻き込まれた際にそれを警察に見せると大抵の事は『解決』するらしい。正直今でも、けばけばしい色のジャケットを来たコメディアンが『サプライズ!』と言ってテレビカメラとともに現れるのを待っている。


「俺もこの時期だけはシンキアに帰るんだよ。いろんな国のフェスティバルに参加してみたが、やっぱ祖国のが一番肌に合うもんだ」


 何の話? と口から出かけた言葉は着地の衝撃にもみ消されてしまった。空より揺れる地面の上を航空艇は長く走り続け、止まり、今度は自走してゆっくりゆっくり滑走路を進んでいく。頭に階段を乗せた車や、客の荷物を乗せるためのカートを引きずっと牽引車がそこら中に走り回っている。


「まぁ嬢ちゃんも楽しんでくれや」


 機内放送、ありがとうございます当機は無事着陸いたしました航空艇が止まりますまで今しばらくお座席に着いてお待ちください。客室乗務員の指示も聞かず、親父はキャンプ前日の子供みたいな顔で頭上の荷物を取り出し、濃い青のサングラスをかけてにかっと笑いかけた。似合っていなかった。


 :::


「渡航目的は?」

「人に会いに」

「観光?」

「仕事。一応」

「あんた職業は?」

「小説家。頭に売れないが付く」

「滞在期間は?」

「さぁ、向こうのスケジュールに合わせるからなんとも」

「いやだから、いつ?」

「適当でいいなら一ヶ月で」

「……滞在場所は?」

「えーと……あ、マレヴァラ市、トゥルク街、ラハティ通りの一番地」


 途中からこめかみを引く付かせていたけど最後の質問で完全に切れた。手紙に書かれた滞在場所をそのまま告げた私に、入国審査官は長いため息とともにメガネを置いて、


「あのな、俺はすぐにでも警察を呼んであんたを拘束できるんだ。今、あんたが口にした場所はホテルでも何でもない。今すぐその冗談を取り消さないと、」


 シラフなら怯んで指先一つ動かせないだろうけど、酒が足りている今は多少の恐怖心はアルコールに溶けてしまう。残ったのは変に落ち着いた自分自身で、額に青筋たて唾を飛ばす審査官の顔を見ていると相対的に私の感情は平たくのばされていく。私はポケットから例の謎のビザと身分証、それに届いた手紙を机に置き投げ出し、


「冗談は言っていません」


 入国審査官は書類に呆然と目を落としている。私は薄くなってきているその頭を見ながら、


「私は今からヘルン・エスポ元大統領の元へ向かいます。閣下直々にご指名を受け、彼の半生を記すお役目を頂戴したからです」


 :::

 

 閣下って、あんた。いつの時代の人間だ。

 

 バスに乗ってさっきのやり取りを思い出すと途端に自己嫌悪が襲ってくる。昔からの嫌な癖だ。痛々しく刺さる周りの目線も入国審査官のバツの悪そうな顔もありありと思い出す。窓の縁に頬杖を突き、流れる町並みを見ながら「くそ」「死ね」と小声で何度も繰り返す。

 窓の向こうにはシンキアの首都、マレヴァラが映っている。白亜の建物とモザイク柄の石畳。伝統的で古臭い街にはそれでも映画館やオペラハウス、ガラス張りのスーパーマーケットが点々と並んでいる。車道はコンクリートで舗装され、交差点には警官ではなく三ツ目の信号機が車の流れを制御している。乗ってきたのが新銘術で巡航する航空艇だったから、きっと街にもそういう交通手段が溢れているだろうと思っていたのでそこは意外だった。少なくてもエイリックと同じくらいに、機械化された町並みが広がっている。


 だけどそんなささやかな驚きは街の中心部に近づくにつれ薄れていく。伝統的な町並みでも先進的な景観よりも目に飛び込むのは、仮装した人の群れだった。大昔の貴族令嬢を思わせるフリルのついたドレスや、足首がきゅっと絞られたズボンとベストを来た騎乗スタイルはまだマシな方で、頭三つある神話の怪物や、カートゥーンの黄色い鳥のキャラの被り物、全身緑色にペイントした男、極限まで面積を減らしたビキニに孔雀のような羽飾りをつけた女性陣、古いSF小説のような角ばったロボット、中身がどうなっているか想像も出来ない蛇っぽい何かの着ぐるみ。

