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9.オレンジジュース

 白狼を連れてこい。銃を持たせて。私の前に。

 ――私の前、ってどこだよ。


 :::


 午後の講義は射撃訓練だった。

 射撃場は研究棟から離れた兵舎の近く。白狼と会ったあの場所だ。すぐ近くにはルオストの森が見えるが、クマもオオカミも白狼も出てくることはない。

 

 教官は現役の軍曹らしく、いかにも腹から声を出していますって声を平原で訓練生に指示を飛ばしている。俺たちは銃床に『訓練用』と焼きが入れられたライフルを各自受け取り、射撃場の入る。屋根がつけられた撃ち場は五。そこに各訓練生が入り、各自の持ち弾三十発をひたすら的に向かって撃ち続ける。教官は何かを教える代わりにひたすら訓練生たちの的がどれだけ命中したかを確認しては手元のファイルに記録している。

 

 俺は撃ち場の後ろで、前列が撃ち終わるのを待つ。射撃は一列ごとに行われ、五人全員が撃ち終わったら教官からスコアを言い渡され交代。二巡目以降は徐々に遠い的を狙い、最終的なスコアを出す。的の後ろにある、弾止めの盛土から上がる土煙をぼんやり見つめていると、不意に後ろから肩を叩かれた。

 振り返ると、ハティが何か話しかけていた。俺はコルクの耳栓を外して、


「なんだ?」

「浮かない顔してと思って」

「後ろからじゃ顔なんて見えないだろ」

「雰囲気でわかるのよ、そういうのは」


 否定も出來ず、俺は鼻から細く長い息を吐き出す。


「白狼ちゃんへの恋煩い?」

「違う。……けど、白狼絡みは白狼だな」

「悩み多き年頃だねぇ。お姉さんが聞いてあげようか?」

「年は変わらんだろ」

「私のほうが一年早く生まれてるんだよ」


 ハティは腰に手を当て胸を張る。俺は「別に悩みってほどじゃないが」と後ろ頭をかきながら、


「昼休みにキュラ・スヴァーユが、」


 終了!

 と軍曹の声が平原に響く。思わず言葉を止めて振り向くと、今撃っている奴らが射撃を終えたところだった。軍曹は名前とそれぞれの命中弾数を告げていく。

 ふと気づけば撃ち場の一番端にはキュラがいて、大口開けてあくびを噛ましているところだった。白狼がライフルを持っている姿も不釣り合いだったが、キュラはそれ以上だ。成人男性向けに作られているライフルを持つとまるで釣り竿のように見える。だけどキュラは慣れた手付きで安全装置をかけ、銃口を地面に当て自分の体に持たれかけさせる。自分の体の一部のように扱うその仕草に、一瞬白狼の姿が重なった。


「キュラ・スヴァーユ、三十!」


 三十?

 全弾命中?

 一瞬の沈黙が広がり、俺を含めたその場にいる全員が、キュラを見た。当のキュラ自身は何も聞こえなかったかのように自分の爪をいじったり噛んだりしている。やがて交代が命じられ、列が進む。俺とハティも人一人分進む。


「さっすがだねぇ」

「さすが?」


 俺はハティに聞き直す。前の奴らが体を伏せ、射撃の体勢に入る。


「キュラは結構有名人、らいいよ。ここらへんじゃね」

「どういう事だ?」

「あぁ、あの子トゥルクの出身でね、」


 トゥルクはルオストの基地から一番近い街の名前だ。


「サライコット祭って知ってる? トゥルクの感謝祭なんだけど、そこで毎年射撃大会が行われるらしいのよ。それでキュラは、小さい頃から金賞取ってたんだって。歴代の連続優勝記録を持ってるらしいよ」

「誰がそんな事言ってたんだ」

「本人が自慢してた」


 ふと俺たちの視線に気づてキュラがこちらを見てくる。俺はじっと睨みつけたまま、ハティは笑って手を振る。キュラは手の指を握ったり開いたりしてハティに返し、俺には『分かってるんだろうな』とでも言いたげに舌を出した。


「ーー五分前に聞いてたら鼻で笑ってたな」

「私も正直信じてたわけじゃないけど、こう見せつけられるとちょっとびっくりだよね。あれより上がいるとか更に意味分かんないし。私、射撃なんてほとんどやったこと無いからさぁ、ルオキャンプなんだから新銘術だけやらしてほしいよ」


 準備を終えた前列の五人が、一斉に射撃を始める。散発的に響く銃声に一瞬気を取られて、


「なんて?」

「え? なにが?」

「今、上がいるって」

「あぁ、なんかライバル? がいるらしい。けど話聞いてる限り、キュラが一方的にライバル視してるだけで、その子はなんとも思っていなさそうだけど」

「なんだ、つまりどういう事だ?」

「いやね、何年か前のサライコット祭だけは銀賞止まりだったんだって。なんでも、『インチキを使ういけ好かない女』に勝てなかったから、とか。早い話、自分よりうまい人が出て優勝を取りこぼした、ってだけでしょ」

「そいつは、どこの誰だ?」

「えー、知らないよ。キュラに直接聞いてみて」


 ハティは直後に「あ、でも」と続けて、


「確かシィ、って名前って言ってたと思う。シィ・ヘンキ……だったかな」


 シィ・ヘンキ。

 ふと最初の講義を思い出す。講義室、突如現れたクマみたいな男。お前らの担当教官と言ったそいつは、確かこう名乗ったはずだ。

 コラブ・ヘンキ。


「あ、で、昼休みにキュラがどうしたって?」


 俺は「いや、なんでも無い」と言う。


「ありがとう、解決した」


 ハティは首をかしげながら「それは、どうも」と言った。


 :::

