Collider
毛のついたドーナッツ
気まずく、緊張した空気が車内に張り詰めている。
本当に偶然だった。ただ目の前を猛スピードで逃走中の車が通り過ぎて、コンピューターが自動的に急停止をかけたのであって、こっちとしては何の意図もなかった。
だけど、そんなことは目の前にいる少女には関係ない。
顔の中心にあるつぶらで潤った群青色の瞳が一つ怯えながら俺の方を見ている。
いわゆる単眼症の少女は俺の方をしばらく見ていると、車が再び動き出した途端に一心不乱にドアを開けようとした。
「待て、待て。ちょっと待ってくれ。そんなことしても開かないし、今外に出たら危険だぞ」
少女は聞かない。声を聞いたことで更に焦りが大きくなっているようだ。
しかしこのままではこの子、間違いなく俺を刺し違えてでも降りようとするのではないだろうか。
「分かった、分かった。怖いのは分かる。けど、とりあえず落ち着いてくれ。それに今はシステム上、ドアが開かないようになっているんだ」
開かないと観念したのか、少女は肩を落としてグタリと席にもたれた。
俺との距離を少しでも遠ざけようとしているのか、少女は体をドアに押しつけるようにしている。
「私を……どこに連れて行く気ですか」
絶望を形容したような声が、ドアガラスに映った俺へと投げかけられた。
どうやらこの子は、俺がこの後好き勝手やらかすと踏んでいるのだろう。変なことを言おうものなら、パニックを起こすほどに怯えている。
「君には、帰る家とかあるのか? 帰るところがあるなら、そこまで送るよ」
「……それで、どうするんですか? 最後のひと時を過ごせと言うのですか? その後は貴方に連れて行かれるんでしょう?」
「冗談。そんな大層な身分じゃないし、俺は風紀治安会のメンバーでもない。大体、こんな俺がそのメンツにヒョコッと紛れていたら、おかしいと思わないか?」
少女が恐る恐る振り返る。
やはり目は一つしかない。
だが━━とても綺麗だ。
群青色のつぶらな目は、純真な少女って言葉をそのまま体現しているような澄み渡った目だ。この世界で生きていて、これほどの綺麗な目をした人には久々に会った気がする。
少女の目が俺の頭頂部から下半身まで見ると「おかしいですね」と身もふたもない答えが返ってきた。確かに俺もおかしいとは思うが、ド直球に言われると微妙な気持ちになる。
とはいえ、少しは警戒が解かれたと思うので俺は「だろう?」と返した。
思った通り、苦笑を返せるほどに、さっきよりは警戒を緩ませている。
「仮に、俺がそのメンバーだったとして、出来ることなんか掃除か前線の捨て駒あたりだろうよ。イヤ、それすらもやらしてくれないか」
少女から次第に緊張が緩んでいくのが分かる。だけどこれ以上変に自虐ネタを披露しても、逆に怪しまれるだろうからここまでだ。
「そんな俺なんだ。どっち道、今外に出たって風紀治安会の連中に追われるのは火を見るより明らかだ。家まで送るくらい造作もないことだが、その前に一つ聞きたい。
君の名前はなんて言うんだ? 俺は千代空 瑞風っていうんだが」
少女は一瞬だけ顔を歪めたが、さっきの自虐ネタが功を成したか重い口を開けて言ってくれた。
「智歩。雪瓶 智歩。という、名前……です」
いい名前じゃないか。恥ずかしがり屋なのか名前を言うのが若干どもり気味、というか少し変な間があったように思えたが気のせいだろう。
「ステキな名前だな。名前だけで風紀治安会のチンピラどもが霞んで見える……」
言い終える前に前方の車道に、バンとバギーが合体したような物々しい黒の車が道路を横断しようとしていた。
