グッバイフォルテ《Dead is equal》25
「なっ……!?」
オスカーの口から驚嘆が漏れる。
決して油断していた訳ではないにしても、一体何が起きたのか理解するまでに僅かながら時間を要してしまう。
バゴォォォォォォォォンッッッッ!!!!!!
さっきまで娘の直下に敷かれていた石畳が、衝撃に気づいてバラバラと砕け散った。
その光景を目の当たりにしてオスカーは気づいてしまう。
アタシが爆発的な力を使い、眼にも止まらぬスピードで飛翔していることに。
「そんな虚仮威しでぇ────」
姿が消えるほど加速したアタシの進路に向け、オスカーは両手を左右に振るう。
すると乾いていたはずの黒曜の空間が一気にジメりとした湿度を纏い、中空を駆けていたアタシの肌にも纏わりつく。
「ク……ッ!」
最短距離の一点突破をしようとしていたアタシの身体が途端、水の中に放り込まれたかのように重くなり、速度が落ちたことで姿を晒してしまう。
しかし、それはあくまで加速が死んだだけで勢いは健在。
殺すのには十分過ぎる速度だ。
「────私に勝てるとでも思っているのかぁッ!!」
左親指と人差し指の金指輪がけたたましく光を増し、突如として現れたのは二匹の狼。
穢れを知らない雪のように艶やかな毛並みの白狼『ゲリ』と、闇のような漆黒の堅毛を逆立てた黒狼の『フレキ』。
『貪欲な者』という意に値する、『フギン』『ムニン』と同じ守護獣二匹がそれぞれ光と闇の魔術を発動しながらアタシに向かって疾走する。
性質は『フギン』『ムニン』と同一だけど、二羽のような飛翔能力を備えていない代わりに、この子達には物理的な鋭牙や尖爪を持ち合わせていた。
重力方向に逆らって飛翔するアタシに、その大人数人すらも軽々乗せてしまうほどの体躯をぶつけつつ、身に纏った魔術を押し当てる算段なのだろう。
更には直上からは『フギン』『ムニン』による急転直下も迫ってきていた。
四方から迫る猛禽猛獣の突撃。
一つとっても砲撃に匹敵する威力を誇っていると言って過言ではない。
常人がまともに相手しようとすれば、肉体の大部分をごっそり持っていかれることになるだろう。
────だったらどうしたというのだ?
そんなことで止まるつもりはないし、もちろん逃げるつもりもサラサラない。
だってこれら神器を用いて踏ん反り返っているあの男は、アタシの大事な相棒を奪ったのみならず、その栄誉まで穢したんだ。
フォルテを悪く言う者は何人たりとも絶対に赦さない。
肉親であるという戸惑いを捨てたことにより、無意識に掛けていた加減が外れ、自身でも計り知れないほどの力が溢れ出してくる。
「どけぇっ!!」
それを用いて中空を駆け上がっていた自身の体を弾丸のように回転させつつ、肉薄する猛獣達をほぼ同時に全て叩き落した。
もう驚くこともない自らの怪力を用いた全身全霊の四連撃。
ぶっ叩かれた四獣はそのまま四方の壁へと激突。
それぞれが黒曜の壁に叩きつけられ声すら上げることなく沈黙するが、初撃を当てた『白狼』に至っては真下の石畳に衝突したことにより、他の黒曜の壁面よりも強度が低かったのだろう……地面を突き破って下部のフロアまで吹っ飛ばされていた。
しかしオスカーは、使役する獣達を失い、嵌めた金指輪四つの光が弱まったことに一切の動揺を示すことはなかった。
今のアタシがあの程度で怯むことは無いと初めから理解していたらしく、既に次の詠唱を打っていたからだ。
「────『全てを嬲り尽くす白夜の雪崩』」
最後の詠唱を終えた途端、目の前が真っ白に染まった。
蒸し暑かったはずの空気が一瞬で極寒の氷陸を思わせる雪風へと変貌を遂げたのだ。
直接的ダメージのあまり無かったその魔術の意図を理解するよりも先に、その変化は訪れる。
身体が……動かない……っ!?
