maintenance(クロッシング・アンビション)1
負傷したアキラと、いつの間にか元の人格に戻っていたロナの拘束を解き、俺達は自宅へと戻っていた。二人の治療はベルに任せたので、これと言って問題はないだろう。
それよりもこっちの方が問題だ。
最初こそ慣れなかったが、今では部隊にとっての憩いの場……のはずが、普段とは違う、殺伐とした緊張感がリビングを支配していた。
まるで戦場だな……
そう思う俺の眼前に、この空気を作り出していた元凶が腰掛けていた。
隊員全員が座れるテーブルを一人で使い、仕方なしに淹れてやったコーヒーを味わう人物、ガブリエル・ベアードと。
さらにその隣には、さっきアキラ達を負かした黒ずくめが立っていた。
「……美味いな……フォルテ、君は珈琲店でも経営した方が儲かるんじゃないか?」
コーヒーを口に運んだベアードが、呑気な様子でカップを回した。
こめかみに青筋が浮かぶ。
アトンメントリングを俺に付けておいて、よくもまあそんなこと言えるな……ッ!
「御託はいい……こんなところで休憩時間を楽しむほど、お前は暇じゃねーはずだ……」
「お、おい……」
「フォルテ、アンタ口が悪いわよ?」
ケンカ腰の口調に焦るレクスとリズ。
コイツの前だと、流石の二人も緊張するらしいな。
「構わない、正直彼の言っていることは正しい……」
相変わらずの余裕綽々な様子でコーヒーを飲み干してから、テーブルに肘着いた両手を絡ませ、その上に顎を乗せるベアード。
「もう、察しが付いているかもしれないが、彼が君達の部隊に新しい入る仲間、『シャドー』だ。これからよろしく頼む」
紹介を受けたシャドーは小さく会釈して見せた。
「ふざけるな!そうやって訳分からん連中ばかり押し付けやがって……大体なんだその趣味の悪い格好は!?センスが悪いにも程があるぞ!」
苛立ちの募った俺が早口にそう捲し立てると、シャドーは衝撃を受けた様子で両手を構えてから、がっくりと項垂れた。
「ハッハッハッハ!趣味が悪いとは……クックックックッ……」
口と腹を抑えて笑うベアード。
「あの大統領が……」
「あんなに笑うなんて……」
その様子を見ていたレクスとリズが眼を丸くした。
「いっつもあんなもんだろ」
普段他の連中にどんな印象を持たれているかは知らないが、あんなもんだろ。アイツは。
すっかり緊張感の無くなったベアードが涙を拭う。
どんだけツボだったんだよ。
「いやーこんなに笑ったのは久しぶりだ……やはり君は面白いな。フォルテ・S・エルフィー」
「俺は全く面白くないんだが?」
「そう硬いこと言うな、シャドーについての詳しい経歴は明かせないが、強さについては言わずもがな、信頼できる人物であることを私が保証しよう。喋ることと素顔を晒すことはできないそうだが、それも大した問題にはならないだろう。とにかくこれは決定事項だ。今更変えることはできない」
ベアードは自分の首を触りながらそう断言した。
俺を黙らせる魔法のサイン。
あれをやられると俺は口を出すことができない。
「大統領、アナタの命令とあれば反対はしません、ですがせめて、そのシャドーについて詳しい経歴をお教え願えませんでしょうか?」
隣にいたベアードが一歩前に歩み出た。
ロナの加入に関してもかなり異例だったというのに、ここまで得体のしれない人物が部隊に入ることは、背中を預ける他の隊員にとっても不安だということだろう。
「そうです、コイツ……隊長の言葉を代弁するようで嫌ですが(おい)喋ることのできない人間が、戦場で連携を取れるとは到底思えないのですが……」
レクスに続いてリズも意見する。
途中の言葉は少し癪に障ったが、いいぞ、お前らもっと言ってやれ。
「確かに君達の言い分も理解できる。だがレクス、この部隊にまともな経歴を持った人間が一人でもいたか?リーゼリッタ、戦闘中、言葉を交わして連携を取れる機会が何回あった?」
ピシャリと言い放った的確な指摘。
狙撃されたかのように二人は言葉を返せなくなる。
誰も言い返せない状況に、大統領が満足そうに眼を細めて立ち上がる。
「これで文句はないな────」
「いや、あるぞ……」
リビングの入り口からベアードに待ったをかけたのは……身体のあちこちに包帯を巻いていたアキラだった。
「ア、アキラ……!」
「安静にしてないとまずいにゃ!」
治療の途中だったのか、心配した顔つきのロナとベルも後からやってきた。
「もう十分だ、こんな傷くらいほっとけば治る。それよりもベアード、なんなんだソイツは……!?この前話した件への当て付けのつもりかッ……?」
この前話した件……?
