グッバイフォルテ《Dead is equal》5
数分前まで華やかだったモール街は、たった二人の戯れによって瓦礫の巣窟と化していた。
元凶である片割れの青年は、黒き衣と血溜まりのような紅い瞳を携え、ポツリとその場に立ち尽くしていた。
「お、居たぜ嬢ちゃん。やっぱ思ってた通りあの場所から一歩も動いてねぇ見てぇだぜ」
数十メートル離れた先でそれを発見したのは、元凶のもう片割れである紫の瞳を持つ男。ベルゼ。
彼は周囲の惨状に何の罪悪感も抱かせない、呑気な響きでそう告げる。
「えぇ、アンタの言う通りね」
その隣に構えるアタシは相槌を打つ。
両手には慣れ親しんだ愛武器である双頭槍が握りしめられている。
「フォルテェッ!!」
いつもと変わらない調子でアタシは相棒の名を叫ぶ。
すると、関節の無い操り人形のような動きでフォルテはこちらを視た。
焦点の合っていない。
ぎょろりとした紅眼は、まるで昆虫のように感情というものが抜け落ちている。
「……ッ」
視るの行為で重力が数倍も跳ね上がったのではと思うほどの重圧。
このアタシを以てしても脚が竦んでしまいそうな程の殺気は、軟な人間だったら心臓を止められていたかもしれない。
「お、こっち視たぜ。どうやらまだお嬢ちゃんの存在は奴の中で生きているらしいな」
そんな中、ベルゼはケラケラと笑い嬉しさを表した。
この男、やっぱり人としての頭のネジが何本か抜け落ちているらしい。
「そうじゃなければ困るわ。アンタもアタシもね」
吊られるようにアタシの頬も軽く緩ませる。
身体を押し潰そうとしていたモノが軽くなったのは、きっと気のせいじゃないだろう。
「約束、ぜってぇー忘れんじゃねえぞ?」
「そっちこそ、忘れたなんて言ったらタダじゃ置かないんだから」
本来なら敵同士のアタシ達がこうして共同戦線を張っている理由。
それを念押すように確認して、互いの武具を構えた。
刹那────鏡合わせのように小太刀を握りしめていたフォルテがこっちに向かって走り出した。
「さぁーて、おっぱじめるかぁぁぁぁぁ!!!!」
数分前まで華やかだったモール街は、たった二人の戯れによって瓦礫の巣窟と化していた。
元凶である片割れの青年は、黒き衣と血溜まりのように紅い瞳を携え、ポツリとその場に立ち尽くしていた。
「────────」
思考も感情も、何もかも全てが喪失した抜け殻は、この作られた世界と同じ永遠の刻々の中を漂っている。
その行為に意味は無く、存在することの理由さえ失くしてしまった一匹の鬼は、ただただポツリと存在しているだけだ。
ぼうっと見つめる紅い水晶体には何も映らない。
視界は銅像のように固定されたまま、動くことはなかった。
────光を視た気がした。
何も感じないはずの心がそう告げる。
────煌びやかで華奢な魂の輝き。
空っぽの器を釘付けにされるほどの生命は、掴もうとすると蝶のように散ってしまいそうなほど儚く脆い。
だから手を引っ込めた。
軽く力を加えただけで壊れてしまうから。
スタッ……
音のした方へと身体が条件反射に視線を動かす。
二つの魂がこっちを見ている。
一つはこの地上を埋め尽くす八十億と大差ない。
もう一つは……さっきの魂だ。
(奪ってしまえ)
身体の内でそう声が響いた。
(そんなに欲しいなら奪ってしまえ……失って後悔するくらいなら)
そうだ。手に入らないものは全て壊そう。
握った右手の内には、そのための刃が秘められている。
「────キヒッ……」
死んだ感情が嗤いを作った。
あれは俺の、俺だけが独り占めしていい光だと思うと、嬉しくて仕方が無かった。
