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辻堂家三代の罪、千代の恵

憐みのゆくえ5 残滓 二

 深夜の自宅……ドアの中ではカサカサと音が聞こえる……二月にもなると、春の猫たちがうろつくようになる……そんな猫が入りこんでいるのだろうか……それとも、空き巣だろうか……灯りは消えている……ということは誰もいないはずだ……

 私は、街灯の冷たい光を頼りに見当を付け、ドアの外から郵便受け越しに室内の音を聞いていた……少しも止む気配がなかった……私は、意を決して音を立てないように室内へ入り込んだ……トイレの前を過ぎ、リビングと隣接するキッチンとを、そして左手に暗い中に冷蔵庫が浮かぶ……

 常夜灯の光を音のする方向に向けると、その光の中に、大きな椅子を運ぶ小さな詩音が浮かび上がった……

「うんしょ、うんしょ……」

 やがて、小さな椅子も運んできた……彼女はそれらを冷蔵庫にくっつけ、漸く冷蔵庫の高い位置まで手を伸ばした……しばらく覗き込んで一生懸命に漁っている……しかし、冷蔵庫の中にはほとんど何もなかった……


 私は、そっと彼女の背後に近づき、夜食の助六寿司を彼女の目の前につり下げてみた……詩音は思わずそれに飛びついた後、持ち主をマジマジと見上げていた……

「パパぁ……」

「どうしたんだ……綾子は?……」

「お母さんは、帰ってからまた出かけちゃった……踊りを踊って見せたけど、お母さん、出かけちゃった……」

 詩音はそう言って欠伸をした……ずいぶん長い間待たされていたようだった……


 以前は、泣き疲れて畳の上に寝ていたり、私に泣いて訴えた……最近はすっかり諦めた様子で、逆に私にとても甘えるようになった……


 この四ヶ月間、私は遅くまで残業だった……今夜も家に帰り着くと、詩音が一人で待っていた……綾子が早く帰っているはずだったのだが、これで十回目になる……


 綾子は、以前にもこんなことが続いた……綾子は私と同じ保険会社系列の保険営業職……夜のお出かけは、生命保険の契約を取るために必要なことらしい……私よりも拘束時間の短い勤務のはずなのに……それでも、私は結婚した時から夕食準備以外を担当し、綾子を応援していた……私よりも有能でしっかりした先輩なのだな、と感心していたから……


 結婚前にも、夜に出かけていくことや帰りが遅くなることがたびたびだった……詩音が二歳のころには、私の職場近くに居た妻を見かけ、今日は早くお出迎えなのかなと思ったこともあった……しかし、その日保育園から呼び出されたのは私だった……その後も保育園から何度も呼び出しが続いた……夜のお出かけをいつやめてくれるだろうか……


 次の日の夜、綾子の実家から電話がきた……義母の悦子だった……どうやら詩音が義父母の家に電話をしたようだった……

「綾子は帰ってくるのかしら?……」

「まだでしたか?……とにかく今から帰ります……」

 私は慌てて自宅へ帰った……自宅には、既に義父母の辻堂泰造と悦子が着いていた……玄関のドアを開けると、詩音が駆けてきた……

「お父さん!」

 詩音が私に抱きつく横で、義母の悦子は私に再び質問を浴びせてきた……

「まだ綾子は帰っていないわよ……」

「まだなんですか?……」

「母親が子供を置いてどこへ出かけているのよ……」

「彼女によれば、生命保険の契約のためだそうです……」

「夜に?……」

「頑張っているんだと思います……」

「宏さん、おかしいとは思わないの? 綾子は私の娘だけども、綾子の生活パターンはおかしいと思っているのよ……幼い子供を置いて夜に出かける母親がどこに居ますか? 昨夜だって、詩音を暗闇の中に置いてきぼりだったようだし……」

