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SEVEN TRIGGER  作者: 匿名BB
神々に魅入られし淑女《タイムレス ラヴ》
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満月夜の餞別《ドラゴンスレイ》3

「はぁあっ!!」


 七、八メートルの距離を僅か五歩で詰め、鋭い斬撃を振るう。

 銀翼にも似た刃の煌めき。

 その軌跡が(しばた)く合間に撃ち落とされる。


「甘い!!」


 ギリギリまで引き付けてから忍者刀で払った竜は、返す刃で俺の喉元を狙う。

 バチバチと走る銀光が瞬きの内に死を運んでくるのを、俺は僅かに首を竦める。

『死』が首元を掠めていく。

 ほんの数ミリでもズレていれば、今頃背の低いこの少女を見上げることになっていただろう。

 それに、斬撃すら飛ばすことのできる彼女の剣術を前に、実際の刃の長さ(リーチ)は宛にはならない。

 今のは俺の斬撃を防いでからの一撃ゆえに斬撃を飛ばすことができないと予見した上での回避だったが、身体と同じでその思考回路に少しでも狂いが生じれば致命傷は免れない。

 死への恐怖を打ち消すように、回避してすぐ刃を振るいに前へ出る。

 前へ、前へ、前へ。

 たちまち俺と竜の間合いは手の届く位置で固定され、壮絶な近距離乱戦(インファイト)へと発展する。

 切り結ぶ斬撃が金音のアンサンブルを奏で、滴る血と汗が乾いた石垣に染みていく。

 瞬きどころか呼吸すら忘れた身体が、痛みや悲鳴よりも先に沸き立つように震える。

 死への恐怖、生死のやり取り、生への渇望。

 そうした生き物としての本能が(もたら)興奮(アドレナリン)が脳を支配していく。

 しかし、一度でもそれに身を任せた瞬間、俺の身体は絶頂を迎えたまま真っ二つに朽ち果てるだろう。

 心は熱く、頭は冷静に。

 口で言うのは簡単だが、その意図しない高揚感で浮足立ちそうになる身体を抑えるので今の俺は精一杯だった。


「……」


 対する竜は、まるで機械のような据えた視線で俺の先の先の先まで見抜く。

 五倍に強化している男の俺を往なす少女は、真夏すら凍えてしまいそうな氷塊のように冷静だ。

 先ほどはあれだけ意気揚々と名乗りを上げていたのに、彼女は切り結べば切り結ぶ程に鋭く、速く、重く、その精度を高めていく。

 元より判っていたことではあるが、こうして魔眼を用いてようやく互角の俺にとって長期戦は圧倒的に不利。


「くっ……」


 何十と斬光が飛び交う光景は、(まさ)しく乱舞そのもの。

 理論と経験、意地と矜持がぶつかり合う様は美しくも危うく、精巧なガラス細工のように儚さを兼ね備えている。

 その何かの拍子に壊れてしまいそうな(おそれ)を、俺は身の内で感じていた。

 強い……っ!

 かつての師と交える斬撃の数々を無意識に捌く手に感覚は無く、それを律することも叶わない。

 もしここで少しでも何かに気を向ければ瞬きすることなく自分の死に様を受け入れることになるだろう。

 だから、悩むな……

 何百と霧散する斬撃の群。

 酸素を欲する足が、手が、痙攣を始める。

 対する竜の頬には汗一つない。

 まるで谷間に張られた薄い障子紙の上を走らされているような気分だった。

 綱渡りならどれほど簡単だったか。

 あれは技術と度胸さえあれば誰でも()()()。可能のことだ。

 しかし、どんな技術や度胸を以てしても一歩踏み出せば絶対に穴の開く薄紙の上など、一体誰が走れるだろうか?

