満月の夜に
「やっぱりお前だった…ベルゼ・ラングッ…!」
廃工場の扉を真っ二つにしながら中に入ってきたフォルテは、黒い上下の戦闘服と黒いコンバットブーツ。その上から膝下まで丈のある漆黒のロングコートを羽織っていた。さっきまで激しい戦闘をしていたのにもかかわらず、汗や息切れ一つせずに両手にHK45ハンドガンと小太刀「村正改」を装備した状態で静かな怒りと殺気のこもった声でそう言い放った。
普段見ていたフォルテとはあまりにも違う、その殺気立った様子にアタシは一瞬それが本当にフォルテなのかと目をパチパチと瞬かせた。
「よう、久しぶりだなッ!フォルテ…!何年?いや何十年ぶりか?」
ベルゼはまるで久しぶりに旧友にでも会ったかのようにそう言ったが、その腕からは武器である鉤爪がすでに展開されており、殺気と一緒にバチバチと音を立てながら紫の電流のようなものが身体に走っていた。
「そんなことどうだっていいんだよベルゼ……てめぇ一体何のつもりだ?H・Aの構成員のトップであるお前がいつヨルムンガンドなんて得体のしれない組織入ってるんだ?」
縛り付けられたままのアタシはフォルテの言った「H・A」という言葉を聞いてそこでようやくベルゼ・ラングという男が何者なのかを思い出した。
HellsAngels通称「H・A」世界20ヵ国以上を活動拠点としているアメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれた世界でも有名なバイカーギャングである。構成員は把握している限りでは約数万人いると言われているこの組織のトップと言われているのが「ベルゼ・ラング」で、フォルテと同じFBIに国際指名手配されていて、今アタシの目の前にいる男こそがまさにそうなのだ。殺人、恐喝、麻薬取引などを主な活動にしている組織なのだが、近年はあまり目立った活動が無かったので名前を聞いた時にアタシは直ぐにそのことを思い出すことができなかった。
「俺の目的なんざ言わなくたってお前もよく分かっているだろフォルテ?お前と戦いたいからに決まっているだろ!」
「なら、セイナは関係ない。今すぐ開放しろ……!」
フォルテが静かな口調でそう言うとベルゼは半笑いの表情のまま肩を竦めた。
「はぁ?何言ってんだ?仮とはいえ俺は一応あの組織に属しているんだから関係はあるさ。それに、こうでもして縛り付けて人質にでもしねえとお前はここに来なかっただろう?」
「電話でも話したが、セイナと俺はもうパートナーでも何でもない赤の他人だ。そんなことしたって無駄だ」
「じゃあなんでここに時間通りに来るんだよ?フォルテさーん?んん?心配だったからだろコイツが?」
「別に、ここに来たのは単に売られた喧嘩を買いに来ただけだ」
「へぇーじゃあ今ここで俺様がこの少女に何してもお前は何とも思わないんだな?」
ベルゼはそう言うとアタシの方に向き帰った。位置的にベルゼの背中しか見れなかったアタシはその表情を見た瞬間恐怖を覚えた。さっきまで普通に話しをしていた人物の面影は一切見られないその邪悪な顔つき。さっきフォルテを見た時と一緒で本当に同一人物かと思うくらい目と口が吊り上がった禍々しい笑みを浮かべたベルゼは、ゆっくりと左腕の鉤爪をアタシの右肩の傷口の近づけた。フォルテの顔がピクリと少しだけ焦りの表情を浮かべたような気がした。
「へッへッへッへッ……ほらほら!コイツが傷ついても別にお前は何とも思わないんだよな?こうやってッ!突っついてもッ!なんとも思わないんだよなぁッ!?」
「うッ……!イタッ!!」
ベルゼはアタシの右肩に巻かれた包帯部分を鉤爪の一番外の刃の腹で思いっきり何度も叩いてきた。止まっていた傷口が開き、血が再び溢れ出し、包帯についていた赤いシミが白かった部分をどんどん侵食していく。その激痛にアタシは思わず呻き声を上げてしまう。
最初はパンパンと乾いた音だったが、5~6回叩いたころにはべちゃべちゃと水を含むような音になっていき、刃の腹も次第に赤く染まっていった。
「止めろ……!」
フォルテは静かに怒気を込めた言葉でそう言った。
それでもベルゼはフォルテの言葉を無視し。
「それともこっちの方が良いか?」
と言いながら叩いていた左の鉤爪を今度はアタシの左目の上に持っていき、眉に当たる位置で刃を置いた。
「ッ!?」
痛みに顔を歪めていたアタシの顔に冷たく尖った刃の先端が触れ、左目の前に三本の影が入る。その恐怖に耐えきれず少しだけ身体を強張らせてしまう。
「仲良くお揃いの瞳にするのも悪くねーなッ!あっでもこれだとお嬢ちゃんの方が二本も傷跡が多くなっちまうな?まあ何本でもいいか、目を無くすのは一緒だからよッ!」
