必殺の銃弾4
────白い箱。
氷の床の上に放置された白い箱。
確かあの中には雷神トールの神器、ヤールングレイプルが────
そう思った時、俺の身体は無意識にその箱に飛びついていた。
「どうするのそれ!?」
ブレーキを入れるタイミングを計っていたロナが俺に声を掛けてくる。
流石にロナも焦っているのか、その声色には不安のようなものが混じり始めていた。
「こうするんだよ!」
俺はそんなロナの方に振り返らず、正方形の白い箱に付いていた留め具をパチンッと外した。
中には、右手用の鉄製の手袋が一つ入っていた。
革のような赤銅色の金属光沢ある手袋。持ってみるとヒンヤリとしていて、手首までしかない割にはずっしりとした重量感が腕に伝わってくる。
「セイナ!受け取れ!」
「それは……!」
大きなカーブが近づいてきたことを知らせるように、電車の正面を照らすライトの先がどんどん近くなっていく中、俺はその赤銅色の手袋を下手投げで放り、振り返っていたセイナが右手でそれをキャッチした。
────確か、一か月前にエリザベス三世がこう言っていた。
神の加護を上手くコントロールするには、その神が実際に使っていた神器が必要だと。
加護自体は神器を使えば発動できるらしいが、セイナはこれまで雷神トールの神器を一つも使っていない。
神の加護に関しては知識のない俺の推測────もしかしたら間違っているかもしれないが……
それでもセイナは俺の意図を理解し、初めて使うとは思えない、まるで自分の身体の一部のように慣れた手つきでヤールングレイプルを右手に装着した。
「こっちのことは気にすんな!お前ならやれる……必ずな!」
「うん!」
その顔には確かに焦りの色が見えていたが、それを凌駕するくらいの眩しい笑顔をこちらに向けて大きく頷いてみせるセイナ。
暗い地下鉄の中で輝くその表情は、まるで……雲の切れ間から覘く光芒のようだった。
普段のセイナが見せたことのない美しいその横顔。
────どうせならこんなところじゃなくて、もっと落ちつた場所でその顔をずっと見たかったな……
「ふー……」
俺の言葉が効いたのかどうかは分からなかったが、さっきよりもだいぶ落ちつた様子でセイナは息を吐く。
多分これがラストチャンスだろう……
隣にいたロナの額にも一滴の汗が流れていた。
ヤールングレイプルを付けた右手でセイナは導体を持ち、さっきと同じように神の加護を発動させていく。
俺とロナが見守る中、再びセイナの小さな体に電流のようなものが流れ出す。
だがさっきの時と違い、普段のバチバチと音を立てながらではなく、パチパチと静電気のように静かな音で身体全体ではなく、右手の先のみに光が集中していた。
ギギギギ……
電車の下部から重低音が響き、身体が運転席側に倒れる。
「いいぞセイナ!減速してるぞ!」
俺は前のめりの四つん這いに倒れながらも歓喜の声を上げた。
カーブが数十メートル先の距離まで近づいたところで、電車が時速180㎞、170㎞、160㎞と速度を落としていく。
「いっくよ~!!」
カーブギリギリまで減速を待っていたロナが俺に続いて大きな声を上げ、照射型の赤いキーボードのエンターキーをタッチした。
キキィィィィィィィい!!
車輪を物理的に抑えるディスクブレーキが作動し、耳を劈く金属音を響かせた電車が右回りの大きなカーブに侵入した。
────世界が全て、斜めに傾く。
身体が今度は前から横に引っ張られる。
「うぎゃ!」
「ッ!?ッ~~~!!」
隣にいたロナが俺の方にぶっ飛んできて、銀髪の頭が俺の顎に直撃した。
さらに、電車内に散在していた氷や座席の残骸などが襲い掛かる。
「危ねぇッ!」
「ッ!?」
クラクラする視界の中、背後で簀巻きの状態になっていたアルシェを抱き寄せた。
その瞬間、刹那の差でガシャーン!!とアルシェのいた位置に氷の残骸が激突し、電車のガラスをぶち破りながら外に放り出された。
あと少しでも遅かったら、危うくアルシェもあの残骸に巻き込まれているところだった。
「ど、どうして……?」
アルシェが薄い水色の瞳をパチパチとさせている。
よく見ると顔も赤い……軽い脳震盪と激しい揺れでちゃんと見えねーけど、出血してるのか?
