暁に染まる巨人《ダイド イン ザ ダウン》11
「あー悪い悪い……一回なりきるとついつい戻すの忘れちまうんだよ……」
短く刈り上げた頭を男らしく豪快に掻きながら、バオは懐からナイフを一本取り出した。
それを躊躇いなく首元に当て、サッと皮膚の表面を切り裂いた。
突然の奇行に小さく息を呑むセイナの前で、血が一滴も出ない皮を剥いだその下から────銀髪のロングヘア―が絹糸のカーテンのようにバオの背中に垂れさがった。
「俺だよ俺……ロナ・バーナードだよ!」
親指を突き立てながら、ロナの顔したその人物はバオの男声でそう告げた。
「声、戻ってねーぞ……」
「あっ……やべ……」
どうにも締まらない様子に俺が指摘をすると、ロナは喉元に手を当てて「ヴェッ!……ギェッ!……」と何度嘔吐いて声帯を切り変えてから……
「大丈夫?元に戻った?」
自分でも時折分からなくなってしまうらしいロナが、いつも使っている本当の声でそう訊ねてきた。
「ロナァァァァ!!」
俺が頷くよりも先に、狭いダクト内で人魚座りだったセイナが勢いよくロナに飛びついた。
普段は散々いがみ合っている犬猫の仲とは思えないその反応に、ロナはハニーイエローの瞳をキョトンとさせていた。
「良かった……!無事で良かったわ……!」
「うんセイナ、喜んでくれるのは嬉しいけどね、左足はヒビが入ったままだから……そんなに強く抱きしめられるとちょっと痛いかな……」
涙声を上擦らせて抱き着くセイナに、苦笑いを浮かべるロナが痛みを訴えて背中をタップしている。
「でも、どうして……?奴らに捕まってたんじゃ……?」
ロナのマシュマロのような爆乳の詰まった野戦服に、顔を埋めていたセイナが上目遣いに見上げる。
仲間ですら見間違うほど変装が得意だったとしても、さっきの牢屋には確かにロナと思しき人物が鎖に繋がれていた。それに……チャップリンと会話していた時に漏れていた呻き声は誰がどう聞いてもロナの声だった。
「あー……あそこに繋がれてんのはバオだよ。さっきまでロナが変装していた男の」
「……マジかよ……」
ロナの潜伏スキルが高いことは知ってはいたが、まさか拷問相手と入れ替わっていたとは……
「詳しいことは移動しながら話すから、二人ともついてきて!」
自分のやった離れ業を特に誇ることなく、ロナは匍匐前進でダクトの奥へと進んでいった。
「ざっくり話すとこんな感じかな~」
ロナ、セイナ、俺の順番で、排気ダクト内をRPGのパーティーのように進んでいる最中、捕まってからの経緯について教えてもらった。教えては貰ったのだが……
「「……」」
服装こそ野戦服姿のままだが、その頭にはいつもしている銀色のツインテールと、ウサギ耳を連想させるアメジストのリボンが付いていた。リボンは引き裂かれる前にポケットにしまっていたらしい。
身長や体形は足先や身体の周りに、布やら廃材などを忍ばせることで上手く誤魔化していたらしく、その胸襟だと思っていた爆乳のサラシも取っ払ったらしい……取ったところは見てなかったので知らないけど……
「な、なにかな……?二人からの熱~い視線を感じるんだけど……?」
俺とセイナのジト目を感じてか、ロナが後ろを振り返る。
「いや……アンタね……」
「その説明でどう納得しろと……?」
何処に向かっているかは知らないが、さっき言われた通り先導するロナに後ろからついて行く俺、セイナは、互いに全く同じ感想を抱いていたらしい……まあ誰が聞いたところで反応は変わらないだろうと思うけど……
「そもそもフォルテ、アンタは何処でロナがバオに化けていたって気づいていたのよ?」
「どこで……?」
前を進むセイナに問われた俺が眉を顰める。
正直なところ俺自身もどのタイミングでそう思ったのか自分でも分かっていなかった。ただ……
「髪留めや名前……途中の言動が支離滅裂だな思っていた後……最後に発した言葉……」
「アンタよりは上手い自信があるよ……空港で言っていたロナの言葉を思い出したってこと?」
「いや……」
確かにその空港でのデジャブを感じたのも事実。だが、俺が感じ取ったのはもっと短絡的な……
「あの時見せた表情……だな」
「表情?」
「あぁ……何となくあの時の笑顔がロナと重なったんだ……それで咄嗟に身体が動いちまったよ……」
理屈云々では語ることのできない、長年を共にしてきた仲間だからこそ感じる何かに俺は確信を得たのだと思った。セイナはその言葉を聞いて、呆れ半分、感心半分といった様子で「ふぅ」とため息を挟んでから、
「アタシはてっきり、チャップリンに見つかった時に見逃されたところでかと思っていたけど……全く……どちらにしろ合ってたから良かったけど、急にあんなことされたらアタシ……」
言葉が途中で途切れる。不審に思った俺がセイナの背後横から表情を伺うが、ダクトが狭くて見ることができない。
「……されたら?」
仕方ないので聞き返すが、目線をダクトに突いた手元に落として口元をわなつかせたままのセイナは「お……お姫様……お姫様だっこ……された……」と何かを譫言のように呟いているが、小さくて聞き取ることができない。
すると突然────
「そ、そんなことより!ロナ!ちゃんとさっきの説明しなさいよ!」
うお!急に元気になった……どゆこと?