最悪なのは、運転手が俺と目が合ったことで見つけたと言わんばかりに大きく目を見開いたのだ。
「しつこいドサンピンどもだ。智歩ちゃん、シートベルトしてくれ。少し飛ばすぞ」
全自動運転から手動運転に切り替えて、アクセルを目一杯踏む。
即座にスピードメーターが百キロまで上がり、徐行気味の車の前を颯爽と通り過ぎた。
バックミラーを見れば、やはりというべきか連中が追いかけてきている。
俺は連中の傘下━━下っ端も下っ端だろうが━━を何人かぶっ飛ばした。
隣の少女は、色々込み入った事情ありで追われている。ならば、今はとにかく逃げるだけだ。
※
ビルと道行く人が見えたら、あっという間に後方へと流れて消えていく。
十字路を直進。角を左折。一瞬で切り替わる光景と、頭の中で描く地図を照らして瞬間にどうするかを判断してハンドルを切る。
非常に奇妙なことだが、自分が運転している様子を、自分が俯瞰して見ているような感じがしている。
頭の中にある工場が、キャパシティー越えのフル稼働をしているような状態で集中しているのに、先の俯瞰した自分が『次は直進だ』『二つ目の角を右折する』と冷静に指示を出していて、それに従って運転をしている自分がいる。
それが功を成して、連中との距離は確実に離れていっている。
幾ばくか冷静さが戻ってきたから、隣にいる智歩に「家はどこなんだ」と尋ねると、どうやら元来た道を戻らなきゃならないようだった。
だが、引き返せば連中に合流するから必然的に迂回するしかないのだが、先に待つのは『人食いトンネル』という異名の魔のトンネルを通るしか道がない。
トンネルは貫通はしてはいるのだが、内部は照明の一つと点いていないし、戦争でも起きたのかと言いたくなるくらいにあちこちで廃車が転がっている。
そして極め付けに厄介なのが二つ。
このトンネルには治安会のメンバーや、その傘下にいる連中の根城の一つであり、暗がりを利用して入ってきたヤツらを狩ってくること。
このトンネルは、どういうわけかこの世界での最新式のシステムが、機種問わず正常に稼働しないこと。
この二点がどうしても気がかりで俺の二の足を踏ませていたが、隣にいる智歩ちゃんが、ジッと前を見ながら「進んで下さい」と言った。
「あのトンネルは私も知っています。このまま進んで下さい」
「ライトは点けられないぞ。どうやって進むんだ」
「私が指示します。ライトなんかいりません」
本当に自信があるからこそ断言できる声色だった。
運転する当事者の俺には不安が拭えないが、意を決して進む。
入って数メートルも満たない内に暗闇に包まれたが、言われた通りライトは点けていない。
「直進して下さい。そのまま……はい、左に曲がって下さい」
一寸先さえ見えない闇の道を、智歩ちゃんが前を見ながら指示を出してくる。
疑っていたのは束の間、指示通りに曲がると、すれ違う瞬間に暗闇に混じって焦げ付いた廃車が姿を現し、後方へと流れていった。
その後も智歩ちゃんは淡々と指示を出し、その通りに動くとかつての進路上には本当に障害物が道を塞いでいた。
道中、根城にいた連中が気づいて後方から追ってきたが、いくら住み慣れている場所でも進路上の障害物を難なく飛び越すことはできず、距離はあっという間に離れていきトンネルの外へと出た。
一回も障害物に当たらず、スムーズに通れたのが自分でも信じられない。
その信じられないことを可能にした智歩ちゃんは、本当にあの暗闇の中が見えていたのだ。
驚きと賞賛の言葉をかけようとしたとき、トンネルの中から勢いよく何かにぶつかるようなけたたましい音が鳴り響いた。
