All Pain is Gone
舗装された白い道路から目線を上げると、三隻の巨大な空母が通り過ぎていった。
多くの国民を乗せて、すでに開発が進んでいると言われる外惑星『レーテー』へと避難する空母だ。
結論から言うと、この星は死にかけている。
地球から遠く離れた星にまで進出できる技術を得て発展した人類は、これで二つ目の星を死に追いやったらしい。
この星の場合、地表、地下問わず見境のない資源採取を繰り返した結果、今から五年前、星の内部に封じられていた有毒ガスが地表に漏れ出してしまったのだ。
初めは少量だったものの、時が経つにつれて、星のあちらこちらでガスが漏れ出し、政府は外惑星への緊急避難を決定した。
だが、多くの国民を避難させるには空母の数も、燃料の量も足りないことが判明。
そこで政府は、混乱とパニックを防ぐ名目で『国家抽選』なるものを設け、当選した人を優先して避難させるシステムを作った。
その抽選に未だ当選せず、死が刻々と近づく末法の世界で残されている人々の中に、俺『千代空 瑞風』は、夕空の彼方に点となって消えていく空母を見つめながら、ややずれたモノクルを調整して帰路についていた。
※
『瑞風、私よ。こっちはもうすぐ……えぇと、I–05銀河ってところに着くわ。船長が言うには、あと一日で避難先の惑星に着くみたい。……お母さんもお父さんも、弟の桂那も貴方を心配しているわ。早く貴方に会いたいわ。━━あぁ、またワープするみたい。瑞風、貴方のことを愛しているわ』
ホログラムに映し出されている母親と最後に交信したメッセージを、俺は一日に一回は必ず見ている。
本来なら、もう避難先の惑星に着いて交信ができるはずなのに一向に連絡がこない。
嫌な予感は絶えず出るばかりだが、確認のしようがないので『避難先の惑星には、インフラが十分に整っていないからだ』と、無理やり納得させて過ごしている。
━━両親と弟の当選が決まったのは、遡ること三年前。
政府から届いた、国家抽選当選報告の電子メールに記された三人の名前を見て、家族は嘆きの声を上げた。理由はもう分かるだろうが、俺の名前が無かったからだ。
親父が政府へテレビ電話で抗議したが、対応したスタッフが淡々と対応しながら言った結果は何度聞いても同じだった。
漏れがあったわけでもなく、誤送信があったわけでもなく、バグが起きたわけでもない。
ただ単純に、俺は抽選に外れたのだ。
親父もお袋も弟も、どうにかして俺を一緒に連れて行こうとあれこれ作戦を立ててくれたのは嬉しかったが、現実はそうもいかなかった。
結局三人は先に行くこととなった。
ターミナルでお袋は、今にも血の涙を流しそうなほど泣き喚いていた。
なのに俺はその時、涙を流さなかった。
帰って、次の日の同じ時間になったとき、恐ろしいほどに空虚な家だと実感して、ようやく俺は泣いた。
その次の日からは、未だ当選待ちの人たちで溢れかえったこの世界で、当選の日を待ち続けながら戦い続けている。
空は、今日も黄金色で染まっている。
地平を隠すビルの群れは、廃墟と化したものもあれば、辛うじてまだ生きているものもある。最も、そういう建物は今の時代、格好の獲物として見られるのだが。
テーブルに置いてある、非殺傷性暴徒無力化電磁銃『テーザーレールガン』を持つと、俺の中で恒例となった儀式めいたものを行う。
額に当てて、数秒黙した後にホルスターに収める。これだけだ。これだけだが、やるかやらないかで気持ちの持ちようは全然違う。
ドアを開けて、少しだけ粘つくような暑さを肌で感じつつ、俺は外に出て行く。
※
『国家総主のキム・カルジェスです。
私たちは、当選を待ち続ける国民の皆さまが一刻も早く避難できるよう、迅速に対処し、丁重なケアと、無償での補給を尽くして、国民の皆さまの最後の一人が避難できるその時まで、尽力する限りであります。
本日は、エリアDにて物資と無償の医療ケアを提供いたします。国民の皆さまにおきましては、落ち着いて、焦ることなくお待ちください』
空にこれでもかと大きく映し出されたホログラムからは、ツーブロックショートヘアが目立つ色白な男が、お役所仕事のように無責任な惑星放送を虚しく世界に報じている。
風の噂によれば、ああいった政府に属する連中は安全なシェルターで美味いメシとケアを受けながら国民には片手間な対応をしていて、いつでもアイツらは逃げれるらしい。
俺はその噂が、根も葉もないホラ話だとは思っていない。その証左が、車の外で広がる無法地帯だからだ。
怒号や罵声が絶えず上がり、時々銃声も聞こえる。たまにではあるが、爆音だってする。
商店だったところではイカつい連中が徒党を組んで物資を奪い、その連中も配分が納得いかないと殺しあう。
あるところでは、生き残りたい一心で奴隷に成り下がった人たちが見世物にされたり、売られたりしている店がある。
ちょっと先に行けば、フェロモンたっぷりな女性が、本来なら余裕でアウトゾーンに入る過激な風俗を営むところも平然と表舞台に建っている。