「なッ!?」
腰回りに右腕を回し、その小さく幼い身体をさらに抱き寄せる。
目もチカチカして近づかねーとよく見えねー……
「大丈夫か!?」
「……う、うん……」
傷を見るため顔を覗き込みながら尋ねると、アルシェは顔を少しのけぞらせながらもコクコクと小さく頷いた。
両頬が赤くなっているようにも見えるが、大きな傷は見当たらない……とりあえずは大丈夫そうだな。
それよりも────
「痛った~~~~!!」
────いやいや、俺の方が痛いんだけど?
渾身の頭突きをかましてきた張本人はというと、銀髪の頭を抱えた状態で俺の左腕の上をゴロゴロと転がりながら痛みに悶絶していた。
よし、コイツはとりあえず大丈夫そうだな。
あとは────
未だ車体を傾かせたまま、カーブをギリギリで走るワシントン・メトロ。その社員である二人の駅員は────良かった……幸い残骸も少ない場所で気絶状態でも大丈夫な場所だ。
残るは────
身体がカーブの外側に引っ張られ、女の子二人抱えた状態で、車内の壁に身体を押し付けられているという、まるでミキサーの中にでも放り込まれたかのような状態で、俺は霞む瞳を凝らして運転席を見た。
「セ、セイナ!?」
俺の視線の先にセイナの姿が見当たらない────と一瞬思ったが、よく見ると運転席下、さっきロナがセイナに握らしていたコードが、運転室内のカーブの外側方面に伸びていた。
そして、そのコードの先を小さなお手て二つがギュッと握っていることに気が付いた。
「ッ!!」
運転席内は、入室用の扉部分のところしかここからは見えないため、直接姿は確認できないがおそらくはセイナだろう。確かさっき運転室に入った時、周りの全てのガラス窓は割れていた。つまり今セイナがコードから手を離せば、その先にあるのは壁ではなく割れた窓、そのまま地下鉄の冷たい地面に身体を叩きつけられてしまうだろう……
それに拍車をかけるように、電車がさらに傾きだしていく────!
内側の車輪が線路から離れたことで、ブレーキも速度制御も効きにくくなってるんだ……
────クソッタレ!このままだとマジで横転するぞ!?
「待ってろセイナ!!今行く!それまで耐え────」
「大丈夫!!」
俺の声を遮って、運転席から顔の見えないセイナが叫ぶ。
とりあえず意識はあるらしい────
「何処が大丈夫なんだ!?車体だってこのままだと────!」
「いいから!アタシに任せたんでしょ!?だったら、最後までアタシを信じなさい!このアホフォルテ!」
────こんな時にアホはねーだろ!
だが……
「そこまで言ったんならしっかり責任取れよ!アホセイナ!」
「アンタにアホって言われたくないわ、アホ!あとで説教!」
「生きてたら説教だろーがなんだろーが何時間でも聞いてやるさ!」
どんな意図があるかは知らなかったが、俺の言葉を最後にセイナはコードにぶら下がったまま、両手の先にパチ……パチ……と電流を流す。
途端────セイナが持っていた導体が閃光手榴弾のように一瞬光ったかと思うと、そこから車内全体に行き渡るようにサァーとその光が通過していった。
その時だった────
キキッー!ガゴォォォォォォォン!!
