嵐の亡霊
激しいスコールが庭付き二階建ての豪邸に降り注ぐ。
超巨大積乱雲程ではないが、まるで滝にでも打たれているんじゃないかと錯覚するくらいの激しい豪雨の中には雷も混じっていて、停電した家の窓ガラスから時折轟音と共に強い光が差し込んできていた。
そんな中、その辺で買った名前も知らないリボルバー式の安物銃を両手で握った二十代前半の白人男性は二階の部屋の隅でガタガタと震えながら酷く焦ったように大声で悪態をついた。
「チクショウッ!!チクショウッ!!なにが簡単な依頼だッ!!こんなの聞いてねーぞ!!」
その伸ばしたストレートの金髪からは外のスコール浴びたのかと勘違いするくらい汗が流れ出し、かけた眼鏡も恐怖で震えるあまり、汗と一緒に顔からずり落ちそうになっていた。
普段はパソコンを巧みに扱い、他の同業者にも引けを取らないハッカーである彼は、今は恐怖でその冷静さと頭脳を完全に失っており、大声を上げれば襲撃してきた敵に位置がバレるかもしれないといった素人でも分かりそうなことすら判断できなくなっていた。
「落ち着けッ……まだ味方が死んだと決まったわけじゃないッ」
意図的に停電させられた豪邸の中で冷静さを失っていた彼に、反対の隅で黒いサブマシンガンUZIを構えた二十代後半黒人のドレッドヘアの男は静かな声でそう言った。
一応元軍人だった経験もあるこのドレッドヘアの黒人はあくまで冷静を装ってはいたが、彼もその白人男性と同じで酷い脂汗が全身から溢れだし、着ていたピチピチの黒いYシャツをベチャベチャに濡らしていた。
「これが落ち着いていられるかッ!多分俺たちが裏切り行為を働いたことに気づいて組織の人間が殺しに来たんだ……きっと俺達も他の仲間と一緒に────」
白人男性そう言いかけた瞬間突然雷が鳴り、窓から差し込んできた激しい光が部屋にいた二人を照らし出した。
そして────
「ギャァァァァッッ!!!!」
「「ッ!」」
雷とは違う音、いや人の叫び声が一階の方からまた聞こえてきた。
「まただ!!また誰かやられたぞ!!」
「クソッ……おい、誰か聞こえるか!?応答しろ!?」
頭を抱えて叫ぶ白人男性を横目にドレッドヘアの黒人は持っていた無線に向かって仲間に呼びかけた。
返事は無い。
自分たちを合わせて6人いた仲間の内4人が既に無力化または殺されたということだ。
そもそもこれが本当に敵の襲撃なのかは分かっていなかった。
急に監視をしていた仲間から連絡が取れなくなったということで別の仲間を向かわせたのだが、断末魔が家中に響いたあとにそいつからも連絡が取れなくなり、さらに二人増援を送ったが結果はいま聞いた通りだった。
耳に当てていた無線から返事が無かったので黒人男性がポケットに戻そうとした瞬間────
「アヒャヒャヒャヒャッッ!!!!」
「ッ!?」
突然無線から合成音のような不気味な笑い声が響いてきて、黒人男性は無線を床に落とした。
「ヒィィィィ!?」
白人男性が悲鳴を上げながら部屋の隅から立ち上がり、反対側の外のテラスに出れる窓に向かって走り出した。
「おい!?待てどこに行く!?」
黒人男性が呼びかける。
無線から笑い声は絶えず聞こえてくる。
「決まってる!ブツを置いて逃げるんだよ!前金が良いからってこんな仕事受けるんじゃなかったんだ!!きっとこの神器とやらに宿った怨霊が俺達を殺しに来たんだ」
テラスの窓の鍵をガチャガチャと乱暴に動かしながら黒人男性に背を向けた状態で白人男性がそう叫んだ。
無線から笑い声は絶えず聞こえてくる。
「よせッ!そんなことしたって逃げ場なんてないぞ!奴をここで迎え撃つしかない!」
黒人男性がパニック状態の白人男性の肩を掴みながら説得しようとする。
無線から笑い声は絶えず聞こえてくる。
「クソッ!!クソッ!!今日は13日でも金曜日でもない!!ましてやここはニュージャージーでもテキサスでもない!!5月1日月曜日のフロリダだッ!!どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ!!」
黒人男性に掴まれて暴れる白人男性が半狂乱にそう叫んだ。
無線から笑い声は絶えず聞こえ────
「「ッッ!?」」
笑い声が急に止まった。
その異変にすぐ気づいた二人は暴れるのを止めて互いにゆっくりと振り返りながら床に落ちていた無線の方を見た。
電源が切れたわけではない。その証拠としてもチャンネル表示をしているモニター部分は点灯していた。
もしかして誰かが襲撃者を始末してくれたのか?
