Desire dream
智歩ちゃんの母親は単眼の人かと思ったらそうではなく、いたって普通の人だった。
目鼻立ちは整って、体つきは智歩ちゃんばりの抜群スタイルだが、根暗なイメージを全体から出している。
その母親はなぜか俺を知っているが、俺にはトンと見当がつかない。
「み……瑞風君……だよね? お……覚えているかな。私のこと……。し、小学校で二年生までい、一緒にいた……」
拙いながらも必死な感じで話す彼女には申し訳ないが、俺には誰なのか本当に分からない。
「すまないが、俺は覚えていないんだ。君の名前は?」
彼女はちょっと肩を震わせた。
ショックだったんだろうが、本当に知らないものは知らないから正直に言うしかない。
「美樹。雪瓶 美樹」
振り絞るように名乗った美樹だが、名前を聞いてもすぐに思い出せない。
断じて言うが、俺は記憶喪失なわけじゃない。
多分家のアルバムとかを見れば、時間は少し掛かるかもしれんが思い出すはずだ。
そう思っていると、美樹はホログラムを出して過去のフォトアルバムを引き出して俺に見せてくれた。
おおよそ小学一年か二年に上がる前あたりの俺を含んだ、五人の旧友が集まって写っている。
そして、俺の隣に幼い頃の美樹がいた。
美樹は俺の隣で胸部辺りのところで、ぎこちないピースをカメラに向けていた。
それを見た俺の頭の中でフラッシュが断続的に光り、忘れていた記憶がハッキリと思い出された。
「思い出した。A地区のフリージア小学校で、一緒に遊んでたっけな」
「……うん。わ、私、あんまり話すの得意じゃないのに……瑞風君は、私にいつも付き合ってくれたから……今も……覚えてたの」
お互いの顔が赤くなっていくのが感じ取れた。
まさか小学校二年の頃に別れた旧友と、今日再会するとは誰が予想できただろう。
しかも俺に至っては、失礼なことに美樹という存在そのものを忘れていた。
そんな俺と彼女が再開するとは、どういう運命のイタズラだ?
「ママ、瑞風さんと友達だったの?」
智歩ちゃんが俺と美樹を交互に見ながら聞いた。
そこで俺の頭は熱から冷え、現実に戻った。
智歩ちゃんが美樹のことをママと言うなら、それは必然的に彼女は結婚していることとを示す。
忘れていなかったのは嬉しいことだが、彼女と俺は小学生時代の頃のように簡単に会って話す間柄ではない。
もう間もなくすれば、きっと旦那さんが帰ってくるハズ。
厄介事になる前に退散しておくのが賢明だが、一つだけ気がかりなことがあった。
智歩ちゃんだ。
失礼の甚だしいことは百も承知だが、彼女と美樹はとても親子とは思い難い。
というのも、単眼の子供であることもそうだが、そもそも智歩ちゃんと美樹の年齢で親子というには不自然だからだ。
美樹と俺の年齢は、どんなに離れていても一歳違いだろうが、そうなれば智歩ちゃんを産んだのはおおよそ高校生あたり。
この世界で未成年の出産が出れば貧困撲滅団体やら、女性を守る会やらの団体がワラワラ出てきて、たちどころに騒ぎ出す。
そうなれば一日待たずして宇宙全体でのニュースとして出るほどのことだが、俺は少なくともそんなニュースは今まで聞いたことがない。
ともなれば、智歩ちゃんは本当に美樹の子なのか? と不躾ながら疑問に思ってしまうのだ。
━━が、そんなことを聞くのは、やはり旧友といえども失礼にあたる。
きっと様々な事情が込み入って今に至るのであって、そこを何故と問いただすのは失礼どころか暴言に値するだろう。
喉まで上がってきた言葉を止めて、腹の奥底へと押し戻す。
俺は知らない方がいいし、知る必要もない。
美樹が顔を赤くしながらしどろもどろに答えていると、唐突に美樹は俺の方を向いた。
「瑞風君。き、このことはどうか……他の人に、い、言わないで欲しい……なって……」
「そう言われなくても言わないさ。その代わりと言っちゃなんだが」
「お、お金? それとも……あの……。わ、私。そういうのは、あの……瑞風君なら……イヤじゃないけど……あの……」
「……一応言っとくがそういう変な要求ではないからな? せっかくこっちまで来て、久しぶりに小学校以来の旧友と会ったんだ。コーヒーか何か飲ましてくれないか?」
美樹の顔がパッと明るくなり、子供のような笑みを浮かべてキッチンの方へと向かっていった。
隣で美樹の反応を聞いてて始終引き気味だった智歩ちゃんが俺の方へと向く。
「ママがあんな機嫌が良いの、初めて見たかも」
喜んでくれるのはありがたいのに、俺は何故か全部喜べない。
一体何なんだ?
