神々の領域《ヨトゥンヘイム》12
「……え?」
ピシリと氷に亀裂の入るような言葉が突き刺さる。
あまりにも予期していなかったその指摘に言葉が途切れてしまう。
「『護るべき大切な存在』ですって?ずっと対等として組んできた相棒が、アタシのことを保護するなんて軽率な言葉、普段なら使うはずないわ」
言われて初めて気づいた。
俺はどうしてこんなにも彼女に隠してきた本心を、こうも易々と曝け出しているのか。
彼女の言う通り、俺達はずっと元特殊部隊も王女も関係ない。互いの利害が一致しているだけのあくまで他人に過ぎない。
それを俺は私情まで持ち込んで彼女の気持ちへと訴えかけている。
根本を辿れば、敵陣のど真ん中で立ち話をしている時点で普段の俺らしからぬ行動とも言えるだろう。
そしてこの時、俺は人生で三本の指には入るであろう重大な見落としをしていた。
『セイナのことが好きだ』
竜にこそ漏らした俺自身の本音。
勇気を出して告白した気になっていたそれが、当の本人には全く伝わっていないという事実を。
「違う、そういうつもりじゃあ……」
自分でも理解できない思いが余計に曖昧な態度を取らせてしまう。
目敏い彼女のブルーサファイアの瞳がそれを見逃すはずもなく、
「ならどうしてアタシがここに居るってピンポイントで見つけたのよ?これだけの規模の戦艦内で人一人見つけることなんてそう簡単にできることじゃないわ」
「いやその……ベルゼに落とされてから俺はたまたまここを通りかかっただけで、人の気配がしたから銃を向けたんだ」
素直に自白すれば良いものを、ついそんな嘘を付いてしまう。
でも俺自身もまだ、この少女が完全に本物かどうかという疑念を拭えないでいたのもまた事実。
しかし、付け焼刃の言い訳などこのセイナにはお見通しらしく、彼女の疑惑の視線はより鋭さを増していく。
「だいたいお前こそどうして武器を所持している。ずっと捕まってたんじゃないのかよ」
そんな彼女に反論するよう俺も口を開いた。
セイナはコルト・カスタムのみならず、グングニルまで装備していた。
捕まっていた人物が持っているにしてはあまりにも不自然である。
セイナ自身もそれが判っているようで、彼女らしからぬバツが悪そうな表情を浮かべる。
「仕方ないじゃない。電子ロック式の牢に幽閉されて、上手く脱出したらすぐ近くに置いてあったんだから。アタシだってびっくりしたのよ」
文句があるなら不用心な敵に言いなさい。と逆切れするセイナには、よく見ると他の神器は全て装備されていない。
ハンドガンと両手槍だけ置かれていたというのには何か理由があるのだろうか?
「お前確かこの先に先導者が居るって言ってたけど、奴の正体を見たのか?」
「見てないわよ」
「じゃあ何でこの先にいるって分かる」
「な、なんとなくよっ!この先に強い神器の塊のようなものを感じるから、たぶん奴もそこに居るって思っただけよ。それよりアンタこそ、自分が本物だって信じて欲しいなら魔眼を少し見せればそれで済む話でしょうが。さっさと使いなさいよ」
「俺もさっきまで戦闘で使用して疲弊してるんだ。そんな無暗矢鱈と使えるか!そういうお前こそ、お得意の神の加護を使えば済む話だろうが」
「アタシだって疲れてるんですー!それに今はヤールングレイプニルも手元に無いから力の加減が上手くできないことくらいアンタも分かってんでしょ?感電して死にたいの?」
両の手に握りこぶしを作り、ぐぬぬぬと互いに歯を食いしばっては一歩も譲らない。
しかしそれも必然と言えば必然。仮に相手が変装した敵であると仮定して、先に正体を明かすメリットが無いのだ。ましてや俺にはセイナに対してまだ探知機という疑念が拭えていない以上、偽物の可能性を捨てきることが出来ていない。
反してセイナ自身も脱走した身として誰も信用できない心情であるのは十分理解できる……たぶん。
彼女が売り言葉に買い言葉で反論しているだけではないとこの場では思いたい。
それがこの意地の張り合いに発展しているのだが、数分といえ一体俺達は何をやっているのだろうか。
幸い(?)ここには男女のいがみ合う姿に釘を刺すような人物も、冷たい視線を送る通行人もいない。それがかえって人目を気にしなくて済むという悪い方向に流れを傾け切らせたところで、遂にというかやはりというべきか、セイナの堪忍袋の緒が音を立てて千切れた。気がした。
「あーもうあったまきた!」
彼女は激昂した様子であろうことかコルト・カスタムを此方へ向けたのである。
信じられないその行為に、俺も反射的に銃を抜いてしまう。
「何考えてんだセイナ!」
「うるさいうるさい!!初めからこうすれば良かったのよ」
カチリとセーフティーが外れる音が静寂の街中でハッキリと聞き取れた。
「よく聞きなさい。アタシは今からアンタの胸を撃つわ」
黄金色の髪と柳眉を逆立てる彼女は、本気だ……!
