ネモフェラのお告げ2
「ッ!?一体なんの爆発音だ!」
「ど、どうやら一般市民の暴動のようです!」
防衛大臣に促された松下がすぐさま確認し、状況を的確に伝える。
「バカな、それにしたって迅すぎる。これではまるで────」
「初めから仕組まれていた」
ベアードはすぐさま立ち上がり、迅速に行動へと移す。
「どこに行くつもりだ?」
叫ぶように俺が呼び止める。
咎めようとしてではなく、そうでもしないと早朝の静寂をぶち壊しにしたこの乱痴気騒ぎの中では声が届かない。
それほどまでに一般市民の暴動は過激さを際立たせていた。
「ここでは袋のネズミだが、幸いなことに彼らの目的は私だ。なら注意をもっとこちらの有利な場所へと移すほかない」
大統領を追う様に会議室から飛び出して、俺は窓下に映る景色を見て言葉を失った。
マフィアの抗争を思わせる聴きなれた銃声。目覚めた時はあれほど美しかった広場は火炎瓶の黒煙が立ち昇る。
その中から擾擾と現れたのは、服装こそ市民と差し支えない、獰猛果敢な戦士の姿。しかしそれらは見せかけに過ぎず、その本質は感情を持たない傀儡に他ならなかった。
「やはり先手を打ってきたか」
何度も見たことのある操られた人々を前にして、ようやく正気に戻っていたアルシェは侮蔑を表す。
「あの公開放送には彼女の念じ、催眠の類が練りこまれていた。あの程度なら大した効果は及ぼさないが、気の弱い者なら話は別だ」
気の弱い……この周辺には政府の対応に疑念を抱き、莫迦な連中にかどわかされた者達が徒党を組みだしていた。
自身の意思ではなく、周りの思想に流された者の集団なら、暗示にかけられても詮方なきことだろう。
「それが奴の、彩芽の能力か?」
然り。短い肯定を残して淡い水色の魔女は先行する。
「来い、こうなることを予見して策は打ってある。詳しい話しはそのあとだ」
「でもここはどうするんだ?」
暴徒と化した市民は手強い。
力ではなく、彼らに恐怖も躊躇いも存在しない。
一種の無敵の戦士を前にして、こちらは殺すという選択肢を取ることはできない。
仮にそうしてしまえば、今度はもっと大量の市民がここへと終結する火種と化すことは目に見えていた。
「私が指揮を取ろう」
即断即決した伊部が名乗りを上げ、それに追随する形で川野、松下も傍に付き従う。
「ここは何としても死守する。我々日本の威信にかけても必ずな」
簡明直截に言ってのけては混乱状態の事務室に矢継ぎ早な檄を飛ばす。
背水の陣を以てしても彼らの心情が揺らぐことは無い。
「大統領、私もここに」
「うむ、彼らのサポートを頼む」
ベアードに耳打ちしてから、ジェイクは背にした二振りの刀を抜き放ち、意気揚々と下層階に降りていく。
「死ぬなよ!」
俺の言葉にジェイクは不敵に笑って返す。
「そっちこそ、勝手に死んで俺の仕事を増やすんじゃないぞ」
腐れ縁のやり取りが事務室の喧騒に搔き消されていく。
名残惜しさなど微塵に感じさせない迅速な動きで、俺達は互いに向かうべき場所へ走り出す。
「早く!こっちだ」
アルシェはジェイクとは真逆、上層階に向かって手招きしている。
「おっと」
他の面々が続々と目的地に馳せ参じる中、会議室に忘れた居眠りを抱きかかえてその場を後にする。
のちに、歴史の一ページとして刻まれる今日は、こうして始まりを迎える。
彼らしいと言えば誰もが頷くだろうその日は、命日と言うには少々騒々しい幕開けとなった。
会議室に居た面々を屋上で待ち受けていたのは、待機中の輸送ヘリCH-47Jだった。
軍事経験と執事の嗜み(?)という理由から機長席にはベアードとセバスが乗り込み、俺達は後部の格納スペースに飛び込む。
前後部に備え付けられたタンデム式ローターが風斬るように周りはじめ、ゆったりとした動作で浮遊し始めたCH-47Jが防衛省を後にする。
「訊きたいことは山ほどあるが、まずはそのヨルムンガンドの目的とやらを話して貰おうか」
眼下に繰り広げられる戦闘の喧々たる様が次第に遠くなっていくのを後目に、俺は眼の前に坐する魔女へと口を開いた。
「前提として、君達は私達のことをどう思う?」
「私達?」
「祝福者。神の加護を受けし者達についてだ」
格納スペースの側面に設けられた座席に腰掛けていた俺とロナが、その問い掛けに顔を見合わせる。
アイリスは、この揺れの中でも変わらず気持ちのよさそうな寝息を立てていた。
「捉え方は人それぞれだが、魔術と同じで便利、扱い方によっては脅威。そんなところかな?」
ロナが当たり障りのない平凡とも言える答えを提示する。
日本の方々と直属の上司が居なくなったことで仕事モードをすでに切った彼女は、胡坐を搔きながらPCを弄っている。
普段の格好と違って何処か艶めかしい黒タイツに包まれた美脚、それに相反するお行儀の悪い格好は思わぬギャップで眼のやり場に困ってしまう。
「それは常識人らしい正しい物の観方のようで、実際は違う。君のそれはまともな思考と確かな価値観を持った常識人としての考え方だ」
それを踏まえて常識人ではないのか?
