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見下されないこと。ただそれだけのために生きてきた

作者: 壱番合戦 仁

 傷つけられないこと。ただそれだけのために生きてきた。


 名前が礼也というだけあって、昔から礼儀については厳しく躾られてきた。空手をやってきた甲斐もあって、 人一倍運動神経も長けていたし、礼法についても自信があった。


 見下されたくなかったから、空手は人一倍頑張った。


 だけどそんなモチベーションで必死こいてやってるやつなんかに、 空手が本当に好きで頑張ってる先輩が負けるはずはない。

 何度も何度も叩きのめされた。


 ふてくされて、練習に真面目に打ち込まず、 賑やかな場所で多くの中からひとつの音を聞き取るのが苦手だったのもあって先生の指導も聞こえなかった。


 知識欲も強かった。


 人から言われたことを、何も考えないで実行するような馬鹿ではなかった。人から何かを学ぶ前は、必ず、なぜそれを学ぶのか、どのようにして学ぶのか、そして学ぶと、どんな意味があるのか。それらを全て聞こうとした。


 いくら技術を身につけていて、思う通りに使いこなせても、 自分がどのようにしてその技術を使っているのかを説明できなければ、口のうまいものには結局負けてしまう。


 知識と情報と上辺だけの技術。

 警察官に拘束されたり、チンピラに絡まれてぶん殴られそうになるとき以外は、そんなもので十分だった。


 僕にとって空手は、人からなめられないための道具でしかなかった。だから自分の学んだことを、体験したことを、 知識で裏付けできればそれで十分だった。


 失敗の繰り返し、からの破滅。そして嘲笑と裁き。 最後に部屋に引きこもって対策を、練る練る練る。


 寝る。


 凶夢に堕ちる。

 幻想の中の家族が何度も別れを告げる。

 僕に、淡く儚い幸せを残して、置き去りにしてしまう。

 温かく幸せな毎日が走馬灯のように過ぎていき、泡沫のように弾けては消える。


 光とともに、消えていく。


 目が覚める。

 起き上がれない。

 背筋が、一瞬で凍結するような思いがした。

 これはただの夢ではない。

 暖かい優しい幸せな家庭は、もう消えてしまっている。


 「夢じゃ、ない」


 おかしいのではないのか。

 目が覚めたら、悪い夢は全部消え去っていて、いつものように、幸せな日々が、幸せな朝が待っているのではないのか。


 「誰にも、相談できない」


 どうせ夢のことだと言われて、笑い飛ばされるのがオチだ。

 朝目覚めたらさっきまで見ていた悪夢よりも辛い現実が待っていた、だなんて。


 もっと大げさに話すべきか。

 辛いと思うに値すると評価されるためには、これだけでは足りないのではないか。


 そんなことを考えてる間にも、一階から、何やら騒がしい怒鳴り声が響いてくる。


 「オイ、俺はこんなサラダが食いてえんじゃねえんだよ。 もさーっと、こんな汚い盛り付け方しやがって。時間がねえんだよ、さっさと直せ!」


 「そんなに気に入らないなら、自分で直せばいいじゃないですか。人の作ったものに文句を言うんだったら、もう作りませんよ?」

 

 「台所のことはお前がやってんだから、お前が直せよ」


 「あ、そうだ! 洗濯物、洗濯物。あー、忙しい、忙しい」


 「コイツゥ……!!」


 こんな低レベルな言い争いしてる大人に相談なんかできるはずがない。


 空手のことも、人生のことも、家の事も、もちろん、悪夢のことも。


 孤独の包囲網が、僕を囲んで逃さない。

 朝から僕を生んだ夫婦の、聞くだに堪えない罵り合いは、 きっと全て一から十まで録音していないと、誰も意見を言ってくれないだろうし助けてもくれないだろう。


 【その場に居て、 聞いていたわけじゃないから何とも言えないんだけど……】とかなんとか、逃げ口上を叩かれるのがオチだ。


 オチが見えてる。

 たくさんたくさん、見えている。

 不愉快なオチが山のように。


 このままじゃいけない。次の標的は僕だ。

 対策を立てなければ精神的に殺される。

 朝の日差しを閉め出した、薄暗い部屋。カーテンに閉ざされた部屋の、床敷きの布団の上で、両手で目元と額を抱えながら、死にもの狂いで考え込む。

 

 まず、父親がこねる理屈と母親が取る態度のしくみを解析して、セキュリティの穴をとことんまで見つけ出していった。


 母親は自分の知る狭い世界の常識が、世間一般でも通用すると思い込んでいる。どんな常識であっても、日本中どこへ行っても通用する常識などありはしないのだ。


 こちらの土俵の話をしてる時に、あちらの常識の話を振りかざしてくるのであれば、こちらはもっと大上段に振りかざして、面を食らわせてやろう。


 そして恥を知らせてやればいいのだ。


 差別的な態度をとり、言葉の外側で人を侮蔑するような物言いをする父親には、自分は差別的な発言は何もしていないという言い逃れができないように徹底的に追及してやろう。


 もしそういう態度が失礼に取れるということを認めないのであれば、こちらの常識を押し付けてやればいいのだ。


 僕が常識を押し付けなくても、彼のような態度をとられて不快に思う人達はいくらでもいるのだから、仕事から帰ってきたら、駆けつけ三怒、酒のつまみにでも食らわせてやろう。


 今夜のあの糞野郎の酒の味は愉快になるだろうよ。


 父は言う。

 「このキ***が。この家から出ていけ!」

 出て行かせるつもりは微塵もないくせに口から出まかせって言いやがって。僕と同じモン抱えておいて、 どのツラ引っ下げてのたまいやがってんだ。僕がキ***だというのであれば、お前もキ***だ。クソが。お前が出て行け。



 母は言う。

 「あんたのいうとおり、どぉーっせ、私は常識がないんだしぃ? 話しかけなければいいんじゃないの?」

 相手の言ったことの揚げ足を取って、 下手くそなブーメラン論法を狙いに行くなんて……、 貧相なおつむしてんなぁ、おい。保育園の先生やる前に園児になって出直してこいや。クソアマ。


 暴れて罵って、たくさん敵を作って。

 うわべだけの知識を鎧って、たくさんたくさん嘘をついて。


 屁理屈をこねて。


 理想を謳って、駄々をこねて。


 気がついたら僕は、どの居場所からも追い出されていた。


 ひとり、静かな部屋でのんびりと小説を書き、電子ゲームの世界に溺れる日々。


 虚しく、平和な日々。


 僕はある歌の一節を思い出した。


 「私は走り出したい」

 「影の国へ」

 「そこは闇が全ての空気を満たし」

 「凍りつくほど冷たい」


 「散る散る彼岸花」「高い高い河原の石塔」

 「蹴り崩す者はおらず、きっといつか罪は赦される」

 

 「そんな昨日も名前もない国で」


 「再び私は、心の平安と出逢うでしょう」


 夕闇の中で。宵闇の中で。寂夜の中で。


 暁の光に包まれて。

 

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