日米英首脳会合(ビギン カンスペリシィ)3
「そりゃあ位がレベチだからね」
「レベチ?」
ハンドルを握るロナの言葉に、助手席に座る俺は訊き返した。
バックミラーには、千代田区の老舗和菓子屋『文銭堂』の紙袋に入った水まんじゅうを無心で頬張るアイリスの姿が映っている。
「そう、他の爵位と比べても今のウェストミンスター爵位は現イギリス王室の中では実質ナンバーツーに位置すると言っても過言じゃないよ」
千代田区の都道三百二号。信号待ちで停車する黒塗りのBMW 8シリーズ車中。
ベアードに用意してもらったこの車のダッシュボードには、現在行われている日米英会議の映像が中継されていた。
今回頼まれた仕事は、普段の身辺警護と違ってあくまで周囲の見回りだけだ。
警護関連の大部分は開催国である日本の警備で賄われているそうだが、それだけでは少々不安だというベアードなりの俺達らしい。
そのためこうして車を走らせては周囲を警戒してはいるものの、正直言って退屈なことこの上ない。
まぁ、それだけ今の日本が安全と言うことだろうな。
外から見えないスモークガラスの向こう側、道端でアイスクリームを食べる少年や、時間に追われるサラリーマン達。
ロナの話しに耳を傾けつつ窓外を眺めていると、そんな人達で行きかう靖国神社の南門が目に映る。
あの神社に眠る軍神達を最後に、この国での平和な光景は当たり前となっていた。
二百年前はまだ開国すらしておらず、百年前までは戦争真っただ中であったあの光景が嘘であるかのように……
しかし、そんな平和な光景とは裏腹に、俺の心は決して穏やかとは言えなかった。
その元凶でもある男の話しを今もこうして聞いてはいるのだが、いまいち頭に入ってこない。
「あの若さでナンバーツーっておかしくないか?」
それが本当なら、クリストファーは次期イギリス王室皇帝の座に値するということだ。そして、現皇帝は公にこそされてはいないが失踪している以上、本来なら奴がイギリス王室のトップに位置するということにもなる。
「そりゃあ若くして亡くなった現皇帝弟君、その忘れ形見が彼だからね。皇帝直系血族の男性は、確か彼しかいないんじゃなかったかな?」
確かに皇帝直系であるセイナ達が女性であることを踏まえると、別の血筋より男性を連れてくる他ない。そう考えると、だいぶ話が見えてくる。
クリストファーがいるからこそ、エリザベスは皇帝であるオスカーの件を上手く誤魔化しているのだろう。もし現皇帝が不在ということが公に晒されては、自動的に奴が皇帝の座に居座るということになりかねないからな。妻として女王として、それだけは何としても防ぎたいのだろう。
「随分詳しいんだな、許嫁ってことも知っていたのか?」
「うん、前に本人から……寧ろダーリンはセイナから聞いてなかったの?その辺の身辺事情」
「全然……」
秘密のない人間なんていない。
セイナ自身複雑な立場なこともあって、話しにくいことも多いのだろう。
俺だってセイナに借金の額のことは隠しているし、婚姻のことともなれば誰それと話せることではない。だからロナが知っていて俺が知らないことは何ら不思議ではないし、別段それに腹を立てることは無い。無いのだが……
「はぁ……ダーリン、鏡見た?」
「え?」
不意な指摘に、俺は初めて外へと向けていた視線をロナへと向けた。
溜息交じりにジトッと何か面白くなさそうな表情でこっちを見ていた彼女は、無言でバックミラーを俺へと向ける。
そこに映っていたのは、酷くやさぐれた瞳をした醜い男の姿だった。
「見てこれ、今朝からずっとこんな調子だよ。仕事に私情を持ち込むのはダメだって、散々ロナにフォルテが言っていた言葉だってこと忘れたの?」
