Just my imaginations
美樹と智歩ちゃんに再会したあの後、俺は立て続けの騒動による疲れからか暴力的な睡魔に襲われた。
寝たら悪夢を見るという恐れと、俺を追ってきた連中がここにもやって来るのではという不安があったものの、睡魔には勝てずにあっという間に眠りの底へと落ちた。
ところが、俺の予想に反して目が覚めたときには美樹と智歩ちゃんは普通に生きていたし、部屋も散らかりっぱなしだが特段変化はなかった。
どうして最新式のレーダーやら装置を持っている連中が、人っ子一人来なかったのか?
答えは美樹が作ったシステム、『阿頼耶』と呼ばれるものを使って全てを解決してくれたからだ。
阿頼耶の持つ力の一つに、レーダーの偽装操作がある。
レーダーを乗っ取り、存在しない俺の姿を作り出して俺を追ってきた連中を欺くという芸当だ。
半信半疑な俺に美樹は外を見るように促されて見てみた。
街の一角で別働隊と思しき黒の車たちが何かを追っているように右往左往していたのを見つけ、ウソじゃないのだと確信した。
しかしこれは、あくまで阿頼耶の持つ力の片鱗でしかない。
本当の力は、コンピューターシステムが関わっているもので埋め尽くされたこの世界を、美樹はやろうと思えば五分も使わず支配できるという。
全てのコンピューターに、異常の一つとして感知させることなく。
国家が信頼を置くほどの最強セキュリティープログラムさえ欺き、乗っ取る。
欲しいと思った情報もシステムも、秒を待たずして根こそぎ奪えるのが『阿頼耶』だというのだ。
ならばそれ一つで一巻の終わりじゃないかと言われると、案外呆気ない弱点が露呈する。
一つは、AIは騙せても人を騙すことは出来ないということだ。
コレに関しては、俺の家でクソAIに殺されかけたあの事例が最たる例だろう。
システムはエラーを感知してなくても、現場にいる人間には異常が分かる単純な弱点だ。
二つ目の弱点は、乗っ取った端末やシステムそのものにはエラーを感知させないものの、阿頼耶が活動しているという丸っこい仏さまのようなアイコンが出来るというものだ。
しかも、その作成場所は既存のフォルダーの奥深くに忍ばせるようなことではなく、通常のホーム画面に何の脈絡もなく現れるという致命的なものである。
画面の存在しない機器ならまだしも、コンピューターやタブレットといった画面が必然的に必要なものなら一目で異常に気がついてしまう。
宇宙全体のネットワーク網を支配できるほどのシステムを作れるのに、どうしてそんな致命的な欠点があるのかと美樹に聞くと、返ってきた答えが。
「何もできないまま絶望を味わうがいいわ、って意味で作ったの」
という、非常に陰湿で悪質な理由だった。
タチが悪いのは、一度阿頼耶が発動したが最後。対象となった端末はいかなる操作も受け付けなくなるという。
強制終了をしたり、電源を引っこ抜いたり、端末そのものを物理的に破壊しても、阿頼耶が対象に向けられた瞬間光速の速さで全情報を美樹の方に送られるため、動きだしたときには手遅れということだ。
それならば、アイコンができるまでの間には猶予があるのか?
答えはノーである。
アイコンができたときには奪取と乗っ取りの工作過程が終わった意味を持っているので、出来てから動くのでは手遅れなのだ。
そこで最後の弱点となるのが、そんな芸当を行える人物は間違いなく美樹の仕業であると特定できることである。
全宇宙のネットワーク網を支配できるようなシステムを持っているのは、宇宙広しと言えど美樹一人だけ。
それ故にあっという間に特定されてしまい、平時だったら拘束・監禁されてしまうことが大きな弱点だった。
加えて美樹はコンピューターの技術では無敵でも、肉弾戦に関しては貧弱を通り越して実力皆無に等しい。
正直ハンドガンを持たせても、不意打ちが上手くいかなければ人一人殺せるかどうかすら怪しいほどだ。
そんな彼女が阿頼耶を解禁する決意をしたのは、この星から避難すること。
智歩ちゃんの仲間を助ける為に動くことになった俺と利害が一致したことに他ならない。
予定では今日の夜更けに中央駅に止まっているであろう開発局直通の電車に乗り込み、システムを乗っ取って開発局に潜入。
そこにいる智歩ちゃんの仲間を助け、そこにある避難用の船があれば奪い、この星から出るという流れが出来ている。
一から十まで完璧になるとは思っていないが、それでも希望は灯し続けるだけだ。
※
『瑞風、私よ。こっちはもうすぐ……えぇと、I–05銀河ってところに着くわ。船長が言うには、あと一日で避難先の惑星に着くみたい。……お母さんもお父さんも、弟の桂那けいなも貴方を心配しているわ。早く貴方に会いたいわ。━━あぁ、またワープするみたい。瑞風、貴方のことを愛しているわ』
美樹が食事を作ってくれている間、俺は母親との最後のメッセージを今日も見ていた。
