maintenance(クロッシング・アンビション)17
ガスッ……ガリ……
「……」
平たく硬い金属の棒。
スプーンだ。
つーか痛い、なんなら最初歯に当たってめっちゃ痛い。
って……あれ?
痛みで気づかなかったが、舌の上に何かが乗っている。
舌の上を這いずり回るような嫌な感触。
チクチクと突き刺すような痛み、鳥肌の立つような温い温度。
気づいた時にはもう遅かった。
「……うぅ!?」
まっずぅぅぅぅぅぅ!!!!
胃の中が逆流する感覚に、咄嗟に口を閉じる。
「どう……かな?」
いつの間に片手に器、もう片手にスプーンを持っていたリズがモジモジしながら訊ねてくる。
どうやら俺は、口の中にリズの料理を放り込まれたらしい。
その瞬間、俺は全てを察した。
オオカミですっかり失念していたが、今日、というより昨日はリズの料理当番日。
そして俺は今、それを食わされようとしているようだ。
絶対に逃げられないよう拘束された状態で。
ようやく自分の置かれている危機的状況を理解して、額から脂汗が滝のように流れる。
一難去ってまた一難とはこのことか……っ!?
「私その、料理苦手で……今日も頑張って作ったんだけど……」
さっきの経験ないって料理のことか!?
まあ確かに俺が料理に関して、経験豊富であることも間違いじゃないだけども。
それにしたって言い方ってものがあるだろ!
「今回はちょっと自信があったから、フォルテにも食べて欲しくて、それで街まで探しにいったの」
それでお前あんなところに居たのか……
どうやって調べたかは知らないが、大方ロナ辺りが教えたのだろう。
アイツ絶対許さない。
「だからほら!まだいーぱいあるから!遠慮せずに食べてね」
そう言って、皿に盛られた紫色の芋虫のような物体を見せつけられる。
「ち、ちなみにその料理は何て名前なんだ?」
「見て分からないの……?」
「い、いや!お、俺ってその……異国の料理とか詳しくないから……さ」
き、きっとあの料理も俺の知らない何か特別な料理なのだろう……
リズは合点がいったように表情を明るくして、
「そうよね、これはね……フィッシュアンドチップスって言うのよ!」
あー知ってる名前ですね。
でもおかしいな……この家に着色剤なんてないはずだが……
一体何をどうすれば食材がそんな色になるのか教えてくれ。
「そ、そういえば今日ベルはどうしたんだ!?いつもならアイツが美味しそうに俺の分まで食べてしまうじゃないか?」
いつもなら日を跨ぐ前にベルが皆の分も完食しているはず。
寧ろそれが狙いで外で食ってきんだ。
そうでなくては困る。非常に困る。
「ベルは今日体調悪くて、あんまり食べてくれなかったの……」
アイツ……ッ!!
こんな時に限って体調なんか壊すんじゃねーよぉ!!
また始末書書かせるぞ!?
「そ、そうだったのか……で、でも、他に食べる連中も居たんじゃないのか?そいつらはどうしたんだ?」
少なくとも今日はベルの他にも、アキラ、ロナ、シャドーが居るはずなのだが……
「何言ってるのよ……?みんなそこで眠っているじゃない?」
「……え……?」
背筋が凍る。
みんなそこで眠っている?
それって一体────
バリィィィィィィィ!!!!
家の近くで突然落ちた雷光が窓から差し込み、
「なッ!??」
ようやく俺は、リビングに広がるその惨劇に気がついた。
食事用のダイニングテーブルに広げられた暗黒物質達。そこらに散らかったフォークやスプーン。そして……床に横たわるアキラとロナの姿。
う、嘘だろ……!?
死んでる。食中毒で。
その証拠にロナの手元近くの床には「Culprit is pink hair」と赤文字で書かれていた。
「全く、食べてすぐ寝るなんてだらしない……フォルテに食事を全部食べてもらったら、みんなを部屋に運ばないと……」
「ぜ、ぜんぶぅっ!?」
リズの持つ皿の他、ここから見える量全てを合わせても軽く寸胴一杯分くらいはある。
それを……数滴で致死量に値するものをそんな食わされて無事であるはずがない。
現にすぐ近くには、平皿一杯すら食いきれなかった同士が、泡吹いて倒れてんだぞ!?
無理無理無理!!ぜっっっっっっったい死ぬ!!!!
「うん!はい、あーん」
かつてこれほどまでに恐ろしい「あーん」を聞いたことがあっただろうか?