 今の俺はそんな不可能(勝利)を掴むために、迷い、思考、要らない物全てをかなぐり捨て、刀を振るう。

 それでも届かない。

 返し切れなかった斬撃が総身に無数の傷を(もたら)す。

 傷一つない竜の乳白色の肌を、俺の血で濡らしていく。


 ────なら


 身体に残った酸素を搔き集め、右眼の段階(ギア)を上げる。

 三百六十九回目に交える斬撃。

 紅色の軌跡が見せる三倍上昇の八倍で切り払う。

 竜はそれを軟らかな筋肉の動きと業で辛うじて受け流した。

 その先にあった海が、衝撃に充てられて水柱を上げる。

 瞬間の間隙。

 深く息を吸い、両者が技を見舞う。


「月影一刀流『如月(きさらぎ)』!!」


 月夜に返す小太刀と、与えられた衝撃を乗せて一回転した忍者刀が激突する。

 否、その寸前で押し留まる。


「!?」


 相手の斬撃を弾いて懐に潜り込むカウンター技を振るおうとした俺の小太刀が、両者の何もない虚空で動きを止めた。

 いや、刃だけではない。

 俺の身体そのものが前に進まなくなっていた。

 眼を見開いた先で、竜は俺ではなくその何もないはずの空間を刃で薙ぎ、呟いた。


「月影一刀流『文月(ふみづき)』」


 パチンと収めた忍者刀の残身と共に、まるで魔法でも唱えたかのように俺の身体が震えだす。

 断じて恐怖からではない。

 振動は手から腕、肩から全身へと伝わり────濁流のような衝撃に吹き飛ばされる。


「がはっ!!」


 飛翔する斬撃。

 抗えない力の波に襲われた身体が無造作に石垣の地面へと叩きつけられる。

 竜の『文月』は(まさ)しく竜巻そのもの。

 それも俺のような力技で放っているのとは違い、精密な型と乱れぬ太刀筋だからこそ成せる玄人業。

 隙を突いたと思っていた俺の攻撃が、いともたやすく往なされてしまった。

 しかし、痛みに呻いている余裕はない。

 投げ出された身体が地を掴み、何とか体勢を立て直そうとする。

 何度も何度も経験した身体は無意識に受け身を取り、教わった通りに武器だけは死んでも手放さない。

 ────殺気!

 ぞわりっ!と感じた怖気に顔を上げるよりも先に真横に飛ぶ。

 刹那、数メートルをたった一歩で跳躍した竜の刃が(くう)を切る。


 月影一刀流『卯月(うづき)


 最上段に構えた刀身を跳躍の勢いと共に振り下ろす、距離を詰めるには最適の突進技。

 その速度は然り、言わずもがな。何より技の威力に眼を瞠る。

 石垣の地面はクレーターを作り、収まらなかった斬撃は海を左右に押し寄せ道を作った。

 一体どんな修練を積めばそんなことができるようになるのか。

 水柱を上げた程度の俺の技が可愛く思えてくるぜ……

 ギリッと噛み締めた奥歯が軋む。

 どうやら力の入れ過ぎで一部が欠け、吐き捨てた血反吐に小さい白が混じっていた。

 対して竜は無表情のまま刃こぼれ一つない忍者刀を払う。

 海を割る道が閉じた衝撃同士のエネルギーで押し上げられた海柱が、塩辛い霧雨を降らす。

 身体中に突き刺すような痛みが走り、自身がどれだけ傷ついていたかを初めて知った。

 それでも……まだ身体は動く……

 腕も、足も、思い通りに動く。

 動くのなら勝機はある。

 たった1パーセントでも、0.01パーセントだったとしても、勝機があるなら諦めない。

 セイナを助けるためなら……!


「ほぅ……その眼、やっぱりよく似合っているじゃないか」


 抑揚のない無感動な声で賛美する竜の先────紅蒼の両眼を見開いた俺は深く息を吐く。


「アンタが身に着けていた時と比べたら遠く及ばないさ」


 今日は満月。

 竜から貰ったこの魔眼(ブルームーンアイ)が一番力を欲する日だ。

 それを右眼(レッドデーモンアイ)が封じ込めていく。

 ()()で調整しつつ、自身が耐えることのできる限界までその能力を引き出す。

 よし……何とか……っ!

 初めてその左眼で満月を視ることが叶った今、筋肉からパキパキと小気味のいい悲鳴と共に三十倍まで引き上げた力が全身を駆け巡る。

 命の蝋燭(ロウソク)をバーナーで煽るような、魂と肉体を擦り潰す諸刃の剣。

 その代償に手に入れた力を両脚に込めて跳躍。足元にあった石垣が爆発的衝撃で抉られる。

 遠距離を斬る技を多彩に持つ竜を前に、距離を取るのは愚策。

 例え銃を以てしても、二キロ先からの銃弾を斬るような人間に効くはずがない。

 なら、悩む前に何度でも懐に飛び込んでやる!

