maintenance(クロッシング・アンビション)7
気が付くと、俺は自室のベッドに横たわっていた。
壁の時計は五時を指し、外の夕焼けが雲の切れ間から覗いていた。
どうやら仮眠を取るつもりが、爆睡していたようだ。
「書類……やらねーと……」
譫言のように零して、視界の霞んだ眠り眼を擦ろうと────
「……ッ!!」
一瞬頭が真っ白になる。
なんだッ……これ……!?
全身に激痛が走ったかと思えば、身体を起こすことができない。
「目覚めて第一声がそれか……まだ万全じゃねえんだから安静にしておけよ」
そう声をかけてきたのはレクスだった。
首だけ向けると彼は何故かベッドの横に椅子を付け、小難しい顔で本を読んでいる最中だった。
万全?安静?
言っている意味が分からない俺が、何とか聞き返そうとするも。
「あー喋らなくていいから、きついんだろ?俺がみんなを呼んでくるから、隊長はそこで待っててくれ」
本を閉じつつそう告げて、レクスは部屋から出ていく。
椅子に置いて行かれた本へと眼をやると、
『女にモテる百選の方法』
もうちょっとマシな本を読めないのか……?
熟読しているなと何を読んでいるかと思えば、もう少しマシな本を読めないのかアイツは……
呆れ気味に戻した首が悲痛な叫びを上げる。
(イテテ……それにしても……)
これはどういうことだ?
静寂に包まれていた部屋で、俺は眠りにつく前の状況を思い出す。
……俺は確か……核弾頭を回収する作戦で指揮を執っていて、それで確か、ロナとアキラがピンチに……
────思い出した。
全身激痛で気づくのが遅れたが、右眼だけが他に増してやけにヅキヅキと悲痛を訴えていた。
俺は、ずっと隠していた「眼」の力を使ったんだ。
それで加減をミスった俺は────
「フォルテ……!」
誰かが部屋に飛び込んでくる。
差し込む西日に肩を上下させていたのは、ロナだった。
彼女はその銀髪を振り乱し、飛び込んできた勢いそのままに俺の傍らへ縋りつきいてきた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私が独断で行動しなければ……ごめんなさい」
涙声で鼻を啜り、顔をシーツに埋もれさせながら、くぐもった謝罪の言葉を繰り返すロナ。
良かった……怪我や後遺症は見当たらなかった。
ブラウスにショートパンツといったラフな格好。いつも見ている姿そのままだった。
普段とは違う点を挙げるとするなら、いつも綺麗な銀髪には若干の枝毛が混じり、表情も疲労でやつれていたくらいだ。
「作戦はどうなったんだ?」
起き上がれない俺は、首だけロナの方に向けてそう聞いた。
「……核弾頭は……グスッ……無事に回収した……グスッ……フォルテが私達を助けてくれた後、シャドーがフォローしてくれたの……グスッ……テロリストもレキに……ひぎわだした……」
「そうか……」
安堵のため息をつく。
作戦失敗となれば、ベアードに何をされるか分かったものではない。
それに……シャドーに関しても、裏切り者ではないという俺の見立ては、どうやら間違いなかったようだ。
「でも……でも……ッ!フォルテがぁ……!」
思い出したかのように、涙を溢れさせてわんわん泣くロナ。
コツンッ
「イタッ……!」
俺はその銀髪に、軽い拳骨を食らわせてやる。
大して痛くもないはずなのに、それに驚いたロナが、目尻に涙をたらふく貯めた瞳で上目遣いに見上げてくる。
「俺がお前を隊に入れた時、何て言ったか覚えているか?」
「え……?あ……」
はっ……と何かを思い出すロナ。
「そう、『何度も謝るな……』だ。あれはお前が正しいと思ってやった行動なんだろ?それで作戦は成功した。なら別にいいじゃねーか」
「で、でも、本当に危なかったんだよ!?心停止だってしたんだよ……?私のせいで……」
「だーかーら、別に誰も死んでないだろ?傷だってほっとけば治る」
俺は優しくロナの頭を撫でてやる。
艶やかな銀髪の感触は、猫でも撫でているみたいだ。
「いいか、お前は他人のことばっか気にし過ぎなんだ。プライベートにしろ、戦闘にしろ、周りの顔色ばっか見て……」
「でも、そうでもしないと私……足手まといで……戦闘ではロアにならないと足ばっかり引っ張って、みんなに迷惑ばかりかけてるから────」
「バカ……それだけがお前の全てじゃないだろ?」
「えっ?」
右手の中で再びロナが顔を上げた。
「ロアの戦闘力は確かに凄い。だけど、アイツにあってお前にあるものは、幾らでもあるじゃないか」
「……!」
その言葉に、本当に驚いたような表情を見せるロナ。
「アイツはアイツ、お前はお前だ。責任とか周りの意見とか気にせず、お前はもっとこう……自分の感情に素直になっていいんじゃねーか?それは、この世に生まれたお前自身の特権だ。誰にも阻害できるもんじゃねーよ、それでも気になるなら、俺が隊長として幾らでも責任は取ってやる」
涙の痕を、黄昏時の夕日が映し出す。
もうそのあとを追随する涙はなかった。
「だからもう泣くな。お前にそれは似合わん。可愛い顔には笑顔が一番だ」
眼を細めて歯を見せた俺に、ロナは何故かプルプルと身体を震わせてから……
「……フォルテ……フォルテェェェェ!!」
猫のような跳躍で、宙に飛び上がった。
「うおッ!?」
覆い被さるように、寝そべる俺へと抱きついてくる。
発展途上とはいえ、久しく触れていなかった女性の柔らかな感触が全身を包み込み、俺はその感触を確かめて────
「イデデデデッ!!!?」
────いる余裕は皆無だった。
本調子じゃない身体が激痛で悲鳴を上げる。
確かに素直になれとは言ったが、欲望に忠実にとは一言も言ってないぞ!?