阿頼耶を使えば、避難先の家族とも交信できるのだろうが、さすがに個人的な要望で使うのは気が引ける。
それに、ここぞというときに相手が阿頼耶の存在を既に感づいて対策を講じていたら元も子もない。
だから全てが終わった後に取っておく。
どっち道。上手くいけば今週内には家族と会えるんだから焦る必要はない。
「瑞風さん、もうすぐご飯ができますよ」
智歩ちゃんがつぶらな瞳をしながら、俺の元にやって来た。
会った当初の警戒心は今や無く。純粋に親しい隣人のように接してくれている。
「あぁ、ありがとう」
「瑞風さん、それは?」
「俺が家族と最後に交信したときのビジョンログだ。映っているのは俺の母で、あと父と弟がいる」
「避難先から交信はないのですか?」
「ない。多分……向こうのインフラが整ってないからだと思うんだが。それにしたって交信の電波さえ来ないとな、さすがに不安にもなる」
心配そうな表情を向ける智歩ちゃんは、「大丈夫ですよ」と健気に俺を励ましてくれた。
「きっとご家族のみんな、避難先で元気にしてますよ」
そうだ。そうだとも。
きっとインフラが完全でないから通信が来ないだけで、皆んな元気にしているだろう。
変な心配に駆られていたら、肝心な場面で不安に駆られてしまう。
そうなってしまっては困る。なにせこの後は一世一代の大イベントがあるのだから。
俺は智歩ちゃんに笑みと感謝を言うと、美樹の手作り料理を堪能した。
※
その日は夜更けに動くとあって、智歩ちゃんと美樹は夕飯を食べ終えると、程よく時間を空けた後に就寝した。
俺は寝過ぎた上に、必要最低限の計画を立てることもあって眠くない。
寝ようとしたって寝付けられないし、寝たら寝たで今度こそあの悪夢を見るだろう。
「み、瑞風くん、眠れないの?」
だだっ広いリビングで一人作戦を立てていた俺の元に、早めに起きた美樹がおどおどしながらやって来た。
作戦はそこそこ整ったので、今の俺には少しだけ余裕がある感じだ。
「眠れないっていうか、眠くないんだ。ほら、俺は夕方まで寝てたろ? それに、後数時間で大がかりな作戦が始まるんだ。それもあって眠れないんだ」
「そう……なんだ。こ、コーヒーでも、飲む?」
「いいのか? それじゃあ、頼むよ」
美樹は嬉しそうな顔をしながら、足どり軽くキッチンへ向かった。
コーヒーマシンを使って作ってるのかと思いきや、コーヒーミルを使って作っていた。
AIにも料理にも強いという美樹を、ただただ俺は素直に感心する。
出されたコーヒーは香りが良く、口当たりもいい。
酸味とまろやかさが上手く調和していて、苦味はそこそこに抑えられている。
それに後味もスッキリしていて、舌に苦味と風味が絶妙なさじ加減で残り、余韻が楽しめる。
「これはなんの豆を使っているんだ? この前飲んだブルーマウンテンじゃないような気がするが」
「わ、私のオリジナルブレンド……だよ。お、美味しい?」
たまげたな。まさか自分で作り出したブレンドコーヒーだとは。
ブルーマウンテンでは全く良さが分からないど素人の俺でさえ、このコーヒーには衝撃を覚えてしまった。
なろうと思えば専門家にだってなれるだろう。
「ああ、すごく美味しいよ。美樹はコレをどこで習ったんだ?」
この質問から始まって、美樹と俺は束の間の会話を楽しんだ。
一緒に旧友たちと遊んだ日々のこと。
転校してからのお互いのこと。
芸能からサブカルの記憶に残る出来事。
好きなゲームやアニメや小説のこと。
今日までの空白の日々、お互いが何をしていたのかを時間が許す限り話した。
そして話す度に、過ぎた時間の長さと、こんな世界で再開した奇跡をありありと痛感するのだった。
「と、ところで瑞風くん? そのモノクル……どうしたの? ケガをしたの?」
「これか? 中学に入る前あたりで異常が見つかってな。モノクルを外すと視界がひどく歪むんだ」
「モノクルだけで……何とかなるものなの?」
「コイツには特殊加工がしてあるからな。逆を言えばコレがないとどうしようもなくなる。今まで、何度コレが壊れて死にかけたことか」
ちなみにだが、この病は未だに原因が分からず治療法もない。
人類が外宇宙に進出出来るようになってから、こういった原因不明にして新種の奇病、難病、障害というのは爆発的に増えた。
直接的な原因ではないとしても、開拓先の惑星環境や宇宙空間での生活が多大な影響を与えているのは言うまでもない。
地球のことはもとより、人体のことさえ完全解明出来ていなかったのに駆け足で宇宙に進出したものだから、病に対応できる速さは圧倒的に遅かった。
なまじ技術があるが故に、今日までに多くの科学者が病の原因や治療法を確立してはいるものの、新種の病が生まれる速さの前に人類は絶望をより一層感じている。
人類が宇宙に出ていくという誤断は、結局人類の発展や繁栄よりも衰退を加速させたのだ。
「し、死にかけた……って。お、大げさじゃない?」
