グッバイフォルテ《Dead is equal》22
不意に、背後の気配が嗤った気がした。
「私にとって重要なのは中身じゃない……その身体だ!!」
欲望の叫びを合図にして、私が切り裂いたはずの触手達が根元部分から伸縮を始める。
隙を突かれた私は反応すらできず、再びランジェリー姿の少女の身体を再び大の字に縛り上げた。
「あーひゃひゃひゃひゃ!!!!!運も罪も中身もどうだっていい!!私が欲しいのはなぁ、結局のところお前の身体だけさぁ!!さぁ、もう一度お前の身体に私の─────」
「─────バカだなぁ」
空いた右手をくいッと一捻りすると、一瞬で再生した触手達が木っ端微塵に切り裂かれる。
今度は根元まで綺麗さっぱり剪定された状況に、チャップは「へ?」と哀れなピエロのように視線を自らの下部へと向ける。
「最後の最後に神様が用意してくれた幸運すら捨てちゃうなんて」
スーツのズボンをパンパンに押し上げていた山がスパッと綺麗に斬り落とされ、丸い穴の断面からマグマの噴火のように血が溢れ出してた。
「あ、へ……あ、と、ああ、ああっ……」
ようやく自身のそれが床に落ちていることを認知した瞬間、聞くに堪えない断末魔が耳を劈いた。
私はそのゴミをもう二度と見ることなく、スタスタと目的の場所へと進んでいく。
結局改心できなかった以上、もうかける言葉も必要ない。
「た、たすけ……っ」
さっきの作り物とは違う、本気の命乞いが虚しく響く。
あーあ、色々と興奮作用が利きすぎちゃったのか、無駄なアドレナリンでなかなか気絶もできないらしい。
チャップは溢れんばかりの血を躍起になって諸手で抑えているようだけど、蛇口を捻ったような勢いで漏れる自身の体液は留まることを知らず、次第に声もか細くなっていき、最後は激痛に耐え切れずぐったりと倒れた。
幸か不幸か、ガッチリ固定された両手と意識を失ったことにより、興奮も冷めて血の出も止まるだろうからほっといても死なないだろうけど、あのまま捕まったら多分損傷個所の治療なんてさせてくれないだろうから、たぶん一生無いままで塀の中にぶち込まれるんだろうな。
なんて、心中お察しした思いを三歩で忘れた私は、ちゃちゃっと操作盤の前までやってきた。
「おっとと……」
クラっと唐突に訪れた倦怠感に身体が押し倒されそうになる。
どうやらちょっとばかりはしゃぎ過ぎたらしい。
例の薬の効力で、今の私の全身は神経が逆立っており、ちょっとした刺激でも過敏に反応してしまうようだ。
これじゃあ制御盤を操作するたびに喘ぎ声をあげかねない。
誰にも聞かれないとはいえ、一人で愉しんでいるみたいで余計に恥ずかしいので、沸騰する血脈を深呼吸で三度抑えつけると、ロナの身体はいつもの調子に戻ってくる。
できるとは思っていたけど、まさか本当にできるとは。
やった当人が一番驚きつつも、ロナは眼前にある半透明の操作パネルモデルの制御盤を操作し始める。
今まで自分自身の中で壁を作っていたことが原因で、ロナとロアの移り変わり《という思い込み》には多少の時間や互いの了承など、色々と面倒なところがあった。
けど、その隔たりが無くなったことにより、今のロナは仕事のオンオフのようにそれを切り替えることができる状態になり、その辺りの煩わしさがだいぶ解消された他、身体におけるステータスの入切も同時にできる様になっていた。
だからこうして敏感になった感覚をゼロにすることにより、操作パネルのキーボードをいつものスピードでタイプすることが出来るし、思考に関しても武闘派だったロアから頭脳派のロナへと一人の意志で変更できるのだ。勿論その逆も。
「えーと……これこれと、あとこうしてこうやってと……あった」
カタカタと小気味良い音を響かせること数分、目的だった魔術防壁に関する操作画面を表示させる。
艦全体を表す略図と、その周囲を囲う楕円形の障壁に、いくつかの出力や供給に関する数値が目まぐるしく上下を繰り返していた。
それを見て一個だけ関心したことは、突入前にベッキーが言っていた予測、それが本当であったと証明するように、エネルギーの供給源が戦艦の中枢付近から伸びていたことだ。
正しく心臓のように伸縮を繰り返し、各部設備へとクモの巣上にエネルギーを供給する姿は、まるでこの戦艦が独りでに生きているような不気味さすら覚えてしまう。
「自動制御から手動操作へと……動力源まで切らないようにこれとこれと……」
誤って戦艦の動力源まで切っちゃった時にはそのまま海へと沈没しかねない。
幸いなことに大掛かりな機械の割に操作は単純で、ポチポチと魔術防壁の供給源を断っていく。
よし……これで解除されるはず。
最後のエネルギーを遮断してから艦橋外、昼時を優に過ぎて暁へと移り変わろうとしていた空へ眼を向けると、周囲を覆っていた防壁が崩れ落ちていく。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ………」
極度の緊張からの解放と、その安堵で盛大な溜息を漏らしたロナは、そのままフラフラな身体を操作盤へと預ける。
これで、最低限の役目は果たしたよ……フォルテ。
「あとは……アイリスと合流して脱出地点に……あれ?」
その異変に気付いたのは、数秒の小休憩後のことだった。
戦艦の速度が上昇した?
