「月」の輝きは、宵闇に昇りて満ちる。 2
水を飲んだ後、30分ほど掃除に徹する。
「ごめんなさい……本来の用事は、これじゃないよね……」
「いいってことですよ。うん、うん」
半分以上は自分に言い聞かせ。
いや、こんな大事な時に掃除しないといけないのか?と言われたら答えはNOだ。
何より時間が差し迫っているのだから。
……え?なんでそんな時に掃除をしたかって?……なんでだろうな?
「……それで、お話って……」
「……」
俺はVRでの出来事を、出来る限り事細やかにディアナ……上弦先生に伝えた。
「……では、私の登場を待っているんですね。彼らは」
「えぇ」
「……つまり、私がそちらに向かえば、私だけが捕まって……後のみなさんは……」
「それはどうでしょう」
後頭部で腕を組む。
「あいつらは言っていたんです。{これはあの人の華麗なる復讐劇の始まりに過ぎない}と。
だから狙いはディアナ……つまりあなただけではない。
もしここであなたがあいつらに捕まったら、それこそあいつらの思い通りになってしまう」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「俺たちには人質がいる。その人質の解放条件として、あなたは必要だ」
「……」
ガタガタと震える上弦先生……
「あ、いや、その、あなたを道具として使おうって魂胆じゃなくて」
「じゃあ何に使うの!?もしかして……」
「それ以上はいけませんっ!倫理的な意味でも!」
とりあえず、もう少し詳しく伝えてみた。
「……じゃあ、私の役目は……」
「えぇ。上弦先生……いや、ディアナ」
俺は頭を下げた。
「頼む。俺は誰も失いたくはないんだ。
お前も、他の仲間も……みんな!」
「……失いたくない。か」
すると上弦先生は、何かを取り出した。
「……」
それは、ぼろぼろになった紙の束だった。
ところどころに何かしらの絵が描いてある。
「……これは?」
「……」
・
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はるかむかし あるところに ひとびとをくるしめるまおうがいました
おうがいいました 『あのものをたおせるものはおるか』と
すると ひとりのわかものがこういいました
『おうさま ぼくにまかせてください』
そしてゆうしゃは まおうをたおすたびにでました
……子供のころから、こう言った漫画を描くのが好きだった。
『私』は鉛筆で、落書き帳にすらすらと文字と絵を描いていく。
……まだ小学校1年生の時だ。
同級生が笑いながら校庭で遊んでいるのを尻目に、私は放課後の道路を歩く。
「何見てるの?葉月ちゃん」
同級生が語り掛ける。
「……漫画、描いてるの」
「漫画?」
「そう、{ゆうしゃのだいぼうけん}って漫画なんだけどね。
次の漫画コンクールで、これを出してみようと思うんだけど……」
同級生の女の子が、私の漫画を読んだ。
「……すごい、面白い!」
屈託のない笑みを、女の子が浮かべる。
私はその様子が、たまらなく嬉しかった。
漫画を描くのが好きだ。
漫画を、読んでもらうのが好きだ。
その『好き』は、私を支えていた。
私は昔から、体が弱かった。
体育祭があればいつも参加せず見学。学芸会では基本木の役。
人と話すのも少し苦手だった。
話しても、自分の気持ちはうまく伝わらない気がしたから。
その私を支えていたのが……漫画だった。
漫画を描けば、自分を偽れるから。自分を……庇えるから。
漫画の中に出る主人公を、自分に重ねたりもした。
……それしか、自分の存在価値を示せない気がした。
「おうコラ」
見るからにガラの悪そうな男二人が、私と私の友人の前に立ちふさがった。
「テメェら、何ガンくれてんだコラ?」
顔を近付けてくる。口からたばこのにおいがした。……私の大嫌いなにおい。
「……な、え、ええっと……」
「テメェオレをなめてんのか?ああん?」
私の友人は恐怖で足がすくみ上がり、その場に立ち尽くすしかない。
私も今にも泣きだしそうだ。
「聞いてんだよオラァ!」
男が勢いよく腕を振り上げる。と、同時に、私の手から漫画が舞い上がる。
「あっ」
しまった、いつもはノートに書いてそれを破いて、クリップで止めているのに……
今日はクリップで止める前に見せてしまったため、それを止める手段はない。
「私の、漫画……!」
「あぁ!?バカにしてんのかテメェ!」
男がついに拳を振り上げる。……その時だった。
バシッと、後ろから腕を止める。