「でも、彼女はちゃんと夕食は用意してくれているし……………」

「ちょっと、その言い方はおかしいわよ! 勤務時間の短い彼女が食事を用意しておくことは、当然よ! それが昨日も、詩音はパパの助六を食べたって言っていたわ……」

「確かに最近はあまり用意してくれてないですね……でも、仕事が忙しいから仕方がないし、私が我慢すれば……………」

「何を言っているのよ! 貴方のことを心配しているわけではないのよ……貴方は大人であの娘の夫でしょ! それなら、自分の家庭や妻のために身を削ってでも家庭を守るものよ! 私が言いたいのは、子供に我慢をさせるの?、ということです……この事態はとんでもないことよ……親なら、特に母親ならば、子供のひもじそうなところに直ぐに気がつかなければいけないわ……」

 義母の悦子は、娘と同様に気の強さが前面に出ている……しかも、悦子の言うことは、正義感と自信に満ちていて周りに反論を許さない……


 詩音を寝かしつけてしばらくすると、深夜一時となり綾子が帰ってきた……ほろ酔いのせいか、やや上機嫌な綾子だったが、悦子の姿を見て途端に顔を曇らせた……

「なにしにきたの?……」

「貴女はこんな時間まで何をしていたの?……」

「うるさいわねえ……契約を取るためよ……」

 悦子はそれに被せるように大きい声を出した……

「なにをいっているの……午前一時までの営業ってなに?……水商売じゃあるまいし……」

「うるさいわ……知らないわよ……みなさん忙しいからこの時間になっちゃうのよ……」

「説明になってないわよ……じゃあ、今日のお客さんでどんな人なの?……」

「うるさいわねえ、いちいち……個人情報だから言えませんし、なんであなたにそんなことに言わなくちゃいけないのよ……」

 綾子の答え方は、私のみたことのない激しいものだった……母親を相手に強い口調で反発している……母親も鋭い指摘と叱責で、綾子を追い詰めていた……

「へぇ……それなら、この匂いはなんなのさ……この家のシャンプーとリンスとは違う臭いよね……宏さんも気づかないの?……」

 私は、二人がいきり立っている間に挟まれて、控えめに答えざるを得なかった……

「そういえば、違う臭いですね……」

 この言葉に悦子は溜息をつき、声のトーンを落とした……

「貴方は、綾子の夫なのよ……この匂いを嗅いで何か異変に気づかないの?……」


 悦子は憐憫とも諦めともいえない表情を浮かべた……綾子は、私の喜怒哀楽が壊れていることを知っているためか、また関わって欲しくないと言いたいのか、目を泳がせながら私の顔を一瞥した……しかし、彼女の目の動きは、私の中の歯車のズレを多少復元させた……

「確かに、こんなに遅くなるのは、行き過ぎではないかと思います……」

 この言葉に綾子はビクッとした様子だった……私が何かに気づいたと思ったのかもしれない……それに重ねるようにして悦子が冷たく言い放った……

「貴女のやっていることはすべてわかっているのよ……やはり、貴女はしっかりと御言葉に聞く必要があるわね……あなたぁ、あれを持ってきて……」


 リビングの奥には、義父の泰造が静かに待っていた……悦子が顎で泰造に合図をすると、泰造は私に向かってにこりと微笑みながら、ギデオンと呼ばれる会社の本を、綾子の前にそっと置いた……

「はいよ……綾子や……この本は貴女の道を照らす灯よ……迷い出ているなら、戻ってきなさいね……」

 綾子は反発した……

「何よ、そんなもの……なんでいちいちあなた方の言うとおりに動かなくちゃいけないのよ……」

 悦子は綾子の態度が当て付けだと見切っているかのように、無表情に本を突き出した……綾子は渋々それを受け取っていた……それを見届けると、義父母はリビングへ戻って行った……彼らの目は、明らかに綾子のしていることをわかっているようだった……しかし、私の頭は靄っていて、綾子のしていたことをまるで洞察できなかった……ただ、何か悪いことが起きそうな予感がして、場違いな言葉をかけていた……

「綾子、銭湯へ行っていたのかな……まあ、家だと子供と一緒だから、たまには大浴場でのんびりしたいよね……ご苦労様でした……」

 綾子もその言葉に合わせるように、言葉を添えてきた……

「銭湯のお湯はいいわよ……広々として……のんびりできたわ……」

 悦子はこのやり取りを見て、私を呆れたように見つめていた……しかし、もうなにも話そうとはしなかった……多分、色々追求することが孫の詩音の幸せを壊すことになると思ったのだろう……


