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6.やっべ

 森は黒々とした一つの塊に見えた。平原には誰かの往来を示す草が薄い道がひょろひょろと伸びていて、それは轍になって森にも続いている。俺たちはモックアップにまたがり、その道に沿って走る。宿舎はすでに遠く、夜に染まりつつある平原には俺たち以外に動くものが見当たらない。


「……行く?」


 森を前にしてヴァンが訊ねる。少し、笑顔が強張っている。高く伸びた木々はただでさえ少ない光を覆い、巨人の腹みたいに虫や動物の鳴き声、草木が擦れる音が聞こえる。


「雰囲気あるねぇ」


 とハティは能天気に呟く。口に咥えたタバコを気持ち良さそうに吸い込んでいる。


「今更戻るっていうのもないだろ」

 

 俺はモックアップの手綱を引いて進む。後ろの二人を振り向いて、


「行けるところまでは行くぞ」

「迷子にならないように気をつけないとね」


 そう言ってハティが続く。後ろでヴァンのため息が聞こえた。


「食べられないようにも気を付けないと」


 何に、とは誰も聞かなかった。


 :::


「お前、やっぱり馬で走りたかっただけだろ」


 道、とも言えない獣道を進んでいく。先頭に俺、続いてハティ、ヴァンの順。モックアップは山道用のチューニングがされているのか、草木が茂る森の中であっても前後の間隔を一定に保ちながら進んでいく。虫の音が、俺達の気配を感じ取ってか次々に声を潜めていく。


「ばれた?」


 俺の問いかけにハティは悪びれもなく答える。


「たまるばっかりでしょ? こんなとこ。少しは発散しないと」

「そうだな。出来たら合法的に発散しような」

「ハティさんは乗馬も精神降下も慣れてるみたいだけど、やっぱりご実家がそうなの?」


 ヴァンの問いかけに「そうなのって言われたら、そうですとも」と笑いながら答える。


「代々造型師の家で、官用から農業用まで馬のモックアップを作ってきたから。取り潰された後も、地方でほそぼそとやってて、私も子供の頃からそれの手伝いばっかりさせられてたんだよね。作るのも悪くはないけど、やっぱり走るほうがずっと気持ちいいよ」


 取り潰し。

 つまり赤緑動乱で赤側について、家名が剥奪されたということだ。エイリックから始まったスチームによる機械革命はシンキアでくすぶっていた階級闘争に火をつけ、名家と平民、血縁の赤と生きる糧の緑、持つものと持たざるものに分けた内戦に発展した。俺やヴァンのような、今、首都で実権を握っている者たちは緑側として戦い勝った奴らだ。そして赤側に付き負けた奴らは、その指導者層に近ければ近いほど重い処罰が待っていた。家の取り潰しは処刑や投獄に次ぐ重いもので、土地や事業の独占権を没収され住み慣れた場所から追い出されることを意味している。造形師の家ならその地方で占めていたモックアップの製造権を取り上げられたのだろう。尤も、造形師の技術はどこでも必要とされているため、食べるに困ることはないのだろうが。

 

「ルオキャンプには、どうして?」

「農業用の馬ばっかりってのも飽きたから技官として軍に入ったんだよ。軍馬の調整で楽しくやってたんだけど、上の命令でテスト受けろって言われて、気づいたらここに。もう少し手を抜けばよかった」