半ば無理矢理ねじ込むような形で口に放り込まれた料理が、舌の上で猛威を振るう。
表現するのも悍ましいような情報の数々が、舌咽から脳神経に送り込まれる。
「~~~~っっっ!!!」
生臭えぇぇぇぇぇ!!!?
さっきは口の中の粘膜全てが爛れるような刺激だったのに、今度は魚の腸を腐らせたような味に嗅覚が完全に破壊される。
大して咀嚼していない物体がゆっくりと胃の中に落ちていく感覚に、全身総毛だつ。
たった一口でこの威力ッ……!
だが何故だ、フィッシュアンドチップスってただの白身魚とポテトのフライだろ!?
どんなに失敗しても、ここまで先駆的な味わいにはならないはず。
「~♪」
鼻歌交じりにリズが次の一口を準備している。
皿の上でべチャッと油でギトギトの白身魚を切り分け、その横にあった生き血のように真っ赤なソースや異様な臭いを放つ白濁したソースに突っ込んでいた。
「リ、リズ……そのソースみたいなのは一体何なんだ?」
「何って、サルサソースとサワーオニオンクリームよ?」
当たり前でしょ?と言うようにリズは首を傾げる。
いや、サルサソースはこんな悶絶するような刺激を与えてくることはないし、サワーオニオンクリームだってこんな生臭いはずがない。
「へぇ~……ちなみにレシピは?」
せめて……修繕できる範囲であれば、俺のアレンジ次第でどうにかできるかもしれない。
「別に変わったことはしてないわよ?ほらあそこ、あれを適当に混ぜただけよ?」
一縷の思いを乗せた質問に、リズはダイニングテーブルの上に置かれた瓶を指さす。
『DeathSauce』
空のボトルにはそう表示されていた。
でゅーゆーあんだーすたんどいんぐりっしゅ?
「ほら、この前食べた豚肉の香辛料炒め、あれが美味しかったから私もちょっと真似してみたんだ」
アキラが前に作ったやつのことか。
確かにあれは絶妙な辛さが後引く美味い料理だったな……
でも七人分に対してアキラはそのデスソースを耳かき二、三杯程度に対し、お前は丸々一本使い切ってるじゃねーかッ……!?
それタバスコの何十倍も辛いんだぞ!?
「でも酸味が足りなかったら、あれも加えたんだ」
あれ……とは……?
俺が見る限り空のデスソースの瓶と、確かロナがデザートに買っておいたイチゴしか見えないんだが?
「ちょっと甘みもあったけど、同じ赤だから混ぜても別に問題ないわよね?」
お前はトマトという食べ物を知らないのか!?
つーか初めて聞いたよ。
料理で同じ色だから大丈夫という理論。
「ま、待てッ……!じゃあそのサワークリームオニオンはどうやって作ったんだ?」
サルサソースについてはもう救えないことが分かった以上、せめてもう一つのソースだけでも修繕できないかと試みる。
「あーこれはね……えっへへ、結構自信作なんだ」
それは料理としてか?それとも兵器としてか?
「でも材料は普通だよ?ほらそこにあるやつを適当に混ぜただけよ」
「えっ……?」
押し倒されたL字ソファーの横、ローテーブルの上に置かれた食材群に気づいた。
大量の皮が散らばったタマネギ、空の牛乳瓶、そして……ザルの中に山盛りされた────
「ウ……ウニ……!?」
フィッシュアンドチップスには掠りもしない食材の姿がそこにはあった。
「うん、この前『ウニを入れるとクリーミーになって美味しい』ってレクスが言ってたから、サワークリームオニオンって名前だし、試しに入れてみたんだ」
いやクリームとクリーミーは違うから!?
何なら牛乳と被ってるから!?
確かにレクスが作ったウニの海鮮パスタ、確かにあれは濃厚かつクリーミーな味わいだったよ?
でもお前、大事なサワーの部分、忘れてるんじゃないか?
「ほら、ミキサーで食べやすくしてあるから、いっぱい食べてね」
理解した……
コイツに料理の何某を解いたところで、もうこのフィッシュアンドチップスは兵器として完成してしまっているということに。
現状、破壊することは不可。
ならばやはり撤退しか手段はない……
しかし……そのきっかけを見いだせずに俺はいた。
そうしている悩んでいる間にも、紫色の物体がじりじりと押し寄せてくる。
覚悟を……決めるしかないのか!?
