2つの大きなマシュマロ
俺達は目的地のホワイトハウスに向けてアメリカのハイウェイを用意されたセダンで走り抜けていく。
ワシントン・ダレス空港から直接向かうと、その道中でワシントンD.C.にある本部に戻っている可能性のあるFBIと接触することを避けるために少し南部方向に車を走らせた後、アメリカ西部のLAやサンタモニカから東部シカゴを繋ぐ日本列島の3000㎞よりも長い全長3755㎞あるルート66で東側の大西洋のある方面に進路を変えた。
ホワイトハウスに向かうと言ってから何故か少し落ち着かない様子のセイナを横目に特に話しすることなく無言のまま俺たちはバージニア州の自然あふれる四車線道路を走っていく。
尾行や待ち伏せを一応警戒していたが特にそれらしい動きもないまま車を走らせること約一時間弱、四車線の道路が三車線、二車線と狭くなっていき、自然豊かな風景もだんだんと民家や小さいビルといった建物が増えていく中、目的地が近づいてきたことを知らせるように大きな川が反対車線の向こう側に見えてきた。
「大きな川……ロンドンのテムズ川みたい……」
景色の変化に気づいたセイナは少し興味を抱いたのか、身を乗り出すようにしてその川を見ながら小さく呟いた。
「あれはポトマック川だ。あれが丁度バージニア州とワシントンD.C.の境目になっているところだ」
「てことはホワイトハウスまであと少しなの?」
「うん、すぐそこの橋を渡れば数分で着く、それとFBIに関連する組織の建物も多く存在するからこっからは監視や尾行は特に注意したほうがいいだろう」
「ええ、そうね……」
そんな話をしながら俺たちはポトマック川と、そこに浮かぶ、かの有名な大統領から名付けられたセオドアルーズヴェルト島を横断できるルーズヴェルト橋を進んでいく。
「そう言えばセイナはアメリカは初めてなのか?」
「いや、一度だけ、アメリカ陸軍特殊部隊と合同演習のためにノースカロライナ州を訪れたことがあるわ。とは言っても航空機で直接向かったからこうやってアメリカの景色を見ている暇なんて無かったけどね……」
「そうか……本当は空港を抜けた後、ワシントンメトロを使って移動する予定だったから、その点だけは車での移動になって良かったかもな……」
「はっ?どこがよ?絶対そっちの方が良かったでしょ」
「た、確かにワシントンメトロは世界的にもまだ実装の少ないリニア式を採用したばかりの珍しい地下鉄だから……乗りたかったって気持ちも分からなく────」
「そう言うこと言ってるんじゃないのよこのバカッ!何ちょっと自分の失敗を棚に上げようとして良い感じの話しにしようとしているの?」
上手く誤魔化そうと早口でしゃべる俺にセイナはブルーサファイアの瞳を細めてキロッとこちらを睨みつけてきた。
「ご、ごめんなさい」
冗談が一切通じないセイナに俺は素直に謝る。
なんか……最近セイナに逆らえないというかどこか尻に敷かれているようなそんな感覚を覚えつつも俺たちはルーズヴェルト橋を渡り終え、ワシントンD.C.の郊外に入っていく。
誰もが知るこのアメリカ合衆国首都ワシントンD.C.は、巨大なアメリカ全土を動かすための政治機関や金融機関が集結するまさに世界情勢に影響力をもたらす力のあると言っても過言ではない都市だ。
そんな世界都市に名を連ねる街を運転しながら俺達は周囲を警戒していく。
エイブラハム・リンカーンの坐像のある記念館の横を通り過ぎて信号を幾つか進んだところを左に曲がると、目的地の白く大きな建物が俺達の右側に見えてきた。
「一年ぶりか……」
その光景にボソリと自分の口からその一言が漏れたことに俺は少しの間気づかなかった。
「ここにそのトリガー3がいるのね……」
セイナも気を改めて引き締めるように見えてきたホワイトハウスを見つめつつ静かにそう呟いた。
ホワイトハウスは三つの建物に分かれており、中央の誰もが想像する建物が「Residence」という大統領の住居や生活に必要な洗濯や調理を行うための部屋、そして客人をもてなすための施設が揃っている場所になる。残りの両側の建物はそれぞれ「East Wing」と「West Wing」と呼ばれ、イースト側は主に大統領夫人やそのスタッフの為の施設、そしてウェスト側は大統領やそのスタッフ、さらにイースト側と違ってシークレットサービスの部屋やアメリカ軍に指示を出すための「Situation Room」が備え付けてある。