「いいや、本当のことさ。今日まで生きるために何度も風紀治安会やゴロツキの死線に入って殺されかけたし……殺してもきた」
美樹は息を飲んで俺の方を凝視していた。
まぁ大方予想通りの反応だ。
とはいえ、いつかは言わなければならない事実を、明日言うか今日言うかで大した差はない。
「幻滅しただろ? だけど真実さ。だから分かってくれとは言わない。同情して欲しいとも言わない。
向こうが殺しにかかってくるところに平和を説こうとしたって、奴隷か殺されるかの二択しかない世界なんだ。この世界で生きるためには、殺し殺されの覚悟がないと生きていけないんだから……」
美樹は哀愁に満ちた顔を俺に向けながら囁くように「瑞風くん」と言った。
「それって、遠回しに分かってくれって言っているようなものじゃない?」
「俺も言っててそう思った」
少しの間無表情で見つめ合っていると、ほとんど同じタイミングで吹き出して、笑った。
腹がよじれるくらいに笑って、しばらく笑いは治らなかった。
思い出し笑いが尾を引きずりながらも、美樹は「私は幻滅なんかしていないよ」と俺に言った。
「だ、だって、こんな世の中だもん。むしろ私は、さっき瑞風くんが言ったような平和を説いて回っている人になったって言ったら、そ、そっちの方が胡散臭くてイヤ……だよ?」
それもそうだ。
今日までそんなことをしていて生きてきましたと言われれば、この地獄のような世界にいる以上誰だって疑ってしまうのは必然だ。
「ママ? 起きてるの?」
笑い声で起きた智歩ちゃんが、寝ぼけながらリビングにフラフラとやって来た。
それだけなら問題ないのだが、その姿はあまりに……扇状的というか、危ないと思うのだ。
普段着と寝巻きを兼ね備えているらしい縦ストライプのオフショルダーみたいな服装は、肩だけでなく胸の谷間さえハッキリと見える。
体にフィットしているからか、体のラインがハッキリと分かり、とても少女の体つきとは思えない。危険だ。
美樹もさすがにマズいと思ったらしいのだが、咄嗟のことだったらしく軽いパニックを起こしている。
その様子を見て智歩ちゃんは訝しむ表情の後で自分の服装を見た途端、一気に顔を赤くして部屋へと戻っていった。
しばらくして普段着に着替えた智歩ちゃんは、着替える前よりも顔を赤くして「お願いですから忘れて下さい」と手を合わせて懇願した。
「いや……そう。そう! アレは気のせいなんです。アレは瑞風さんの気のせいなのです!」
「そうだな、気のせいってことにしとくよ」
智歩ちゃんは「うわあ」と叫びながら、両手で顔を覆いながら左右に振っていた。
微笑ましく、邪気のない楽しい空間。
美樹はもとより、智歩ちゃんは何だかんだ言いつつも俺とすっかり打ち解けてきた。
作った笑いではなく本物の笑顔を見て、荒んだ心が洗われる。
━━だけど、悔しい。
「瑞風くん? どうしたの?」
「……いや……なんでもない。あぁ、もう頃合いだな。それじゃあ準備をしよう」
美樹と智歩ちゃんは一瞬だけ顔を見合わせて、それぞれ用意を始めた。
用意といっても、必要最低限のメディカルパックや飲食料をプレスカーゴに入れる程度のことだ。
恐らく、もうこの家にも帰ってくることはないだろう。
明日の今頃は、成功すればこの星から避難している。
でも、もし失敗してしまったら……などと考えるのはやめておこう。
ネガティブな考えは、行動に必ず支障をきたす。
そうさ、成功するとも。
俺は一人じゃない。
一人じゃ、ない。
航海日誌 マルコス・ドレッツオ 【一級医師 ドクターマチザワ補佐】
▲月 ■■日
昨日新たに一種類の病気が治療法を確立できた。それもこれも全部ドクターマチザワの類稀なる腕のおかげだ。
今年だけで我々のチームは八つもの病気の治療法を確立できた。ここが地球だったら、今頃はノーベル医学賞の受賞式について考えているところだろう。
だがマチザワは祝杯のワイン一つ飲まず、一本のタバコと一日の休みだけ取るとすぐにラボへと戻って研究を再開した。
ほとんど不眠不休の日々を送っていて健康的にもよろしくない。私がしばらく休まないと『カローシ』してしまうぞと言うと、彼は真剣な顔で「そうなったら私のライフコードを取って、代替えの体に入れてくれ」と答えた。ジョークではない。
新人や経験の浅い部下は、彼をクレイジーだと言って陰でバカにしてはいる。
だが、現場の最先端で動く我々は彼をバカにしない。むしろ彼に同情しているほどだ。
ああまで研究を続けるのは、日ごとに数を増す新種の病の数の前では、我々の治療法確立の速さは圧倒的に遅い。
その惨すぎる現実を直視したくないために、彼は研究をやめないのだ。
だが、あのままでは本当に体が壊れてしまう。そうなってしまっては元も子もない。ライフコードを抽出し、代替えの体に注入するのだって今の段階では百年近く待たされる。
マチザワはきっと怒るだろうが、彼は我々医学界の希望だ。なに、長年補佐としている身には慣れたことだ。