 中にはプラカードやメッセージを掲げる人もいて、プロパガンダめいた事を描いている人もいれば恋人への愛を描いていたり、故郷の絵や歴史上の人物の写真を掲げていたりと実に様々だ。そして決して少なくない人が、ヘルン・エスポ元大統領の写真や絵を掲げている。もっとも大統領就任当初の若い頃や、現在の老いた姿など、年齢は様々だけど。


 知らんうちに不思議の世界に紛れ込んだのだろうか。


 バスが止まり、圧縮エアが中折りの扉を開く。老婦人が一人乗り込むとバスは再び走り出す。バスの座席はすべて埋まっていて、老婦人は手すりに掴む人の中を避けて私の前に落ち着いた。この国ではありふれた黒髪と緑色の目、だけど初夏に差し掛かろうとしている季節なのに肩にケープをかけ、頭には紫の羽飾りがついた帽子を被っている。席を譲ろうとしたのか前席の青年の肩が動き、それよりも早く私は立ち上がって、


「どうぞ」


 とシンキア語で呟いた。老婦人は「あら」と少し驚いた顔をして、


「ありがとう」


 私が座っていた席に腰掛け、老婦人はふっと息を吐き出した。見下ろす老婦人のか細さはひいばあちゃんを思い出させて、まさかこの人が娘か、などと馬鹿な妄想を浮かばせる。


「あなた、エイリックの方?」


 緑色の目が真っ直ぐに私を見据える。老婦人は帽子を膝の上に起き、柔らかな笑みを浮かべていた。


「えぇ」

「観光かしら? 哀悼の日だものね」

「哀悼の日?」

「あら、そうではなくて?」

「哀悼の日、とは」


 老婦人は「シンキア語がお上手ね」と言い、


「ちょうど一週間後が哀悼の日なの。戦争が終わった日に、亡くなったすべての人に哀悼を捧げるための一日。でも涙を流したり悲しんだりするばかりじゃ切ないじゃない? だからいつの頃からか、あなた達のおかげで楽しく生きています、っていうのを伝えるように変わったの。ちょうど今日から一週間、哀悼の日までみんな自分が楽しいと思うことをやってるわ。ほら、あの若い子達なんかまさにそれ。カートゥンのキャラクターかしら。好きなものになりきってお祭り騒ぎ」


 老婦人は窓の向こう、青や赤や黄色、色とりどりな髪とやたら短いスカートやショートパンツを履いた集団を指差す。


「私は性格ネジ曲がってるので、死後にそんな事されたら煽ってるんじゃないかと思ってしまうかもしれません」


 口が悪いのは昔からで、だからこそ馴染めずに苦労していた。だけど老婦人は、そんな私の言葉を聞いて、心から楽しそうに、声を出して笑った。


「そうよね、そりゃそうよ。でも、みんな楽しそうだし、そらなら別に良いのかなって。人生、楽しんだ者勝ちだしね」


 バスが止まり、多くの人が降りていく。街の中心部だろうか、あたりは外国ブランドのブティックやオープンテラスのカフェが立ち並ぶショッピング街だった。すっかり閑散としたバスの中、


「降りないの?」


 と老婦人は訊ねる。

 私は首を横に振り、


「仕事で来たので」

「真面目なのね。私だったら少し遅れてもお買い物に行ってしまうわ」

「趣味が無いんです」


 私は背負ったリュックを置いて「後ろに座っても?」と訊ねる。「もちろん」と老婦人が答え、私は後ろの席に腰掛けた。老婦人は体を横にして、私の顔をまじまじと覗き込む。


「目が少し緑色、かしら。もしかしてご親戚にシンキア人が?」

「曾祖母が」

「やっぱり! 言われてみればこう、ちょっと目の他にも顎先なんかシュッとして、シンキアって感じがしたのよ。ひいおばあ様はこっちに住んでいらっしゃるの?」

「いえ、もう天へ下りました。私がまだ十にもなっていない頃です」


 老婦人は柔らかい笑みを浮かべて「そうよね。あなたほどのお年だったら」と言った。窓の外を、真っ赤なルージュを塗る女性の横顔の看板が流れていく。


「あなた、うちの旦那に少し似ているわ」

「え?」

「飄々としていると言うか、すかしているというか。あ、悪口じゃないのよ、気を悪くしたらごめんなさい。良い意味で、っていうこと。きっと今に大きな人間になるわ」

「背はもう止まりましたし最近は体重も落ちる一方です。頭は鈍く、度量は子供の頃と同じ深さです。人間どころか動物にもよくよく好かれません。せっかくのご期待ですが、お応えできる要素は生憎どこにも」