 ハティはからからとボールが転がるように笑う。


「確かに、お前は授業受けているときより平原走ってるほうが百倍楽しそうだったよ」

「同情してくれるの? 隊長さん」


「隊長?」と俺が訊ねたら「ヘルンしかいないでしょ」とヴァンが答えた。


「同情じゃない、感想だ。ただの」

「そういう隊長も、随分楽しそうだけど」

「俺が?」

「そう、単なる感想だけどね。そんなに可愛かった? 白狼」

「違うっての!」


 へぇー、とハティとヴァンが声を揃えて言う


「照れなくてもいいのにねー」

「素直になればいいのにねー」


 薄暗闇で振り返っても表情はろくに見えない。だけど頭には、ハティとヴァンのニヤけづらありありと浮かぶ。俺は「だから!」と後ろに吐き捨て、言葉に詰まった挙げ句、


「少し、気になるだけで」


 おー!、とまた二人は声を揃え、どっちが先かはわからないが拍手までしてくる。


「だまれ! お前ら、そういう意味じゃなくて」


「裁判長、被告が意見陳述を求めています」


 ハティが声を低くしてそう言い、ヴァンが「許可します」といつもの調子で言う。俺は眉間にシワを寄せながら、


「お前らだって聞いたことあるだろ? 朝いつも一定間隔で鳴ってる銃声を。俺はそれを実際に見たんだ。しかも全弾的に当ててた。俺らとそう変わらない女がだぞ。そいつは軍属でも無いのに軍の世話になってしかも森に住んでる。それは当然気になるだろ」


「異議あり! 裁判長、今の供述は普段の被告とは違い非常に早口で行われました。すなわち、今の供述には信憑性が薄く、他にもっと別の気になる理由があるものと思われます」


「てめぇ殺すぞ!」


 と言った俺に「被告は発言を慎むように」と、それこそなだめるように言い、「異議を認めます」とより一層、穏やかに言い渡す。


「被告はもう一度ゆっくりと意見を述べること」

「おいこの裁判長、俺の弁護人はどこにいるんだ」

「自分の身は自分で守ってください」


 今すぐ殴ってやろうか、そう思った時、ふと草木を駆け抜けるような乾いた音が聞こえた。先に気づいたのはハティで、馬を止め、後ろに続くヴァンもすぐに止まった。反応が遅れた俺だけが一人先行するような形になり、ヴァンとハティ、それと俺の間に若干の距離が生まれた。

 狼は、その間に飛び込んできた。

 

 暗闇の中で爛々と光る双眸がまっさきに見えた。闇の中でより暗い黒として浮き上がる体が宙を飛び、体全体をしならせて着地した。俺を向き、森中に轟くようなけたたましい鳴き声を浴びせてくる。


「やっべ」


 とハティがつぶやくのが聞こえた。ヴァンが「ヘルン! 引き返すぞ!」と声を荒げる。後ろの二人はモックアップを反転させるのが見え、それはより大きな黒に遮られる。


 狼と俺の間に、四つん這いでのっそりと現れたそれが何なのか、一瞬わからなかった。歩いてきた轍を塞いで有り余る巨体が立ち上がり、たしかに俺を見た。狼と同じように光る目は、馬に乗った俺よりも遥かに上にある。自然とは異質な俺とモックアップをどう認識したかはわからない。敵か恐怖の対象か、それともエサか。なんにせよ、そいつは地の底から湧き上がる死者の怨嗟のような鳴き声を響かせた。


 熊だった。

 森の長と言われても納得するような、とびっきり巨大な。


「ヘルン!」


 ヴァンが叫ぶ。俺は情けないことに、驚きと恐怖に支配されて声を上げることも手綱を引くことも出来なかった。

 モックアップは基本的に人の命令でしか動けない。生きている馬であれば馬自身の恐怖によって走り出すが、モックアップは俺が走れと手綱で命令しなければ動かない。そんな事分かりきっている筈なのに、頭の隅ではしきりに動けと命令しているというのに、体はピクリともしなかった。


 熊が動いた。

 手を振り上げたのかもしれない。噛みつこうと大口を開けたのかもしれない。その動きも理解出来ずただただ呆然と見つめていた。呼吸が細くなり喉が震えるた。手綱では掴むのに心細く、モックアップの首元に手を回す。


 銃声が響き渡る。


 狼が熊の背中に飛びつく。そして直後、命じていないのにモックアップが前足を上げ、次に地面を着いた途端に全速力で走り出した。俺は振り落とされないようにしがみつくのが精一杯だった。みるみるうちに距離が熊と、そしてヴァンたちとも離れていく。遠くに響いた声が誰のものであったか、わからない。風を切る音だけが耳に轟いていた。


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