「────あーお邪魔だったか?」
「「……!?」」
俺とロナが同時にベッドで飛び跳ねる。
声のした先で、アキラが苦笑いを浮かべながら立っていた。
「い、いつからそこに……!?」
よっぽど恥ずかしかったのだろう……戦闘時でも見たことないほど、両手をシャカシャカと振り回しながら、雪のように白い肌をピンク色に紅潮させたロナ。
その様子から目を背け、気まずそうに頬をポリポリ掻きながらアキラは口を開いた。
「お前が隊長に抱きついて、全身を擦りつけてたところからだ……」
綺麗だったハニーイエローの瞳に濁りが混じっていく。
「終わった……」
ダークイエローに堕ちた瞳。
それから、人形のような抑揚のない笑いをロナは漏らし始めた。
怖い怖い!
良からぬ精神病みたいもん発症してんぞ!
「アハ、アハハハ……いや……まだ私の本性を見たのはアキラだけだから……一人始末すればまだ……今のうちにアノニマスに連絡して、死体一つを隠す準備を……」
「お、おーい?ロナさん……?」
声をかけるも、自分の世界に入り込んでしまっているロナは、ぶつぶつと何かをつぶやくばかり……
ま、まずい……俺が余計なことを言ったばかりに。
早く何とかしないと……
「あー二人とも、ちょっと残念なお知らせがあるんだ……」
そう告げたアキラの後ろ、えらく見慣れたピンクの頭がひょこんと現れた。
「……っ」
リズが居た。
アキラに隠れて気づかなかったが、ピンク髪を逆立てメラメラと陽炎のようなものを燃やす彼女の瞳には、「激怒」と書いてある……気がした。
「全く隊長は手が早いなぁ!おい!羨ましいかよコノヤロー!」
「思ったよりも元気そうで良かったにゃ」
「……」
それに続く形で、他の隊員達も続々と姿を見せると同時に、段々とロナの表情も真っ青へと切り替わっていく。
結局全員(珍しくシャドーもいる)が集合したところでアキラが肩を竦める。
「実は……俺一人じゃなくて全員でし────ぐあッ!?」
喋っている最中、リズが右手でアキラを薙ぎ払い、ズカッ!!ズカッ!!と足音を立てながら近づいてくる。
リズ……何故君は拳を握りこんでいるんだい?
「……人が柄にもなく心配してたってのに……やっぱり男って奴はッ……!」
肩で風を切る姿はいつもの淑女(?)らしさゼロ。掲げた拳には炎のようなものが宿っているように見えた。
顔に書いてあるから知っていたが、酷くお怒りのご様子……なんで?
「私のロナッ!!じゃなくて、傷心した乙女心に付け込んで、そんなうらやま……けしからん行為をするなんてッ……!度し難いにも程があるわよ!!この変態隊長ッ!!」
何度も噛みながら叫ぶリズ。どうやら、呂律が回らないほどに怒りの業火を燃やしているらしい。
しかも、どうやら彼女の眼には、俺が無理矢理ロナをベッドに引き入れたと思っているらしい。
「いやいやちょっと待て!!これは俺からじゃなくロナからやったことであって!決して俺はそんなこと……」
「そうだよリズ!!これは私からやったことだから……フォルテが「我慢しなくていい、責任は俺が取ってやる」って言ってくれたから、それで……つい……」
ロナがさっきの行為を思い出したのか、恥ずかしそうに視線を逸らす。
「ロ、ロナさん!?」
確かにそんな感じのことは言ったけど、それだとだいぶ意味合いが変わってくんだろ!?
お前さっき一体何を聞いていたんだ!?
「まじかよ最低だな」「おいおい、隊長も隅に置けねえなあコノコノ!」「ドン引きにゃ」『ブーブー』と、薄ら笑いで(弱一名ブーイング)述べる各々がさらに油へと火を注ぐ。
お前ら不可抗力だと絶対分かってやってるだろ!?
「フォォォォォォォルゥゥゥゥゥゥテェェェェェェッ!!!!」
「ひぃぃぃぃ!?」
腹底が震える怨霊のような声に、後ずさりしたくともできない!ベッドだから!
「リ、リズってば話しを……きゃっ!?」
さらに追い打ちをかけるかのように、後ずさりしたロナが皆に見せつけるように俺へと覆いかぶさる。
お前もうわざとやってるだろ!?
「アンタはッ……!骨どころか遺言すら残させないッ……!」
せっかく生きていたというのに、一難去ってまた一難。
ボロボロの身体に、手加減抜きの一撃を耐える余裕は無かった。