さぁ、一緒に殺し合おう。
青年は黒衣を翻して大地を蹴った。
────それは、今から数分前の話し。
「共闘してアイツを助けるだぁ?お前自分が何を言っているのか分かっているのか?」「
アタシの提案を聞いたベルゼは当然ながら失笑して見せる。
「嬢ちゃんよ、気持ちは分からんでもないが世の中諦めって奴も肝心だぜ。大体俺達は敵同士。こちとら馴れ合う気なんざ持ち合わせて────」
「それくらい分かってるわよ」
五月蠅い駄犬を黙らせるように、アタシはピシャリと言い伏せる。
「大体、大人しく治療を受けておいてその言い草はないんじゃないかしら?」
「うっせ、お前が勝手にやってんだろ。それに幾ら相棒を救いたいからって、仮にも敵対している組織の人間に対する提案とは思えねえなぁおい?」
タバコを切らして機嫌が悪いのか、まるで子供が不貞腐れるようにベルゼは顔を背ける。
「さっきも散々言っただろ。アイツはもうどうしたってもう元には戻せねぇ。何か俺様でも知らない方法がないかぎりな。共闘したところでそれは同じだ。その程度で解決できる問題なら、とっくに俺様から先に嬢ちゃんへ提案しているさ」
ベルゼは少しだけ名残惜しそうに紫の瞳を眇めている。
「ベルゼ、アンタやっぱりフォルテのことを────」
それは、ヨルムンガンドの所属など関係なしに、個人としてフォルテのことを好敵手と認めて────
「あぁ、俺様がぶっ殺してやりたいと思っているさ」
こてっ
思っていたものと百八十度違う返答に、思わずアタシは何もないところでコケる。
そこはほら、分かんないけど男の友情とかなんかそういった系譜の言葉が返ってくると思っていたのだけど。細まった紫の瞳からはそれを否定するギラギラとした殺気が溢れていた。
「アイツを殺すのは俺以上でも俺以下でもない俺様以外に考えられない。だからあんな魔眼程度に自滅するなんざ、この俺様がぜってぇ許さねぇ……例え奴が死んでも殺してやるさ」
「ま、まぁ……それだけ意気込みがあるなら十分よ。それで、協力するしないどっちなのよ?」
アタシは軽く咳払いで動揺を打ち消しつつ本題に戻る。
「だから言ってんだろ、馴れ合うつもりなんざ────」
「もしもの話しよ」
否定気味なベルゼの言葉をアタシが遮る。
そして同時に、彼が欲しがっていた最高の情報を同時にきった。
「アンタも知らない彼を元に戻す方法をアタシが知っていたとしたら……協力してくれるかしら?」
「────てめぇ、それ本気で言ってんのか?」
タバコの味のする深い息と共に、白刃のような鋭い瞳がこっちを見る。
「んな言葉が信用できると思ってんのか?適当に誤魔化せるほど俺様が甘いとでも思ってんなら大甘だぜ嬢ちゃん。それになに勘違いしてんのか知らねーけど、その気になればここでてめぇをバラバラにすることだってなぁ────」
「もしフォルテが元に戻ったら、一日だけ彼を好きにしてもいいわよ」
アタシの提案に、狂気を纏う紫電の瞳が点となった。
「こっち側に付いてくれるなら、今日以降の好きな時間、幾らでもフォルテと殺し合う時間を一日、二十四時間アンタにあげるわ」
「な……んだと……っ?!」
ベルゼにとっては喉から手が出る程の条件。
もとを辿れば彼が『ヨルムンガンド』に加入したのも、フォルテと殺し合うことが目的だということは、数か月前に本人から聞いていた。
案の定早くも食いつきかけたベルゼは、残像が残るほどのスピードで顔を左右に振る。
「いや、いやいやいやいや……んなこと言ったってよぉ……嬢ちゃんにそんな権限があるとは思えねえし……」