「……違う、彼の配属は前々から考えていたものだ。決して君に対しての嫌がらせではない。寧ろこれは部隊にとって……君にとっての必要な人員だと私は考えている……」
いつにも増して真面目な様子で眼光を鋭くするベアード。
「けっ……そうかい。けど俺は認めねえけどな、そんな奴……!」
やってられない。とアキラはふて腐れたように背を向け、家の外に飛び出していく。
何とも言えない嫌な空気がリビングを支配し、俺達全員が言葉を発せなくなる。
アキラがあぁ言って出て行った手前、新しく隊員となってしまったシャドーに声も掛け辛い。
戦場よりも嫌な空気ってあるんだな……
話し下手なレクスやベルに望みをかけ、眼でサインを送ろうとするも。ダメだ……二人とも話の糸口が見つけられずに眼が泳いでいる。
そんな俺達の様子に見かねたのか、嘆息交じりに大統領が重い腰を上げた。
「隊員のメンタルケアも、君の仕事の内じゃないのかフォルテ隊長?」
「ここまで掻き回した奴の発言とは思えねぇなぁ……そもそもてめぇが訳分からん奴を入れようとするからこうなったんだろが……」
「おや?中間職の役割が欲しいと言ったのは誰だったかな……?」
「ッ……!」
「その眼でそんなに睨むな……だが安心しろ、彼がこの部隊にとっての最後の一欠片だ。そして、彼もこの部隊には必要な存在だ。行ってやれ」
「……余計なお世話だ……とっとと仕事に戻れよジジイ」
「あぁ……またコーヒーをご馳走に来るよ、ジジイ」
キザったらしく片腕を上げたベアードを顧みることなく、俺も家の外へと飛び出していった。
初夏初めの日差しが差し込む林の中を俺は走る。
家の裏手側、この辺は辛うじて道と呼べる林道があるくらいで、非常に走りにくい。
多分こっちに行ったと思うんだけどな……
半ば勘頼りに走る俺が、林の中を突っ切っていくと、少しだけ開けた場所に出た。
程よいサイズの自然の広場。
散った木の葉の絨毯、風が通り抜けていく木々達、日差しを遮る林の屋根。小さな秘密基地にでも訪れたようだった。
こんな場所があったとは……
────ブゥゥンッ!!ブゥゥン!!
感心する俺の耳に、重い風切り音が届いた。
その音だけを頼りに歩みを進めていくと、少し離れた場所で、落ち葉が旋毛風に乗せられたように宙を舞う姿が目に映る。
アキラが一人、オートクレールの素振りをしていた。
「……ッ!……ッ!」
不真面目な彼にしては珍しい、気の入った上段斬り。
それも、昨日今日始めたような雑なものでは無い。太刀筋の整った見事なフォームを成していた。
任務、演習以外は基本自由となっている俺達の中で、市街地のバーでレクスが朝まで呑むことがなければ、比較的アキラが一番家に帰ってくるのが遅い。
きっと時間があるときは、ここでこうして鍛錬を積んでいたのだろう。
そうでもなければ、あの大剣をいとも容易く扱っていることの説明がつかないし、そもそも今日は非番で演習も無かったのに、訓練場に居たことが何よりの証拠だ。
────負けたことが余程悔しかったのだろう……
大剣を一心不乱に振り続けるアキラの背中から、そんなことを感じ取っていると、大剣がピタリと止まる。
「盗み見とは、趣味が悪いんじゃねーか?」
振り返ることなくそう告げたアキラ。
一応気配を殺していたつもりだったが、日本語でそう告げてきたあたり俺だということもバレているらしい。
別に隠れるつもりはなかったので、特に誤魔化すことなく姿を晒すと、アキラは首を垂れ下げるようにして大げさな溜息を吐いた。
「……なんだよ、アンタまで俺の説得に来たってのか?」
「そんなところだ。確かにお前の気持ちも分からんでもない……だが、アイツがああ言っちまった以上、俺達が文句をつけることはできない……気は乗らないが、受け入れるしかないのさ」
「結局、アンタもアイツの犬ってことかよ……」
アンタも、と言ったところに俺は眉を顰めた。
「……俺はそんなつもりないが……傍から見ればそうかもな……」
こんな首輪さえなければ、いつでも逃げ出してやるってのに……
俺は苦虫を噛み潰した表情でアキラのすぐ近くに腰を下ろす。
「やっぱ、アンタもなんかあるって口か……」
アキラが横目で俺を一瞥してから、素振りを再開した。
無理に説得し続けることはかえって逆効果だ。
っていうか、そもそも俺自身があまり乗り気でないこともあったのだが……
目立った会話が特に無いまま、それから何分かが経ち、ただ大気を切り裂く風切り音だけが林の中で鳴り響いていた。
木の葉の絨毯に寝そべり、後頭部で手を組んでその音に耳を傾けていた俺は、あることを思い出した。
「……そういえば、さっき大統領に言っていた、『この前話した件』ってのは何なんだ?」
何気なく聞いたその一言に、アキラの太刀筋が少しだけブレたような気がした。
「別に……大した話しじゃねーよ……」
「大した話しじゃねーなら教えてくれよ?」
「……」
「なんだよ……勿体ぶるなよ。どうせ話すことなんて無いんだし、別に誰かに言いふらしたりしねーからよ」
こっちに背を向けたまま、大剣を振り続けるアキラ。
ダメか……
会話の糸口が掴めず、説得を諦めかけていた俺が立ち上がろうとした────
「……絶対、誰かに言いふらしたりするんじゃねーぞ」