真意の嬌飾《リアマスク》4
リー・ハーヴェイ・オズワルド。かつて大統領を狙撃してみせた人物の二代目。
まるでそれが俺であるかのような態度に反論する気力は残っていなかった。
ベアードが死んだ。
俺の中で繋がっていた何かが音を立てて途切れる。
真実に打ちのめされたその様子が愉快痛快だったらしいクリストファーは、大統領が暗殺されたことに何一つ憐れむことなく目元を吊り上げた。
「それどころか、あともう少しで女王陛下まで暗殺できそうだったのに、残念だったな。史上初の二国首脳陣暗殺については失敗だったな」
パツンッ……
「それでもよく粘ったじゃないか、こうして捕まるまでに混乱する人々の中にヘリまで撃ち落すなんて。おかげで尊い民衆が少しばかり燃えたらしいぞ、君はテロリストの鏡だな」
パツンッ……パツンッ……
何度も音を立て、俺という自我を保っていた何かが途切れていく。
他国のみにならず、自国の王女が撃たれても飄々としているクリストファーの姿に、初めて会った時から抱いていた疑念が確証へと変わる。
「お前が……お前が全て仕組んだことだったのか……っ!」
大統領暗殺も、女王陛下暗殺も、全てはこの男が裏で手引きしていた。
盲点だった。
俺やベアードは外敵に対しては予防線を張り巡らせていた。
それがまさか、もうすでに敵が内側に潜んでいるとも知らずに。
幾ら警戒しようとも、たとえ日本の警備レベルが世界上位だとしても、それら情報が全て筒抜けの状態ではどんなに頑張っても防ぐことは不可能だ。
だが、そうだとしてもいくつか疑問は残る。
一つは、どうやってクリストファーがヨルムンガンドと接触をとり、連携していたのか?
そして、なぜそのような暗殺計画を実行に移そうとしたのか……その動機が分からなかった。
こちらの真意に気づいているはずのクリストファーは、見えずとも想像つくお道化た様子で肩を竦めた。
「私がやった?いいや違う、大統領と女王陛下を狙撃したのは君だ。例えそのおかげで療養中の現イギリス皇帝陛下も、大統領のついでに撃たれた女王陛下もいなくなったことでこの私が皇帝陛下となろうとも、その原因を作ってくれたのは実行犯である君だ。私は決して何もしていない」
絶句した俺は返す言葉が見つからなかった。
この男は自分が皇帝陛下になるためなら、例え自国の王女を傷つけようとも、罪を擦り付けるために他国の大統領を暗殺することさえも厭わない。そう告げたのだ。
とぼけた様子を演じていた声が、さらに耳元へと近づいてくる。
「安心しろ、私が皇帝になった暁には、貴様の代わりにセイナのこともちゃんと可愛がってあげるからさ」
「……ッッッ!!!」
混濁していた意識が殺意一色で染まる。
もう我慢の限界だった。
唯一動かせた口を限界まで動かし、近づけていた奴の頬を引きちぎってやろうと噛みついた。
が、拘束されていた身体が動かせる距離はたかがしれている。
噛みついた歯に、奴の白肌の感触は無かった。
「おおっと、彼女のことになると随分怒るんだなぁ」
距離を取りつつ、初めて感情を強く現した俺のことを嘲るクリストファー。まるで性根の腐った餓鬼が弱い者いじめを愉しむような純粋な悪意が、美形に部類されるはずの奴の姿を醜い者へと変貌させていく。
「そうだ、いいことを思いついた。何も知らない彼女に貴様のことを全て暴露してやろう。お前が全ての元凶だとな」
一国の皇帝には似つかわしくない汚れた魂。
映し出す邪悪な思考は留まるということを知らない。
「そして絶望する彼女を、許婚として毎日犯してやる。もともと気に入らなかったんだ、彼女が私以外の男を思う姿は……だから毎日、毎日……あの透き通るような白肌を私の舌で舐め回し、あの滑らかな髪束に顔を埋めて匂いを嗅ぎ、薬を使って従順になるまで犯し続けてやる。もう貴様のことなど思い出せないくらいにな……それで最後は、肉体をボロボロにされた貴様の目の前で彼女を犯し、その精神もズタズタにしてから殺してやる」
「フゥゥゥゥッ!!フゥゥゥゥッ!!!クリストファーァァァァッッッッ!!!!」
虚しいだけの雄叫びで喉が張り裂ける。
沸き上がる怒りに任せて暴れる身体へと容赦なく鎖が食い込み、擦り切れた肌から鬱血流れ出す。
だが、どんなに力を込めたところで所詮は人の力。
眼を覆い隠されて魔眼が使えない今の俺には鎖を引きちぎる力も、ほくそ笑むこのクズをぶん殴ることさえも叶わない。
その無力で無様な姿に満足したらしいクリストファーが最後、密室を去る前に捨て台詞を残していった。
「だからそこで楽しみ待っておけ、セイナがここで淫らによがり狂う様をな」
それを聞いた瞬間────俺という存在を繋ぎ止めていた最後の鎖が、音を立てて途切れた。
「……………」
「どうした、嬉しくて声も出ないのか?」
急に押し黙った俺の姿に、密室を後にしようとしていたクリストファーが振り返る。
血まみれの身体を拘束具に預けて項垂れる姿は、まるで力尽きて意識を失ったかのようにも見えなくもない。
反応しなくなった玩具の姿にクリストファーが眼を眇めるたが、すぐ興味を失って再び部屋を後にしようとした。その時だった。