緩やかではあるけれど、僅かながら艦のスピードが上がっている。
それに高度も下がり始めている。
そんなはずない、再び身を起こしたロナは戦艦の状態を再度確認する。
「ウソ……これって……!?」
答えはすぐに出た。
それもロナ達にとって最悪の。
「防壁分のエネルギー供給が他の場所に流れてる……ッ!しかもこれ、こっちからの操作が全然できない」
通常、機械の動力は要求した分だけ作り、与える構造になっている。
例えば、車はアクセルを踏めばそれに応じて燃料を消費させるように、こちらが意図しないエネルギーは使用しない構造となっている。
しかし、この神器を用いていると思われる動力源はその逆。
供給源の量は変わらず、それを使用する箇所が少なくなればなるほど余ったエネルギーが他の場所へと供給されるシステム。
つまり、この大量のエネルギーを浪費していた魔術防壁を切ったことにより、他設備の運動性能が上昇、それもあろうことか、飛行性能を担保しているものにだけに偏っている。
「クソッ……これ、切ったら自動的にそうなるに仕組まれてる……ロナが解除するところまで読まれていたってこと?」
外部からの干渉を受け付けない仕組みに悪態を付きながらも、どれだけ戦艦の飛行速度が上がったのか、ロナは計器表示やシステムを駆使して試算する。
計算だと速度は時速六十キロから百キロ近くまで上昇しているから……中国到着まで残り一時間弱……
撃墜するためのトレードオフにしては、随分痛い答えだった。
いっそのことまた魔術防壁を発動する?
でもそれじゃあ撃墜なんてできない。
けど、解除したままあと一時間の内にセイナ達を連れ出し、みんなで逃げることなんて本当にできるの?
フォルテに連絡を取ろうにも、ロナの無線は触手達に壊されてしまったし、戦艦から外部へ連絡を入れたとしても、中国はおろか、韓国、北朝鮮は外敵除去するための動きをしてくるのは必然だ。
犬歯が折れそうになるほど歯ぎしりしたまま画面を睨み付ける。
仲間の命を取るか、それとも見ず知らずの数万数億の人々の命か。
心の中で掛けさせられているその秤のどちらを取るか、ロナの中で思考が揺らいでいた。
いや、違う。
本当に助けたいと思うならば、こんなところで悩んでいる暇なんて無い。
秤にかけるくらいなら、その天秤ごと全部搔っ攫ってやる。
それ以上、ロナは操作盤に手をつけることなく、艦橋を飛び出そうと振り向いたその時─────
「─────ッ!?」
眼前に映った現実に眼を見開く。
さっきバラバラに引き裂いたはずの触手群が、あろうことか全て蘇っていた。
「なによ……これ」
こんなの、有り得ない。
刷り込まれた恐怖が表情へと浮き彫りになる獲物を前に、触手達はさっきよりも増した獰猛さを体現するよう地面をバンバンと叩きつける。
パシンッパシンッと鞭のような嘶きを放つその身体は、さっきの無骨な金属製とは異なり、蒼白い光の奔流のような色合いをしていた。
心なしかさっき見たこの戦艦のレールガンと同じ配色をしている。
そうか、頬を撫でる冷や汗と共に理解した。
ロナが切ったエネルギーの一部がここで暴走し、触手達にも影響を及ぼしているんだ。
その証拠に、視界の端で気絶していた主のことを、触手達は何度も何度もその蒼白い身体を乱暴に叩きつけ、足首を掴んではぐるぐるとカウボーイのローピングの如く振り回し、挙句壁へ叩きつけていた。
そうしている合間にも、手を余している者達がロナへと這い寄り、今か今かと飛び込むタイミングを見計らっている。
さて、果たして生き残れるかな……
恐怖を鎮めるように内心で独り言ちる。
いくらロアのように隕石の糸を扱えたとしても、流石に連戦はキツイ。
それでも闘志が枯れないのは、一重に大切な人を想う心があるからだ。
どうにかしてフォルテのところへ……そして、みんなと共にここを脱出するんだ!
バゴォォォォォォォンッッッッ!!!!!!!
「─────きゃッ!?」
艦橋の外、甲板上で立ち昇る火柱と轟音。
その衝撃に、意気込みを露わに駆けようとしたロナの身体が弄ばれる。
一体何が起きた?と確認するよりも先に、艦橋のガラス窓が外風の圧を受けてギシギシと悲鳴を上げた。
それは、倒れた視線の先を過ぎていった怪鳥の仕業。
MiG-29。
北朝鮮に配備されている戦闘機による爆撃。
たぶん、魔術防壁が解除されることをずっと待ってたんだろう。
まもなく各国の空軍も次々に到来し、想像していたよりも遥かに早くこの戦艦を落としてしまうかもしれない。
でも、今はそんなことよりももっとヤバイことがあった。
それは、猛獣たちの前で無様に隙を見せてしまった自分自身。
「あ─────」
恐怖で顔を歪める暇も無かった。
顔を上げた先─────もう既に眼前まで迫っていた触手達が、少女の身体を貫かんと迫っていた。