 翌朝早々に義父母は帰ることになった……詩音は名残惜しそうに泰造に抱きついていた……

「おじいちゃん、いい匂い!……」

 彼のコロンの匂いが、詩音の鼻と心をくすぐったのだろう……詩音は泰造の横にいて、なかなか帰らせなかった……

 綾子の方は、義父母が帰宅する前に仕事へ出かけていた……その様子から、私はゴミ箱を漁ってみた……やはりあの本が捨てられていた……綾子はそれをまるで見せつけるように、また当て付けのように、生ゴミの上にわざわざ目立つように捨ててあった……

「なんてことを……」

 私はそれを拾い上げた。それは亡き父の愛したものと同じ名前の本、バイブルであった……


 ………………………………………………


 妻は、いわゆるインカレの一年先輩だった……四年生になる頃の私は、相手を亡くしたばかりだった……無気力だった私を、ぐいぐい外へ引っ張り出してくれたのは彼女だった……外へ二人で出かけて復活祭……無邪気なものだった……彼女は多少とも外向的な口調もあって、就職も決めた……在学中に私との結婚も……

 ただ、彼女と母親との間には、私に理解できない軋轢があった……義父母に挨拶に行った時にわかったのだが、彼女の弟は自死で亡くなっており、兄は家を出ていた……彼女もあてつけるような答え方をしていた……

「綾子、あなた、戻ってこないの?」

「同居する気は無いわ……」

「何言っているの……あなたに何ができるの?……まだあなたには、私たちから吸収しなければならなことがらがあるはずよ……」

 綾子は怒りの表情をあらわにした……

「今そんなことを言い出すの?」

「そうよ……そうでないと、フィアンセにも失礼だわ……あなたは、ただ反発するだけ……見通しもなく、その場その場の思いつきで動くだけじゃないの……自分の目標に向かう姿勢も、忍耐もない……今にそれがあなたを自滅させるわ……」

「うるさい……」

 綾子は母親を怒鳴りつけ、泰造の止めるのも聞かずに、家を出た……

 この二人のやりとりから、母と娘の両方が攻撃的な性格であったことを理解するべきだった……しかし、その時の私にはそんなところまで気づく鋭さはなかった……私には強い口調の綾子を頼もしく眩しく感じられて卒業前に結婚した……上野近くでの新婚生活は、帰りの早い綾子が作って待っていてくれる夕食があり、公園や美術館巡りが私の心を癒してくれた……その生活が、綾子にも良いものだと思って疑わなかった……


 ………………………………………………


 詩音が小学一年生になる年の一月……もう長く綾子の実家との交流も無くなっていた……この頃になると綾子は、夜遅くまで帰って来なかった……私が我慢できずに一言でも言うと、仕事よ、と言って開き直ることが多くなった……綾子は壊れた……今までそんな態度を私に対して向けたことはなかった……しかしこの数ヶ月の綾子の態度はまるで当て付けだった……

「あなたも前から知っていると思うけど、外商は大変なのよ……」

「でも、詩音はもう直ぐ小学校へ入学する準備もあるし、日曜ぐらい休めないのかな?……」

「ごめんね……日曜もお客様と約束があるのよ……」

「じゃあ、得意の調理ぐらいはできるよね……一旦帰ってきているのだから、詩音や私のために作りおきしてくれる暇はあると思うんだけど……」

「うるさいわね……詩音だってもう六歳なのだから、自分で自分の面倒くらい見られるわよ……」

「でも、その結果がこれだぜ……」

 私は詩音の入学前検査の結果シートを叩いた……「ビタミンミネラルの不足による要検査」だった……

「まあ、そのぐらいならいいのよ……」

「なにがいいんだよ……」

 綾子のあまりな言い草……私は思わず怒っていた……彼女はその口調に戸惑ったのか、ようやくやってくれると言う有様だった……しかしそれも長続きはしなかった……


 ………………………………


 その年の二月、綾子は早く帰宅するようになった……彼女の夜の営業はもうなし……結局契約が取れずに損したとかで、その頃から早く帰宅していた……私も不動産運用部門の係長になり、物件査定の仕事に異動していた……夫婦二人とも、仕事が忙しくなかった時期だった……久しぶりに三人が揃い、詩音の笑顔……毎晩三人一緒に夕食をとった……多分、三人にとって最も幸せな時期だったのだろう……