智歩ちゃんと共にゆっくり振り返ると、奥から二つのライトが徐々に大きくなりならがらこっちへと近づいてきていた。
「ホントしつこいヤツらだな」
アクセルを踏んで再び逃げる。
迂回しながらのルートは既に把握済みなので、後は連中を撒くことだけだった。
だが、相手は魔改造を施した車。距離を離せるのは角を曲がった前後くらいなもので、直線では瞬く間に距離を詰めていく。
運転と相手を引き離すことの二つを考えていると、智歩ちゃんが唐突に生体内臓情報端末を起動し、目の前でホログラムを展開した。
可愛らしい電話マークが画面中央に表示されると、画面が切り替わらずに通話先の相手が応答した。
『智歩? い、今……どこにいるの?』
「ママ、CSDP【Car System Down Programme】を送ってくれる?」
『え……え……。も、もしかして智歩。また向こうに行ったの?』
「ゴメン、ママ。後で怒っていいから、今はCSDPをお願い」
通話先の相手は女性だった。
声色とどもり気味な話し方から、内気でコミュニケーションが苦手な人という印象が浮かんだ。
「次の角まで全速力で行って、曲がって下さい」
言われるがままに最高速までスピードを上げ、ドリフトさながらに角を曲がると、智歩ちゃんはホログラムに落とされたファイルを開いてプログラムを実行した。
途端、電気が走るような野太く大きな音が鳴り、追ってきていた連中の車は制御が効かなくなったのかそのまま直進して向かいの建物へ盛大に突っ込んでいった。
「何が起きたんだ?」
「簡単に言うと、一帯の車を強制的にエンジンキーがかかっていない状態にさせました。動かすにはもう一回キーを回さなきゃ動きません」
この世界のカーシステムは、全体的に外部からの命令や妨害を受けれるような脆弱な仕組みではない。それを、ああもあっさりとシステムを乗っ取るのは大したものだ。
そう感心して安堵していたが、車のデジタルパネルが全て暗くなっているのに気づいて背中が寒くなった。
「それは、俺の車も含まれるのか?」
少し得意げに言っていた智歩ちゃんが「あっ」と、聞きたくない返事をした。
前方は丁字路になって、ビルが壁のように建っている。
急いでキーをかけ直す。
いい子だから動いてくれ、と洋画でよく聞くセリフを素で言うとは思ってもみなかったが、声が届いたのかエンジンが目覚めたのをハンドルとシート越しに感じた。いい子だ。
九十度近いカーブをしながら衝突を避け、ようやく訪れた安息に息を吐いた。
『ち、智歩? 大丈夫? 何か起きたの?』
ホログラムの向こうから、智歩ちゃんの母親が心配そうに安否を確認してくる。
予想外なことが起きたが、依然車は動くし運転を続けられる。全くもって問題はない。
「大丈夫だけど大丈夫じゃ……。あわわ……ごめんなさい」
あわわと言う人を初めて見たが、結果として撒けたので許す。現に追ってきていた連中も、援軍も今のところは来る気配がない。
「いいさ。さぁ、これで後は智歩ちゃんの家に行くだけだ。どこに向かえばいい」
「あの円錐型の建物です。ママ? 私を助けてくれた人……えぇと、瑞風さんって言うんだけど、ウチに連れて行っても、イイよね?」
そのママに聞くよりも俺の方が良いのかと尋ねそうになったが、智歩ちゃんのママが突然息を飲んで通話が止まった。
その後、もう一度俺の名前を智步ちゃんに尋ねて返答を聞くと、さっきよりもどもり気味になりながら智步ちゃんの家に行くことを許してくれた。一体どうしたんだ?
