悪魔の誘い
やってしまった……
誰も乗っていない電車に揺られながら、アタシは一人ベンチに座って俯きながらそう思った。
ここ一週間我慢していたものをあんな感情的に吐き出してしまうなど、ホントアタシは忍耐力が無いなとつくづくそう思う。アタシは自分のしたことに激しい嫌悪感のようなものを覚えた。
でも、フォルテに対して言ったことはあれは全て偽りのない本音だった。ここ数日アタシがずっと我慢していたこと、言えずにいたこと、思っていたことその全てだった。普段のアタシなら、それだけだったらまだ我慢もできただろう。現にヤクザ狩りの仕事を聞いた時や、仕事の最中にされたことに関してはまだ我慢することができていた。あの表情を見るまでは……
「ッ……!」
アタシは思わずその時のことを思い出して両拳を強く握った。
アタシが魔術中毒者にとどめを刺したときに見せたアイツのあの憐れむような表情、そしてさっきの夜道でのあの言葉を前にアタシはこの感情を抑えることができなかった。アタシのことをあんな可哀そう子を見るような表情見た奴は初めてだったし、覚悟の無い少女と思われていたことにすごい屈辱感を覚えたのだ。
仮にも特殊部隊の隊員である身、いつでも人の命を奪う覚悟はできている。それを今更少女である見た目一つでアタシは殺しの覚悟ができていないとずっとアイツに思われていたことを知った時は悔しく、そして悲しかった。
「結局、相棒と言ってくれたのは嘘だったんだ」
アタシは誰もいない電車の中一人呟いた。
ケンブリッジ大学がテロリストに占拠され、バッキンガム宮殿の地下に閉じ込められた時に、アイツがアタシに「相棒」と言って手を差し伸べてくれたことが素直に嬉しかった。人生で初めて誰かに必要とされているようなそんな気がしたからだ。
しかしそうだと思っていたアタシの気持ちはどうやら勘違いだったらしい。
アタシのことを相棒と言ってくれたアイツはアタシのことなど頼っていなかった。信じてくれてもいなかったからこの一週間のあいだ一度も仕事に関しての話しをくれなかったのだ。
唯一くれた仕事のヤクザ狩りの時も、七階に上るまでの間に仕事を受けたのは今後の資金調達とフォルテに言われ、皇帝陛下や神器と関係のないことにアタシがガッカリしたのは本当だが、それでもアタシなりに一生懸命やった。それを、アイツの命が危ないと思ってやったことをまさか「殺す必要はなかった、俺は大丈夫だったと」あんなふうに言われるなんて思いもしなかった……
「アイツからしたら、やっぱりアタシは厄介者だったんだわ」
いきなりパートナーと言って家に押しかけて、本人と関係のない仕事をさせようとすれば誰だってそう思う。当然のことだ。ケンブリッジ大学のテロ事件の時にアイツの言った相棒も仮のものだったということも分かっている。それでもアタシはアイツに相棒と言われたことを本気にしていたのだ。本当は分かっていたはずなのに……
アタシは窓の景色を見ようとして俯いた顔を上げたが視界が滲んでいた。気づいたらアタシの頬を一筋の涙が流れていた。次第にそれは二つ三つと増えていき、抑えることができなくなる。
アタシは……アタシは多分アイツにもっと頼って欲しかったんだ。
資金集めでも何でもいいからなにか仕事を任せて欲しかった。魔術中毒者にとどめを刺した時も何かしら声を掛けて欲しかった。それが例え「助かった」や「ありがとう」のような一言でも良かったのだ。相棒としての言葉が欲しかったのだ。欲しかったのはあんな言葉と憐れむような表情ではない。
だが、アタシの頭からその二つがどうしても離れてくれない。いくら泣いても、違うことを考えてもあの言葉とアイツの顔が脳裏にこびりついて剥がれない。
そう思って泣いていたアタシは涙を拭くためにポケットからハンカチを取り出そうとした。服のポケットに触れた時に、そこでようやく自分のスマートフォンが振動していたことに気が付いた。
電車の揺れと感情が安定していなかったことで今の今まで気づいていなかったが、どうやら誰かから電話がかかってきたらしい。
電車の中ということと、多分電話の主がアイツだろうと思ったアタシはその電話が切れるまで無視していると、切れたと同時に再び着信を知らせてスマートフォンが振動し始める。
アタシは大きくため息をつきながら電話の着信相手を見ると登録してあったフォルテでも、女王陛下や妹でもない非通知となっていた。
不審に思ったアタシは、辺りに人がいないことを確認してからマナー違反を承知で電話に出た。
「……もしもし?」
「お前が、セイナ・A・アシュライズか?」
涙を拭いて電話に出たアタシの耳元で機械的なボイスチェンジのされた性別不明の電子声が聞こえてきた。アタシは名前を言われたことによってこれが間違い電話ではなく、アタシにかけようとしてきたものだと知って警戒心を強めた。
「お前は誰だ?」
「ヨルムンガンド……」
その一言を聞いてアタシの表情が一気に険しくなった。ケンブリッジ大学のテロ事件以降なんも見つからなかった手掛かりが、まさか向こうから転がり込んでくるなんて……
「まさか、そっちから連絡してくるなんて、一体何のようかしら?」
あくまで平静を装いながら、スマートフォンを強く握ったアタシに電子声は告げた。
「一つ我々と勝負をしないか?」
「なんですって?」
思わぬ提案にアタシは自分の耳を疑った。
勝負ですって?一体何を考えているのかしら?