正面玄関ではなく、俺たちはそのWest Wingの横にある駐車場にセダンを止めた。車を降りた俺達はそのままホワイトハウスに入ろうとしたところで────
「止まれ!貴様ここに何の用だ?」
と入り口に立っていたベルギー製PDW FN P90を装備したスーツ姿のシークレットサービスの若い白人男性の二人組に呼び止められた。
「S.T元メンバーのトリガー3に会いに来た、アイツはそこにいるか?」
と俺が聞くとその若い白人男性達は。
「ということはアナタが例の部隊の?これは失礼しました」
「思っていた印象とだいぶ違かったのですみません、副長官はこちらにいます」
そう言いつつ塞いでいた入り口を開けてくれて、一人がそのまま内部を案内しようと執事のように右手で入り口の方を指した。
「印象と違うっていうのはどういうことだ?」
と俺はその言葉に首を傾げてそう聞くと。
「いや、その……」
「伝説の部隊の隊長と聞いていたので……てっきりジョン・メイトリクスみたいな人が来るのかなと思っていたので……」
それを聞いたセイナは筋肉マッチョとは程遠い俺に思わず「ぷッ!」と軽く吹き出してから堪えるように笑った。
「やっぱホワイトハウスというだけあって警備が厳重なのね……」
監視カメラやシークレットサービスの装備などを見たセイナは感心するようにそう呟いた。
「前に一回ハウスに忍び込んで刃物振り回した馬鹿がいたせいで、USSS(アメリカ合衆国シークレットサービス)の長官が辞任する羽目になったことがあるんだ。それ以降かなり厳しくなっているんだ」
とあまり大声で言えないことなのでセイナの耳元にそう教えてやると。
「ここです。恐らく今も作業中かと……」
シークレットサービスの白人男性がそう言ってWest Wingの中にある一つの部屋の前まで案内してくれたので、なにかジョン・メイトリクス風に返事してやろうかと思ったがいいセリフが思いつかず。
「わざわざありがとうな」
とつまらない返事をするとシークレットサービスは軽くお辞儀をしてから元の配置に戻っていった。
「ようやく会えるのね」
「あぁ、ただホント変わった奴だから気を付けてくれよ?いいな?」
と俺が念を押しつつ扉をノックしてから────
「おい、俺だ。連絡した通り会いに来たぞ」
と中に声を掛けたが返事は帰ってこない。
「いないのかしら?」
「いや……」
俺がセイナにそう返事してから扉を開けると。
「ゔ……」
思わずセイナがその光景を前に眉を顰めた。
というのも無理はない。
10畳程の部屋の床には散らばった服や書類、何かを入れて口を縛った袋などが部屋のあちこちに転がっていた。日の当たる部屋にも関わらずカーテンは閉め切らた薄暗い部屋に机や椅子などの家具もいくつか見えるが、その上にもパソコンなどの電子機器が置かれた状態になっていた。
「はぁ……相変わらずゴミ屋敷みたいになっているな……おい、来たぞロナ?いるか?」
俺はそう言いながら足の踏み場のない部屋を進んでいく、セイナも俺の後ろに若干引き気味の顔でついてきた。部屋の有り様と中に充満した甘ったるいハチミツのような匂いが鼻を刺激し、頭がクラクラとした。
「あれ?その声はフォルテッ!?」
部屋の右角にいた俺達とは対角線の位置、部屋の左角奥の方からセイナのものでない女の声、セイナと同じくらい若い声だったが、凛々しいセイナのハキハキとしたしゃべりとは少し違い、どこか色っぽさのあるような甘い声が聞こえてきた。そして────
「……」
ガバッ!!と部屋の角にまとめてあった衣類の山から出てきた人物の格好を見た俺は思わず白目を剥いてガタッ!!と倒れそうになった意識をギリギリで保った。
黒い下着のような短めの丈のキャミソールに、肌が透けるような薄い紫のアメジスト色の下着だ。
容姿の方は、誰もが街であったら思わず振り向いてしまいそうな美女だ。銀色の腰まである長い髪はツインテールにまとめて下着と同じアメジスト色の大きなリボンで縛ってあった。同年代のセイナのような可愛らしい印象とはまた違った大人っぽさのある少女の顔、誘惑するようなハニーイエローの猫目の瞳とマシュマロのような白い肌、身長はほんの少しセイナよりも高い印象だったが他の女性と比べれば小さいことには変わりない。そして何より特徴的なのは……
「フォールテ~♪」
ボインッ!ボインッ!ボインッ!