※
ほどなくして美樹が持ってきたのは、今じゃ高級品にもなった本物の豆を使ったコーヒーだった。
しかも、宇宙オークションでも目にかかることはないと言われる最高級のブルーマウンテンだ。
どうやってコレを手に入れたのかは分からないが、少なくともこんな豪華な家にいる以上、旦那さんがその手の商売で手に入れたのだろうと思う。
気になる味というのは、目が飛び出るほど美味い……というわけではなく、思いのほか呆気ないものだった。
口当たりは普通に優しく、苦味は抑え気味。
ちょっぴりの酸味が苦味の中でたゆたい、後味はあっさりしていて印象としては飲みやすいコーヒー、それだけだった。
酷い言いようだが、そこらの喫茶で何も言われずにコレを出されても、多分俺は気づかないだろう。
俺の味覚がおかしいとか、コーヒーの味を知らないからだとか言われても仕方ないと思うが、とにかくそんな感じだった。
だが、変に美味いわけでも不味いわけでもない味が、話の花を咲かせていく良い燃料となる。
俺や美樹の学校での行事や過ごし方。
平日休日問わず起こった、今でも忘れられない出来事。
印象的なニュースやタレント。
好きな本やゲーム云々。
久々の再会とあってか、話は時間を忘れるほどに盛り上がった。
さっきまでは緊張が残っていた智歩ちゃんも、話が盛り上がるに連れて緊張の「き」の字さえ無くすほどに笑っている。
そうして話をしていたら、時間はあっという間に夜になっていた。
室内が電気をつけないと薄暗くなっているときになって、ようやく俺たちは長時間話していたのだと気づいたほどだ。
さすがに旦那さんが帰ってくる時間だろうから、俺はおいとまの挨拶をして玄関へと向かう。
「瑞風君、この時間の外、あ、危ない……よ?」
「とはいえ、俺も長居出来る身じゃないからな。まぁなんだ、時間ができて呼んでくれりゃあ行くよ」
言うと美樹は、ひどく悲しげな表情で俺を見送ってくれて、後ろにいた智歩ちゃんも「気をつけてね」と、同じく心配そうに見送ってくれた。
エレベーターで美樹の旦那さんと出会さないか不安だったが、建物から出てしまえばなんてことはなかった。
マンションの明かりは不規則に点々と点いている。
セキュリティが機能してるとはいえ、よくここまで保っていると変な関心を持ってしまう。
車を家まで走らせ、一転して狭苦しく感じる我が家に戻ると、そのままベッドに倒れ込んで意識は真っ暗闇に落とされた。
※
微かな尿意が徐々に全身に広がって、起きたくないのに起きざるを得ないというとんでもなく不愉快な形で目が覚めた。
電気もつけずトイレに行って用を足し、再びベッドに戻って寝ようとしても中々寝付けない。
真っ暗な天井を見つめて、いつ眠りにつくとも分からない時間を無駄に過ごす。
時間は……まだ夜の二時。当たり前だが外はまだ暗いし、朝まで程遠い。
帰ってそのまま寝たから腹も減ってきた。
何もかもが思い出したように動き出すから、俺はしょうがなく起きて、遅すぎる風呂と夕食をとることにした。
※
風呂から出たら今日取ってきた戦利品を取り出して、適当に食えそうなものを食べる。
不健康極まりないことだが、正直一日くらいなら良いはずだ。
テレビを点けて適当にチャンネルを回すも、寝起きの影響もあってか全く興味がわかない。
他の惑星から撮影した釣りの番組で良いかとそのままにしておいたのも束の間、釣り師が笑顔で釣った奇妙な魚で嫌悪感が増した。
アンコウみたいな顔つきに、フクロウナギのような異様にデカい口。
ウーパールーパーに似た丸っこい体をした一昔前の特撮で見そうなクリーチャーを、釣り師はあろうことか焼いて食ってみると言い出した。
視聴率のためとは言っても正気の沙汰じゃねえ。即座にチャンネルを変えたが、他に面白そうな番組はやっていない。
すると、あるチャンネルに回したと同時に番組が終わり、ニュースが流れた。
国家総主の『キム・カルジェス』が、ホログラムに囲まれての会見模様を中継していた。