そう淡い希望を持ってしまった二人を嘲笑うかのように無線は小さく呟いた。
「み い つ け た」
「嫌だァァァァ!!死にたくない!死にたくない!」
白人男性はそれを聞いた途端、黒人男性の腕を引き剥がして再び窓の鍵を開けようと暴れ出した。
ダダダダダダッ!!
部屋の外、テラスに出る窓とは反対側にある扉の向こう側、一階から二階に上がる階段から何かが駆け上がってくる音が聞こえてきた。
「お、おいッ!!クソッ!!」
白人男性はもう使えないと判断した黒人男性は悪態をつきながら、その謎の存在に対抗するためにさっきいた部屋の隅に向かって走り出した。
バンバンバンバン!!
「ヒィッ!?」
内側から鍵をかけてある扉が激しくノック、いや蹴破るような勢いで叩かれる音に白人男性は糸の切れた人形のようにその場にへたり込んで耳を塞いだ。
黒人男性は部屋の隅、扉の横の壁に背中を預けた状態でサブマシンガンを胸の位置で構え、発砲するタイミングを伺っていた。
脂汗が額から垂れる。着ていた黒いシャツは絞れるくらいにぐっちょりと濡れていた。
(クソッタレ!ジェイソンでもレザーフェイスでもなんでも来やがれッ!)
そう黒人男性が思った瞬間、扉を叩く音がピタッと止まり、代わりに────
カチャリッ
扉の鍵がゆっくりと動いた。
「うわああああッ!!」
パンッ!!パンッ!!
「バカッ!?」
白人男性が扉に向かって持っていた銃を乱射した。
銃など撃ったことない彼が放った銃弾は、扉やその周辺付近の壁に着弾して弾切れになる。
それでも引き金を引くこと止めないその銃からは無慈悲なチャキッ!チャキッ!という弾切れ音だけが木霊し、部屋の中を火薬の匂いが充満した。
「ッ!!」
待ち伏せのタイミングを失った黒人男性がヤケクソ気味に穴の空いた扉を蹴破った。
「誰もいない?」
黒人男性が外の暗い通路に出て、銃を構えて辺りを確認しながらそう呟いた瞬間、何かが天井から覆いかぶさってきた。
「うわぁぁぁぁ!!」
黒人男性はそれを引きはがそうと藻掻きながら持っていたサブマシンガンのUZIを闇雲にフルオートで連射した。9㎜弾がもともといた部屋や通路に階段を穴だらけにしていく。
覆いかぶさった何かを無理矢理引きはがし、地面に叩きつけた黒人男性はそれに銃口を向けて発砲しようとした。
「んッ~!!んッ~!!」
「お前はッ!?」
それを見た黒人男性が銃口を外しながら目を見開いた。
見覚えのあるそれは今回の作戦の仲間一人で、最初に連絡が取れなくなった二十代前半の東洋人だった。黒髪を生やした彼はその頭以外の全身を白銀に光る何かでぐるぐる巻きにされた状態で身動きが取れない状態にされていて、口にも同じようなものが巻かれていた。銃口を向けられたことで撃たれないように唯一動く頭を必死に左右に振りながら「撃つなッ!」と呻き声を上げていた。
「なんだこれは……!?」
それの異様な格好の仲間を見た黒人男性は自分の流した脂汗が冷たいものへと変わっていくのをその時感じた。その嫌な汗を無造作に拭いながら、そのミノムシのようになった東洋人の身体に巻き付いたものを触った。
金属系の光沢のあるその糸は蜘蛛のそれとは明らかに違う人工的に作られたものだった。
自分と同じく戦闘員として雇われていた彼をどうやって捕らえたかは知らないが、どうやらとんでもない怪物を相手にしているらしい。
そう思って腰のナイフでその糸を断ち切ろうした瞬間────
「んッ~!!んッ~!!」
と見開いた瞳を目玉が飛び出るくらいさらに見開いた東洋人が何かを訴えるような呻き声を聞いた黒人男性はそれの意味することを察知し、その青年が見る方向、自分の背後の斜め上の天井目掛けてマガジンに残っていた銃弾全てをフルオートで放った。
「うわぁぁぁぁ!!」
半ば闇雲に放った銃弾は階段上の天井付近の壁材をパラパラと落としただけだった。
ダンッ!!