そんな時だった。
部屋の外の廊下から誰かの足音が聞こえてきたのは。
「────もう……実験体が居ないから自分で試して体調崩すなんて……おかげでお腹ペコペコだよ……ってあれ……?二人ともこんな時間に何してるの?」
俺にとっての勝利の女神が姿を現した。
「ベル?」
リビングの入り口に立っていたのは、眠気交じりな猫眼をグルーミングしていたベルだった。
今まで数々の窮地に立たされてきたが、これほど心強い救援部隊が果たしていただろうか?
「た、助け……じゃなくて、飯がいっぱい余って困っていたんだ!俺一人じゃ食いきれないし、お前も一緒に食べるだろ!?」
一緒に何て言わず、もういっそ全部食べてくれ!
「んーそうなの?確かにお腹は空いてるけど……」
体調も治っているようだし、あのベルが腹が空いているともなれば寸胴三杯はいけるはず。
た、助かった……
安堵の溜息を漏らしていると……
すっ……
何故かベルが背を向けて部屋から出ようとしていた。
えっ?何してるの?
「やっぱ今日はいいにゃ、もう一眠りしてから頂くにゃ」
「はぁ!?」
何言ってんのコイツ!?
腹が減ってここに来たんじゃねーのか!?
「それに……いま私がここでご飯食べたら二人の邪魔でしょ?」
何を勘違いしたかは知らないが、リズはパチリと片目でウィンクし、謎の言葉を残して部屋から出て行ってしまった。
お、俺の……救援部隊がぁ……
「フォルテ……」
リズに呼びかけられ、俺はハッと我に返る。
眼の前に居たのは瞳を曇らせた少女の姿だ。
「やっぱり、私の料理なんか食べたくないよね……」
や、やばい……
どうやら完全に顔に出ていたらしい。
いつもなら激怒してスプーンを口に抉りこむところだが、未だに酔っているらしい彼女は俯くばかり。
ふと、皿を持っていた彼女の手へ眼が行く、
数カ所に張られた絆創膏。
あんな傷、俺が家を出ていく時には無かったのに……
「……この前の作戦で私……冗談のつもりでフォルテやアキラに酷いこと言ったでしょ?」
酷いこと……?
「あぁ、もしかしてテロリストの件か?」
「うん……」
リズは小さくピンク髪を揺らした。
「まさか本当だとは思わなかった。だから何度もアキラや、もちろんフォルテにも謝罪しようと思ってたけど、いい言葉が見つからなくて……だから、少しでも二人やみんなの生活の役にたって罪滅ぼしを────!」
「お前……」
まさかリズがそんなことを考えていたなんて……
普段は確かに刺々しいが、それでも俺達をちゃんと仲間と思ってくれていたらしい。
それが何よりも嬉しかった。
「……大丈夫。アイツも俺もそんなこと気にしてねーよ。それでも気になるなら、一言『ごめん』って言えばいいんだよ。変に言葉を着飾る必要なんてない」
「……そう……かな」
「あぁ。それに別に……俺はお前の料理を食べたくないなんて一言も言ってないだろ?ただ……ちょっと食べ辛かっただけだ……」
この態勢だと食材を飲み込み辛いからな。
「そ、そうだよね……これじゃあちょっと食べづらいよね?」
そう言ってリズが俺の上からようやくどいてくれる。
覚悟は……決めた。
俺は一人の少女の健気な思いのために、仲間の屍を超え、任務を達成して見せる。
ソースさえ使わなければ……多分いけるはずだ!
ウィイイイイイイン!!!!
密かに決心を固めていると、ローテーブルの方から不気味なモーター音が鳴り響いた。
見ればリズが何かをミキサーへとかけている。
「お前……何してんの?」
俺は恐る恐る、新たな調理に取り掛かっているシェフに訊ねた。
「えっ?フォルテが食べ辛いって言うから、食べやすくしてるんだよ?」
背筋が凍ると同時に絶句して言葉が出ない。
さっきまでそこに有ったはずの料理たちが、混然一体となってミキサーの刃に切り刻まれている。
あっと言う間に茶色いペーストの出来上がり。
離乳食かな?
「はい、召し上がれ!」
いや食えるかぁ!?
食べ辛いって態勢のことを指していて、お料理のことを言ってたわけじゃない。
いや、かといってお前の料理が食べやすいというわけでもないけど、これ以上悪化させてどうするんだ!?
「ほら……私がいっぱい飲ませてあげる……」
「ちょっと待てッ!?まだ心のじゅウゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!」
再びマウントを取られた俺は、逃げることもできないままフィッシュアンドチップスを大量に流し込まれていく。
酒はある程度飲めても流石に毒は無理だったらしく、俺は二杯目を流し込まれる最中で意識を失った。