ブレーキの金属音と合わせて大きな衝撃が俺達に襲い掛かった……
電車が奇跡的に態勢を立て直し、内側の浮いていた車輪がレールに戻ったのだ。
壁に押し付けられていた俺達全員が、その反動で今度は氷の地面に叩きつけられる。
「クッ!ぐはッ!?」
数回身体がバウンドした後、尻もちをついた俺にさらに追い打ちをかけるよう二人の少女が舞い降りる。
ロナとアルシェが人をクッション代わりに着地したのだ。
────尾、尾てい骨が……死ぬ……
「あ、ごめんダーリン……」
俺の上に着地したロナが振り返って謝ってくる。
ツッコミを返す余裕すらない。
「……」
アルシェは────気絶していた。
今の電車の衝撃で、どうやら頭を打ったらしい……
簀巻き状態だったから受け身が取れなかったんだな。
まあ、生きてるようだから問題ないだろ。
なにはともあれ────
「止まったのか……?」
腰の部分を抑えながら、氷の地面で仰向けになっていた俺は上半身だけを起こした。
車内を見渡すと、最初の時とは比べ物にならない有り様になっていた。
初夏のアメリカには似つかわしくない氷景色が広がり、窓はほとんどが割れ、座席やつり革はあちこちに散らばっていた。
ボロボロという言葉がこれほど似合う景色も珍しいな────
「みたいだね……」
俺の身体の上で丁度同じように寝そべる形になっていたロナが首だけこっちに向けて振り返る。
昔の日本のお笑い芸人の……何て名前か忘れたが、幽体離脱~みたいな状態だな。
「つーか、いい加減離れろよ……」
「えーなになに?ロナちゃんに照れちゃってんの?」
そう言って、ここぞとばかりに離れないロナを俺は引きはがそうとする。
────ベタベタとその柔らかい身体を押し付けてくんな!
無意識に分析しちまったが、ロナは決して太っているわけではないが、セイナのアスリートのような細く引き締まった身体に比べて、女の子的弾力のあるぷにぷにとした柔らかい体つきだ。それを良いことに身体全体で圧迫するように、俺との接触面積を増やしてがっつり抱き着き、離れようとしない。
ムチッとした太もも、腕が身体に纏わりついてくるが、特にそのセイナには無い(本人に言うと絶対殺される)巨大な二つのマシュマロで挟み込まれた左腕は微動だにしない。
羨ましい状況だと思うかもしれないが、左腕だから触っている感触はゼロなんだよな。
「フォルテ!!ロナ!!平気!?」
運転室からボロボロの格好のセイナが飛び出してきた。
「「あっ……」」
ブルーサファイアの瞳と俺達は目が合う。
その瞬間、サーとハイライトが消える。
笑っていない、ゴミを見る時の目。だが、さっき俺がスカート捲りをしたと勘違いしていた彩芽が向けていたものとは比べ物にならない何百倍、何千倍も恐ろしいその瞳は一切笑っていなかった。
閻魔大王セイナ様という言葉がこれほど似合う景色も珍しいな────
バキバキバキバキ!!
大木の幹が折れた音かと錯覚するくらい、拳の関節を鳴らしたセイナが俺にゆっくり近づいてくる。
「ま、待てセイナ……話せば分かる……」
「分かりたくないわよ……」
と、左腕を突き出して抗議しようとしたところで俺は思い出した。ロナが俺の腕にくっついていたことに……
突き出した左腕にブラーんと猫のように引っ付いていたロナが────
「にゃー」
────ブチンッ!!
ロナの猫真似に合わせて何かの切れる音……
────あ!これ聞いたことある!この前も聞いた!セイナの堪忍袋の緒が切れた時の音だ!ま、まずいですよ!?
「アンタはいつも……いっつもいつも……アタシが心配してあげた時に限っていつもッ……!」
セイナが飛んだ────
それと同時にロナが俺の腕からヒョイッと離れ、頭上の照明を覆い隠すように少女が飛来した。
防衛本能が流石にヤバいと警告を出したが、不可抗力とはいえ明らかに俺が悪いため反撃は許されない。
なので避けようとしたが身体が動かない────さっき打った尾てい骨の痛みがここにきて響いてきた。
た、立てねえ……!
「こんッの!バカフォルテェェ!!」
両腕を万歳して足を畳み、戦闘で穴だらけになっていた防弾黒ニーソックスを履いたお膝を突き出す。
金のポニーテールと黒いプリーツスカートが揺れ、中に履いていた純白のパン────
「がはッ!?」
俺の肋骨がミシミシバキィ!!と音を立てながらセイナの膝がめり込んだ。
「ぁ……ぅ……」
────い、息が……
多分今日一のダメージを誇るセイナのニードロップを食らった俺は息ができない……!