生き残るためにおおよそ犯罪と呼べることは日常の景色となって蔓延し、この世界で明日も生き残りたければ、貧富の差だったり、老若男女問わず、否応なく手を汚さなければならない。
最初は和平を唱える人や団体。鎮静を目的に動いていた部隊もいたが、一月待たずして全滅した。
今や国を仕切っているのは『風紀治安会』という、名ばかりの暴力集団だ。
そんな力とフェロモンで満ちた世界の中、俺は廃墟と化した大型のショッピングモールへと車を走らせていた。
※
廃墟だというのに電気はしぶとく生きており、万人向けのポップな音楽が往時の華やかさを感じさせる。
そんなモールの中は、可愛らしさも華やかさのカケラもない物々しい空間だが。
ガレキに混じって、割れたガラスと商品が入っていたパッケージが散らばっていて、正体不明のスライムじみたものまである。
古い血痕と思しき液体も、奥に進むにつれて見る回数が多くなり、新鮮な血痕も多くなっていく。
物資がまだ残っているこの場所で、多くの命が奪われ、犯された。
だが、感傷に浸ろうものなら次は自分の番。誰も気に留めない。留めてはならないのだ。
一心不乱に、道の先にあるフードエリアに向かう。そこに食料と水がある……はずだ。
不意に、脳裏で大声が上がって足が止まり、無意識にその場にしゃがんだ。
すると、俺の後方に立つ柱に、大きさは大体三〜四センチほどの穴が音を立てて空いた。
縄張りにしている連中に見つかった。だが逃げるわけにはいかない。逃げれば今日は生きられない。俺だって、全くの無策で来たわけじゃない。
脳裏の叫び声に従って、立ち上がって、ただひたすらに走り始めた。
その後ろから、ビームだか銃弾だか分からないが、とにかく弾が俺の側を空を裂きながら通り過ぎていく。
周りにある柱や壁、ラックや縦長の照明とかが細かな破片を散らして弾けていく。
被弾しないのが奇跡だが、そんな奇跡がいつまでも続くわけがない。
柱に寄りかかる大きなガレキに身を隠して、態勢を整える。
勘だが、今俺に気づいているのは一人だけ。それと、相手は多分、戦闘経験━━特に狙撃━━はかなり浅い。
血生臭い世界で二年も生きていると、兵士でもないズブのど素人である俺でさえ、どういうヤツと戦っているのか分かってしまう。
そこまで解析できるのなら、後はどうってことはない。……と、言いたいのだが、今度は別の問題が生じている。
それは俺の体力だ。
たった今思い切り走ったせいで、既に息が上がっている。たかが数メートルといえど、俺には結構応える距離だ。
ここから更に走るとなれば、たちまち足は止まるだろう。そうなれば、俺は間違いなくここで殺される。
となれば、もう手段に卑怯も外道もない。
俺は生きたいし、死にたくない。殺そうとするヤツがいるなら殺すまで。それがこの世界での理だ。
隠れた場所を落ち着いて見渡せば、使えるものは意外にある。
ここはどうやら、ファッション関係のエリアだったところだろう。
衣類として機能していない、ズタズタになって汚れた服が辺りに散乱している。
少し離れたところに、一糸まとわぬマネキンが無造作に転がっている。これは僥倖だ。
心を落ち着かせて、マネキンを静かにたぐり寄せながら周囲の音を聞く。
遠くから減音機能みたいなのを搭載しているであろう、高機能の靴を履いているヤツが、早歩きでこっちに向かってきている。
狙撃をやめて、ナイフか何かで仕留めようって算段だ。近接戦に持っていかれたらもっとヤバい。
比較的暗がりの所に向かって、持っているマネキンを放り投げた。
音を立てて転がったマネキンに、相手はまんまと引っかかって、獲物に食らいつく獣さながらにマネキンへと駆け寄った。
側から見れば何のひねりもない単純な作戦でも、こういった状況では案外人は引っかかる。そして、気づいた時には手遅れだ。
相手はいかにもというチンピラ然とした見た目で、言い方は悪いが俺より頭も良くなさそうだった。
そうしてマネキンだと気づいて息を飲んだところに、テーザーレールガンで相手のうなじにへ、ほぼゼロ距離で撃った。
感電して震える声を上げながら倒れた相手を見下ろしながら、チンピラの持っていた獲物。汎用光線戦闘銃を取り上げると、片手でソイツの頭蓋骨に撃ち込んだ。
「四流野郎が」
チンピラは頭部にポッカリと穴を開けて絶命しているのに、感電しているから陸に上がった魚のように痙攣している。
電流が収まった後は、コイツが持っているもので使えそうなものを奪う。
財布、バッテリー、弾、携帯食。持っていた銃に至るまで、使えそうなものは、全てだ。
━━そう。これが、現実だ。
これが、この世界の、この世界で生きるために必要なことなのだ。
言い繕うことも、美化することも、正当化する必要もないありのままの現実。
やらなかったら、やられる単純な世界。
そんな世界で、俺は生きている。
目線を上げれば陽の光が途絶えて、真っ黒な壁と思えるような闇が目一杯待ち構えている。
二の足を踏みたくもなるが、ここで帰るわけにはいかない。両手の銃をいつでも発砲できるように構えて、俺は闇の中へと足を踏み入れた。