グッバイフォルテ《Dead is equal》24
「なに……?」
鍔迫り合いの向こう側でオスカーの怪訝顔が色濃くなる。
まるで何も知らないような反応のように疑念を覚えたけど、生死を掛けた戦闘中の緊張に掻き消されたアタシは言葉を連ねていく。
「アタシのことはどうだっていい、けど日米英首脳会合でお母様を撃ったのも、ケンブリッジ大学でリリーを巻き込んだのも、あれは全て必要な犠牲だったというの?」
「それは……」
「眼を逸らすな!こっちを視なさい」
視線と身体を逃そうとしたオスカーが一歩後ろに下がった分、アタシは一歩詰め寄りグングニルを圧しつける。
「答えて!!アナタにとって大切だった人達をも巻き込み、手に入れたかったのはこんな……こんな力だったの?」
「………れ……」
「出鱈目で粗悪で、乱暴なこんなアタシの力が必要だと本気で思っているの?」
「だまれぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!!!」
突然の狂乱。
普段は冷徹なはずのオスカーの感情へ魔力が呼応したのか、切り結んでいた炎刀が爆裂する。
「ッ……!」
長い研鑽で培ってきた戦闘の勘により、後方へと跳び退っていたおかげで何とか直撃こそ免れたけど、外皮どころか心まで燃やし尽くされてしまいそうな熱風に吹き飛ばされ、再びアタシは神殿の外へと追いやられてしまった。
炙られた服飾の一部が焦げ落ち、虫食いのように空いた場所から自身の肌が見え隠れしているけど、それを恥じらう暇もないまま頭上よりオスカーの声が降り注ぐ。
「まだまだ自覚が足りないからと数か月の猶予を与えてやったというのに、貴様はやはり何も理解していない」
スタート地点へと戻されたアタシを見下ろすように、罵声を浴びせるオスカー。
それも決して論理的とは言えない、ただただ募る憤りに身を任せたかのような怒声は、聴かされている者の心を必要以上に煽っていく。
「初めてお前の知らない外の世界を経験してどうだった?お前が護るのに値する世界だったか?散々見てきたはずだ。紛争や略奪、怠惰や嫉妬や卑しさで溢れた人間共の汚い世界を。お前が相棒と呼んだ奴にしたってそうだ。復讐だのという争いの火種を抱え続け、各地にその厄災をバラまいてきた奴の力は淘汰すべきモノだったのだ」
「違う、それは─────」
「いいやそうだ!奴のように余計な力など持たなければ、他人を陥れようとする悪知恵を持つ者が現れなければ、皆が争わず互いに助け合い、忖度して生きていけるのだ。そして我々がそれを正しく管理すれば、もう苦しむ者が現れることなど消失するのだ」
アタシはその耳を疑った。
本気でアタシの父親はそれが理想郷であると信じているらしい。
遥か頭上の神殿で両手を広げオスカーは天を仰いでる。
深い皺の中でもハッキリと見開いた二つのブルーサファイアは、もう正気の沙汰を問うのも馬鹿らしくなってしまうほどに揺らいでいた。
「まともじゃないわ。アンタの言っていることが本当に正しいとしたら、アタシ達のような人智を超えた力なんてもっと余計じゃない」
「それは違うな。人が抗うことの赦さない力だからこそ、世界の抑止として我々の力は必要なのだ。そもそも我らは神に選ばれた者である以上、人を超越した上位種として君臨する義務があるのだ」
あぁ、この人は狂っている。
心の底からそう確信してしまった。
決してそうは思いたくなかったのに。
それでも沸き上がる反論の意志は、きっと彼の為ではなく、彼によって捻じ曲げられた者達の思念を代弁するためのものだろう。
「いいえ、人です。アンタもアタシも、どれだけの力を保持していようとそれだけは変わらない。それにアタシはもとよりそんな力を望んでいない。人であることを捨てる力ならばアタシも、アンタの言う無力な人のままで良かった」
人々どころか、たった一人の相棒すら救えず、父親すら正すことのできないこんな力なんて、一体何の役に立つというのか?
キュッと噛み締めた唇には血の味が滲んでいた。
落胆と言う名の血の味が。
「……エリザベスもお前と同じことを言っていたよ」
「お母様が?」
やるせない思いに悔い病む娘の姿に、オスカーはそう語らう。
しかしその態度は良き思い出とは遥かにかけ離れた苦渋に満ち満ちていた。
「あぁ、アイツの言うことには正直付き合いきれなかったよ。我らの力など必要ないと散々言っていたが、そんなもの所詮は理想ばかりの妄言に過ぎないと。できないことをどれだけ語ろうと結局は夢幻でしかないと。それを散々伝えようとしたが、結局私が家を出るまで奴は一度も曲げようとしなかった……それどころか、その思想を娘達にまで押し付ける始末だ。お前はまだ何とか軍に叩き込めたから良かったものを。リリーに至ってはロクに使い物にもならない普通の少女と変わらない平凡に育ててしまったことは、今でも後悔してるよ」
「使い物にならないですって……?」
一体この男は今なんと言ったのか?
