仲間と共に《Bet my soul》14
眦を見開くほど彩芽が動揺を示すのも無理はない。
正直なところ俺自身もこうしてその存在を見るまで死んだと思っていたのだから。
「生きていたのか竜、いやシャドー」
『……』
師匠であり、俺の元部下でもあったその人物は、双爪を片腕一本で抑えたままもう片方の腕でチッチッチと指を振る。
小生意気な様子に感動も何もあったもんじゃないが、俺達らしいと言えばらしい再会だった。
『おいシャドー、お前何処で道草食ってやがったんだ?』
『野暮用』
後方から襲い掛かる祝福者を片付けながら、無線越しにががなり立てるレクスと、それに対し手話で応じるシャドー。
普通なら受け止めることも敵わない攻撃だが、師匠からすれば百獣の王であろうと猫同然の扱いなのだろう。
だが、そんなことを露知らない知らない獅子からすれば不愉快千万。
鬣逆立てながら、更なる猛撃を加えんと猛々しい双腕に力を込めた。
『────』
それでも機械的なまでにケロッとしているシャドーは、驚くほど滑らかな様子で攻撃を受け流し宙を舞う。
黄昏時を舞う一つの影は、重力を感じさせない動きで俺達の前へと優雅に着地する。
そのタイミングを見計らい獅子が再び襲い掛からんと脚を踏みしめたその瞬間だった。
パラパラパラ────
雄々しい鬣が綺麗さっぱり斬り落とされたのだ。
俺やセイナですら捉えることが出来なかった斬撃。
受けた獅子当人も、いつの間に!?と言わんばかりに自らの首元を弄っている。
『雌猫』
多分そういう意味なのだろう。
シャドーは招き猫のようにニャンニャンと小首を傾げて挑発すると、堪らず獅子が咆哮と共に駆け出していた。
『ここは任せろ』
シャドーは注意を引きつつ矢継ぎ早に背中越しにサインを出す。
こうした道化を演じる中にも冷静沈着さがあることには感服すら抱いてしまう。
流石は俺の師匠だよ。
「行きましょうフォルテ!」
「あぁ!」
猛進する獅子の攻撃を受け止めたシャドーの左右を、俺とセイナは駆け上がる。
「あと……もう少しだというのに……ッ」
最期の砦を失った狡知の神は悲嘆を滲ませながら唇を噛み締める。
「どうしていつも私の邪魔ばかりするんだ……」
彩芽は懐から取り出したFNブローニング・ハイパワーを煩雑に構えてトリガーを引く。
だがそんな攻撃が今更命中することは無く、俺の前に出たセイナが全て双頭槍で撃ち払ってしまう。
あっと言う間に十四発の9mm弾を撃ち尽くしたリロードの隙に、今度は俺がセイナの前方の位置へとジャンプする。
「行っけえぇぇぇぇぇ!!!!」
振りかぶった双頭槍の上に乗った俺のことを、神器により授かった怪力でセイナが押し出す。
まるで弾丸の如く地を這う俺は小太刀を握りしめる。
「終わりだ、彩芽」
長きに渡る闘争。
それにしてはあまりにも短い敗北宣告と共に、俺はその刃を振り下ろした。
「────何故だ」
額が触れるそうになるほどの近い距離。
生きる希望を失った戸惑いの瞳がこちらを見返している。
「何故、とどめを刺さない?」
「そうしたところで何の解決にもならないからだ」
彩芽の機械的な問い掛けに、俺はゆっくりと地面に突き刺した刃を引き抜いた。
「ここでお前のことを殺したとしてもな」
そのまま武器を収めて立ち上がる。
堕ちかけた夕暮れを背にした構図は、この場の勝敗を雄弁に示しているようだった。
「私はお前を殺した相手なんだぞ」
「殺されたら殺す理由になるのか?」
「この期に及んでふざけているのかお前は……」
こっちは至って真面目だというのに、彩芽は呆れたように眼を眇めた。
「今回の事件の元凶なんだぞ。私を殺せばこの場にいる洗脳した連中も正気に戻る、皆が悪夢から眼を覚ますんだ……そして、憎しみの根源も断つことだって────」
「それは違う」
自暴自棄な態度を取り続ける少女に向けて俺は強い否定を示す。
「さっきも言ったはずだ。お前のことを大切に思ってくれている人達のことを……」
今更になってようやく理解した。
どうして小山さんが今回の件を俺に依頼したのかを。
彼はきっと救って欲しかったのだろう。
自分では救うことのできなかったこの少女のことを。
だからこそ俺に頼んだのだ。
世界で唯一、殺さないことに特化した技術を持った俺に。
「いいか、幸福の反対は憎しみなんだ。誰かが幸福を求めれば違う誰かが憎しみを抱くのは必然。だけど俺達の抱いていた復讐は違う。あれは憎しみを持った連中によって無理矢理植え付けられたものだ」
彩芽は家族を殺したテロリストに。
そして俺は家族を二度も殺された怨敵に。
「だから俺達も奴らと同じように憎しみを振りまいてはダメなんだ。誰かがその連鎖を止めない限り、憎しみの連鎖は終わらない。例えここでお前を殺したとしても、お前のことを大切に思っていた人達がきっと同じように復讐を抱く結果にしかならないんだ」
突き刺した刃ではなく、俺は優しく右手を差し出した。
「俺達は復讐を間違えていたんだよ。彩芽」
今できる最大限の微笑みを差し向ける。
殺されたからと感情的に振る舞うことは生物として至極真っ当な感情だろう。
でも人ならば、神の生まれ変わりだという人類ならば、相手を赦すことくらいできるはずなんだ。
俺の意志をぶつける真正面からの慧眼を前に、彩芽は一度大きく瞳を瞬かせる。
「だからって私に諦めろと言うのか?」
差し伸べた手を振り払う彩芽。
悔しさを滲ませる唇からはツーと血筋が一つ流れていた。
「この数年間、障害となり得るものは全て蹴散らしてきた。目的ためならば善人だろうと悪人だろうと全て利用してきた。その犠牲によって築かれた頂上がここなんだよ。今更ここから降りることを人も神も赦してはくれないだろう」
涙すら枯れた少女の慟哭。
この場の誰よりもひ弱なはずなのに、それでも彩芽は一歩も引かない……引けないのだ。
「フォルテ、彼女はもう────」
「いいやセイナ、俺は絶対に諦めない」
敵の制圧が完了し、不安そうに隣まで様子を見に来たセイナを俺は諭す。
ここで彩芽を見捨てれば、彼女は本当に誰も信用することができなくなってしまうだろう。
だからこそ、彼女が殺した俺がこうして手を差し伸べなければならないんだ。
そうでもしなければ、この世界の憎悪によって穢された少女の心を救うことはできない。
「例えどんな言葉を投げかけられようとも、私の復讐は、誰にも止めることはできない」
俺の手を借りず、気の抜けた亡霊のように力なく立ち上がる彩芽。
天から斜光している暁に晒された虚ろな瞳は、懐に隠していた別のハンドガンを探している。
「それに私は……お前を決して赦すことは出来ない────」
もうそこに自らの意志がどれだけ残っているのか。
大義名分も、目的も、今の彼女を動かす動力源ではない。
復讐を先導された神の奴隷として、震えが止まらない右手で握ったハンドガンを彩芽はゆっくり構えた。
「アキラを殺した、お前のことを……」