「今から三時間後、港町の外れの廃工場まで一人で来い」
「そんな指図にアタシが乗るとでも?」
「君たちの探している神器を一つ、私が所有している…これを聞いてもそう言えるかな?」
神器、ずっと探し求めていた手掛かりをちらつかされて、思わずアタシは押し黙ってしまう。
「我々はただチャンスを与えているだけだ、相方であるあの男を連れずに君が一人で来ると約束するのならば、港町の外れの廃工場で勝負をしてあげよう。君が勝てばこの雷神トールの神器「メギンギョルズ」を渡してあげよう。だが君が負けたら我々と共に来てもらう、どうだ?」
世界で確認されている雷神トール神器の六つの内の一つ 「メギンギョルズ」
「力の帯」を象徴するメギンギョルズは、装備することで使用者の力を増大させる能力を持った神器である。一か月ほど前にバッキンガム宮殿にあったはずの神器だ。
アタシはなんと返答しようか迷った。
こんなあからさまな罠に乗っかるほどアタシも馬鹿ではない。だが、アタシの周りにはもう頼れる人物なんていない、フォルテに連絡しようと一瞬思ったが、ああ言って別れを告げたアタシが都合よく助けてなど頼める訳がないし、それにもうフォルテに助けて欲しいとも思わなかった。仮に頼もうとしたところで、もうアタシの乗っている電車が終電だったのでどちらにしろ戻っていたら三時間後には間に合わない。そう考えると、アタシに残された選択肢は一つしかなかった。
「いいわ、その誘い乗ってあげる。それにアンタ勘違いしているようだけど、アイツはもう相方でも何でもないわ、アンタなんかアタシ一人で十分よ」
「な、なんだと?」
アタシが電話越しに強気にそう言うと、なぜか少しだけ動揺したように電子声が返ってきた。
この程度の発言で動揺するのには多少の違和感を覚えたが、それを少しチャンスとばかりにアタシが煽る。
「あんな奴とのパートナーなんか止めてやったわ!でも、アンタみたいな電子声でしかしゃべれない臆病者なんかアタシ一人で十分だって言っているのよ!」
「ちょ、ちょっと待ってろ」
電子音が動揺を隠しきれないままそう言うと声が聞こえなくなり、同時に砂嵐のような音が聞こえだした。
「???」
なんだ、こいつ。本当は大したことない奴なのか?アタシは首を少し傾げて返答を待っていると、砂嵐の音の向こうから、何やら会話をするような声が途切れ途切れで聞こえてきた。
「やば………あ…き…どう……すか!?」
「……そだろッ!しか………から…とり…えず…こい……つれ…こい!」
「りょ……です!」
よく聞き取れなかったが訛りが強い英語だろうか、アタシが砂嵐に耳を傾けているとまた電子声がしゃべりだした。
「と、とにかく、今から三時間後に一人で港町の外れの廃工場までこい」
落ち着きを取り戻したように電子声はそう言うと電話は一方的に切られた。
アタシはスマートフォンを耳から外して神妙な面持ちになる。気づいたら、さっきまでの涙も乾いていた。
本当にこれ行って大丈夫なのかしら。
アタシは電車の中で一人なにか別の不安に駆られるのだった。