奇策
明かりの消えた霞ヶ関駅の地下鉄に降りていく階段入り口の横で俺は座り込んでいた。
セイナと喧嘩した後、数十分と茫然としていた俺は考えがまとまらないままトボトボと歩いて霞ヶ関駅で東京メトロに乗って東京駅で新幹線に乗り換えようと地下鉄入り口まで来た。だが、霞ヶ関駅から東京駅行の最終00:18時の東京メトロに乗り遅れてしまい、入り口をシャッターで閉ざされたことで駅のホームに入れなかった俺は、今もこうして閉ざされた駅の入り口の横で酔っ払いが地面で休んでいるかのように両膝を抱えて蹲っていた。
何やってんだ俺は…
女々しい自分に本当に嫌気がさす。
なんであんなムキになってセイナに言い返してしまったのだろうか?
本当は素直に謝るつもりだったのに…思ってもないことまで売り言葉に買い言葉で色々と酷いことを言ってしまった。ここ数年あんなに感情的になったことなどなかったのに……本当に情けない。
そう思って顔を上げた。さっきまで地上を照らしていた美しい子望月はすっかり隠れてしまい、誰もいない道を照らす街灯だけが辺りを薄暗く照らしているだけだった。俺の座っている位置の反対側、駅の入り口横の道路に車は走っておらず、猫などの動物もいない。
静かすぎる。静寂で満ちたこの場所は普段の俺なら好むところだが、今の俺にとってはそれは毒にしかならない。静かすぎるせいでついつい頭の中で色々と考えが思い浮かんでしまうからだ。
さっきの歌舞伎町の喧騒や、ヤクザとの戦闘の時の騒がしい銃声の方がまだ良かった。その方が余計なことを考えずに済むからな。
だが、今はそこに歩いていく余裕すら俺にはない状態だった。
さっき平手打ちをくらった左頬に右手をやる。痛みはまだ引かない。
誰かに引っぱたかれたのなんて久しぶりだな。
何年も何十年も前のような気がする。最後に平手打ちをくらったのはいつだっけ?
そんなことを考えていた俺の右手がふと左眼の上についた傷跡に触れた。左眼から頬にかけて縦に入った過去の傷跡。俺の左眼が見えなくなった時の傷。
そうだ、アイツに引っぱたかれたのが最後だったな。
「SEVEN TRIGGER」に入る前、過去に生死を共にした俺と同じ魔眼を持つ少女に平手打ちをくらったことを思い出す。それと同時に当時その少女に言われたことを思い出した。
「君のやっていることは信頼という名の自己犠牲だ。それは相手の信頼を裏切るだけでなく、君自身をも裏切ることになるんだよ」
確かそんなこと言ってたな。
フッと軽く苦笑した。まさにその通りだった。
俺は何人もの仲間の犠牲でここまで生きてきた。そして仲間を失うそのたびに俺は自分を責めた。なにかもっとその仲間のためにやれることはあったのではないかと。そう思うとついつい自分を犠牲にしてでも色々とやろうとしてしまう癖のようなものがついてしまっていたらしい。
いや、それもただの言い訳か。
仲間を思うあまり、その仲間に頼らずなんでも自分でこなしてしまおうという精神が染みついてしまったのだろう。その結果がこのザマだ。
セイナに頼らず自分一人で資金集めをして、誘った作戦でも過保護扱い。それは確かに信頼とは程遠いな。決別されるのも頷ける。
じゃあ、今の俺には何ができるのか?彼女の信頼を裏切ってしまった今の俺にできること…
俺は力なくもその場に立ち上がった。
イヤイヤとはいえパートナーを組んだのだ。こんな解消の仕方をしたとエリザベス3世に知られたら何と言われるか分かったものじゃない。
それに何より借金と金利のこともあるしな。
左頬の痛みが少しだけ引いたような気がした。
俺はトボトボと歩き出す。
セイナは確か明日(すでに日付が変わってもう今日だが)イギリスに帰るって言ってたし、おそらく一回港町の俺の家に帰って持ってきた荷物を取りに行くはずだ。今から帰ればまだ間に合うかもしれない。
とりあえず、今の事情をきっちりとセイナに話してから、今後どうするかを改めて考えるとしよう。
パートナーを解消するかどうかはそれからでも遅くはない。
道路の方を見るとたまたま一台のタクシーが走ってきたのが見えたので俺は手を上げて止める。
俺の横で止まったタクシーの助手席の窓が開いて運転手がこちらに話しかけてきた。
「お客さん、あいにくだけど今日の営業はもう終わったんだ。他の駅の方に行けばもしかしたら一台くらいは残っているかもしれないよ?」
60歳前後のおじいさんタクシードライバーは別の駅の方角を指さしながらそう言ってきた。他の駅まで探しに行って見つからない場合を考えると面倒なので俺はその提案を軽く無視しながら。
「ここからこの港町まで今すぐ車を出して欲しい」
といいながらスマートフォンで地図を出す。
