神々の領域《ヨトゥンヘイム》11
「動くな!!」
横道に飛び込んだ俺はHT45を構えて叫んだ。
背後を取られた少女は反射的に両手を上げる。
「抵抗するなよ。俺に撃たれたくなければ……って、お前は……!?」
視界に捉えた敵と認識していた人物を認めて、強張っていた身体の力が抜けていく。
「その声はもしかして、フォルテ?」
白いキャミソールに黒いプリーツスカートとニーハイソックス。
特徴的な黄金色のポニーテールを纏めているのは、先日プレゼントした銀燭のリング。
華奢で小柄ながら、身に着けたコルト・カスタムとグングニルが有無を言わさぬ堂々とした風格を漂わす少女が、俺の存在に気づいて振り返った。
「セイナ、セイナなのか!?」
そんなバカな。
改めて見返した電子機器に映る敵の位置に狂いはない。
まさか……彩芽の変装か!?
「ま、待て、その前に話しをさせろ」
近づこうとしたセイナと思しき人物を片手で制す。
それに彼女が怪訝顔を浮かべつつも静止してくれたのを確認してから、俺は再度口を開いた。
「俺のフルネームを言ってみろ」
「はぁ?何よそれ」
「いいから言え!」
切羽詰まったように急かされて、彼女は渋々と答える。
「フォルテ・S・エルフィー。それ以外に何があるってのよ?」
「じゃあその『S』は何を示している」
「はぁ!?何なのよもう……」
「簡単だろ。お前ならその意味を答えることなんて」
そう、もしそれがセイナではなく彩芽であるならばな。
つい最近までこの『S』がダサいと思っていた俺は、セイナにずっとその意味を隠していた。
しかし彩芽であるならば、あの竜との死闘を目撃していた彼女であるならば、その意味を聞いていたはず。
眼の前の少女が瞳を細めて少しばかり熟考したのち、盛大な溜息と共にその返答を漏らす。
「知らないわよ。アタシだってそれが知りたくて何回か聞いたことあったけど、そのたびにアンタは全部誤魔化してたじゃない」
「……そんな、嘘だろ?」
彼女は彩芽ではない。仕草も態度も、紛れもなくそのものセイナだった。
そこに疑いの余地は無い。
答えに関しても、普段の俺達しか分からない百パーセントのものであった。
ならどうして彼女にマーカーが付いていたのだろうか?
もしかすると、チェイサーブレットに撃たれた彩芽よりも、彼女に抱かれていたセイナの方へと付着性探知機が集中してしまったのか、それとも単に故障したのか……
「本当に、本物のセイナなのか!?」
「当たり前じゃない。アタシはアタシよ。一体誰と勘違いしてんのよこのバカ」
本物の彼女と知って少しだけ声が上擦った。
たったの数日しか離れてなかったのに、これほど懐かしく感じるのはなぜだろうか。
柄にもなく漏れ出そうになった涙を舌を噛んで引っ込めてから、ゆっくりと少女の元へ俺は駆け寄る。
「どうしてこんなところに居るんだ。彩芽に捕まってたんじゃないのか?」
「それはこっちの台詞よ。アンタこそどうしてこんなところに?」
そこから俺はこれまでの事情をセイナへ話した。
日常と錯覚する周囲の街並みに感化され、つい色々と話したくなってしまう衝動を抑えながら要点だけを伝えると、彼女は要所要所で驚きつつもその事実を素直に受け止めてくれた。
「そう……竜は見つからなかったのね」
師匠の最期を知った彼女は、少しだけ寂しそうに視線を逸らした。
「アイツと何か話しをしたのか?」
「別に大したことは。でも、アンタのことは随分と根掘り葉掘り聞かれたわ。普段の生活態度や日常の出来事。まるで母親のように色々とね」
「そうか……ん?ちょっと待て、お前それでなんて話したんだ?」
まるでいい話し風に語らう少女に思わず頷きかけて、俺はもっと重要なその内容について問いただす。
だって考えてみろ。どれだけコイツが真面目に答えたとしても、決して俺のことを褒め称える内容になり得るはずが無い……とすると考えられるのは……
「なにその必死な形相。言った通りよ。アンタの日頃の行いを包み隠さず話してあげたわ」
あぁ、終わった。
全てを悟ったその一言に、俺の精神は一発でKOされてしまった。
しかしセイナはそんなことに気づくはずもなく、ノックダウンした俺の死体へ無意識に追い打ちをかけるように、その口を一切閉じてくれない。
「アタシのお、おおお風呂を覗いたところとか、ロナと脇目も振らずイチャイチャしているところとか、アイリスの胃袋を掴んでは篭絡しているところとか……って、なんでそんな頭抱えてんのよ?」
ていうか、今更何を悶絶してんのよ。と、過去に清算した罪状を片端から読み上げていたセイナは、それらを口にすることすら恥ずかしいと言わんばかりに頬を紅潮させている。
「っ……うぅっ……」
「ちょっと!なんでアンタが泣いてんのよ!?」
「だって……お前なぁ……うぅ……」
毛糸玉みたいにグチャグチャになった感情を吐露するように俺は啜り泣く。
俺にとっての竜は師匠でもあり元恋人でもあり、なんて言うかその……頭の上がらない存在だ。
