Layers
コントロールルームにいたカルジェスは、忌々しい相手を再三見ることになったことよりも、帰ってきた相手の異様な姿に戦慄していた。
瑞風の左目は白く焼けて潰れており、周りは赤々と腫れている。
目としての機能を失くしたはずの左目なのに、カルジェスを見据える双眸はさながら鬼気迫る修羅のようでもあった。
※
「……瑞風。お前だけは……。お前だけは国家抽選を改ざんしてでも、最初に始末しておくべきだった」
コントロールルームから出てきたカルジェスが、最初に言った言葉がそれだった。
アイツからすれば、俺が生きていることは実に面白くないことだろう。
「そうかよ。徹頭徹尾無能を曝け出してご苦労なこった」
「クソにも満たない存在価値の貴様とはいえ、ここまで私を苛立たせた褒美として、お前だけは徹底的にいたぶって殺す。この宇宙に漂うゴミになれ」
無能と馬鹿をここまで紹介してくれると、倒すのになんの呵責も生まれないから清々する。
車内には智歩ちゃんが不安げに見ている。
大丈夫だという風に目配せをして、最後の決戦に挑む。
カルジェスが向かって来るのと同時に、智歩ちゃんが阿頼耶を起動させて操作を行った。
カルジェスの狙いは、俺よりも阿頼耶を操作する智歩ちゃんの方だ。そこまでは予想出来ていた。
体を変態させて今まさに攻撃を始めようとするその時に合わせ、格納庫の照明が阿頼耶によって全て消えた。
突然の停電にカルジェスの足音が止まる。
そこを見計らって、智歩ちゃんがコントロールルームへと走り出し、俺は全く別の方へと走る。
智歩ちゃんの方はわざと足音を大きくして走っていき、俺は爪先立ちで足音を極力小さくして走る。
電気が点いていればマヌケな絵面になるが、単眼の子供たちが持っているようなズバ抜けた暗視能力がないカルジェスを欺くには効果的だった。
そうしていると、格納庫内の装置が一斉に動き出した。
天井や床下から幾つもの作業用アームが伸び、床にあるカタパルトは何も乗っけていないのにレール上を往復している。
当然それを操っているのはコントロールルームに逃げ込んだ智歩ちゃんか、もしかしたら美樹だ。
小さなライトが点々と点いた作業用アームが、存在しないオブジェクトを探して虚空をウロウロと漂っている。
「ええい、鬱陶しい!」
アームをなぎ払って進もうとするも、破損を想定して付けられた予備アームが代わりに出てきてキリがない。しかし、足止めが出来ただけでも十分な成果だ。
足が止まったカルジェスに向かって、テーザーレールガンを撃とうとした。
だが、ここで俺にとって予想外のことが起きた。
トリガーを引いても弾が出ず、電気が弾ける音がバチバチと鳴るだけだった。
弾切れ。
目を潰す前に撃ったあの一発が、実は最後の弾だったのだ。
「おい、ふざけんなよ」
そこにカルジェスの変態した腕が伸び、俺の体をなぎ払った。またコレかよ……。
麻酔が効いているからか、重い衝撃だけが体を貫いていく。だが中のモツは麻酔の有る無し関係なく正直に反応しているから、込み上げるような吐き気が上がってくる。
またしても壁に叩きつけられる。作業用アームがカルジェスの道を塞ごうとしているが、アイツは両腕で払いながらこっちに来る。
「隠れん坊も終わりだ」
相変わらず醜いしたり顔だ。予想外の事態だが、こっちだって無策で来たわけじゃない。
コントロールルームで焦っている智歩ちゃんに目配せをすると、計画した通りに彼女は動いてくれた。
今まさに振り上げた拳を放とうとしたところで、俺の手元にあるバイオコンピューターを即座に起動させた。
画面には阿頼耶が映し出される。
それを見たカルジェスは、思った通り攻撃の手を止めた。
そこまでは良い。だが問題はこの後だ。
このまま奴が攻めを続けようものなら、奴が探すあるものを試してみる。こればかりは奴だって隙を晒さざるを得ない要素だ。
俺はカルジェスが壁に来るように回り込み、少しでも壁際から逃れる。
「貴様……。貴様が阿頼耶を持っていたのか? あの女、つくづく人を舐めやがって」
当たり前だが俺が持っている訳ではない。智歩ちゃんが合図で俺に送ってくれただけだ。俺から向こうに送ることもできる。
プログラムのキャッチボールだ。
だが、当然のことながら俺が阿頼耶を持っているとなれば、カルジェスにとって好都合だろう。殺したいほど憎んでいる相手が重要な鍵の一つを持っているなら、殺すのに躊躇いはなくなる。
そして案の定、カルジェスは「だが」と言って口角を釣り上げた。
「それならそれで好都合だ。そのまま死に晒せ!」
そうか。だが、こいつはどうだ?