走ってくるたびに揺れるセイナにはないその巨大な胸がキャミソール越しに激しく上下に動いていた。
て────
「ちょッ!?」
気絶しかけてた俺は、走ってきたその少女がこちらに向かって飛びついてきたことに反応が遅れてしまう。
避けようにも足の踏み場のないこの部屋では咄嗟に回避することもできずに、俺はそのままその少女に飛びつかれて地面に倒れ込んだ。
「久しぶりダ~リン!会いたかったわ~!」
見た目通りのマシュマロのような感触を俺の顔面に押し付けながら銀髪の少女は猫なで声でそう言ってきた。
部屋に充満していたハチミツのような甘い香りの元凶を押し付けられた俺の鼻腔が刺激され、思わずその幸せな感覚に意識を手放してしまいそうになる。
「……はなッ!離れろッ!ロナッ!!お前はいつもいつも……!」
と思わず男として誘惑に負けそうになる理性を抑えて俺は飛びついてきた少女を引き離そうとしたが、両手両足で絡みついた少女を引きはがせず暴れていた俺の横で……
バキバキバキバキッ!
「ヒッ!?」
何の音か分からないがその得体の知れない音とともに身の危険を感じるほどの恐ろしい殺気をメラメラと感じた俺は思わず小さな悲鳴を上げた。
「フォ~ル~テ~!?これは一体どういうことかしら……?」
押し付けられた二つのマシュマロの中でギギギッと機械的に振り向いた俺の横には、大気が揺れるほどに激高したセイナが鬼の形相をしていた。その顔で一語一語を強調しながら俺にこの状況について説明するよう聞いてきたその姿に、恐怖のあまり引っ付いてきた少女を引きはがそうとしていた手が止まった。
こ、この感じは……まずいですよ……
「セ、セイナ?落ち着け?お前は何か勘違いをしている……話せば分かッふごッ!?────」
俺はプルプルと震えたままセイナに弁明しようとした瞬間、「エーイッ!」とそんなやり取りをお構いなしに銀髪の少女は再びその二つのマシュマロを俺の顔面に押し付けてきてしゃべっていた言葉が途切れてしまう。
ブチンッ!!
あッ!あ、あ、あ、あ、ヤバいッ!!ヤバいッ!!ヤバいッ!!
今完全に堪忍袋の緒が切れる音が物理的に聞こえた!はっきり聞こえた!これは殺される!?
「アンタの愛人に会いにこんなところ来たわけじゃないのよッ!!」
身体からベルゼと同じようにバチバチと音を響かせたセイナは叫んだ。
「アンタみたいなバカはッ!!感電して死ねッ!!」
ぴょーんッ!
「ちょッ!?」
セイナが向かってきた瞬間、銀髪の少女は軽く飛び跳ねてそれを躱した。
よく見ると「べー」と軽く舌を出していた。
アイツッ!?俺をハメやがったな!?
と思った瞬間────
ホワイトハウス内に男の悲鳴が響いたのは言うまでもないことだった。