真意の嬌飾《リアマスク》3
「いい加減吐けぇッ!!」
男の罵声が反響する密室。
「お前が狙撃したんだろ!!」
無抵抗の人間を殴打する鈍い音が絶えず狭い部屋の壁に反響する。
義手も武器も、纏う物すら奪われた身体が、黒布で覆われた真っ暗な視界の中で振るわれる幾多の暴力に揺り動かされ、背中越しに繋がれた両腕の鎖が何度も何度も音を立てる。
その凄惨さを物語るように、度重なる痛みで閉じることを忘れた口からは血反吐がぽたぽたと無機質なコンクリートの地面に垂れ落ちる。
そのほかにも、俺の身体から漏れ出た液体の水たまりが、鎖でつながれた裸の両足を通じて直に伝わる。
ベタつく嫌な感触と吐き気を催す異臭が、視界を奪われていることでより一層際立って感じ取れた。
ジリジリと人としても尊厳や気力を奪う、拷問の常套句。
耐えうるための訓練は何度重ねてきても、こればかりは慣れることはない。
あれから何日たったのか?という思考の余裕は既にあるはずもなく、睡眠すら許されない加虐と罵声に満ちた数十時間は、確実に俺のまともな思考を奪っていく。
「おい、聞こえてるか?聞こえてんのか?」
項垂れた俺の頬を男が乱暴に引っぱたく。
体力の限界に来ていた俺は、声どころか痛みにすら反応できなくなっていた。
「先輩、こいつもうダメそうっすよ?」
軽薄な男が傍らに立つ別の人物へと告げた。
「はぁ……どうすんだよ?どんな手を使ってでも口を割らせるって言っちまったのに『三日三晩拷問しても白状しませんでした』じゃあ、最悪俺達の首が飛びかねないぞ?」
低い声で悪態をついたのは、暴力を振るっていた人物へと指示を出していた男だ。
平然と拷問と口にするあたり、やはりこいつらは普通の警察官ではないようだが。
東京タワーで捕まった俺が目隠ししたまま連れてこられたのは、留置所でも取調室でも無く、どことも知れないこの密室だ。
そして、弁明も異議も許さないままに無数の暴力が始まった。
その合間に聞かれるのは『お前が狙撃したんだろ』という強迫観念だけ。
異様としか表現できないそれは犯人を捕まえるというよりも、まるで無理矢理犯行を認めさせようと躍起になっているようにも感じた。
「そろそろ奴も来るってのに……」
低い声の男は拷問とは別で、しきりに時計の時刻を気にしていた。
どうやら尋問官とは別で誰か来るらしい。
ここに来るのは基本的に二交代制の尋問官だけだ。
それらを軽く合算しても明らかに法律上における拘束時間はとうに超過しているので、これが公にはできない違法な取り調べであることは明白である。
そんなものを一体誰が拝見しに来るというのか?
そもそもここは本当に警察署なのか?
連行時に押し込まれた車の移動距離などから東京都内であることは確かだが、俺に暴力を振るうこいつらも本当の警察官なのかすら怪しい。
それでもこうして暴力を受け続けているのは、単に抵抗できない状況であるからと、敵の尻尾を掴むためでもある。
俺達がタワーに向かった時、電子機器はおろか、東京全体の機能がマヒしていた。
にもかかわらず、目視で狙撃地点を見つけた俺達とは別にやってきた日本の機動隊と警察は、いくら電波系統が回復していたからといっても如何せん早過ぎた。
まるで、俺達がタワーに来ることを予見していたかのように……
その証拠に『あのスポッターはどうした』とたまに聞いてくることがあった。
恐らく窓から放り投げたロナのことを示唆しているのだろうが、連中は直接彼女のことを見ていない。にもかかわらず、あの場に二人いたことを知っていたかのような口ぶりは、やはり何か裏があるとみて間違いない。
それを掴むまでは、何としても耐えないと……
「爪でも剥がしましょうか?そのために残しておいたんでしょう?」
軽薄な男がへらへらと告げた。
「まだ止めておけ、奴がその瞬間に立ち会いたいとご所望しているんだ。ただでさえ他の人よりも少ないんだから扱いには気を付けろ」
低い声の男がそれを静止した。
とても警察官のそれとは思えないその発言を戒めることなく。
そんな異常なやり取りを何回か繰り返していると、重い鉄扉の開く音と共に誰かが入ってくる気配がした。
「────どうやら随分手こずっているようだな」
消耗しきっていた俺の思考に電撃が走った。
聞き覚えのある、弦楽器を撫でるような優雅な響きを帯びた声。
目隠しを付けられていても分かるそれに、思わず俺は長らく閉ざしていた口を開いた。
「……その声は……クリストファー……!?ぅっ!」
「おめぇは余計な口開いてんじゃねーよ」
軽薄な男が膝蹴りを叩き込んでくる。
容赦のない一撃に呼吸が苦しくなるが、今はそんなことはどうでもいい。
イギリスナンバーツーにしてセイナの許婚。
そんな人物がどうしてがこんなところに!?
「これはこれは……予定よりも随分お早いご到着ですね皇帝陛下殿」
低い声の男が慇懃無礼ともとれる態度で応対する。
そどうやらさっきの『奴』と言うのもクリストファーのことを指していたらしい。
「まだ次期皇帝陛下ではあるがな。思いの他、組んでいたスケジュールを早く終えることができたので、居てもたってもいられなくてな。なんせ、私を皇帝陛下としてくれたこの男の顔を見届ける最期の機会だからな」
クリストファーがフンと軽く鼻を鳴らす。
一体この男は何を言っているのか……?
まるで自身が近々皇帝陛下にでもなるかのような発言の真意に、朦朧としていた俺の頭では理解が追いつかない。
「やぁ、調子はどうだい?フォルテ・S・エルフィー」
「どうして……ここに……貴様……がはぁッ!」
鋭い拳が鳩尾に突き刺さる。
再びの激痛に肺の空気が一気に吐き出され、沸き上がった血反吐が乾いた喉に張り付く。
「貴様じゃない。クリストファー様だろ?これだけ痛めつけられてもまだそんな口が叩けるとは、流石は大統領を殺した男だよ」
気安く吐かれたその言葉の真意が理解できなかった。
いや、認識することを拒否したのだろう。
ずっと危機的状況に有りながらも、心の片隅で危惧していた友人の安否。
その最悪の結末を。
「ころ……した……?」
言葉が途端に紡げなくなる。
壊れた人形のように、混濁した中で拾った言葉を口にしただけ。
「あぁ、君は知らないのか」
ワザとらしくクリストファーは、まるで労をねぎらうかのように唖然とする俺の肩に手を置く。
耳元に吊り上がった口の端が近づけられる。
この男の声を聞くくらいなら耳をそぎ落としたいとすら思ったが、繋がれた両手は耳を閉ざすことさえできなかった。
「おめでとう、君はケネディ大統領以来の大統領暗殺に成功した数少ないテロリスト。二代目オズワルドというわけさ」