こちらの懐疑的思考を表情から読み取ったらしいアルシェは、軽い嘆息を零す。
「答えは便利もなにもない。人にとっては脅威にしかならないんだ」
言いきって彼女は古傷が痛むかのように、きゅっと胡桃色の制服の袖を掴む。
「君達のような柔軟な考えを持ち合わせている者なんていない。人っていう生き物は分からないことを恐怖としか捉えようとしないんだ。私はそういった村の集団にずっと迫害を受けていた」
ヘリの揺れとは別、魔女の身体は小刻みに震えている。
それが演技でないことは瞬時に分かった。
かつて、俺の隣にいるこの少女も同じように怯えていたから。
身体の内側、心に刻まれた傷跡に。
「そこから救い出してくれたのが『ヨルムンガンド』だったの。条件と引き換えに私は組織に加入することへ同意したの。そうしないと私は、あそこできっと異端として辱められ、最後は殺されていたから……選択肢なんて無かった。でも、最初こそ仕方なく入った組織だったけど、加入してみてその印象はガラリと変わったわ。あそこは、私にとっては天国のような場所だった。いうことさえ聞いていれば、何でも与えてくれたから」
「それで……テロにも加担したのか?」
「まさか、その逆よ」
彼女はきっぱりと否定した。
「『ヨルムンガンド』の組織思想はあくまで祝福者の保護。私と同じような異端者を匿い、世に混乱を招くとされる神器を管理する組織なんだよ」
衝撃、という以上の言葉が見つからなかった。
セイナを狙っていたのはそういうことだったのか。
しかし何故だろう。
俺は当事者の話しを耳にしても尚、組織がセイナを狙っていた理由がそれだけでは無いような気がしていた。
それは一言で表現すると勘という奴だが、彼女に対する組織の扱いは、そういった疑念を抱かせるほどの過剰さを極めていた。
「そのためなら、アルシェ達から見た一般の人達は傷つけても問題ないと?イギリスでもアメリカでもした時のように……それじゃアルシェのやっていることは、アルシェに対してやっていた人達と同じことじゃない」
ここにきて初めて知ったその事実に、俺はおろか、この場に居た全ての人が驚嘆させるに値していた。
しかし、ロナは僅かばかりPCから視線を外しただけで、機内にそう吐き捨てていた。
まるで過去の自分にも言い聞かせているように、嫌悪や侮蔑といったものを視線に交えて。
「それについては重々理解しているよ。現行の状況を見れば、私達がしてきたことが間違っていたことはね……」
批難と贖罪。それらは決して分かり合うことができない。
機体の両脇で睨み合う少女二人。
その姿があまりに痛々しく、俺は堪らず口を開いていた。
「ヨルムンガンドは本気で戦争を引き起こそうとしているのか?」
「……判らない。でも本当に、初めの頃はどんな理由があってもここまで過激なことはしなかった。それがある時を境に、先導者からの指示に変化が────」
「コンダクター?」
独り言のように零した、彼女の心境から現れたそれに俺は首を傾げる。
「先導者……『ヨルムンガンド』を統括する創始者の名称だよ。基本、私達は彼からの指示を受けて行動しているの。さっきも言った条件というのも『先導者からの指示は絶対』というもので、大体が神器や神の加護を持つ者の保護になっている。逆を解せば指示さえ遂行していれば権利も欲しいものも思うままということとなっていたからこそ、誰も一度だって文句を付けたことが無かった」
でも、と疑念を抱く淡い水色の視線が下がる。
「今年の四月くらいからか、それをいいことに目的の為なら手段すら選ばないような指示が出されるようになっていた。今にして思えば目的と手段の相互関係、それらが徐々に逆転しつつあった。私達の目的は神の加護保持者を世間から救い、無駄な争いを生まないことが目的だったのに。それを成し遂げるための手段として、外部から傭兵紛いの輩を雇ったり、神の加護を技術転用した武具開発に力を入れるようになったり……」
まるで遅効性の毒のようだ。
俺は彼女の話しからそんなことを思い浮かべていた。
日々の微細な変化というものは意外にも気づかないもので、それは自身にしても、他人にしても同様である。
刻々と変化しつつあった組織の異変にアルシェ達は本気で気が付かなかったのだろう。
決して許されることではないが、視点を変えれば彼女達も被害者ということになるのかもしれない。
「その先導者は一体どんな人物なの?」
俺が聞くよりも先に、同じ思考に辿り着いていたロナはそう切り出していた。
「分からない。声から男性とは分かるけど、それ以上の情報などは誰も知らない」
それはアルシェ達にとっては人物と言うよりも、システム、神のお告げに近い存在だという。
「直接会う時も顔は視たこと無かったし、私のように迫害から護ってくる存在であるのならと、特にそのことに不信感を抱くことは無かった……でもだからと言って、彼に全ての責任があるわけではない。彼に依存しきってしまい、私心を放り捨てていた組織全体に問題があったんだ」
「────ちょっといいかい」
三者の誰でもないその声は、機内の座席よりも下から響いてきた。
「その先導者って言うのは分かったけど、今回の件、裏で握っているのは彩芽だろう?そこの関係性はどうなっているんだい?」
床で寝ころんでいたアイリスが身を起こし、猫のような奔放さで伸びをする。
寝ながらも一応は話しを聞いていたらしい。毎回思うがどうやってるんだ、それ?