そのあとセイナに胸倉をつかまれた俺は強制的に持ち上げられたが、セイナの身長が低いせいで膝から先が曲がった状態で地面に足がついていた。
「変態!人でなし!淫獣!」
ガミガミガミガミ!と罵倒の連打、フルコンボだドン!!
「ぅ……ぅぇ……」
ぶんぶん振り回されるせいで頭が揺れ、さっきの脳震盪と合わせて気絶しそうになる。
────これ、いつまで続くんだ?
と思って意識を手放しそうになったが、意外なことにセイナの沸点はすぐに収まる。
というのも────
「あ……あれ……?」
俺の腕から離れていたロナ。そのハニーイエローの猫目から大粒の雫がぽたぽたと垂れていた。
「ちょ、ちょっとロナ!?何泣いてんのよ!?」
流石にこれには閻魔のセイナ様も驚いたようで、俺への制裁を一時停止してロナを見る。
「どうした急に?」
痛みでその場に蹲りたかったが、ロナが心配で俺も声をかける。
「い、いえ……その……ごめん、急に驚かしちゃったって……」
ロナは悲しさを否定するようにそう言って見せたが、大粒の雫は止まるどころかさらに量を増し、白い頬を伝う。
「ロアの……ロアの声が全く聞こえてこないの……」
「何だって?」
「さっき入れ替わった時、ごたごたしてて気のせいかなって思ってたけど、「合わせる顔が無い」って言ったっきり、一度も声が聞こえてこないの……」
ロナはそう言って目尻を両手で拭くが、止まらない……
「もしかして……ロアはアタシのこと、まだ裏切ったって思っているのかも?」
セイナが俺から手を離し、顎に手を当てる。
確かに、もしそうだとしたら辻褄が合う。ずっと動揺していたロアが、セイナが急に現れ、話す機会が訪れた瞬間、俺には何も言わずロナに切り替わっていた。
合わせる顔が無いっていうのはセイナに対してということか?
「ごめん、ごめん、勝ったのに、折角セイナが電車も止めてくれたのに……ロナ、二人の邪魔ばっかで……」
俯くロナ……多分ロアから返事が返ってこないことが相当ショックなのだろう。
双子の兄弟が音信不通になったようなものだからな……
「そんなことないわ……!」
俺がなんて言おうか迷っていると、一歩前に出たセイナが告げた。
「確かに途中色々あったけど、この電車を止めたのはアタシ一人の力じゃない……アンタの……その……おかげでもあるんだから……」
「えっ……?」
「アンタが少しでも時間を稼いでくれなかったら、あんなに上手くいかなかったわ」
「そう言えばセイナ、お前どうやってさっきの横転を止めたんだ?」
未だセイナがさっき何をしたか、よく分かってなかった俺が尋ねる。
「別に大したことは……ただ、電車の車輪とレール間に電流を通して、電磁石の要領で互いを引き寄せさせただけだよ?」
う、嘘だろ!?
軽くそう言ったセイナに俺は思わず言葉が詰まった。
だけって言うレベルの話じゃねーぞそれ……!
明らかに以前よりも電撃の扱い、基神の加護の使い方が上手くなっている。やはりこれはさっき渡した神器の影響なのだろうか……?
「ともかく、アンタのブレーキが間に合わなければ、電車は横転。そうなれば今ごろアタシ達、みんなまとめて線路の染みにでもなっていたわ……だから────」
ロナの両肩を掴むセイナ。
その真っすぐなブルーサファイアの瞳が、俺の瞳を見る時と同じようにロナのことをただじっと見つめる。
「泣かないで、ロナ」
「────ぅ、く……」
金髪の少女の言葉に、ただただ銀髪の少女は泣く。
声を震わせ、肩を震わせ……静かになった地下鉄と電車内でただ一人……嗚咽を漏らしていた。
ハニーイエローの猫目から流れ落ちた雫は、頬を伝って地面に落ちる。
それはまるで、冬の終わりを告げる。一種の雪解け水のように……