 台風の眼が一番安全であるように、俺は斬撃の暴風雨の中に果敢に飛び込んでいく。


「自らの命を削ってでも立ち向かうか。その意気や良し」


 再び凄絶な連撃に持ち込んだ俺の刃と切り結ぶ竜は、その立ち振る舞いを乱すことなく可憐かつ風雅に迎え撃つ。

 三十倍は師匠にも見せたことない領域だったが、あろうことか、竜は難なく対応しきれている。


「君の護りたいって気持ちはこの程度なの?そんなんじゃあいつまで経っても私に刃を突き立てることは敵わないよ」


 俺の気持ちを煽るように、

 底知れぬ少女の圧倒的力量差に、絶望を抱きそうになる思考は(から)にする他なかった。

 が、しかし。力の代わりに空にした思考が要らぬ副作用を引き起こす。

 少女の柔肌目掛けて振るう一撃を、墨黒の瞳が見切った。


「ッ!!?」


 動作を極力抑えた敏速な切り上げ。

 思わぬ反撃を食らい、刀を振るう右手が跳ね上げられてしまう。


暴虎馮河(ぼうこひょうが)……考えなしというのは頂けないな」


 どうやら力にばかり囚われていたせいで攻撃のリズムが単調になっていたらしい。

 俺の懐に忍者刀の刀身が充てられる。

 ()られる……っ!!

 押し付けられた『死』に息が詰まる。

 忘れていた恐怖に身体が硬直して動けない。

 もうどうしたってその斬撃()を回避することは叶わない。

 ただただ眼に映る確定事項が事を成すのを、俺は受け入れる他無かった。

 いいや……まだだ……

 受け入れてなんてたまるか。


 こんなことで、こんな場所で、すぐ手の届く距離にいるあの少女を俺は……


(諦めてたまるかぁっ!!!!)


 左眼が一度大きく脈を打つ。

 通ずるはずのない思いに応えるよう、世界がほんの刹那、動きを止めた。


「なに……っ!?」


 竜の墨黒の瞳に初めて動揺めいたものが映る。

 あとは引き切るのみだったはずの刃の前に、鋼鉄の義手が割り込んでいた。

 ほんの僅かに左眼に違和感があったこと以外、自身でも何をしたのかよく分かっていなかった。

 ただがむしゃらに動いていたらこうなっていたのだが、どんな形にしろ勝機(チャンス)であることに変わりない。

 俺はどうやってか押し込んだ左腕で竜の刃を自身の左側に受け流す。

 あれほど精緻だった竜の態勢が崩れる。

 決着とまで思われていた形勢が逆転した瞬間だった。


 月影一刀流『睦月(むつき)


 本来は刃で攻撃を受け流しつつカウンターをいれる技だが、俺流の義手を用いた変則(二刀流)版。

 防御と攻撃をほぼ同時に繰り出した攻撃は、見事にガラ空きの左懐を抉る様に振りぬいた。


 ガチィィィィンッッッッ!!!!


 手が痺れるような重い衝撃は、人体を切り裂いたというよりも鉄をぶっ叩いたような感触だった。

 事実、さっきのお返しとばかりに数メートルは弾き飛ばした竜から、血が流れることはなかった。

 コマ送りのような間隙の最中、俺と同じように竜も理論上説明できない速度で刃を滑り込ませ、不可避の一撃を防いでみせた。

 やはり、この程度では倒すことはできないか……

 微細に感じた勝利よりも、一体どんな方法で防いだのか?と、そのタネを見破るべく視線を飛ばした先────捉えた師匠の姿に俺は呼吸すら忘れる程の衝撃に襲われた。


「そんな……バカな……っ!?」


 血の代わりに全身を覆う(あか)い衣。

 その中でも一点だけ、閉じた左瞼の内から溢れんばかりの光が内包されていた。


「驚いたよ……まさか、君が私を本気にさせるとはね」


 ゆっくりと……本来あるべきはずのない左眼がゆっくりと見開かれる。

 目標に狙いを定めるレーザーのように、感情のない威圧感がこちらを()た。


「おかげでもう手加減のする必要はなくなったかな」


 三日月のように吊り上がる口の端は、弟子の成長に悦喜してか、それとも、その瞳が齎す凶暴性がそうさせているのか。

 満月を背に立つ少女の姿が、かつての悪鬼と重なる。


「来な、フォルテ・S・エルフィー。今度こそ本気で殺してあげるよ!」


 あの夜と同じ、悪魔の紅い瞳(レッドデーモンアイ)が対峙する。

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