母親という表現もあながち間違いではない。だからこそ、勘違いとはいえ俺の恥ずべき部分を包み隠さずバラされたことはつまり、隠していたエロ本が母親に見つかった時のような……もう、なんとも形容できない羞恥心でいっぱいなのである。
「あ、アタシが悪いって言いたいの!?こっちだって情報を少しでも搔き集めようって必死だったのよ?」
「あぁ、分かってるよ……お前の真面目さは俺が一番よく分かっているからもういいよ……」
まだロナなら冗談交じりに、アイリスならそもそも喋らなかっただろう。
しかしセイナは限度というものを知らない。一から百までを包み隠さず懇切丁寧に話したに違いない……セイナの意志によって捻じ曲げられた事実を全て……
「だったら初めからウジウジ言わない」
セイナはプイっと唇を尖らせているが、きっと話しを全て聞いていた竜は、彼女の天邪鬼ぶりに絶句していたに違いない。
「だからあんなに覚悟ばかり問い質してきたんじゃないだろうな……?」
「何か言った?」
「何も言ってません」
「ならよし」
俺は犬か。
で、なんでそんな満足気な顔をしてるんだお前は。
きゅっと締まったくびれに両手を当てて無い胸を前面に突き出すセイナ。
理由は分からないが、いつになく生き生きとした彼女の姿は間違いなく『セイナ』そのものだった。
「でも決して収穫が無かった訳じゃないわ。ヨルムンガンドのリーダーについても聞くことができたからね」
「先導者のことか?」
「あら、もう知ってたの。そう、その先導者がこの奥に居座っていることを竜から聞いたわ。とっとと行くわよ」
「お、おい!ちょっと待てって」
思い出したかのように先を急ごうとする彼女の手を咄嗟に取る。
いつも銃器を扱っているとは思えない、数日前と違わぬちっこい手を。
静止された彼女は『なに?』と視線だけで怪訝さを表した。
「さっきも話しただろう。ここは敵のアジトで、今も中国側に先制攻撃しようと海上を移動している最中だ。お前が見つかったのなら俺達がここに居る理由は無い。ロナ達と協力して魔術防壁を解除して脱出するべきだ」
パシンッ────
顔を背けたまま彼女は手を振り払う。
強い拒否反応に俺は言葉を失った。
「……アンタには無くても、アタシにはあるのよ」
誰もいない街中で呟いた彼女の言葉がポツリと響いた。
「先導者、お父様が失踪したことに関与していると思われる組織のリーダー。アタシがフォルテのところに行くことになった一番の理由。それが奴よ。ここまで敵の懐に入りこめたのに、むざむざ帰るなんてアタシにできるわけないじゃない」
そう漏らした心情は、彼女の中で言葉にしたくなかったという思いと同時に、相棒ならそれくらい気づいてよと訴えるようにも聞こえた。
「確かにそれは理解している。でもここで欲をかいて失敗すればそれこそ終わりだ」
普段ならもっと彼女の言葉に耳を傾けていたかもしれない。
しかし……
『近い未来、君の死は『必定』。回避したくば絶対に意志を曲げないことと、多くを求めないことだ』
機内でのお告げが頭の中でチラつく。
死が怖いという訳ではないし、本気で占いの結果を信じ切っている訳でもない。
それでも俺が死ぬということは、それ以上にセイナを危険な眼に合わせることに他ならないのだ。
例えそれが、彼女の生きる使命を否定することになったとしても。
「全然わかってないわよ」
当然、セイナは反論する語気を強めた。
「自分がどれだけ我儘なことを言っているかは分かってる、それにみんながどれほどの危険を冒してここまで助けに来てくれたかも理解している。それでもアタシには、それを無下にしてでも為さなければならない使命があるの……たとえその結果、アナタ達に嫌われることになったとしても……」
食いしばった思いの丈を語る瞳に薄っすらと涙が滲む。
家族や友人を護るために、彼女は嫌われることすら厭わないというのだ。
「なんだよそれ。お前の言う使命はそんな顔してでも為し得たいことだっていうのか?」
「そうよ!家族のためにもアタシは進まなきゃいけないのよ!どんなに苦しくても、逃げ出したくても、それがアタシ自身に与えられた使命だから」
「違う。そんな使命に殉ずることを、お前を知る者達は望んでなんかいない」
「アタシにこの使命を命じたのはお母様よ?どうしてそう言い切れるの?」
「俺がそう思っているからだ!」
こうなってしまった彼女を説得することなど出来るはずがない。
数か月とはいえ濃密な付き合いだ。それくらい理解している。
しかし、俺は言葉を抑えることが出来なかった。
「生きる意味なんて、他人が決められることじゃない。自分自身で決めるものだ。それに俺にとってお前は護るべき大切な存在だと────」
彼女が俺達に嫌われてでも使命を遂行しようとするように、俺も彼女に嫌われてでもセイナを生かしたい。そう強く思っていた。
普段ならきっと彼女に気圧されていたかもしれない。
でも今は、不思議と跳ね上がる鼓動が気持ちを体現することに躊躇していなかった。
「フォルテ、いや……」
そのブルーサファイアの瞳が何かに気づいて、剃刀のように鋭さを増した。
「アンタは……一体誰?」