「……」
ロナから突きつけられた正論と鏡に映っていた醜男の姿に耐え切れず、俺は再び視線を外へと逃がしてしまう。
しかし、ロナはそんな弱気な俺を見て更に溜息を重ねることはなく、ハンドルの上に両手と顔を乗せては、憂うような視線で車間距離を見つめた。
「ごめん……ちょっと言いすぎちゃったね……別にダーリンもセイナも悪いことしたわけじゃないのに……」
俺の精神状態が思った以上に疲弊していると気づくや否や、すぐさま彼女は対応をガラッと切り替える。ガサツに見えて実は一番他人のことに気を配っている彼女だからこそできる芸当ではあったが、それでもこんなにも心に響くのは、どちらのアメもムチもまた、彼女の本心であるからだろう。
「いや、だからと言ってお前が謝る必要もないだろ……悪いのは仕事に私情を持ち込んでいる俺なんだから」
「もうぉ……すぐそうやって何でも自分で抱え込もうとするんだから……ダーリンの昔からの悪い癖だぞ?ほれほれ」
「おいっ……鬱陶しいから頬を突くな」
ニッシッシと笑いながら頬を人差し指で突いてくるロナの手を払う。
それでも彼女は止めるどころか、よりねちっこく頬やら脇腹を責めてくる。
「ほれほれ~昨日愛しのセイナたんとラブラブデートしながらパフェを突っついていたのに、突然現れた許婚に盗られてふて腐れているのはどこのどいつだ?」
「ちょっちょっと待て、何でお前そんなことまで知ってるんだ?」
「ふふ~ん、ロナちゃんに掛かればどんなことでもお見通しなのだよ」
「……まぁ、ずっと尾行していただけなんだけどね……」
ボソッと後部座席で横たわるアイリスが告げ口した。
「ちょッ!?アイリスちゃん、何言っているのかぁ?あんまり変なこと言っているとそのお菓子取っちゃうぞ?」
「もう食べ終わったからいいよ」
ダラダラと脂汗を流すロナが振り返ると、紙袋をグシャグシャに纏めて見せたアイリス。
数百個を僅か三分としないで平らげたことに関しては最早誰も突っ込まない。
「ボクは別に他人の色恋沙汰に興味はないけど、昨日みたいに付き合わされることだけは勘弁してほしいな」
「よーし分かった分かった、ロナちゃんが新しいお菓子買ってあげるからそれ以上はお口チャックしようかー。アイリスちゃんは一体何を食べれば静かにしてくれるのかなー?」
「ぐぅぅぅぅ……ぐぅぅぅぅ……」
「いや寝るの早!ちょいちょいちょい待て待て待て、爆弾だけ投下して寝ちゃったのかな?って、ダーリン。どうしてそんなに眼をギラギラさせて────イダダダダ!!!!!指そんなに曲げたら折れちゃうからぁ!!!!」
俺に指関節技で人差し指を締め上げられては、ロナが涙目で喚き散らす。
「そういうことだったのか……俺のパフェが無くなった正体はお前だったのか……っ!」
昨日落としたと思っていた俺のパフェ。
あの容器根元部分からスパッと切り裂かれたかのような断面は、隕石の糸の仕業だったらしい。
「ふふ、今頃気づいたところパフェはアイリスの胃袋のイダダダダッッ!!!!ななななんで!?食べたのはロナちゃんじゃないのに!?あと運転中、運転中だから!!」
「うるせぇ!盗んだのはお前で、転売先は関係ないだろ」
昨日の空腹の恨みと一部始終を見られていたことへの羞恥を込めて、人差し指を目一杯反り返させる。
「ってことは、昨日の殺気もお前のものか?わざわざ引っ付いていた俺達を剥がすためにロアまで利用したのか?」
「さ、殺気?」
ハニーゴールドの瞳をパチパチ瞬かせてロナは首を傾げた。
「何の話し?ロナちゃん昨日感じ取れるような殺気なんて出してないし、そもそもロアとは数か月前からずっと入れ替われてないよ?」
「なに?」