動かなくなっていた男の身体が、小刻みに震え出した。
最初は疲労による筋肉痙攣かと思われたそれは、次第に鎖や密室の空気を震わせるほどにその振動度合いが上がっていく。
「な、何だ?何が起こっている……!?」
クリストファーも、尋問官二人ですらも、その地震にも似た震えが何なのか分かっていない。いや、常人にそれが気づけるはずない。
まさか建物が揺れていると錯覚するほどの振動が、生物本能の訴えによる恐怖の震えだということを。
「────キヒッ……キヒヒヒヒヒヒッ!!」
黒板に爪を引っ立てたような、全身総毛立つ嗤い声。
密室内に居た全員がその場所を振り返った。
そこに居たのは人間などではない、拡大解釈無しの一匹の悪魔だ。
不快な音を奏でる口腔には白刃のような犬歯がギラつき、拘束された状態の身体が操り人形のようにグニャリと蠢いている。
「い、痛みと精神的苦痛に耐えきれず壊れたのか?」
狂気の沙汰を前にクリストファーが訊ねるも、熟練尋問官である二人は返事すらできなかった。
彼らは気づいていた、これが演技でも壊れたわけでもない、この男の奥底に眠っていた本性だということを。
首元に、ツゥーと嫌な汗が流れる。
万全で圧倒的優位に立っているはずの大人三人が、満身創痍で拘束された一人の男に恐怖しているという事実をクリストファーは自覚した。
自覚した上で、それを認めることができなかった。
「ど、どうにかしろ!私がどれだけの額を日本政府に渡したと思っているんだ。さ、さっさとあの嗤い声を止めろ、止めるんだ!」
それでも二人の尋問官は声どころか、その場から一ミリも動けない。
密室を出ようとしていたクリストファーよりも、その悪魔と近かった二人は、空気中の魔力を介して浴びせられた殺意によって固まっていることに、当人達ですら気づいていないのだ。
まさに蛇に睨まれたカエル。絶対に拘束具から届かない位置にいるはずなのに、一歩でも動けば殺されると彼らは本気で思っているのだ。
「いい加減にしろぉ!!相手はたったの一人だぞ!!もういい、私が奴のことを────」
「………私をどうするって?」
拡散していた殺意が一気に愚鈍な男へと集約された。
「ヒィッ!?」
心臓の悪い者は息の根が止まってしまうほどの威圧。
殺意で圧殺されそうになったクリストファーが、情けない悲鳴と共に腰を抜かした。
「……そこの貴様、一匹持っているな?」
「一体何の話しだ?お、お前は何者だ!?」
値踏みするように見下ろされたクリストファーが、後ずさりしつつ裏返った声で叫ぶ。
「ほぅ……他の二人、いや、外にいる四人を合わせた六人の中でも、唯一この私に気づいたということは、貴様はやはり持っているな。神の加護を」
「なっ!?」
クリストファーの双眸が見開かれる。
持っていることは間違いではない。
だがそのことを、配下はもちろん親族ですら一度も話したことはなかった。
例えそれがセイナであっても。
そんな秘密を、数日前に初めて出会ったこの人物が知っている訳がない。
組織が裏切ることはない限りは……
「そんなに不思議か?寧ろそれでよく隠せていたと思ったな……クソったれの神に侵食された魔力の臭いが駄々洩れじゃないか。その感じだと、祝福者に選ばれて精々数年程度しか馴染んでいない雑魚か」
「こ、この私が……ざ、雑魚だと?」
まるで独り言のように吐き捨てられた言葉。
言葉通り眼中に無いといった様子の男を、クリストファーはただただ見上げることしかできない。
拘束された状態という立場は全く変わっていないはずなのに、誰一人としてその悪魔の某弱無人な態度を咎めることができない。
────この男に歯向かえば殺される。
武器も人数も状況も圧倒的優位であるはずのこの状況で、根拠のない確信が彼らの行動を縛り付けていた。
「はぁ……残念だ」
結果としてそれが功を奏したのだろう。
例え拘束されていようと皆殺しにできたこの悪魔は、誰一人として立ち向かってこないことに盛大な嘆息を漏らした。
「折角自我を自覚できる程の機会を得たのに、どうやら時間切れらしいな。あーあ、またあの少女と殺り合えると思っていたのになぁ……まっ、次は出会えることをクソったれの神にでも祈っておくか……あーそこのお前」
淡々とした独り言を一通り述べ終わったあと、初めて床に崩れていたその男を悪魔は視た。
目隠しの下、真紅の光が殺風景な密室内に零れる。
「今回はこの私を目覚めさせてくれたことに免じて見逃してやる。だが、次に会った時は────」
溢れ出た力の余波が、拘束していた鎖に僅かなヒビを入れた。
「必ず殺す。例え命乞いをしようとも、その肉体も魂も細切れにして、貴様という存在そのものをこの世から消し去って……や……る……」
精神状態を脅かすほどの殺意がスイッチでも切ったかのように消え失せていく。
必ず殺す。
決して彼の口から出ることのないその言葉を最後に、フォルテ・S・エルフィーだった男は意識を失った。
自身の乱れた呼吸のみが響く密室内で、恐怖から解放されたクリストファー達は、しばらくその場から動くことができなかった。