夏の音(ヴァケーションフェスティバル)6
力むように店員が置いた裏メニューがカウンターを大きく揺らす。
出てきたのはバケツだった。
比喩でも何でもない、どこにでもあるような何の変哲もないバケツの中に入っていたのは、溢れんばかりのパフェだった。
サイズ感に合わせってわざと大きくカットされた、リンゴにバナナにミカン、ブドウ
メロン、キウイ、マンゴーなどなど、思いつく限りの果物達が色彩を飾り、それをホイップクリームが調和を保つように添えられていた。
その土台となるバケツ内も、長年に渡り形成された地層のように何種類ものアイスがこれでもかと詰め込まれていた。
前言撤回。
冒険しなくて良かった。
「一万五百円です」
「……は?」
安堵したのもつかの間。
金額を聞かされた俺は、あんぐり開いたままの口からそう零れてしまう。
その時になってようやく通常メニューとは別の屋台奥に
『裏メニューバケツパフェ!恋人とや友達とハッピーをシェアしよう!お値段一万』
という紙ビラ表示を発見した。
確かに使っている果物やアイスは全て名のある高級品で、それをこの量で一万円は破格だろう。
にしたってここはお祭りの屋台だ。
まるでケーキ屋さんでショートケーキを頼んでたつもりが、ウェディングケーキを出されたような気分だった。
「わぁぁぁ……っ!」
絶句していた俺とは対照的に、この裏メニューのことを知ってて頼んだセイナは今日一番の悦楽に満ちた表情で感嘆を上げていた。
「あのぅ……お会計を」
店員のお姉さんが、固まる俺と眼を輝かせるセイナに対し、どこか申し訳なさそうにそう告げる。
後ろにはまだ何人もの若者達の行列が控えている手前、ここで放心したまま突っ立っていても邪魔にしかならない。
気を取り直そうとするも、動揺の冷めない俺は震える手で財布を懐から取り出した。
「あ、あぁ……すまない。カードは使えないよな?」
「申し訳ありませんが……」
だよねー。
俺は諭吉さんを取り出すと、隣のセイナがそれを制した。
「別にこのパフェは払わなくて良いわよ、ここのお店は急がないと閉まっちゃうと思って優先しただけだから……って、あれ?」
浴衣の内袖から荷物を取り出そうとセイナは手を突っ込んだが、財布は出てくる様子はない。それからしばらく身体のあちこちを探していると突然、
「あっ……!」
何かに気づて、祭囃子の笛音色みたいな甲高い声が上がった。
「アタシさっき、自分の財布取ってくるの忘れちゃった……」
キラキラと輝かせていたその表情がみるみると青くなった。
セイナはさっき確か、財布を取りに『Black Cat』の前まで来ていたが、俺と会話をしてからそのままここに直行してしまっていた。
余程のことが無い限りセイナがそんな凡ミスするなんて随分珍しいが、多分ここのお店のことを相当楽しみにしていて盲目になっていたのだろう。
「どどどどうしよう!?」
「いいよ、俺が払うから」
そんな普段見せたことのない慌てふためくセイナを見て、思わず苦笑を漏らした俺は財布から一万円とちょっとを取り出す。
一万円はちょっと惜しいが、珍しい彼女が見れただけでも十分払う価値をあったと思うのと同時に、なによりさっきのキラキラとしていた表情を崩す気になれなかった。
「ほ、ホントに大丈夫なの!?アンタ借金だって────んぐぐっ!?」
「ば、馬鹿!そういうことは言わなくていいんだよ!」
マジで心配していたらしいセイナが口走りかけたそれを俺が手で口を塞ぐ。
「借金……?」
余計なことを口走ったせいで、店員のお姉さんが不思議そうに首を傾げていた。
確かに借金で苦しいことは否定しないが、そう見せないようにセイナ達が知らないところで 資産を切り崩したり、仕事を多くこなしたりと俺なりに色々工夫しているのだ。
以前にも話しをしていないだけで、東京に幾つか持っていた隠し拠点の一部を売却したりして色々と調整しているんだ。借金だって、もう十分の一くらいは既に支払い終えている。
「ゴホンッ……待たせて悪かった、これで足りるだろ?」
セイナの口から手を離し、無理やり咳払いで誤魔化してから「釣りはいらない」と、二枚の諭吉をカウンターに置いた。
後方で順番待ちしていたカップル達がそれを見て微かにどよめく。
「こ、こんなに頂けません……」
立場上断らなければならない店員のお姉さんが困惑の表情を見せたが、その手が釣銭を押し返すよりも先に、俺はそのお姉さんへと顔を近づけた。
「いや、是非払わせて欲しい、このお店の時間を奪ってしまった非礼と……」
顔の前で右手を立て、セイナには聞こえない声量で呟く。
「今日は彼女の誕生日なんだ、アンタには申し訳ないが、下らない男の見栄を張らせてくれないか?」
借金に困ってないというアピールをな。
「あっ、そういうことでしたか……」
大人と子供くらい身長差のある俺とセイナを斜めに見比べた店員のお姉さんは、何か合点がいったらしくカウンターの釣銭から手を離してくれた。
どうやら理解してくれたらしい。
「てっきり親子か兄妹かと……」
……ん?
どこか認識のズレを感じさせる一言に、俺は僅かに首を傾げる。
「分かりました、少々お待ちください」
キョトンとする俺とセイナを置いてきぼりに、カウンター近くにあったチョコソースを手に取った店員のお姉さんは、ただでさえ崩れそうなほど盛られたバケツパフェに更に何かを付け足した。
「お待たせしました!どうぞ!」
さらさらと慣れた手つきでデコレーションを終えて、抱えるほど巨大なバケツパフェをセイナへと渡す。
「わぁぁ……!ありがとう!」
顔が隠れるほどの巨大なパフェを、両手で抱きかかえたセイナは無邪気な悦に浸る。
一体何をサービスしてくれたのか?
訝りつつ俺が確認しようとすると。
「フォルテもありがとう!」
満面の笑みをパフェの向こう側で見せたセイナが、無意識に最後にデコレーションした部分をこちらへと見せてくれた。
『Best couple』
チョコソースでバケツパフェのキャンパスにデカデカと書かれたそれを見て、思わず吹き出してしまった。
おまけに後方で並んでいた行列からも、冷やかすような口笛が飛び交ってくる。
自分のパフェを落としかけた俺が店員さんを見ると、お姉さんは小さく親指を立て、してやったり顔を浮かべていた。
マジで何してくれやがってるんですか!?
「どうしたの?パフェになんかあったの?」
俺や周りの異変に気付いたセイナが、バケツパフェの向きを回転させようとした。
店員のお姉さんはニヤニヤとみているが、もしサービスしてくれやがったそれをセイナの視界に入れてみろ、控えめに言ってこの店が消し炭になるぞ。もちろん俺ごとな。
「いやぁーなんでもねえよ!それより早くしないと大事なパフェが溶けちまうぞ!」
俺はやんわりとセイナの肩を抱くように手を回し、逃げ去るようにその店から離れることにした。
お店の方から浴びせられるお囃しが、しばらく耳から離れなかった。