「そんな事ないわよ。そうだ、よかったらうちの旦那と少し話していかない? 私の家はもうそろそろなのよ」

「いえ、すみませんが、私は仕事が」

「いいじゃない、少しくらい。もしよかったら、後で私と旦那とで一緒に謝りに行くから」


 なおも断ろうとする私の頭上で『ラハティ通り、ラハティ通り』とアナウンスが鳴り響く。ふと私は手持ちの地図に書き込んだバス停の名前を見る。私が降りるところだった。


「ーー」

「ほら、早く」


 いつの間にかバスの降り口に立つ老婦人が私を呼ぶ。私は足元の置いていたリュックを背負い、ろくに数えずコインを精算機に突っ込んでバスを降りる。ゴミ一つ落ちていない石造りの街頭と立ち並ぶ見るからにお高い家、家、家。老婦人は見た目の割に健脚で、脚の下に小さいローラーでも仕込んでいるかのようにみるみるうちに距離が離れていく。

 私は小走りで近づき、


「あの、私が訪ねる先もこの近くなんです」

「あら、そうなの? 謝りに行く手間が少なくて助かるわ」

「わかりますかね、トゥルク街、ラハティ通りの」

「ほら着いたわ」


 キィ、と鉄の扉が開く音。


 地図から顔を上げる。他の家と比べて取り立てて大きいわけではない。二階建ての木製、三角屋根は黒く壁は鮮やかで深い赤。家の半分ほどの広さの庭がついている分、隣の家よりも少しだけ広いが、言ってみればそれだけ。でも家や庭よりもまず、その高く家を囲む鉄格子の塀が目に付く。私の背丈よりなおも高いそのてっぺんはねずみ返しのように沿っていて、周囲にぐるっと細い線が引かれている。視線の高さにある看板には稲妻のハザードマークとともに『高電圧注意』と赤く書かれている。

 そして家の敷地に通じる鉄扉を開けたのは、老婦人ではなかった。門の前にはいかにもな感じのスーツ姿の大男が二人立っていて、一人が帰ってきた老婦人を出迎え、もう一人が一緒についてきた私にあからさまな敵意の視線を見せている。


「お客様よ、丁重にご案内を」

「しかし」

「ローラ・アビー様。主人から聞いているでしょ」


 老婦人は私を向き直り「ごめんなさい」と言った。


「みんな悪気はないのよ? ただ仕事熱心なだけ。あなたとおんなじ」


 まだ状況は飲み込めていない。呆然と佇む私を見て、老婦人は「そういえば」とまさに今思いつたかのように呟く。


「自己紹介もまだだったかしらね」


 自己紹介、と私は小さく口の中で呟く。老婦人は帽子を取って胸に当て、深々と頭を下げた。


「ご挨拶が遅れた無礼お許しください。ユヴァ・エスポと申します。遠路の疲れ癒えぬ中で大変恐縮でございますが、主人より重ねての挨拶がありますため、何卒しばらく、ご同行いただきたく」


 いきなりのかしこまった挨拶に私もまた頭を下げ、だけど返す言葉が見つからないままただぶっきらぼうに「こちらこそ」と間が抜けた調子でひねり出す。再び顔を上げると、子供のように無垢で、悪戯なユヴァの笑顔があった。


「ーーそちらの仕事熱心な方は」

 

 私はスーツ姿の男を横目でにらみながら訊ねる。

 

「笑っちゃうでしょ、ただの老人二人が暮らしてるだけなのに。でも主人が辞めた後にちょっと世の中治安が悪くなったじゃない? セルプ連邦が崩壊して、あっちこっち独立運動が始まって戦争戦争、って。主人は一応当事者だし、一線退いててもまぁ多少のね、影響力みたいなのはあったから、悪い人たちが乗り込んでくるかもって。それで当時の議会が主人のために法律作っちゃったのよ。おかげで四六時中、警備されちゃって。私は一人で歩き回れるけど、主人は今でもどこ行くにしても警備がついちゃうのよ。最初はそれはもう嫌がっていたんだから」


 口元に手を当てて上品に笑うユヴァを見ていると、なんだかありふれている家庭の事情を聞いている気分になる。


「あと、その、いつから、私がローラ・アビーだと気づいていたのですか?」

「まぁ、言ってしまえば最初から気づいてたわよ。お顔は写真で見せてもらってたから。でも待ち伏せしていたわけではないのよ? 本当、お買い物帰りにたまたま」

「言ってくれればよかったのに」

「どんな人か気になるじゃない。長い付き合いになるかもしれないし。でも良かったわ、良い人そうで」


 ユヴァは私の手を掴み、「以後よろしくね」と言った。

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