The Arms of Sorrow
薄暗いエレベーターホールにはおびただしい血のりがまき散らされ、隅には遺体を包む黒いビニルが五つ無造作に置かれていた。
エレベーターホールそのものが、一つの拷問兼処刑場になっている。
車から降りてビニルの中を見ると、案の定単眼の少年少女が包まれていた。全員、まだ十歳にも満たなさそうな幼さだ。
暴行によって出来たアザや傷が生々しい。
光のない目が半分開かれていたので、そっと目を閉じさせる。
一番胸糞が悪くなったのが、少女の遺体には干からびた粘液みたいなものがそこかしこにかけられていたことだ。
これが人間のすることなのか。
正直普通の人間を救うよりも、ここにいる単眼の子供たちだけを救った方が全然良い。ここにいる研究員どもは救う価値すらない。
俺が車に戻ると、おおよそのことを察した美樹が哀しげな表情を向けていた。
智歩ちゃんに至っては今にも泣き出しそうだ。
「行こう。美樹、単眼の子供たちはどこにいる?」
「ま、待ってて。……いた。この先のA−08−Fってスペースに……二十人いるよ。皆んな……部屋の隅にいるね」
「よし分かった。それと、美樹。俺から折り入って頼みがある」
※
車をエレベーターホールに止め、徒歩で目的地へと向かう。
道中は血痕が壁にあちこちにあって、とても気分が悪かった。
誰にも会わずに目的地であるA−08−Fに着くと、美樹によって扉がすんなりと開けられる。
中は真っ暗だ。人喰いトンネルと同じくらい真っ暗で何も見えない。
「誰かいるのか?」と言おうとしたときだった。
「危ない!」
智歩ちゃんが叫びながら俺の前へ躍り出てきた。
その智歩ちゃんの前に、同じく単眼の少年が鋭い殺気を纏いながら俺の方へ走ってくる。
これはマズい。俺は瞬間的に智歩ちゃんを自分の後方へと引っ張って倒し、少年から庇った。
智歩ちゃんの代わりに、俺の腹部に鋭く重い一撃が食い込む。
内臓が上に押し上げられ、込み上げるような吐き気と鈍痛が全身に滲んでいく。
たまらず前屈みになってしまったが、それが更にマズかった。
少年がそのまま雄叫びを上げながら、蹴る殴るの連続をお見舞いしてくる。
相手は智歩ちゃんの仲間。反撃をすれば敵意を更に上げてしまうから、今はただ防御に徹するしかない。
だがこっちの意思に反して、少年は俺の左目にかけていたモノクルを弱点と見たのか、モノクルを殴り付けて吹っ飛ばした。
途端、俺の左目で眠っていた病が目を覚まして暴れ出した。
左目の視野が激しく歪み、赤青緑の色が右目の視野と合わさって暴力的な点滅を繰り返す。
加えて頭蓋骨がこじ開けられるような激痛と吐き気に襲われ、とても立っていられるような状態じゃなくなって倒れ込んだ。
「やめて! やめて! 瑞風さんに手を出さないで!」
「うるせえ、どけ! こいつ一人だけでも殺してやる。俺たちをゴミみたいに使いやがって!」
「この人は研究員じゃないよ! ここにいる皆んなを助けに来たの!」
「黙れ! そんなウソを━━」
少年が急に言葉を失い、俺に浴びせていた暴行を止めた。
美樹が照明を点けるとすかさず駆け寄って、吹っ飛んだモノクルを手渡してくれた。
特殊加工がされているモノクルをかけると、それまで荒ぶっていた症状がピタリと止む。ウソみたいな話だが、これが俺の左目に宿る奇病なのだ。
「……I−87? どうしてここに?」
「だから皆んなを助けに来たって言ってるじゃない! 瑞風さんに謝ってよ!」
I−87? 何だその番号は。
……いや違う。
それが、智歩ちゃんの本当の名前なのだ。
思えば智歩ちゃんと初めて会ったとき、智歩ちゃんは自分の名前を名乗る際に妙な間があった。
アレはきっと自分に付けられた名前に、まだ自分自身が慣れきっていなかったからだったのだろう。