何処からか放たれた一発の銃弾を頭に食らった男性は声を上げずにその場にドサッと東洋人の上に倒れ込んだ。
ダンッ!!
二発目の銃弾が今度はミノムシみたいな恰好で倒れていた東洋人の額を撃ち抜いた。
「チクショウッ!!チクショウッ!!チクショウッ!!チクショウッ!!」
その光景を部屋の中から見ていた白人男性は震える両手を必死に動かしながら、持っていたリボルバー式の安物銃の固定式回転輪胴に弾を込めようとするが上手くいかない。
タンッ!
何かが天井から床に舞い降りてきたような音が部屋の外に聞こえてきた気がした。
そんなこと気にする余裕もない白人男性は手を滑らせて.32ACP弾地面に落とした。
さらに弾を取り出そうとポケットに手を突っ込んで一発の銃弾を取り出すと、ポケットから他の.32ACP弾がバラバラと床に落ちた。
スタスタ────
部屋に何かが入ってきたが、白人男性はそれが何か確認しているチラッと確認する余裕さえなかった。
ようやくそこで一発は入ったリボルバー式拳銃を立ち上がりながら構え、部屋の入り口に向かって引き金を絞ったが弾が出ない。一発しか装填できなかった彼の銃の中にはまださっき撃った銃弾の空薬莢が残ったままだからだ。
「ふッ!?ふッ!?ふッ!?ふッ!?」
それでも彼は過呼吸気味になりながらも引き金を何回も絞り続け、ようやく回転輪胴が五回目の回転音を響かせた瞬間────
バァンッ!!
ようやくそこで放たれた.32ACP弾はもうほとんど奇跡と言ってもいいくらいにその近づいてきたなにかのど真ん中に向かって放たれた。
だが……
キンッ!ブッ!!
何故か銃弾は着弾せずに鋭い金属音の後に部屋の入り口の両側面の壁に着弾した。
何かに真っ二つに切られたのだ。
約300M/Sの亜音速で飛ぶ小指ほどのサイズしかない小さな物体が。
「ウソ……だろ……?」
ありえない現象を見た白人男性が腰を抜かしてその場に女の子座りで崩れ落ちた。そして、その近づいてきた何かを大粒の涙を貯めた弱弱しい瞳で見上げた。
ピシャァァァァ!!
外から差し込んできた雷の光がそれを一瞬だけ照らしだした。
細目で笑う瞳と三日月形の大きな口、頭部から両サイドに垂れさがる二つの尾。
まるでハロウィンのかぼちゃの頭に二本の線を垂らしたようなそれを見た白人男性は自分の下半身が何かで暖かくなるのを感じながら、その恐怖から泡を吹いて気絶した。
「こちらトリガー3……邸宅内全ての敵無力化を完了。これより例のブツを回収する」
耳の内部に仕込んだ小型無線にそう呼びかけるとすぐに返事が返ってきた。
「了解、だがまたコードネームを間違えてるぞクルス」
「チッ!こちらクルス了解……いちいち細かいこと気にすんじゃねーよ!」
「そうはいかない。今の君の立場は昔とは違うからな」
「ケッ!そうだったわね、もう一年も前だからすっかり忘れてたわよ」
「そうヘソを曲げないでくれ「ロア」。気持ちは分かるが早く仕事を済ませてくれ」
「ハイハイ分かったよ「ジェイク」、とっとと済ませますよーだ」
苛立ちを露わにして私は小型無線から手を離した。