ポケットから透明のカプセルを取り出して、奴にコレでもかと見せつける。
奴は「それが何だ」と鼻で笑うが、俺の一言を聞いてもそういられるか?
「探し物の鍵だぜ?」
カルジェスの表情が消える。
思った通りだ。奴にとっては喉から手が出るくらいに欲しいモノなんだから。
鍵を押し付けるようにしながら、奴との距離を縮める。
気づいた時には、もう遅い。
カルジェスが正気に戻る前に飛びつくと、最大出力まで引き上げたテーザーレールガンを首へと押しつける。
野太く、短い悲鳴を上げてカルジェスがその場でうずくまった。
好機。間髪入れずに奴の髪を鷲掴みにして起こし、首元にテーザーレールガンを押し当てる。
感電しながら奴は強引に変態した腕で俺を払い飛ばしたが、先ほどの攻撃に比べればなんてことはない。
「こ、この……が、ガキがっ……」
最高出力で感電させたのに、復帰が速い。
ところが、ここで思わぬことが起きた。
突然カルジェスの片腕が内部から激しく波打つと、それに呼応するかのように体のあちこちが元の体に戻ったり変態したりと不安定に蠢きだした。
予想のつかない光景に驚いたが、一番驚いていたのはカルジェスの方だ。
「な、何だこれは。どうなっている!」
……呆れたな。コイツ、自分の能力の弱点や特性を知らないまま実戦に出たのか。
恐らくだが、流れた高電圧によって、奴の能力が異常をきたしたのではないか。しかし奴は多分、そんなことになるなんて全く想定していなかったのだろう。
カルジェスの体は、左腕を残して他は元に戻っていった。
肝心の左腕は変態したままだが、さっきまでの整ったバランスはなく異常なまでに肥大している。まるで赤茶色の巨木だ。
腕の所々で骨が突き出て、筋繊維もむき出し。五指の長さも歪で、中指と薬指だけが妙に太長い。文字通り本物の化け物だ。
右腕で頭を抱えるカルジェスは、稼働するアームの音を超えるくらいの呻き声を上げてその場に座り込んだ。
カルジェスが払い落とした先端が鋭利なアームの一個を取り、奴にとどめを刺す。
その前にコイツがしでかしたことを償わせる。一思いに殺すものか。
両手に伝わる重力を耐えながら、奴に向かってアームを振り上げる。覚悟しろよこの野郎。
そう思ったときだった。
奴が突如顔を上げると、俺に重厚で硬質なものが真正面からぶつかった。
俺の体が一度も床に着くことなく、部屋の端まで吹っ飛んで壁に激突する。
何をしてきたのか? 奴はあの肥大した左腕で俺を殴りつけてきたのだ。
まともに息が出来ない。そのくせ俺の体内で、重々しいものが軽快に駆け巡って気持ちが悪い。
顔を上げると、顔の左側が引きつっているカルジェスが左腕を引きずりながら来ている。
デカい鉛を乗せられているように重い体を起こして向き合うも、張り手じみた一撃がモロに当たる。
麻酔がまだ効いているから痛くない。痛くないが体の重みがいよいよ増してきて、意識もほんの少しだけモヤがかかってきている感じがする。