 毎日の掃除や洗濯の山、食事後の洗い物……私にとってはなんでもなかった……ただ、綾子は、日曜の三食や毎夕食を作ることだけであっても、負担だったらしい……そんな時に再び私の帰宅時間が遅くなり始め、毎日の掃除、洗濯、洗い物は遅くなりがち……綾子は耐えられなかったらしい……

「今日はもう食事を用意する気になれないわ……」

「何で?……」

「もう作るのは負担なのよ……」

「ええ?!……作るのは君の役だろ?……私はやっているじゃないか……」

「あなたは、最近寝坊して片付けや洗濯、掃除が遅くなっているじゃない……」

「私は、最近仕事が溜まるようになって忙しいんだよ……少しぐらい休みながらやっても良いじゃないか……」

「そんなのおかしいわ……私は食事を作り続けてきました……それなのに、あなたは自分のことを棚に上げて私を責めているわ……」

「責めてなんていないよ……」

「もう嫌よ……もうやらないわ……」

 綾子の反発……まるで当て付けだった……次の瞬間には、私をぶちのめしていた……久々に殴られた私は、茫然自失……いつの間にか綾子の母親への反発が、私に向かっていた……綾子は私の先輩……私は彼女の扱い方にほとほと困った……しかし、いつまでも妻にかかわるわけにも・・・・……次の日曜には、私はまた会社に行かざるを得なかった……そして帰宅した夜……家には誰もいなかった……

「なにやってんだよ……早く戻ってきて家族の夕飯を作ってくれよ……それが君の役目だろ……」

「もう繰り返さないわ……あなたも私も仕事をしているの……それなのに、休日の今日も、わたしがあさからご飯を作っているのに、あなたは洗濯も後片付けも遅れ気味じゃないの……」

「また蒸し返すのかよ……私の朝の後片付けの仕事が遅いのは睡眠不足のためだよ……私の方が拘束時間が長いし、その分忙しいんだよ……昨日だって深夜12時過ぎの帰宅だし………食べてなくても片付けているし…………私は君に文句を言ったことはないよ……それなのに君は自分のことを棚に上げて、命令するだけじゃないか……特に昨夜は疲れていたから、十分ほど休んだけど、そのあとはいつものように後片付けをしているじゃないか……何でもう少し待てないのかな……任せてくれないのかな……」

「そんなの理由にならないといったはずだわ……私は休まないで、直ぐに早く終えてねと言っているの……話し合いはもう意味がないから、これでおしまいね……それとも、もう一度ぶちのめされたいの?」

「わ、わかったよ……」

 それっきり綾子は戻って来なかった、詩音を連れ出したまま…………

「どうしてだよ……………」

 次の日には湯島のアパートはもぬけの殻で、通帳も何もかも持ち去られていた……私には何が起きているのか、さっぱりわからなかった……


 ……………………………………………


 湯島のアパートに残っていたのは、私のカバンと財布だけ……五月には仕事も辞めた……無気力な私を心配して、昔関係した不動産会社が雇ってくれた……職場は見知らぬ人ばかり、自室でも孤独……それでよかった……誰にも関わりたく無かった……

 新しく住むところが欲しかった……探したのは、三河島……就職先で安アパートがあると聞いて、その辺りを探し歩いた……

 もう若葉が萌えいでる季節……空の青と街角の色彩が私の目に痛かった……私は文無し……相場より安めの物件でも高すぎた……定休日の火曜日にも会社に出て物件を探しつづけた……

 日暮里の事故物件……それは月二万円程度のアパート……次の日に契約したのだが、私の横で先輩が「成約したのか」と驚いていた……そのアパートは、日暮里中央通りを南に行く途中、右に二つほど折れた日陰にあった……自殺者の怨霊が入居者を祟るという曰く付きのところだった……それにしても家賃月額二万円は破格だった……荷物のほとんどない私は、その日のうちに寝袋一つでそこに入居した……