それを理解した途端、智歩ちゃんがこの閉鎖された環境で生まれ育ち、そして俺の想像が及ばないような日々を生きて来たのだと強く実感するようになった。
少年は半泣きの智歩ちゃんを見やってから、強い警戒心を宿した真紅の目で俺と美樹を見てくる。
入院パジャマみたいな服を着た少年は、ボサボサの薄い紫色の髪をしている。
顔や所々で覗く肌には、真新しいアザや傷、焦げ目のようなものが幾つもあって痛々しい。
背の高さや目の大きさ、声の高さに赤ん坊みたいなふっくらとした頬など少年の要素は多々あるのに、鋭い目つきと雰囲気が少年らしさをかき消している。
部屋の隅を見ると、智歩ちゃん以上に幼い単眼の子供たちが固まって怯えていた。
恐らくだがこの少年は、あそこの子供たちを守るためにこんな傷だらけの体になったのだろう。
「ウソだ。私服の研究員だっていたんだぞ。お前、I−87をたぶらかしているな?」
「いい加減にしてG−05。この人がそんなことをするような極悪人だと、本気で思ってるの?」
「思うさ。それともお前は、外に出られたから今までのことを忘れたのか?」
カッとなった智歩ちゃんが『G−05』という名の少年の、赤ん坊のような頬を思い切り引っ叩いた。音を聞く限りでも、ありゃあ結構痛いぞ。
「忘れるわけがないでしょう! 外に出て瑞風さんに会ったから言えるのよ。それに私がそんなウソをついて何の意味があるの!」
G−05が再び俺の方を見る。
今気づいたが単眼の子供たちは、普通の人間と違って鼻が額にある。
そしてその鼻も人のような形ではなく、小さな穴となって空いているのだ。
G−05が額についた鼻で笑うと、唐突に壁の方を指差した。
「それじゃあアンタ、あいつらを皆んなぶっ殺せるか?」
指差す先は何の変哲もない普通の壁。
しかし少年は迷いなく指差しながら、挑発的な態度で俺を見ている。
「何だ? 壁を指差してどうしたんだ?」
「あそこにスライド式の扉がある。行けば分かるが、もしアンタが俺たちを助けに来たって言うなら、その誠意を見せてくれよ」
何だかよく分からないが、味方であるという証明の機会を逃すわけにはいかない。
俺は言われた通り指された壁まで向かうと、壁には取っ手がポツンと付いていた。
扉を開くとなだらかな下り坂になっている通路が伸びており、遠慮無く先に進む。
そうしてたどり着いた先には、物々しい鉄製の扉が固く閉じていた。
ここに来て大きく胸騒ぎが起きる。おぞましいものがあるぞという方の胸騒ぎが。
だが止まってなんかいられない。
俺は扉の取っ手を掴んで扉を押して開いた。
━━その先はまさしく、地獄だった。
へばりつくようなイカ臭さが部屋に蔓延した薄暗い部屋の中には、半裸ないし全裸の研究員と警備の人間が単眼の少年少女を犯していた。
一部の子供たちは頭をゴム製の袋みたいな物で隠されていて、付けられていない子たちは虚ろな瞳でグッタリしている。
これが、いつか智歩ちゃんが言っていた、躾の部屋ということか。
「し……侵入者だ!」
「どうやってここに来た! おい、戦闘準備だ!」
凌辱を楽しんでいた連中は予想外の事態に慌てふためいていたが、順番待ちをしていたであろうガタイのいいヤツが一人、余裕を持ってこっちにやって来た。
「おいお前、一人でここに来たのか? バカなやつだな。この数を相手に一人でどうにかなると思っているのか?」
なめ腐った態度をとるやつの隠部に、テーザーレールガンを一発見舞わせた。
か細い叫びを上げて感電している奴を見下ろして俺は言う。
「思うさ」
扉を開くと、心配そうにこっちを見ている美樹に合図をかけた。
通路から続々と建物を監視していた武装ロボットが部屋へと入ってくる度に、凌辱を楽しんでいた連中は青ざめていく。