当たり障りのないテンプレート式な回答に、具体性が微塵もない希望的観測ばかりで、個人の考えがどこにもない。
最早この星にいる生存者なんて過去の犠牲者としか見ていないのでは、と思う胸糞の悪い会見映像を見ているときだった。
急に画面が切り替わり、教育テレビでよく見るような可愛らしい画面に切り替わった。
番組が終わったわけではないのに、会見映像やニュースとは接点が皆無な映像が映される。
童謡みたいな柔らかな音楽がしばらく流れていると、文字列がスタッフロールみたいに下から上へと流れていく。
何の名前なのか。そもそもここで出される名前は何の意味が? と思っていたところで、俺の目がある場所に釘付けとなり背筋が凍った。
「なんで……俺の名前が?」
見間違いではなく、ハッキリと俺の名前が書かれている。
やがて俺の名前を含んだスタッフロールが全て流れ終わると、学校のチャイムが鳴った。
小学校低学年の子が描いたような、人と人が手を繋いでいる絵がデカデカと映し出されると、画面は再びさっきの会見へと戻った。
何事もなく番組は進んでいて、キャスターは淡々とニュースを読み上げている。
唐突にあの画面に切り替わったのもそうだが、何故俺の名前があそこにあったんだ?
得体のしれない恐怖が体の内側から広がるのが分かる。
何か、とってもヤバい予感がする。
そうあって欲しくないと俺の中で否定しようとしたとき、急に家の防災装置が反応し、防火・防煙シャッターが降りて窓を全て塞いだ。
火事が起きたのかと思って非常パネルで建物の全体像を確認するが、火事もガス漏れも何も起きていない。
「おい、誤認識が起きているぞ。解除だ解除」
『エラーではありません。危険ですので、慌てず落ち着いてお待ち下さい』
AIは解除命令を無視している。
パネルを何度見ても、建物には異変が起きていない。
なのにシャッターは固く閉ざされていて、開く気配すらない。
「気づいていないのか? パネルは何も異常を感知していない。だからさっさと解除してくれ」
『危険ですので、慌てず落ち着いてお待ち下さい』
頑として命令を聞かない。
ならばこちらも、AIの心臓部であるコントロールパネルが置かれている納戸へと向かう。
パネルに表示されているAIの全システムはオールグリーン。つまりは正常だ。
だが、こうなっては何かのバグを疑わざるを得ないから、一度再起動をしようとしたときだった。
暗闇の中で、足下に漂うものを見た途端、俺は文字通り息を止めた。
薄い麦色の煙。
有毒ガスが、そこに漂っていたからだ。
遺体処理係 マリッサ・シャルデー記録 No.1177
□月 ◉日 〆曜日
上から送られてくる遺体は、嫌がらせのように高濃度のガスで満たされた遺体ばかりだ。
遺体に付着しているガスの濃度が多少の量ならガスマスクを付けていての対応出来るものの、ほぼ全てが高濃度だから処理にだって多大な手間がかかる。
昨日今日で十人くらいのスタッフが誤ってガスを吸い込み、遺体と同じようなザマになって死んだ。
その死体が新たなガス源になるのだから、こちらとしてはたまったものではない。
しかし……何故こうもガスを吸っただけで、こんなゾンビみたいな見ためになるんだ?
この星の有毒ガスが地上に出る前から、惑星開発局の方ではすでにその存在が認められていた。
なのに、未だにその正体や中和方法が確認できていない。それなら今更研究をする必要がどこにある?
この星の有毒ガスは、この星にしかない。他の惑星には同じ成分で出来たガスなんかあるわけがない。
なのに上の連中は、頑なにこの有毒ガスのことを研究してるって話だ。
そのためなのか? この街の、ひいてはこの星の地下に張り巡らされているパイプラインは、極地にあると言われる惑星開発局によって管理されていると噂されている。
研究熱心なのはいい。しかし私たちからすれば手遅れ感が否めないし、そんな無意味な研究をするくらいなら避難先に移動するための空母を一隻でも多くこちらに寄越してほしいものだ。