本気で俺のことを撃とうとしていた。
「……冗談にしては少し度が過ぎてるんじゃないか?」
「当たり前でしょ。冗談じゃないんだから」
引き金に平然と指を掛ける。
銃口から視える鈍色の.45ACP弾頭が無骨な殺気を醸し出していた。
「こんなことして何になる。これじゃあ敵の思うつぼだろ」
「いいえ、これでハッキリする。アンタがセブントリガーの元隊長ならね」
これ以上の説得はできない。
仮初の太陽を背に佇む少女の冷酷な表情には、最早俺の言葉なんて届かないだろう。
どうする……!?
よく考えろ。彼女の言葉の意味を。敵の本当の策略を。
睥睨するように辺りを瞬きの内に見渡した。
建物間にのびる横道には俺達の姿を除いて人の姿は無い。
もちろん周囲を囲むガラス張りの店舗にも、道に飾られた南国風の観葉植物にも、生き物が混在している形跡は皆無と言っていい。
極めつけは頭上に掲げられた仮初の太陽が、どこかに身を潜める者がいれば炙り出さんとばかりに照り輝いている。
隠れられ場所なんて……
いや、一つ。たった一つだけその場所があることを俺は理解していた。
しかし同時に明確な確証を持てずにいた。
どうする、一か八かで試してみるか?いや、もし俺の勘が誤っていたら何が起こるか分からない。だが、このままでは……っ!
ふと、刻々と迫る秒針の中で彼女の視線が眼に映る。
不純物の無い澄み切った深水のようなブルーサファイアの瞳は、ただじっと俺のことだけを見定めている。
それを見て内心で頭を振った。
一体俺は何を迷っているんだ……と。
覚悟も、疑いも、信頼も、その全てを俺という存在へぶつけるセイナの姿に心の中の弱音へ鞭を打つ。
どうせ後悔するなら、疑ってでは無く彼女を信じて後悔してやる!
セイナが引き金に力を加えたのに合わせて、俺も彼女へと銃弾を放った。
距離にして僅か三メートル足らずの距離で放たれた、回避不能な.45ACP弾。
これほど至近で食らえば幾ら防弾装備を身に着けているとはいえ致命傷は免れないだろう。
────なら当たらなければいい。
『アンタの胸を撃つ』
確かにセイナはそう断言した。
その言葉を俺は信じて彼女の銃口との対角線上よりほんの微かに上向きに弾丸を放った。
かくして二つの銃弾は俺達の思惑通りに軌跡を駆け巡り、互いの中心点ですり抜ける。
キンッ!!!!
ことはなく、空中で衝突する。
僅かに射角をずらしたことによって、セイナの銃弾へ俺の銃弾が覆い被さるような形となった。それは先程の意地のぶつけ合いに似た、同じ.45ACP弾同士のぶつかり合い。
引きもせず、押しもせず、同力によって曲げられた弾道は、綺麗な直角となって上下へと飛来する。
俺の銃弾は空へと舞い上がり。
そしてセイナの銃弾はレンガ造りの地面、ではなく、そこに伸びる彼女の影へと音もなく吸い込まれていった。
比喩でも例えでもないその光景に、セイナは眼を見開き、俺の疑惑は確信へと移り変わる。
「セイナ、離れろ!!」
咄嗟に後ろへと跳ぶセイナ。
しかし彼女の影は言うことを聞かず、地表に張り付いたままだ。
沼のような歪な波紋を浮かべるそれに俺は小太刀を抜き放つ。
目の前の少女が本物であることが証明されたいま、最早力を隠す必要も無くなった。
魔眼を解放した力任せな横薙ぎ一閃。
レンガ敷の地面をその影ごと抉る荒々しい斬撃は、瓦礫の渦となってアパレルショップの外壁に撃ち付けれる。
その衝撃で砕けた石片が砂埃を巻き上げる中、ドロリとした主人から分離した影は、まるでバケツに溜めた墨汁をキャンパスへぶちまけた様に外壁を濡らしていく。
いや、そのまま染み込むことはなく、スライムのような液状の固形となって壁からへばり落ちては不格好な人を模っていく。
「よう、会うのは半日振りかい」