「……ガキいじめっとかマジで幻滅なんすけど」
女の人が二人立っている。なんというか、いわゆるギャルと言う感じの見た目だ。
「んだと!?テメェ誰に向かっ……て……!?」
腕をつかんでいる女の人の顔を見て、男の顔がみるみる青ざめる。
その女の人は、赤いパイナップルヘアー。そしていかにもな服装をしていた。
「あ……え、えっと……ヒロさん、ですか?」
「あ?まず言うべき事あんじゃない?」
「……ひ、ひ、ひいい!すいやせんでしたああああ!」
男二人は、脱兎と言うより、ドブネズミのように逃げ出した。
「あ、あの……」
お礼を言おうとした瞬間、女の人は私の書いた漫画を手に取り……
「あっ……」
パラパラと見ている。……同級生以外に見られるなんて、初めてだ。
「……ほい。アンタらも、ちゃんと前見て歩くのよ。
あと、ページ足りなくなったらめんごね」
「は、はい」
歩き去ろうとする女の人に、ありがとうございましたと声を上げて、頭を深々と下げる。
「……じゃない?」
「え?」
「その漫画、なかなか面白いんじゃない?って言ってんの」
その背中は、今でも覚えている。
なんというか、かっこいいというか……身長以上にとても大きく見えた。
「ただいま~!」
家に帰ってきても、家族は誰も迎えない。
父親は根っからの仕事人間で、家に帰ってくること自体がまれ。
母は……今日もパチンコだろうか。それとも……
今日も夕食は、インスタントラーメンだろう。これなら私でも作れるし。
「……」
だからこそ、私は家でも漫画を描く。孤独を紛らわせるために。
……時は流れて、私は専門学校を卒業し、漫画家としての道を歩み出した。
まぁ、その専門学校も……親の反対を押し切って、なんだけど。
普段は私の事なんてどうでもいいのに、こういう時だけは干渉してくる。
やれ『漫画家では食べられない』やれ『漫画家は未来が見えない』
普段の私なんて、石にも劣るのに。仕事にも、パチンコにも劣るのに。
アルバイトして、学費稼いで……その時に言われたな。
「言う事を聞けないお前なんか、俺の子ではない!」
「……」
ペラペラと、私の漫画の原稿用紙を読む小太りの男。
私は緊張からか、何も言う事が出来ない。
「……」
そしてそれを、私に返した。
「……やっぱり、ダメですか?」
「うん」
あぁ、またきっぱりと言われた。
「なんというか、君らしさがないんだよね。ありそうな設定に、ありそうな世界感。
今の漫画業界、こんなんじゃ生きていけないよ」
「……」
でも、こういうものしか書けないから仕方なかった。
どこの出版社に持っていっても、言われるのはまるで同じ。
自分らしさがない。
自分らしさがない。
自分らしさがない。
「……わかりました。ありがとうございました」
だが突き放すのも愛だろう。自分でも思っていた。こんな漫画じゃ、誰も満足しない。
面白い漫画なんて、自分には描けない。
……そう、思っていた時……
「うわっ」「きゃっ」
曲がり角で、男とぶつかりそうになった。
その拍子に多くの用紙が散乱し、床に広がる。
「あぁ、すいません!」
「い、いえいえ」
スーツ姿の男と、それを拾う。
「……」
その途中で、男はふと、紙を拾い上げた。
「あっ」
その紙と、別の紙を見比べる。
「これは……あなたが?」
「あ、はい……でも、見ないでください。ダメ出し食らっちゃって、持って帰るところなんで」
見ないでください。そう言ったはずなのに、男は紙を集め……
「えっちょっと」
舐めるように、そのストーリーを追っている。
「……」
その表情を見て、私は止める……ことはせずに、男の表情をじっと眺める。
3分ぐらいして、読み終えたようだ。
「……あ、あの……どう、ですか……?」
「……うん。少なくとも、僕が担当するもう1人の人よりは読みごたえがある」
「え……?」
「と言うか、何かもうひとスパイス加えれば、普通に面白いと思いますよ?」
男の人はそう言った。
「ベタながらもストーリーはしっかりしてますし、キャラクターは……
例えるならこの主人公は、まじめすぎるって言う特徴がある。
特徴がある主人公は、漫画にする上で動かしやすいと思います」
「あ、ありがとうございます……」
すぐに家に帰り、漫画を再考する。
「……」
――なんというか、君らしさがないんだよね。ありそうな設定に、ありそうな世界感
――今の漫画業界、こんなんじゃ生きていけないよ
――と言うか、何かもうひとスパイス加えれば、普通に面白いと思いますよ?