ダメ押しにと言わんばかりに、無駄にデカい左腕が俺の首から下をスッポリと掴んだ。
首から下に圧がグッとかかって手足から嫌な音が聞こえて来る。だけどコイツはそれで終わらせる気はない。コイツは俺の体を潰す気だ。なんてこと考えてやがんだ、コイツは。
「さぁお別れだ! ヘドぶち撒けて死に晒せ!」
未だに体の痛みがないのが不気味だった。 怖いのもあるが、悔しさの方が勝っている。
後もう少しだってのに、今の状態じゃ指一本と動かせない。
仕留めたい奴が目の前にいるってのに。
「カルジェスッ!」
俺の声を聞いたカルジェスのしたり顔が、一層の濃さを増して体にかかる圧が増し始めたとき、カルジェスの背後から美樹の野太い雄叫びが近づいてきた。
カルジェスが振り向いたまさにその瞬間、奴の背中に細長いアームが深く刺さった。
「瑞風くんに! 手を出すなーッ!」
「こ……の、クソアマッ!」
一瞬だった。
その一瞬を俺は、俺の本能が逃さなかった。
体にかかっていた圧が緩み、手足が動かせる状態になった途端、弾かれるようにテーザーレールガンを持った腕を取り出した。
半壊したテーザーレールガンを握りしめると同時に、電圧を最高まで引き上げる。
それを、奴の首筋に刺すように当てた。
空気を裂くような叫びを上げるカルジェスから解放されると、テーザーレールガンを納めて壊れた拳で頬を殴りつける。
「この、ゴミクソどもが!」
俺の方へと向き直ったカルジェスの顔に、口内に溜まった血痰を吐き飛ばした。
目元に当たって隙を晒したカルジェスに、雄叫びを上げて殴りつける。
「これはお前が奪った子供たちの分!」
カルジェスの顔面をやたらめったらに殴る。
恐らく俺の手足は本来なら使い物にならないような状態なのだろう。
だがそんなことどうでもいい。
今まで溜めていた怒りに、俺の家族を奪った恨み。コイツに足蹴にされた単眼の子供たちや、皆んなの分を含めてぶん殴らなければ気が済まねえ。
「これは今日まで生きてきた子供たちの分だ! 身をもって味わえ、このクズ野郎!
こっからはG−05の分だぞ。それから緑の目をした少女の分もだ、くらいやがれ!」
変態していた腕はいつの間にか萎んでいて、元の体と同じくらいにひ弱な姿になっていた。
奴も抵抗をして俺に殴り返してくるが、爆発した怒りの前では殴られても瞬き一つ起こさない。
泣いても喚いても関係ない。
コイツばっかりは絶対に許さねえ。
俺を本気で怒らせたお前が悪い。
「そしてこれは俺の家族の分!」
顔から体。殴れる場所があるならとことん殴る。
どちらかの骨が砕かれたような音がしたが、知ったことか。
カルジェスのだったなら尚更だ。
お前はそれ以上のことを腐るほどやったんだからな。
「……や、やめ、て……。……やめてくれぇ!」
ぬかせクソ野郎。
「お前これで終わりだと思ってねえか。まだあるよな? 大事なものが」
カルジェスがヒッと小さく叫んで、肩が跳ね上がった。
「これから全部は……テメエがバカにしてきた……美樹と智歩の分だ!!