 二か月たった……会社と銭湯と自室の間を移動するだけの生活……自室近くの日暮里駅はアクセスが良く、世話になっていたお花茶屋の教会や足立の施設には、直ぐに行けた……電話さえない……まるで音のない深海に潜む深海魚だった……それを見透かすかのように、私の会社におじちゃん、山形牧師が訪ねてきた……

 おじちゃんは、親のいない私にとっては親がわり……大学から保険会社へ採用された時には、保証人になってくれた……この時の訪問も、心配してくれていた……心が痛かった……

「この頃、お花茶屋に顔を見せないから、どうしたのかな、てな……」

 私は、かっこ悪いところを見られたようで、おじちゃんの顔を見ることができなかった……

「保険会社を辞めたと聞いた時には、心配したんだぞ……」

 しかし、おじちゃんを前にしても、私の頭の中の感情が何かに塞がれて出てこず、泣き言さえも出てこなかった……しかし、おじちゃんは、怒ることも、励ますことも言わなかった……

「一度でもいいから、お花茶屋に顔を見せろよ……」

 ただそういって、おじちゃんは帰って行った……


 ………………………………………………


 夏になり、秋になった……もう、明日は万聖節……殺風景な室内に木枯らし一号が響いてくる……


 十月はひどい月だった……以前からの戸建て団地の大規模開発で多忙繁忙……この四、五日は朝起きられなかった……そして、今夜のひどい耳鳴り……体はぼろぼろだった……


 夜中、締め切ったはずの部屋の暗闇に若い女が立った……それは忘れもしない淑香の姿……しかし、私はこの時になっても、感情を、恐怖さえも表に出すことができなかった……


 女は無言のまま私の前に立っていた……彼女は無表情のまま、私も無言のまま……彼女はいつのまにか消えていた……

 再び目覚めると、また彼女が私の前に立っていた……何回も何回も……しかし、私の感情は死んだままだった……

 唐突に呼び掛けられた……

「宏さん……」

 私はその女の他人のような言い方に、怒りを覚えた……しかし、無言のまま私はその女を睨むのみだった……

「独りよがり……」

 そう言って女は消えた……

「そうさ、どうしたらいいかわからないのに……父親としての愛も夫としての愛も、わからないよ……愛する人への愛も、わからないさ……だって、君は私を残して死んでしまったんだよ……」

 吹き出すような想い、そのままの言葉……私自身が壊れたように感じられた……その言葉に、女は驚いたようにまた現れた……

「私があなたの恋人だったというの?……私には覚えがないの……」

「そうかよ……君は淑香じゃあなかったのか……やっぱり淑香は死んでしまったんだ……君には悪かったな……」

「貴方は何にこだわっているの?……求めるのは愛する対象なの?……」

「さあてね……今では忘れてしまった……」

 投げやりな言葉だった……彼女は消えていた……

「当然だろうね……」

 私は呻き、ソッポを向いた……

「愛したのは妻と娘さ……でも、捨てられた……………その前には、妹、恋人を愛したが守りきれなかった………私は拾われて愛されたさ……だから愛した……でも私の知っている愛は父親代わりのおじちゃんのものさ……女の愛し方なんて、それじゃわからなかった……………妻は出て行き、恋人は守りきれなかったから、こんな孤独になっているのさ……私に愛を教えてくれよ……それとも、私にはそんな資格も能力も無いのかもしれないね……だから、私は叩かれて当然なんだ……………

 私はやっぱりナメクジだよ……」


「娘は連れ去られた……でも、声が聞こえる……あそこにいるんだ……」

 女は私の顔の前にやってきた……

「その娘は大きな罪を犯した男の三代目……父なる方の教えを否む者なれば、三代四代までもその罪を問う……貴方は、将来、その娘を父の愛の形で愛し、その上で恋人の愛、夫婦の愛を以って救う……そのためには夫婦の愛も、恋人への愛も、子供への愛も、学ばねばならない……全ては根源的に愛されているから、愛するのだ、ということを知らねばならない……私たちはそのために貴方の側にいた、今までも、これからも……」

 そう言って、その女は立ち去ろうとした……私は思わず呼んでしまった……

「淑香!」

 彼女は振り向いた……なぜか彼女が私との昔を思い出したように見えた……



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