ベルゼがそう言い放ってから左腕を躊躇なく思いっきり真下に引こうとした。
アタシはその光景に目を開けていることができず、両目をぎゅっと閉じて恐怖と痛みに耐えようとした。
廃工場に轟音が一つ鳴り響く。
ベルゼはアタシの顔から左の鉤爪を放してから右肩を引いて半身になって入り口付近に立っていたフォルテを見ていた。
152㎝のアタシよりずっと高い180㎝近いベルゼが前に覆い被さるように立っていたせいで見えなくなっていたフォルテの姿が露わになる。フォルテはその左手に持ったHK45ハンドガンをこちらに向けていた。ベルゼに向かって一発撃ったのだろう、銃口からは小さく煙が出ていた。
「ほらみろ……やっぱコイツが気になるんじゃねーかよ」
フォルテの銃弾を躱したベルゼはニヤニヤとしたまま煽るようにそう言った。
「てめぇと違って少女を痛めつけるのは趣味じゃねぇだけだ……下らねえことしてねえでとっととかかってこい……!」
フォルテが銃口でベルゼをくいくいと手招きする。
それにベルゼが嬉しそうに「ようやくやる気になったか……」と言いながら両肩を動かして身体の関節をゴキゴキと鳴らす。
「どうして来たの……?」
アタシはフォルテにポツリと呟いた。
それが今にも戦闘を始めようとしていた二人の間に水を差すような行為だとは分かっていた。けど、言わずにはいられなかった。
「アンタの言う通りもうアタシたちに協力関係は無い。助ける必要も、わざわざヨルムンガンドとも関わる義理なんてのもない。なのにどうして……?」
アタシは空気が読めていないことを承知でそうフォルテに問いかけた。
するとフォルテは銃口をベルゼから下げて静かにアタシに答えた。
「さっきも言ったが、協力関係を切ったお前を助けに来たわけじゃない。俺はこのクソ野郎の脳天に何発か叩き込みに来ただけだ……」
そうよね、アタシはフォルテに酷いことを言って思いっきり頬を引っぱたいてしまったものね。
フォルテは見た目こそアタシと変わらないが、年齢は魔眼の影響で百歳くらいあるらしい。
そう考えたら十数年しか生きていない小娘にそんなことされれば助けに行こうなどと思うわけが無いのだ。
フォルテのその言葉にアタシは少しだけ顔を伏せた。
フォルテがアタシを助けに来たと勝手に思ってしまっていた自分がいたことに気づき、それが酷く惨めで情けないと感じたからだ。
そう思ってアタシが押し黙っていると、フォルテは冷たくそう言い放ってからさらにこう付け加えた。
「だからもう少しそこで待っとけ。コイツを片付けたら上手い紅茶の一つでも出してやるからよ…」
「えっ…?」
視線を少しアタシから逸らしてフォルテは小さくそう言った。
「フフフフ……ヒャーハッハッハッ!!やっぱりお嬢ちゃんを捕らえるのは正解だったらしいなッ!」
ベルゼはフォルテとアタシのやり取りを聞いてそう言ってから再びアタシの方に向き帰ってから。
「だがなお嬢ちゃん、次は無いからな気をつけろよ?」
アタシに胸の中央に鉤爪を向けて力強くベルゼはそう言ってからフォルテの方に向かって歩き出した。
真夜中の廃工場、誰もいないはずの建物の中、二人の男が正対する。
一人は左手に銃、右手に小太刀を持った、黒髪紅眼の男「フォルテ・S・エルフィー」
一人は三本の刃のついた鉤爪を両手に装備した、紫色の髪と眼をした男「ベルゼ・ラング」
フォルテは静かに表情でベルゼは不敵な笑みを浮かべながら、互いにゆっくりと近づいていく。
廃工場の切妻屋根に付いた天窓や入り口の扉から月明かりが差し込み、二人を照らした。その姿はまるで、格闘家が互いのリングに歩んでいくかのような……
(いや……)
そんな二人を固唾を飲んで見ていたアタシは思った。あれは格闘家のような人の類ではなく、どちらかというと猛獣の類だと。
廃工場の割れた窓から四月の冷たい空気が流れ込んできて、床に溜まった砂埃と一緒に二人の髪や着ていた服を軽く靡かせた。
途端、ベルゼが何かを堪えられなくなったように笑い声をあげた。これから戦闘をするとは思えない、まるで子供が大好物の食べ物を前にしてあげるようなそんな笑い声だった。
「さあ始めようぜ、最ッッ高の殺し合いをッ!!」
戦闘狂じみた笑みを浮かべながらベルゼは高らかに叫ぶ。
「覚悟しろ。お前は絶対に許さない」
フォルテは相手を鋭く睨みつけ、銃口と小太刀の切っ先をベルゼに向けながら静かにそう言った。
瞬間、二人は互いに向かって走り出し、廃工場の中央で鋭い金属音を響かせた。
二人の考えることはたった一つだけ。相手を「殺す」ただそれだけだった。