assemble(パストバレット)2
「……」
ベアードは表情を変えないまま、書類と睨み合っている。
だんまりか……
思っていた通り、これだけでは話さないか。
「そうか……なら言い方を変えよう……」
いつもなら突っかかるとでも思っていたのだろう、流石のベアードも眉間に皺ができる。
部下達がこの半年間で大きく成長したように、俺も彼らから多くのことを学ばされた。
それは戦闘面に限らず、人間的にも精神的にも。
「アンタと違って俺はアンタのことを知らない……だから調べてきた」
「ほう……一体何を調べてきたというのだ?ロナ君にでも頼んで、私の汚職の一つでも探してきたというのかね?」
よく言うぜ……叩いたって塵一つ出さないくせに。
その証拠に感嘆こそ上げているが、表情に焦りの色は微塵もない。
「調べてきたのはアンタの経歴についてだ」
「経歴?」
俺がロナから貰った資料に眼をやると、そこにはガブリエル・ベアードという人間についての経歴がこと細かく載っており、些細なことまで欄外にも走り書きまでしてある。
「ガブリエル・ベアード……世間ではそう言われているらしいが、本名はガブリエル・J・ベアードらしいな」
「そうだが?まあ、Johnなどいう月並みな名前、アメリカでは星の数ほどいる……世間も私のフルネームを呼ぶ暇など無いほど忙しいということさ……」
皮肉に耳を傾けつつ……生まれた場所、生年月日、趣味は……へぇ~ゴルフなんてやるのかよ、しかもハイスコア68ってプロかよ……一回もやってるところ見たことねーぞ……と、無駄な情報を読み飛ばしていく。
「大統領になる前は軍人。それも海兵隊だったらしいな……なんで軍隊に?」
「……父が軍人だったからな、幼い私がそれに惹かれ、入隊することはごく自然な流れだった」
ベアードは記入していた書類を机に置き、椅子の背もたれに深く腰掛ける。
「お急ぎだった書類仕事はよろしいんで?」
「よく言う……今日私が比較的楽なスケジュールと知ってきたくせに……それに」
机の端で芳醇な煙を棚引かせているカップを見やり。
「どんな事柄も適切な時期というものがある。折角君が淹れてくれたこのコーヒーも、一番味わい深い刻に飲み干さねば勿体ないだろう?」
どこか含みのある言い回しをしつつ、上品に持ったカップを俺に少し傾けてから、ベアードがコーヒーを口に運ぶ。
毎度思うが、よくもまあ俺の淹れたコーヒーを疑いなく呑めるよな?
毒とか薬物の警戒をしないのだろうか?
いや……きっとそんなことしないと見透かしているんだろう。
今日何故ここに来たのかも含めて……
「その親父さんは今どうしてるんだ?」
「……死んだよ」
「……そうか……すまない」
「構わん。もう数十年も前の話しだ」
「戦場で亡くなったのか?」
「いや……時に銃弾すら弾く屈強な海兵隊も、病魔には勝てないということさ……」
「他に……肉親はいないのか?」
ベアードがほんの一瞬、紕い、躊躇い、逡巡といった類の動揺をコーヒーの表面に映し出したことを、俺は見逃さなかった。
「────いる。弟……母が己が命を賭して生んだ愚弟が一人な。『ミチェル・ベアード』……君も一度ここで見たことあるはずだ……」
会ったことがある?