部屋の横一列にロボット兵が並ぶと、連中は俺が言うよりも前に単眼の子供たちを解放した。
通路からG−05と数人の仲間がやって来て、子供たちを介抱している。
そこに混じって美樹と智歩ちゃんも部屋へと来たが、これはあまりに刺激が強すぎた。
美樹は我が目を疑うように驚き、智歩ちゃんは心底腹立たしそうに研究員たちを睨んでいる。
「お、お前! こんなことをして許されると思うのか! 他のフロアにいる警備や機械兵がすぐにお前を━━」
「来ねえよ」
研究員が気の抜けたような顔でこっちを見るから、全てを明かす。
「誰も来ねえよ。皆んな死んだからな」
そう。皆んな死んだ。俺が殺した。
正確にはそうなるように操作した。と言った方が正しいな。
事はエレベーターホールから、このフロアに行く前に遡る。
俺が美樹に折り入って頼んだこととは、全てのロボットの指揮権限を俺に渡して欲しいということだった。
やることは施設の人間を皆殺しにすること。
残酷非道の手段だが、俺からすれば致し方ないことだ。
ロボットたちを使って全員収容させても、この施設で長年働いている奴らには非常時の対応や裏技を知っていると踏んだ。
脱走の可能性を常に考えながら、一手二手先の行動を考えられるほど俺は器用じゃない。
阿頼耶の力を過信して、単眼の子供たちを助けるのも危険すぎる。
こういった伏兵めいた奴らを前に、テーザーレールガン一丁で対応できていたかと言えば絶対に不可能だったろう。
ロボット兵を一機使役して向かおうにも、必ず誰かに発見されるかもしれない。監視カメラではなく、生身の人間によって。
そういった様々な懸念を一切考慮することなく、安全で確実に子供たちを救える方法が、施設の人間を皆殺しにすることだった。
無論、俺が考えた中での手段だから、他の人が考えたならば、もっと最良な手段もあっただろう。
しかしこの考えを美樹と智歩ちゃんに明かしたとき、二回返事で承諾を出したのが智歩ちゃんだった。
そのときの智歩ちゃんの目つきは、この先絶対に見たくないと思うくらいに憎悪で満ち溢れていた。
その憎悪も、今なら分かる。
コイツらは生かしておく必要は無い。
生きる価値すら無い。
「そ、そんなバカな……」
「やめてくれ! 頼む! 助けてくれ!」
「イヤだ! 死にたくない! 死にたくない!」
「なんだとテメエら? この子たちを散々犯して殺してきたくせに、テメエの番になったら命乞いをして通じると本気で思ってんのか?
━━救えねえよ。お前ら。死ね。皆んな死んでしまえ」
俺の手元に浮かぶホログラムを操作すると、ロボットたちが一斉に装備していた重火器を泣き叫ぶ研究員どもに向けた。
大の大人が泣きじゃくりながら命乞いをしているが、俺はただ一言返すだけだ。
「イヤだね」
攻撃を指令する赤いボタンをポンと押すと、重火器が重々しい音を立てながら火を噴いた。
研究員たちは一秒経たずして肉片に変わっていき、その肉片すら放たれる大口径の銃弾によって細断されていく。
おもむろに振り返ると、智歩ちゃんを含む単眼の子供たちが細切れになっていく研究員たちへ怒りの目を逸らすことなく向けていた。
「ざまあみろ!」
声を上げたのは智歩ちゃんだった。
絶え間ない銃声に混じって、あらん限りの怒りと憎しみを込めたように智歩ちゃんが叫ぶ。
「ざまあみろクズ野郎ども! 地獄の底で苦しんでろ!」
やがて全弾を撃ち切り、部屋に静寂が戻った。
研究員たちは最早原型を留めておらず、細かなひき肉に変わり果てていた。
躾部屋から出ると、美樹が俯きながら佇んでいた。
子供たちが大人に陵辱されているところを見ただけでなく、目の前で皆殺しにさせたショックもあるだろう。
「美樹は何も悪くないからな。俺は美樹からロボットを操作するコントローラーを、俺が操作したようなものだ。美樹が操作したんじゃない。だからお前は何も悪くない。