 

 長テーブルと丸椅子が等間隔に並ぶ食堂には講義を終えたルオキャンプ生が集まっている。俺はいつも夕食を一緒にしているヴァンやハティから離れ、食堂の端で一人で座るキュラの前に腰掛ける。

 

「友達いないのか?」


 図書館で言われた事のお返しのつもりだったが、その意図がちゃんと伝わったかは微妙だった。キュラは眉間にしわを寄せ、スープがべっちゃりとつけられたパンを口いっぱいに頬張り、器用に『べーっ』と舌を出した。あごに垂れたスープを袖で拭う。


「昼の話だがな」

「ふぁっふぁとふれへひなさひよ」

「飲み込んでからでいいぞ」


 キュラは口をせわしなく動かし、木のコップに入った水を飲みほして、

 

「さっさと連れてきてよ」

「伝えるのを忘れてたがな、白狼は毎朝射撃場で銃を撃ってる。わざわざ俺が連れてこなくても、お前から行けばいい」


 キュラは鼻で笑って「分かってないなー、全っ然分かってない」と言った。スプーンの柄をグーでつかみ、お椀に残ったスープを口に運んでいる。

 

「私は呼べっていったの。こっちから行くんだったら態々あんたになんか頼まないわよ」

「同じことだろ」

「違いますー、チャレンジャーは常に挑戦しに来なきゃいけないんですー」


 俺は頬杖ついてため息をつく。「なによ」と幾分低い声でキュラが言った。


「そんなに射撃大会で負けたことが悔しいのか」

「負けてないし!」


 だんっ、と両手を机にたたきつけて立ち上がる。周囲の目が一斉にこちらを向くが、キュラはそんな事構いもせず、

 

「一回、たった一回よ! あんなの絶対インチキに決まってるし! 私が当てられなかった的があいつにあてられるはずがないわ! それに私、見たのよ! 試合前に、あいつが精神降下しているところ! あの一回以来大会には出てないし、絶対、ぜぇーったい、裏があるにきまってるんだから。それに、大会の記録だって私が持ってるのよ! あいつはたった一回、勝っただけじゃない! なのに、なんで私から行かなくちゃいけないのよ! 記録持ってるのは私なのよ! わ、た、し!」


 言い終わるとキュラは肩を上下させて荒く息をしていた。俺は呆然と、水の入った自分のカップを差し出して「飲むか?」と訊ねる。俺の手からそれを奪い取ると、一気に飲み干した。左手で口元をぬぐい、空になったカップを突き出す。俺が受け取ると、キュラは糸が切れたように座り込んだ。

 

「結局、白狼を呼び出してお前は何がしたいんだ」

「決まってるじゃない。もう一度勝負するのよ。妙な技さえ使わなかったら、私が勝つに決まってるんだから」

「もし負けたらどうするんだ?」

「負けるわけないじゃない。……たぶん」


 キュラはムスッとした顔のまま、ぼさぼさの髪を乱暴にかきむしる。俺はパンをちぎり、スープに浸して口に放り込む。遠巻きにこちらを見ているヴァンと目が合って、行こうか? とでも言いたげな目をしていた。俺は小さく首を横に振って、またキュラに向き直る。

 

「正直、そこまでして拘らなくてもいいと思うがな。射撃の腕は十分すごいだろ、お前」

「私は一番がいいのよ。他の事はともかく、射撃に関しては。だって、他に何もないし」

「何もない事はないだろ」

 

 キュラは噛みすぎてギザギザになった自分の爪を尚もいじりながら「お金持ちのあんたには分かんないよ」と呟いた。自嘲気味な笑みすら浮かべている。子供のように感情をまっすぐ吐き出すキュラに、その笑みは似合っていなかった。

 

「うちはね、兄妹が七人いるの。私は一番下の、一番チビなの。頭も悪いし、何やったって兄妹には勝てなかったわ。親にも兄ちゃんにも姉ちゃんにも。だーれも私の事なんて気にかけちゃいないし、期待だってしてないし。でもね、射撃だけは別なの。それぐらいしかないの。他に何もないのよ。分かる? ヘルン・エスポさん」

「俺は、お前が羨ましいけどな。これが一番だ、って言えるようなものがあって。俺なんて、ここに来て自分には何も出来ない事が分かっただけだし」

「政治家の息子が何言ってるの?」

「親父殿がどんだけ偉かろうと、ポンコツはポンコツだって事だよ」


 キュラは半分に細めた目で俺をじーっと見、そしてふっとそっぽを向いて「あ、そう」と言った。頬杖ついて窓の向こうを見つめている。ルオストの平原と、その奥で黒々と佇む森を。


「とりあえず、お前がそこまで言うんなら、まぁ何とかして連れてくるよ。俺も白狼には少し興味があるし」

「最初からそう言ってるじゃん」


 キュラは横目でちらりとこっちを見て、

 

「……ありがとう」


 と消え入るような声でそう言った。俺は晩飯の残りを頬張りながら、

 

「そういえば」


 キュラに尋ねる。

 

「お前、お茶とコーヒーだったらどっちが好きだ?」


 キュラは五秒ほど考え込み、

 

「オレンジジュース」


 と答えた。


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