中空を駆けていた体躯の大部分が凍り付き、言うことを全く聞いてくれない。
どうやらさっき空気中に散布されていた水分が服や肌を覆い、それが凍結したことで肉体の動きを阻害しているようだ。
四肢はもちろん、アタシの黄金の毛先までも氷で凍結させられた身体は、みるみるうちに失速していく。
それだけで済むのならまだ良かった。
動かすことすらままならなくなってきた瞳に映ったのは、文字通り全てを飲み込む雪崩の応酬。
電撃を通すための不純物を一切含まない魔術の雪風は、アタシや神殿周囲の建造品を飲み込み無へと返す。
「邪魔、するなぁぁぁぁぁッッ!!!!」
まだ凍り付く寸前だった喉で力の限り咆哮を上げると、デタラメな雷撃が周囲を取り囲む雪化粧をなぎ倒し、全身に纏わりつくウザったらしい氷結も全て弾き飛ばしてしまう。
勢いはそれだけに留まらず、アタシの身体を介して顕現した圧倒的力は黒曜の外壁や神殿にまで伝播し、各所に猛り狂うような雷撃の跡を刻み込んでいく。
「バ、バカな……っ!?」
雷撃の閃光に手を翳したオスカーが驚嘆を露わにする。
なんせ彼が作り上げた詠唱魔術は人知ではどうすることも出来ない、言わば自然災害クラスの威力を誇っていたのだから。
おそらく世界広しと言えど、真夏でこれほどの氷魔術を練り上げることのできる才覚はほとんどいないだろう。
同じく氷系の魔術を使うアルシェでさえこれほどの力を振るうことはできないと思う。
そんな生物が抗うことの赦されない天変地異、受け入れなければならない現実を、あろうことかたった一人の少女に軽々と押し返されたのだ。
あの頑固な父親だろうと驚かないはずがない。
「オスカーァァァァッ!!!!!」
有り余る神の力を糧に飛翔速度へブーストを掛けたアタシが、オスカーへと肉薄する。
殺せ
数十メートルの攻防の末たどり着いたにも関わらず、感嘆も苦悩も湧き上がってくることはない。
殺せ殺せ。
アタシはただただ大仰に振り被った大上段へ、全身から凝縮された殺意を籠めるだけ。
────殺せ殺せ殺せ殺せ殺せッ!
オスカーが恐怖といった感情を表す暇さえ与える間も無いまま、己の全てを乗せた一撃を────アタシはそのたった一つの感情で振り落とした。
ガキンィィィィィッ!!!!
「ッ!?」
「ッ!!」
振るった一撃に舞い上がる雪風。
互いの姿が白に埋もれる最中、その予期せぬ感触と金切り音を耳にして、両者共に双眸を見開いた。
アタシとオスカーの間に誰かが割って入ったのだ。
視界は白一色で確認できていないものの、その証拠に叩きつけるつもりだった魔力を乗せた斬撃が中途で行き場を失い、天井へと飛翔していた。
それだけなら単に防がれたと思ったかもしれない。
けれど、実は密かに反撃の一撃を練っていたオスカーの魔術もアタシと同じように防がれたらしく、天に向かって舞っていたのだ。
決して反発することなく、花火の狼煙のように飛翔し続けた二撃は、信じられないほどの破壊と衝撃を秘めたまま黒曜の天井を貫く。
深淵に飲み込まれた空間はそうして初めて外界の光を受け入れた。
昼……いやどちらかというと夕刻に近い赤焼けた知らない空。
もっと分厚く頑丈と踏んでいたけど、思っていたよりもずっと浅かったらしい天井が崩落する中で浴びた数日振りの陽光などよりも、それが指し示す先にいる何かにアタシの視線は釘付けにされている。
一人のみならず二人の攻撃を受けられるなんて、そんなことはありえない。あっていいはずがない。
だってアタシは今、持てる限りの力全てを解放した。
オスカーどころかこの戦艦すらタダでは済むはずがないし、その威力は天より崩落する黒曜の残骸が保証している。
そのオスカーですらアタシに負けず劣らずの魔術を展開していたのだ。
それを同時に受けて無事な人間なんて────
どんなことでも思い通りにできるはずの力を防がれ、憤るアタシの視界がようやく晴れる。
「あっ……」
視界に映ったその人物を見て、力なく漏れた言葉が全てを物語っていた。
普通に考えれば単純なこと。
「そんな……ウソ……?」
アタシの全てを受け止めてくれる人物なんて、この人以外考えられないのだから。
「……フォルテ……っ?」
小太刀と銃を携え、漆黒の衣を身に纏った紅蒼の瞳をした青年は、ゆっくりとアタシへと微笑み掛けた。