疑るような視線でロナを見るも、別段嘘を付いている様子はない。
後部座席で横になっているアイリスをバックミラー越しに確認すると、彼女も鼻提灯を膨らませながらも『そんなものは知らない』と、右手をひらひら振っている。
確かにロナは数か月前にあったアメリカでの事件以来、そのショックからか一度も二重人格とは入れ替われていない。
だとしたら……昨日の殺気は一体────
「待ってその話し、ロナちゃんちょっと気になる部分があるんだけど……」
顎に手を当てて昨日のことを思い返していた俺の思考をロナが遮った。
「何か心当たりでもあるのか?」
「いや……そういうんじゃないんだけど……」
さっきのお調子振りは何処やら。
真白な頬に朱をさしたロナは口元を僅かばかり震えさせながら訊ねてきた。
「二人で引っ付いていたって……どーいうことかな?」
「え、そっち?」
てっきり殺気について何か心辺りがあるのかと思っていたが、的外れな返答に素っ頓狂な声が漏れ出てしまった。
「そっち?……じゃないよ!ダーリンはこのロナちゃんというものがありながら、いったいなにがどうしてセイナと引っ付いていたの?」
まるで浮気した彼氏に問いかけるような形相で食って掛かるロナ。
運転中だってのに涙目の顔をこっちに向けてくる。
「危ないから前を見ろ、それに尾行していたのならわざわざ説明する必要も無いだろ」
思い出すだけでも顔が火照るというのに、それをわざわざ口に出して答える気には到底なれない。
「……尾行はフォルテ達が海食崖の向こう側に行った段階で止めたんだ。正確に言うと『もう見てられない』って、パフェだけボクに預けてロナが泣きながら帰ったんだけどね」
「ちょっとアイリス?いつからそんなおしゃべりになったのかしら?あんまり適当なこと言っていると今日の晩御飯抜きにするよ?」
ロナがギロリッ……と眼光をバックミラーへと走らせる。
それを最後に、アイリスはすやすやと寝息を立てたままそれ以上何も言うことは無かった。
「よし……それで、いったい二人で何をしていたの?まさか二人で身体を貪り合って────」
「っんなことするか!?俺はただ、セイナが倒れそうになったから支えようとして、そしたら二人して倒れただけだ……」
「倒れただけ……本当に?本当にそれだけだったの?」
「うぐっ……」
ずんっ……とハイライトを失った瞳でロナに詰め寄られた俺は、疚しさで視線を逸らしそうになる。
嘘は……ついていない。
昨日の夜、コンクリートの上に倒れ込んだ俺達は確かに別の行為を行おうと試みたが、結局それらは未遂に終わっている。
そう、倒れただけだ……と、自分に言い聞かせている俺の弁解を見透かしたように、深淵を覗くようなベタ目がそんな安っぽい言い逃れを許してくれない。
そんな悪霊の審問に耐えかねた俺が僅かに視線を逸らした瞬間。
「……うわああああああ」
瞳のハイライト代わりに大粒の涙を溜めたロナは、堪え切れなくなって感情をぶつけるように両手で俺の胸元を掴んで上下に振り回す。
「フォルテがセイナと一線を越えちゃったあああああ!!巨大パフェと一緒にセイナも食べちゃうなんてえええええ」
「だからそんなことしてねえって、おいっ!スーツの襟を掴むなぁ!あと運転中、お前運転中だからハンドルから両手を離すな!」
ガタッ!ゴトッ!と荒れる車内。
遠くに居た少年がそんな高級車を物珍しそうに眺めていた。
外から見えないスモークガラスだからいいものを、一体誰がこの中で惚れた腫れたで言い争う少年少女の姿を想像できようか。
いつもの喧騒に俺は溜息と一緒に頬の端に苦笑を浮かべた。
気づけばあれだけ荒んでいた俺の気持ちや考え事は、どこか遠くの方に姿を眩ませてしまっていた。