これも! これも! これも! これも! これも! まとめて返してやる!」
殴る度に血が飛び散り、汗が迸る。
一心不乱に、容赦なく拳を叩き込む。
そして最後の一発は、全力を込めて顔面のど真ん中にブチ込んだ。
弧を描きながら鼻血を流してカルジェスが倒れた。
格納庫には作業用アームの機械音だけが鳴っていて、ポッカリとした静寂に包まれている。
おもむろに座っている美樹を見た。いたるところにアザが出来ていた。髪も乱れていて、ここにくる前に何が起きたのかを容易に察せる。
「美樹」と言おうとしたとき、美樹の顔が俺の背後に向いて強張った。
咄嗟に美樹を押し倒すように倒れ込んだ途端、右耳の真隣を劈くような音が通り過ぎた。と、同時に右耳の聴覚がプツリと無くなった。
振り返ると、ボロボロのカルジェスが大口径の拳銃を俺の方へと向けていて、その銃口からは白くて薄い煙が上っている。
「お前ら」と、カルジェスが言いかけたとき、俺と美樹の耳に妙な音が届いた。
空気が抜けるような高音が室内に響き、何の音かと思って目を向けると、カルジェスが撃った弾が強化ガラス製の大窓にクモの巣を広げていた。
「美樹、俺に捕まれ!」
叫び、美樹が俺の体にしがみついた瞬間、限界を迎えた窓が決壊した。
体が軽々と浮くほどの吸引力。このままではまた生身で宇宙へと放り出されてしまう。
床から伸びている作業用アームの根本に掴まったが、美樹の足にカルジェスがしがみ付いている。
引っ張られる力に加わって二人分の体重を掴んでいるのだから、ただでさえボロボロな腕が断末魔を上げているのは想像に難くない。
「お前らまとめて道連れだ!」
真空になりつつある中で、カルジェスの声が小さくなりつつも耳に届いた。
緊急閉鎖用の壁が降りつつあるが、完全に閉まりきるまでに若干時間がかかる。
あまりの引力に耐えられずに手が笑い始め、徐々に力が抜けていく。
真空の空間になってきているから息もままならない。さながら激流の川に潜ったように。
更には超低温になりつつある世界に生身でいるから、体の冷えが尋常ではない。
壁は半分まで閉まってきた。
せめて美樹だけでも格納庫内に残さなければ。残った最後の力を振り絞って、美樹を引き上げる。
足を引っ張るカルジェスの左腕が、再び変態し始めているのが霞みがかった目で見えた。
美樹が必死に片方の足で蹴り落とそうとするが、無駄にしぶとくて離さない。
すると、掴んでいるアームから重い振動が伝わった。
前を見ると、壁にめり込んでいた愛車のNEXAが引力に負けて転がって来ていた。
「━━、━━━━」
火事場の馬鹿力と言うべきか、さっきまで力が抜けつつあったのに唐突に力が入って美樹を抱き寄せ、出来る限り頭を低くした。
※
その動きは科学的に、物理学的に、数学的に見ても奇妙なことだった。
転がっているNEXAの軌道は、本来なら瑞風も美樹も巻き添えになるはずだった。
ところがその車は、瑞風の一歩手前で床に着地するとほんの少しだけ高く飛び上がったのだ。
そして車は美樹の足を掴むカルジェスを、外へと押し出すように激突した。
カルジェスは並走している空母の方へと放り出された。
車の方は━━このときだけは従来の計算通りに━━閉じつつある扉に引っかかって、遂に外へと出ることはなかった。
放り出されたカルジェスは、開けっ放しになっていた格納庫の扉が閉まりつつある中に挟まれるようにして止まった。
変態した左腕を使って押し上げようとするが、それが空母の機能に異常として捉えられ、ますます閉まる力を強めてしまった。
「━━━━! ━━━━!!」
無音の世界。カルジェスの叫びは誰に聞こえず、誰にも届かない。
格納庫の扉は緩やかに、噛み砕くようにその口を重く閉ざした。
瑞風たちが乗る空母が母星の軌道上から離れたときには、無人の空母は無限に続く宇宙をさまようデブリと混じって見分けがつかなくなっていた。
国際宇宙連盟コロニー 第4祈祷所にて記録
記録者:■■■ ■■
記録日:▼月 §日 √曜日
連盟長のストレスは最早限界が近いだろう。それもこれも全部、キム・カルジェスの対処についてのことだ。
奴が阿頼耶と国際宇宙連盟の記録が内包された『鍵』を持っていることが判明してからは、皆死に物狂いで現状の打開策を講じあった。
だが奴には阿頼耶がある。アレがある以上、戦艦はおろかスペーススーツ一着さえも狂わせてしまう。かといって奴への抵抗を諦めて野放しにしようものなら、いずれ奴はこの宇宙を支配することとなるだろう。これは誇大表現でもなければ比喩でもない。放っておけば絶対にそうなるのだ。
そうしてこの度可決された作戦は人命の損失は絶対的に生じることになるものの、これまで上がったどの作戦よりも成功率が高い。三惑星間で極秘に行われた議会でも長い時間を要したが承諾を得られ、遂に今日実行に移される。
キム・カルジェス。奴は自らの汚れた願いのためだけに自分の惑星にいた国民を欺き、皆殺しにした。
奴は人類の敵だ。人類と宇宙の未来のため、生かしておくわけにはいかない。