「なんてヤツだ」って思いながら知らん顔してればいいんだぞ」
「……で、でも……そのコントローラーの電源を点けたのは私だよね?」
ほのかな、しかし優しさというものに満ち溢れた笑みを浮かべて、美樹が俺を上目遣いで見てくる。
「いや、それは」
「た、確かに瑞風くんは、コントローラーを操作したけど、そもそも動かなかったら、何もできない……よね? だ、だったら、使えるように動かした私も同罪だよ」
「美樹……」
「み、瑞風くんばかり全部背負わなくて、いいんだよ。わ、私にも、いっぱい頼って欲しいな……って」
胸の奥が小さく小突かれて、顔が熱くなってきた。
美樹も恥ずかしいのか、徐々に顔が赤くなっていく。それが更に美樹の魅力を引き立たせていく。
「……おい、あと何分かかるんだ」
蚊帳の外にいたG−05が白け顔で見ていた。
智歩ちゃんと他の子供たちは顔を赤らめて、恥ずかしそうにこっちを見ていた。
「す、すまん。ええと、子供たちは……これで全員か?」
気を取り直して部屋に集まった子供たちを見ると数が少ないことに気づいた。全員合わせても、四十人いるかいないかといった数だ。
気になるのは、女子と男子の数では女子の方が少し多い。ここと同じような躾部屋に囚われているのか?
「全員だよ。ここにいるので全員だ」
「だが数が少なすぎる」
「分からねえのか? 他は売られたか殺されたんだよ。その売られたヤツも、昨日最後の一人が死んだと聞かされたがな」
なるほどな。俺がさっき下した選択は、間違いじゃなかったと断言できる。もっとも、それでもなお足りないと思う。もっといたぶって殺すべきだったか。
いずれにしても、生き残りがいない以上ここを探索するのは無意味だ。さっさとここから出て、避難用の空母か何かを見つけることに時間を費やした方がいい。
「美樹、この施設には避難用の船はないのか?」
「……ここにはないみたい。だけど、地下六階に線路が敷かれた、大きなトンネルがあるよ」
線路が敷かれたトンネル。いかにも意味ありげな場所じゃないか。
トンネルの先を調べさせると、美樹の口から希望の光が射し込まれたような答えが返ってきた。
トンネルの先には、大型の空母が止まっていると言うのだ。
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質問7 単眼の子供たちをどうして子供にして作ったのか? また、全員が全員スタイルがいいのは何故か?
回答者:コウタ・クヌキ
単眼種を全員子供として創った背景には、成人だと筋力や教育(この場合は洗脳)にかかる時間。
反抗時の鎮圧にかかる損失具合などが、子供に比べると脅威が大きいからである。
加えてミッション中に予想外の行動をしたときに、成人だと身体の機能が整っているので各々が状況に応じた対処が出来てしまい、離反・逃走の恐れが非常に大きかったからである。
次いで、何故、男子も女子もスタイルがいいのかと言えば、それはミッション終了後の処分方法に『奴隷』として生かすことが設定されているからだ。
子供である以上肉体労働の面では育成に時間がかかるが、『奉仕』の面では全く問題ない。
加えて彼らは子供であるため先述の状況に応じた対処が出来ないし、彼らはその異形故に社会で生きるのは不可能であるので、必然的に大人の言うことを聞かざるを得ないということになる。
更に、思想の刷り込みが容易であることも見逃せない。
結局のところ子供と大人では物理的な力量関係が覆ることは、まず無い。
であるならば、反抗をする者には力による見せしめを徹底し、『お仕置き』という名の教育を頻繁に行うことで絶対的な服従関係を作り出すことが容易でもある。




