見た目は青年、中身は...
静かな夜だった。風で草木が揺れることもなく、周囲から獣の鳴き声も聞こえてこない。街灯などあるはずのない山道を空に上がった満月の月明かりだけが暗い森を照らしていた。
そんな街外れの廃工場へと続く一本道の山道を俺は一人無言で歩いていた。
黒い防弾防刃製の戦闘服を見に纏い、その上から膝下まで丈のある漆黒のロングコートを羽織った俺は、自宅の地下から普段の装備(HK45と村正改)以外に4倍スコープとアンダーレールにハンドストップ、バレル20インチをカスタムした中距離~遠距離式のHK417アサルトライフルを引っ張り出し、胸元に装備していた。
「…」
一歩一歩ゆっくりと廃工場に歩いていくごとに自分の体中をドロドロとした感情が溢れてくるのが伝わってくる。無理もない。あんなあからさまな挑発をされてから半日以上自宅でスナイパーに釘付けにされ、何度も脱出しようと様々な手立てを考えて実行しようとしたが、セイナの身を案じてそれを実行に移すかどうかずっと悩んでいた俺は結局なにもできずに約束の時間を迎えてしまった。その間の時間ずっとセイナを助けに行けない自分の情けなさ、身体を少しでも動かせばすぐさま狙撃してくる遠隔式戦闘ドローンに対しての恐怖、人質にされたセイナは拷問されているのではないかと心配したり、そもそも本当に廃工場にいるのかどうかといった焦りなど様々な思いや感情が頭の中をぐるぐると駆け回り、俺の精神は擦り減っていた。こんなことされて、はらわたが煮えくり返らないわけがない。作戦中は感情を表に出すな、なんて昔言われたことがあった気がするが。
そんなの知ったことか…!
廃工場に近づいていくたびに一歩一歩にどんどん力が入っていく。正直、今の俺には「ヨルムンガンド」という組織が関与しているとかそういったことはさして重要でなかった。本当に重要なのは。
こんなふざけたまねする野郎がどこのどいつかということだけだった。
俺の知り合いといった雰囲気で話しをしていた電話の主が誰かは知らないが、その顔面に何発か銃弾をブチ込まないと今の俺は収まりそうになかった。
持っていたHK417アサルトライフルに思わず力が入った。銃の金属パーツから軋むような音が響いた。
気がつくと、あと50m程で廃工場のある広場に着くくらいの場所まで歩いたところで、静かな夜の森の中に混じった雑音を俺は耳にした。
三人か…
常人なら聞き取れないレベルの小さな雑音が坂の上から三方向に分かれたことを感じた俺は持っていたHK417のセレクトスイッチをセミオートに切り替えてから構えた。
本命ではなさそうだが、肩慣らし程度にはなりそうだな。
そう思った瞬間俺の前方30m付近の地面が爆発した。
ベルぜの予想は見事に的中し、フォルテが本当にここに向かってきているということを戦闘開始を告げる爆発音で知ったアタシは当惑していた。
まさか本当に来るなんて…
あんなひどいこと言って、勝手にこっちから頼んだパートナーを解消して、あまつさえ頬を叩いた相手を助けに来るなんて…
「さてなにから話したもんか…」
部下たちが戦闘開始の爆発音を響かせているなか、煙草片手にヤンキー座りしたベルぜはその方角をぼんやりと眺めながら話し始めた。だが、その言葉を聴いてもアタシは呆然としたままベルゼの言葉に反応することができなかった。
「なんだよ?そんなに意外だったか?」
「え?」
「アイツが助けに来るのがそんなに意外だったのかって聞いてんだよ」
そんなアタシの様子に気づいたベルゼが声をかけてきてところでようやく我に返る。
「そう…ね。意外だったわまさか本当に来るなんて」
縛られたままのアタシはベルぜを見下ろしながらそう呟いた。
「だから言っただろ?アイツは相当な偽善者野郎だって。むしろこれくらいならまだ序の口だ。昔、敵同士だった相手を治療した挙句にそいつと一緒に住んじまうような野郎だぞ?」
「なにそれ?」
訝しげな表情を浮かべて聞き返したアタシに、今のは失言だったとばかりにベルぜは右手をひらひらと振りながら
「あーやめだやめ、アイツの過去の話しなんてするもんじゃねーぜ」
そう言って無理矢理話しを切って話題を切り替えた。
ベルぜは「つーかなに話そうとしてたんだっけ?」と独り言を言ってから「ああ、魔眼の話しか」と思い出したように呟いた。
フォルテの過去の話しが気になるアタシがそれについて詳しく聞こうとする前にベルぜは本来の話題の方に戻ってしまった。
「さてと本題の魔眼の話しだが、俺やあのフォルテの持つ魔眼は本来は違う魔術同士ではなく最初は同じ魔術の一つだった」
「一つの魔術?」
魔眼の話しを始めたベルぜにアタシはそっちの方も気になってはいたので、過去の話しについてはそれ以上聞かずにベルぜの話しの方に相槌を打った。
「ああ、最初は俺たちの魔眼はその一人の人物が使う魔眼の内の一つに過ぎなかった。そいつが使っていたときは「ゼーレの七つ目」または「ゼーレの瞳」なんて呼び方がされていたらしい…」