「彩芽は組織の中でも例外で、さっき話していた傭兵として組織に加入したんだ。だから神の加護も持ち合わせていないと本人は言っていた。ただ前々から彼女、先導者にはだいぶ重宝されていたのは確かだよ。人を操るあの催眠術は、色々制約があるらしいにしても随分使い勝手がいいからね」
それが羨ましいのか?幼年の魔女は膨れっ面でプンプンと年相応に妬んでみたりする。
殺し合いをした間柄、どうしてもそうは視えなかったが、こうしてみればやはりセイナ達とさほど歳が変わらない少女だと改めて認識させられる。
制約?とやらについて聞いてみたら、アルシェは簡単に教えてくれた。
「彩芽のあの術は男性限定にしか効かないらしいよ。一体何をしているかは知らないけど、本気で支配下に置くにはそれ相応の時間が必要だって聞いたこともあった」
でも、所詮はその程度の制約。予言などよりよっぽど現実的な能力。とアルシェは薄ピンクの唇に歯を立てる。
不意に、隣に居たロナがジトっとした視線で睨んでいたことに気づく。
「どうした?」
「べつにーなんでもないよー……ただ綺麗な綺麗な彩芽ちゃんが使う、男性限定の術に、うちのダーリンが引っかからないか心配していただけぇー」
一体何を想像してか、ロナは口を尖らせてはプイッとヘソを曲げてしまう。
ヒューと運転席から囃すような口笛が響く。やかましいわ。
「でも、捕まったセイナが術に掛からないのなら同士討ちを警戒する必要がない……でも心配だ。彼女の男勝りな性格が災いして、女の子として認識されない可能性も否定できない……」
ボソボソと考察を述べるアイリス。
これには否定できないと、運転席から溜息が零れた。
全く風評被害にも程があると、俺は軽い咳払いで場を改める。
「じゃあ、先導者も────」
「それは無い」
反論の予断すら与えない否定。
分かることにはハッキリと断言するあたり、この少女に嘘をつくという選択肢は持ち合わせていないらしい。
「私達、神の加護を持つ者は分野に問わず戦闘力には長けている。ならその組織のトップがどうやって数十年も君臨し続けて来られたのか……言わなくても分かるだろう?」
疑いの余地も無いと、有無を言わさぬ肯定に自然と身体が強張る。
なんせ俺達は、そう告げる眼の前の魔女一人にすらだいぶ手こずったのだ。
「一度だけ、彼が闘う様を目撃したことがある」
傭兵として加入しようとした人物が、何を罷り間違って先導者に歯向かったらしい。
「『俺にその座を譲れと』実力も無かった訳じゃない。純粋な強さでなら私よりも遥かに上位だった。それにその傭兵に関わらず、彼と同じ野心を持つ人物は組織内にも多かったと思う……でもその日を境に、誰もがその考えを捨てることになるとは……近くで戦闘を見ていた私自身も思いもしなかった」
さっきとはまた違う身体の武者震いを、今度は隠そうともせずに語るアルシェ。
「会得している魔術は数知れず、体術、知識、何をとっても世界最高クラスの実力の持ち主。それだけでも計り知れないのに、極めつけは唯一無二の神の加護を持ち合わせていること。仮に、組織の連中が束になったとして勝てないでしょうね……」
魔術に長けたアルシェを以てしてもそこまで言わしめる人物。
もしかするとそれは、組織に組みしていた師匠よりも強いのかもしれない。