何か……ひとスパイス……
その『ひとスパイス』が、私にはわからなかった。
ストーリー展開?敵のカリスマ性?それとも……
描いて、描いて、描いて、描いて、捨てて、捨てて、捨てて、捨てて、
描いて、描いて、捨てて、捨てて、描いて、描いて、捨てて、捨てて、
描いて、捨てて、描いて、捨てて、描いて、捨てて、描いて、捨てて……
気が付くと、日をまたいでいた。考え共考えども、言われていることがよくわからなかった。
スパイス……スパイス……スパイス……
――その漫画、なかなか面白いんじゃない?って言ってんの
その時……何故か子供のころを思い出した。
あの時のギャルな女の人。かっこよかったなぁ……
そして、私に天啓が降りてきた。
こうして完成したのが、私の代表作の
『真面目剣士とギャル勇者』だ。
あえて勇者をギャルにし、主人公の真面目な剣士を振り回すファンタジーコミックは話題を呼び、
読み切りの時点で、かなりの反響をもらった。そして……
「え?連載……ですか!?」
「えぇ、あなたの漫画、とても反響がありましてね。ぜひ連載をしてほしいと、編集長が」
「あ……あ……」
『反響があった』その言葉がとにかく嬉しかった。本当に……嬉しかった。
自分の好きなことで、他人を笑顔に出来るのが、本当に嬉しかった。
ただただ、嬉しい気持ちでいっぱいだった。
「それで、どうするんです?」
「……是非、是非、お受けします!」
その日は、転がるような勢いで、とても喜んで、歓喜に包まれた。
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「……これは、小学校の時に描いた{ゆうしゃのだいぼうけん}の紙でね」
俺はその紙を手に取り、食い入るように見ていた。
……とても、子供が描けるような絵のクオリティではなかった。
このころから、ずっと上弦先生は、漫画が好きだったんだろう。
「……もしかして、あの時、紙を拾ったスーツ姿の男の人って」
「そう、黒木君。この頃に出会ったの。私が連載を勝ち取れたのだって、彼のおかげ」
……でもね、タイガさん」
急にしんみりとした表情になる上弦先生。
「え?」
「夢は、叶ったらいけない時だってあるんだよ?」
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連載が始まった後も、まじギャルは人気だった。
センターカラーを得る時も多かったし、単行本を発売すれば重版に次ぐ重版。
週刊少年ホップ始まって以来の大人気ともなり、
「今年の次にキタる、マンガ大賞、第一位は……週刊少年ホップで連載中、上弦ノ月先生原作の
{真面目剣士とギャル勇者}に決定しました~~~!」
「すごいですよ先生!9巻も重版決定ですよ!」
喜び勇んで私の元へやってくる黒木君。……でも……
「……ありがとうございます」
私はそっけなく返した。
「てか、先生、最近部屋の掃除してます?」
「いえ、部屋の掃除をする時間が惜しいです。
その間に新しいアイデアが降りてきたら、すぐに描き出せないんで」
カリカリと、ペン入れをする音だけが響く。
アシスタントは黒木君以外雇っていない。
……いや、『雇えない』が正しい。
部屋が汚いのもある。
ただ何より、両親が私の噂をどこで焚きつけたのか、
あれほど私の事を放置していた両親が、今度は私に金の無心をしてきた。
それもあり、私は売れているにもかかわらず、ほとんど裕福なことは出来ていない。
食事は相変わらず不健康そのものだし、流行りの服なんてないし、髪を切りに行く余裕すらない。
無心でペンを走らせる。……この時が一番落ち着く。
無心でペンを走らせる。……この時が一番落ち着く。
むしんで ペンを はしらせる。……このときが いちばん おちつく。
「あ、あの……上弦先生」
「はい」
「……大丈夫……で」「大丈夫です」
黒木君は、そんな私の様子をただならない様子だと思っていたんだろう。
それぐらいわかっているつもりだ。
でも、はけ口がない以上、こうなることはわかり切っていた。
でも、誰か一人でも私の漫画を読んでくれる限り、途中で降りるわけにはいかない……
私は、何のために漫画を描いているのか、よくわからなくなってきた。
……そんな折だ。
「……?」
ホップの見本誌に載っていたのが、WOOだった。
「自分好みのキャラクターにカスタマイズもできる……か……」
なぜかその言葉に、妙に引き込まれた。
値段的に、今月は割と余裕があるので購入できそう。
私は救いを求めるように、WOOを注文した。
今回からディアナの回想。
ディアナの回想は、もう1話ほど続きます。