おじいさんは怪訝顔をしながらもスマートフォンを覗き込んだ。
「いやだから私の営業は終わったんだって、それにこの港町ってここから100㎞以上離れたところじゃないのかい?近場だったらまだ乗せてやっても構わないが、流石に今からこの距離だとねぇ…」
おじいさんは唸りながら渋い顔つきでそう言ってきた。
「三倍でどうだ?」
「なんだって?」
俺の提案にタクシーの運転手は驚いたようにこちらに向き直った。
「ここから港町までの乗車料金の3倍でどうだって聞いているんだ」
おじいさんは腕組をして考えるような素振りをしてから
「お客さんが急ぎなのはよく分かったが、お金は大丈夫なのかい?」
と魅力的な提案を前に乗せてくれるような雰囲気にはなったが、十万以上の高額な乗車料金を俺が支払えるかと心配してきたので…
「これで文句ないか?」
軽く笑みを浮かべながらそう言った俺は、再び雲の隙間から顔を覗かせた子望月が照らす、銀色に輝く小さいアタッシュケースの中身を見せた。
「くぅッ!」
廃工場内に金属同士がぶつかり合う音が反響していた。
その中心でアタシはベルゼの三次元の攻撃をギリギリのところでなんとかグングニルで防ぎながら耐えていたが、戦況を打開する術を見出せず苦戦を強いられていた。
「さっきの威勢はどうした?えぇ?お嬢ちゃん!!」
ベルゼがそう言いって、通常の人間ではありえない左肩上45度の角度からアタシに直線的に突っ込んできながら鉤爪で切りかかる。
「このッ!!」
その速くて重い斬撃を受け流すように弾くと、再び別の金属の廃材の上で紫電の瞳の磁力操作を利用して突っ込んできたベルゼが、今度はアタシの足元を切りかかりにきた。
「ッ!」
その場でジャンプしながらその攻撃を避けてから、右足のレッグホルスターからDesert Eagleを抜いたアタシは空中から、高速で動きまわるベルゼに向けて二発の銃弾を放つ。同時に弾切れを起こしてスライドがホールドオープンする。
「オラァ!!」
一発は外れ、二発目は鉤爪で弾かれた。
ベルゼを目で追いながら、アタシは弾切れした銃をリロードする。
銃弾を弾いたベルゼはそのまま、地面を蹴り、壁を飛び、天井に移って…
目で追いきれないッ!
地面以外の壁や天井には鉄骨の柱、床や壁際に捨ててある廃材のほとんどが金属製のものばかりのこの廃工場の中を縦横無尽に動き回るベルゼにアタシは心の中で悪態をついた。
ベルゼの動きが速すぎて、目で追っていると対応しきれない。
「そらそら!!」
今度は右から飛んできたベルゼの斬撃をアタシは前転して躱しながら打開策を考えていた。
廃工場という狭い空間の中をベルゼは休むことなく駆け回っていた。その姿はまるで、小さな箱の中に入れられたスーパーボールのようだった。箱の中で出鱈目に尚且つ高速で動きまわるそれを前にアタシは防戦に徹するしかなかった。
工場内などの密室。さらに金属製のものが多いこの場所はベルゼにとって相性抜群なのだ。
もちろん最初はそう思って廃工場を出ようとしたのだが、もちろんベルゼがそれを許してくれるわけがない。廃工場に入ってきた入り口に逃げようとするアタシをベルゼは三次元の攻撃を駆使してアタシを廃工場の中心に釘付けにしていた。
「どうしたどうした!!」
前からベルゼが低空を這うように突っ込んできながら、鉤爪を突き出してきた攻撃を持っていたグングニルでアタシは弾き飛ばした。
どこから攻撃してくるか分からないが、幸い本人が馬鹿なのか、それとも興奮しすぎて気づいていないのかは知らないが、ベルゼが攻撃しながら声を出してくれるお陰で何とか位置を把握してこれまでの攻撃を一応防ぎきってはいる。
だが、ずっとこの調子で流石のアタシも疲労が出てきてしまう。
ベルゼの猛攻を防いでいくうちに自分の息がドンドン上がっていくことに気づく。
てか、アタシよりもずっと動き回っているベルゼが先にスタミナが切れるのではと踏んでいたんだけど、アイツ息切れ一つせずにずっと笑いながら攻撃しているのよね…
痩せ我慢しているのか?とも一瞬疑ったが、あの様子を見る限りそれはないらしい。
そうするとスタミナ切れを狙う作戦も使えない。
アタシはベルゼの攻撃を防ぎながら、辺りを見渡した。
あるのは廃材ばかりで戦闘で使えそうなものは何もなかった。
やっぱり、何とか自分の力でコイツを倒すしかないか…
そう思ったアタシが視線をベルゼの方に戻そうとした時に、廃工場にあったあるものが目についた。
これだわッ!!
思考が働くよりも先にすぐ近くにあったそれにアタシは駆け寄った。
アタシの行動を見たベルゼは跳躍する動きを止め、アタシの死角から声を掛けた。
「それ一体どういうつもりだ?」