「それなら安心して、アタシ王女だから。それくらいどうにでもしてあげるわ」
例え断ったとしても、その気になれば国を使って圧力をかけることもできる。
自信満々に胸張ってアタシがそう言うと、点となっていたベルゼの瞳が瞼の中で泳ぎ出す。
「で、でもよぉ……一日だろ?そんな安いもんで吊られれるほど俺様は────」
「じゃあ三日」
「みっかぁあッッ!???」
三倍に跳ね上がった報酬とあわせ、声の音量も三倍になる。
「七十二時間も殺し放題だとッ!?いや、でも……先に結んだ契約を破るのは男としての矜持がなぁ」
「あーあ、それじゃあこの話しは無かったことに────」
「いやぁ待て待て!!ちょ、ちょっと待て。もう少しだけ考える時間をだな……クソッ!なんでこんな時にタバコが無ぇんだよ……ッ」
あらゆる誘惑がストレスとなってベルゼの正常な思考を奪っていく。
全人類の中で唯一彼にとって『フォルテと自由に殺し合える』という言葉は、どんな違法薬物などよりも効き目のある興奮剤なのだ。
彼ではないアタシにとっては、それの何が良いのかさっぱり理解できないけど……
「……いったん落ち着こうぜ嬢ちゃんよ」
……どの口が言うの?
「確かに三日はすげぇ。やべぇ。がち」
熱意はあるがテンパり過ぎて語彙力が死んでいる。
「でも、個人の感情で一銭にもならないタダ働きをするつもりはねぇ。それが例え極上の品をチラつかされたとしてもだなぁ……」
「そ、三日でも満足できないんだ」
脂汗を滲ませ唇を噛むベルゼが何とか捻り出した思いに、アタシは対照的な余裕を見せつつ呟く。
(あーもうっ……!どうしてハイって言えないのかしら!?)
その心中は言葉では言い表せないほどの焦燥感で埋め尽くされているのだけど。
あとちょっとで頷きそうなのに、意外にしぶといわ……この男。
「じゃあこうしましょう」
回答を急くようにアタシは人差し指を立てた。
「アンタにはこれだけ時間をあげる。これなら文句ないでしょ?」
『一』という意を持つその指先を眼の前に差し出されたベルゼは生唾を飲み込んだ。
「い、一週間……だと」
「あら、一週間でいいなんてとってもちょろいね」
「まさか、まさかまさか一か月だとでも……っ!?」
狼狽えるベルゼの気持ちが崖の淵に足を掛けたところで、そっと最後に突き落とすような不敵な笑みを浮かべる。
「アタシはこの人差し指について何とも言及していないわ。これをどう解釈しようとそれはアンタの自由よ。それで?返事は決まったかしら?」
「……分かった乗ってやるよ。お前の策略やらに」
紫眉の隙間に皺を寄せつつも、ベルゼは渋々頷いた。
「全く恐れ入ったぜ……この俺様を手懐けるなんざ、見かけに限らず狡猾な奴だな」
感服交じりにベルゼは頭を振る。
その指摘にふと引っかかりを覚えた。
『アタシって前からこんなに狡猾だったかしら?』
無意識に行っていたことだけど、我ながらロナにも負けず劣らずの駆け引きをしていた。
成長したということかしら……?
それなら良いのだが、なんだろう……この胸に突っかかるこの感じ。
「それでどうすんだよ?」
「え?」
熟考していたアタシの意識をベルゼの言葉が現実へと引き戻した。
「なんで鳩が豆鉄砲くらったみてぇな顔してんだ?作戦だよ作戦。どうやってアイツを治す気なんだよ?」
「そ、そうね、まだ説明していなかったわね」
動揺を悟られないように軽く咳ばらいを挟みつつ呼吸を整えている頃には、その引っかかっていたものが気にならなくなっていた。
「以前の話しよ。フォルテはアタシの前で同じような状態に陥ったことがあって。その時にアタシは彼に────」