アタシの相棒をゴミ扱いするだけではなく、自身の娘にまで使い物にならないと言ったのか?
スゥーと全身から理性が抜け落ちる感覚。
元より殺す算段だった感情が再び血脈をグツグツと煮え滾らせる。
「ホントのことだ。例え神に選ばれたからといって、それを正しく使おうとしない者には力は宿らない。そういう意味ではリリーは平凡だったのだ」
「だから戦争の道具にはならないと?アンタはそう言いたいのっ!?」
アタシのことを言われるならまだいい。
けど、アタシが大切だと思っている人達の事だけは誰であろうと赦せない。
ましてや仮にも父親が娘に対して言ってよい言葉ではなかった。
少なからずアタシは娘として、そんな風に思われながら十七歳も生きてきたと知りたくはなかった。
「リリーは確かに優しい娘だ。だがなセイナ、これはお前の母親にも言ったこと言葉だがよく覚えておけ。『優しさだけではただの同情にしかならない』のだ。無益な思いは結局のところ偽善にしかならない。だからこそ力ある者が弱き者を導く、我々が神に選ばれた定義なのだ」
「それは聞こえを良くしているだけで、結局のところ支配と何も変わらないじゃない。どれだけ力を持ち合わせていてもその『優しさ』の無い強さなんて、ただの暴力にしかならないわ。そういう意味ではリリーは強くて優しい子よ。アタシなんかよりもずっとね」
リリーは確かにアタシよりも力は弱い。
けど、周りを見る力や気遣いといった人を思いやる力は傑出している。
それがリリーの良さであって、彼女が王女として誰よりも好かれている証拠なのだから。
「しかしそれはあくまで言葉が通ずる者にのみに限定された力だ。ケンブリッジの時のように横暴な連中の前では無力でしかない。あの時、もしリリーではなくセイナ、お前があの場に捕まっていたのなら、あんな大掛かりな突入作戦など展開することなく事は済んでいたはずだ」
確かにそれは間違っていない。
仮に周りの人を巻き込むことになっても『放出』で放電すれば、皆が重傷を負うことなく気絶していたはずだから。
「でもだからこそ、助け合いが必要なんでしょ?リリーはアタシのように強くないけど、アタシには無い良さを持っている。フォルテにしてもアタシの仲間達には皆得意不得意があった」
フォルテはガサツだけど優しくて気が回り、ロナは適当だけどいつもみんなに明るさを提供していた。アイリスは自身の感情を表すのが苦手だったけど、皆が嫌がることも無言で片づけてくれる気遣いがあった。
もちろんアタシにも、認めたくはないけど長所と短所はある。
「けどそうしたアンバランスさを持ったのが人間でしょ?誰しも完璧な人間なんて存在しない。でもだからこそ皆が自分を犠牲にして他者を助け、横暴な者を排斥するのでしょ?」
グングニルを握っていない右腕を広げてそう語る。
この戦艦の真下に広がる世界には、そうした人々がたくさん生きている。
それをたった一人の意志をもとに断罪して良いはずが無い。
「完璧な人間は存在する。お前や私のように神の力を扱える者達だ」
オスカーはアタシの話など無かったかのようにそう語る。
まるで壊れた人形だ。
決まったパターンの言葉しか発しないガラクタの人形のような狂気に、アタシは驚懼とは別の震えを指先へと宿していた。
「『共振』。内なる神と自らを同調させ、本来持つ神の力を最大限引き出すことのできる状態。私のように一つできるだけでも十分だが、今のお前はその二つを同時にコントロールできる才覚を持っているのだ。これが完璧でなくて何とする。それさえあれば仮初の優しさも、気遣いも必要ない。逆らうことを一切よしとしない力の前に皆、我らにひれ伏すのだ……それも平等にな。そうすれば無益な殺生も、略奪といった私利私欲も消し去ることができる」
『共振』とかは正直どうでも良かった。
どんな理屈かは理解できなかったけど、何であれ力さえあるのなら何でもいい。
それよりも耳に残ったのは、反乱する気さえ起こさせない恐怖による支配思想の方だ。
数世紀前に行っていたような独裁とは比べ物にならない、圧倒的『力』による抑圧。
傲慢と言って差し支えない理念に、震えはさらに増していく。
「それができると知ってなお、お前は先ほどのような男の行いを是とするのか?貴様を庇って塵すら残らなかったあの男の行いを────」
「────アンタは一体どれだけ他人を見下せば気が済むのよ……オスカーァァァァッッッ!!!!!!」
最後、フォルテのことを言われたところで限界だった。
それ以上聞いていられなかったアタシは、抑えきれなかった震えを咆哮として爆発させる。
何とか理性で抑え込もうとしていた反動により、溢れた感情はもう止めることはできない。
あるのは殺意という至極単純な行動原理のみ。
咆哮と共に溜め込んだ力を解放すると────オスカーの眼前で娘の姿が消えた。