「それをどうしてアンタたちが使っているの?」
ベルぜの話しにアタシが素朴な疑問をぶつけると、ベルぜは一回煙草を吸って煙を中に吐いてから
「そいつが死ぬ直前に他の人物に自分の魔術を悪用されることを恐れてその魔眼をアナトリア半島の七つの教会に封印したんだ。仮に盗まれたとしても一人一つしか魔眼が持てないなどの様々な呪いつきでな。その一つ一つの瞳が「黙示録の瞳」と呼ばれてるんだ」
「つまりそれをアンタ達が盗んで使っているということなの?」
話しの流れからそうだと感じたアタシの言葉にベルぜは頭を振ってから
「一番最初は確かに誰かが盗んだんだと思うんだが、必ずしも今その眼を所持している連中が全員そうってわけじゃねえんだ」
「どういうこと?」
「それがさっき言っていた呪いの内の一つでもあるんだけどよ、この眼は普通の魔術とは違って所持者から強奪、もしくは譲渡してもらうことができるんだ。だから必ずしも眼の所持者が教会から盗んだのではなく、盗んだ相手を殺して強奪したものや所持者から譲渡してもらった可能性もあるってことだ。」
「じゃあ、アンタやフォルテはその魔眼を…」
「俺は奪った。まあ、たまたま倒した相手が持っていたってだけなんだけどよ、フォルテは詳しくは知らん」
魔術は基本、人それぞれの性質があるが大きく分けて「火」「水」「土」「風」の四代要素に分けることができる。ほとんどの人間がそのどれかに当てはまっており、魔術を使用するものはその相性のいい性質の魔術を使うことが常識になっている。だからといって別に相性が合っていない魔術が使えないというわけではないが、相性が悪い人が使う場合は相性のいい人以上に努力が必要になる。簡単に言えば勉強と一緒で得意科目を覚えるのは早いが苦手科目はなかなか覚えることができないと同じだ。
だからこそ魔術を相手から譲渡してもらったり、教えてもらったとしてもすぐに使うということはできない。ましてや魔眼は使える人物も少ない特殊魔術、やろうとしていることは現役大学教授が出した難問数式ならまだしも、アメリカの天才数学者「ジョン・フォン・ノイマン」の出した数式を解くようなものだった。普通の人がその魔眼について知ったところでそんな簡単に使えるわけがない。
だが、アタシはそれを聞いて首を傾げた。
「でもそれって呪いなの?寧ろ好都合じゃ…?」
強力な魔術を制限なしで使えるというのは果たして呪いなのだろうか?
その問いにベルぜは遠くを見ていた顔をアタシのほうに向けてきた。
「力の無い人間が自身に有り余る力を手にすれば、それは破滅へと向かう」
ベルぜは静かにそう呟いた。
短くも重いその一言にアタシは思わず息を呑んだ。
そうだった。アタシも強大なこの力を制御するために今までこうして自分を鍛えながら生きてきたんだった。フォルテも確か「悪魔の紅い瞳」の強化は自分が過労で死ぬ段階まで上げることができると言っていた。制限の無い能力は一見すると便利なように聞こえるが、確かに有り余る力を求めれば使用者を死に至らしめるというのは諸刃の剣なのかも知れない。
吹き上げられた煙草の煙が、廃工場の割れた窓ガラスから入り込んだ冷たい夜風に煽られて小さくうねった。
「それに、呪いってのはこれだけじゃねえ…所持できるのは基本的に一人一つなのと、制限無しで使えてしまうのと、あとはもう二つ、いや三つある。まあこれは捕らえ方によっては呪いではないかもしれないんだがな」
「呪いではない?どういうことよ?」
その言葉にアタシが聞き返すとベルぜは唐突に変なことを質問してきた。
「お嬢ちゃんは俺のこといくつに見える?」
「えっ?」
いくつ?いくつとは歳のことを言っているのよね?
アタシは下から上にベルぜを改めて凝視してから
「えーと、大体二十歳前後かしら…?」
恐る恐るそういうとベルゼはそのまま頷きながらもアタシには何も答えずに
「じゃあフォルテは?」
とさらに質問してきたので訝しみながらも
「アタシと一緒かそれとも少し上くらい」
と何も考えずにそういうとベルぜは急に
「ダーハッハッ!!」
と腹を抱えて笑い出した。
なにがおかしいの…?
「やっぱそのことも聞いてなかったのかよ!そう考えると流石に笑うわ!」
「何のことよ?」
腹を抱えて爆笑したままそう言ったベルぜにまったく意味が理解できなかったアタシは首をさらに傾げて問いただす。
だが、次に聞いたベルゼの説明を聞いたアタシは余計に意味が分からなくなってしまった。
「だってよ…「黙示録の瞳」は所持した瞬間からその所持者は不老になるんだぜ?お嬢ちゃんが同年代だと思って接していたアイツは見た目こそ俺よりも若いが、その実、年齢は百を超えてるかもしれないおじいちゃんなんだぜ!」
「はぁ!?」
ひゃ、百歳ッ!?フォルテが!?
あのどこにでもいそうな東洋人の青年が!?