「なんか悪いな」
「いいんですよ。それで、あの……一つ聞いてもいいですか?」
智歩ちゃんの方を一瞥すると、初めて会った時のような怯えた目を俺に向けていた。
「瑞風さんは、私に何も感じないのですか? 気持ち悪いだとか、怖いだとか、思わないんですか?」
何を今更、という感じだ。が、下手に取り繕うくらいは正直に言ったほうが智歩ちゃんにとってはいいか。
「先に言うと、そういった感情はないんだ。そりゃあ見慣れない顔だから気にはなるが、こうやって話もできるし、俺の身に何も起きていない。それで十分じゃないか」
「正直に言ってもいいんですよ。私のことは私自身が一番分かっています。遠慮だとか、気配りだとか、そういうのはいりません。本当は私のこと、気持ちの悪い生き物だと思っているでしょう」
「なら正直に言うが、智歩ちゃんはカワイイぞ」
素っ頓狂な声を上げて、顔を真っ赤にしている智歩ちゃんがいた。
これは、俗に言うセクハラってやつになるのか。正直にモノを言うとそう思われる世の中とは、何とも世知辛くて狭っ苦しいものだ。が、こんな世紀末の世だ。バカにしてるわけじゃないことを言ってるわけじゃないんだから、多少のことは良いだろう。
「か、可愛いって。じょ、冗談は言わなないで下さあい」
「冗談なんか言ってない」
円錐型の高層マンションにある地下駐車場に車を停める。
智歩ちゃんの慌て方が更に慌ただしくなって、いささか危なっかしい。
エンジンを切ってドアのロックを解除したが、智歩ちゃんは降りない。すると大きく深呼吸をして俺の方へと顔を向けた。
「じ、じゃあ瑞風さん、私の顔を見てくださいよ」
ムスッとした智歩ちゃんが、つぶらな瞳をこっちに向けてくる。
見ても良いなら喜んで見させてもらう。
何度見ても、群青色の瞳は澄んだ夜の空とも、深い海とも思えるほどの透き通った色で、吸い込まれてしまいそうなほど綺麗だ。
そうして見ていると、智歩ちゃんの顔がどんどん赤くなっていき、泣き出しそうなほどに目を潤しながら両手で目を覆った。
「見るのやめて下さいよ!」
「見ろと言われたから見たんだが……」
世の中は理不尽である。
車を降り、エレベーターを上っている間もブツブツと何かをつぶやいていた。
エレベーターが三十五階で止まると、水や氷をあしらった一面ガラスで出来た、広いエレベーターホールが待っていた。
ホールには扉が一つだけ。周りを見れば最新の全方位防犯カメラが二台、抜け目なくホールを見ている。すんなりとここまで来たが、実は超がつく高セキュリティマンションなのだと今更気がつく。
高級そうな扉が開くと、智歩ちゃんは急ぎ足で室内に入っていき、母親に謝罪をしていた。
遠くから聞く限りでは、さっきの母親も
「━━それで、どうやって帰ってきたの?」
「車に乗って送ってくれたの。瑞風さん、こっちですよ」
智歩ちゃんに招かれて向かうと、ホテルのロビーかと思うほどに広く大きいリビングに出て、そこに佇む二人の影を前に足を止めた。
「み、瑞風くん……?」
整った前髪と、触角のように伸ばした横髪が両サイドで伸びている。後ろ髪は若干ボサボサだが、艶のある紺色の髪だ。
紫色を基調としたゴシック風ドレスを着ていても服の下から浮かび上がるスタイルは、智歩ちゃん同様バツグンのスタイルだ。
そんな彼女は、初めて会ったはずなのに俺のことを知っているような口ぶりだった。
だが、俺は彼女のことを知らない。
君は一体誰だ?
警備補佐官記録 ◇月◎◎日▲曜日
今日も風紀治安会の連中が根城にしていたアジトに突入した。
重軽傷込みで負傷者十名。怪我が治るより前に連中が仕返しに来るだろう。とどのつまり、俺たちはジワジワと崖っぷちに追い込まれているようなものだ。
政府から全世界にこの星から避難するよう声明が出され、混乱と暴動の対策としてお偉いさんが考えたのは、何を血迷ったか収容されているAランクの犯罪者を抑止力として使おうっていうモノだった。
毒をもって毒を制するという、偉いやつらの中では画期的なアイディアとして通ったこの案は、予想通り抑止力の反乱って形で呆気なく定義は崩壊した。
各地の過激派や収容囚人を解放・合流の後に吸収。勢力をあっという間に巨大化させた風紀治安会は、想定していた暴動の何倍もの危険因子となって、今や世界を牛耳っている。ちなみに当の政府連中は知らん顔だ。
本当に……許されるなら政府の連中を、この光線銃でハチの巣にしてやりたい。ヒートチェーンソーで切り刻んで、顔面をバーナーで焼き尽くしてやる。それでもまだ治らないが。
ついさっき、G–H1地区にあった警備拠点が潰された報告が入った。
鎮圧という名義の下、俺はあと数時間も経たないうちにそこに行く。多分……生きて帰れる保証はない。というよりも、これが最後の記録になると思う。
だから最後に一言だけ記す
こんな世界は死んで当然だ 何もかもくたばっちまえ