それらしい人物の記憶を手繰って眉を顰める。
「あぁ……以前この部屋の前ですれ違った男か」
護衛がクリムゾンレッドの派手なスーツを羽織っていたのですぐに思い出した。
顔こそはっきりとは見なかったが、部屋の外で聞いたミチェルの声は、聴覚に優れた俺ですら聞き間違うほど、ベアードと瓜二つだった。
「そうだ……」
「……仲が悪いのか?」
愚弟と称するだけあって、ベアードの表情は肉親に対するそれではなかった。
俺がここで二人を見た時も、確か口論をしていたしな。
「いや、世界で唯一無二の血を分けた兄弟、そしてかつては同じ部隊で釜の飯を食った戦友でもある。私は大切に思っている……だが奴とは思想、価値観合わないとでも言うべきか……」
一口コーヒーを口に運び。
「愚弟はああ見えて連邦捜査局長官だ……私のように建物に閉じこもったままの人間と、現場で身体を使っている人間とでは、事柄の捉え方に相違が生まれるのは致し方無いことだ……」
物憂げな表情でカップを受け皿へと戻した。
「昔からそうだ……性格も私が温厚な母、奴が冷酷な父に似ていつも口論になっていた。肉体的限界から軍隊を引退する時も、正反対の私達が唯一共通認識として掲げていたこの国を……魔術によって兵器の使用が当たり前となってしまったこの世界を変えたいという思いから、私は政治家となって時間をかけてでも大を為そうとし、奴は警察という時間を掛けず、小さなことを積み上げていく現場に固執した……ん?なんだその表情は……?」
厳格たる様子で語るベアードが眉を寄せる。
どうやら話しを聞いていくうちに、俺の頬の端が緩んでしまっていたらしい。
「いや悪い、普段は仕事の虫で、俺のことも鬼のように酷使するアンタが、そんな人間みたいな悩みや感情を持っていたんだなと思って……ちょっと意外だったよ」
てっきり血も涙もない機械人形だと最近まで思っていたくらいだからな。
「全く……人が珍しく真面目に話していたというのに……そもそも私の愚弟のことなどそのロナ君が纏めた資料に載っているだろう……さっさと本題に移ったらどうだ……?」
おっと……バレていたか。
ベアードの言う通り『ミチェル・ベアード』についての情報は知っていた。
知っていた上で俺はカマを掛け、反応を伺っていたのだが。
「そうだな……」
先の逡巡、そして今の言動から見て……俺は自分の推測が誤りでないことを確信していた。
持っていた資料を机に置き、アンティークチェアーから腰を上げる。
台形の部屋に差し込む旭光を背に佇むベアードに正対する。
初めて出会った時の光景が脳裏を過る。
「単刀直入に聞く……」
あの頃の俺はまだコイツと同じ視線に立つ資格が無かった……
でも今は……
「アンタの祖父について詳しく聞きたい」
「……」
清廉な隻眼で見据える俺の眼光から、ベアードは視線を外すどころか瞬き一つしなかった。
「……初めて会った時の俺に対する態度、言動、本名を名乗らなかったところや、俺のことを恰も昔から知っていたかのような態度……それら全てを総括した上でこの結論へと至った」
初めて出会った時から、ベアードは俺のことを知っていた。
それも噂のような曖昧なものではなく、肌身で感じるくらい現実的な情報だった。
だが俺のことをそこまで正確に知る人物など、この世界にはごく一握りしかいない……
そもそも『極秘偵察強襲特殊作戦部隊』の名を知っていること自体おかしいんだ。
敵国人種などで構成された俺達の部隊に、正式な名前なんて存在しなかった。部隊の誰かがふざけて命名し、それが勝手に独り歩きしたに過ぎない。
つまり……大統領と言えど、作戦記録に無い部隊の名を知っていることはあり得ないんだ。
その消去法によって限りなく狭められた真実に、俺はつい先日ようやくたどり着くことができたのだ。
「ガブリエル・J(ジョン)・ベアード……その名前だけ聞けばただのアメリカ人に聞こえるが……Jは他の国でも使われ、それに伴って言い方も多種多様に変化する……ドイツ系アメリカ人であるお前は敢えてその『J』をジョンと言ってはいるが……本当の名前は……」
俺は……数十年ぶりにその名を口にした。
「────ヨハネ……数十年前、極秘偵察強襲特殊作戦部隊に所属していた男と同じ名だ」