すると話を振られたロナも何故か「チッ……ウラヤマけしからん……」と何かをブツブツ呟いてから……
「えー?捕まった時に牢屋で隙を突いてバオと入れ替わって、それからバオに成り済ましてこの施設を探ってた……これの何処が分かりにくいのー?簡潔明瞭、これほど分かりやすい説明はロナちゃん以外にできないゾ!」
いつもの調子でニシシッ!と笑い飛ばすロナ。全く……お前が捕まってた時に俺達が抱いていた心労を返して欲しいと思うくらい元気な笑顔だよ……
「まずどうやってバオと入れ替わったんだよ?」
「連中にバレないよう隠して持ってた隕石の糸で鎖を切断してから、バオの隙を突いて気絶させたの。あとは入れ替わるだけでロナちゃんは自由になるのです!」
「でも入れ替わったところで、バオが助けを呼べばすぐにバレるじゃない?」
当然の疑問をセイナが訊ねると、ロナは匍匐前進したまま人差し指をチッチッチッと振るう。
「ところがどっこい、二人が聞いたのは確かにロナちゃんの声でした!その答えは多分ダーリンなら分かってます!」
ダーリン呼びはひとまず置いといて、俺の知っている声を変えることができる方法……?そんなの────
「奴に超小型変声器を使ったのか?」
以前セイナと一緒にアメリカに行った時に使った変声器、超小型変声器……設定次第で老若男女誰の声でも発することができる装置と答え出した俺に、ロナは大げさにピンポンピンポン!という効果音を口で交えつつ……
「うん!大正解だよダ~リン!でも身長とか体つきまで変えることは流石のロナでもね……なにか特殊な魔術が使えないと不可能だから、その辺は身長が分かりにくい姿勢にさせたり、肌はペイントで誤魔化したり、髪も適当なカツラを作って固定したりと……まあそんな感じだよ!いやー工場だったから色々あって良かったよ~」
甘えるような猫なで声で楽しそうにキャッキャとロナは笑った。
後ろからで表情こそ見えなかったが、その様子はここで不自由こそなかったものの、俺達と合流できたことが心底嬉しいといったものだった。
「────じゃあ、あの監視カメラに写っていた映像は……?」
セイナが触れてはならない禁忌を聞くかのように、恐る恐るロナに問いかけた。
ロナが拷問されたのは自分のせいと、内心で責めていたセイナにとってとても重要である。その問いに俺達三人の間、排気ダクト内にも重たい空気が流れ────
「あれは合成」
「へっ?」
流れなかった。
素っ気なく言ったロナに、セイナが普段出さないような素っ頓狂な声を上げた。
感情を揺さぶられるものを見せつけられた後に、あれ実は作り物でした~なんて言われれば、そう言う反応するよな普通……
眼を白黒させているセイナのことなど気にせず、ロナが肩を竦める。
「あれは適当にネットで拾ってきた動画を合成して作ったものを、監視カメラをハッキングして流した映像だよ。そうでもしないとバオと入れ替わるタイミングがないからね。まあミリオン動画作成も朝飯前のロナちゃんにかかれば!あんな性欲にまみれた男達の眼を欺くことなんて……あれ、あれれ……?」
ダクト内で振り返ったそのロナの顔……あれは、家でよく見かけるイタズラをする時の顔だ。
────い、嫌な予感がする……
とセイナの背後で顔を顰めていた俺の答えが的中する。
「でもど~してイギリスの王女様がそんなに動揺していたのかな!?まさか……あの男達と一緒でセイナもロナちゃんのあられもない姿にコーフンしてたのかなぁ??」
「そ、そんなんじゃないわよ……!」
あの映像のことを思い出してか、真っ赤になったセイナがしどろもどろになっている姿に、ロア譲りのロナのドSスイッチがONになる音が聞こえた気がした。
「そ~もそも!セイナにはあれが何しているのか理解できたってことだよね?それってつまり……王女様もお淑やかに見えて、実は淫乱────」
「違うわよ!!このぉッ……!!」
反射的に振りかぶったセイナがロナのことをぶん殴ろうとしたが、今のロナは銃弾を受けて左大腿骨にヒビが入っている。本人曰く、隕石の糸をぐるぐる巻きにしてサポーター代わりにしているので、走ることは無理でも早歩き程度ならできるらしい。
とはいえ、そんな重傷者を殴るわけにもいかず、寸でのところで拳を止めたセイナが「ぐぬぬッ……!」と歯を食いしばっていると……「ほれぇ!」とロナが野戦服のポケットから出した電子デバイスで、例の動画を再生し始める。
「ぎゃああああ!!」
人の物とは思えない悲鳴を上げて、俺の方に振り返ったセイナが太陽の光でも直に浴びたのか?ってくらい両手で顔面を抑えて悶絶していた。指の隙間からはヤカンのような湯気が零れ出し、恥ずかしさでそれこそ太陽のように真っ赤っかになったセイナを、狭いダクト内でロナがうひゃひゃひゃ!と腹を抱えて転げまわる。
「おい、合流して嬉しいのは分かるが、急がないと連中が俺達を追って来るぞ……」
収拾がつかない様子の二人に、真面目な態度で俺が一声かけると、ロナが笑顔を浮かべたまま何故か頭を振った。
「ごめんごめん!その心配なら大丈夫だよ!そのために地下の研究所全員をあの牢屋に集めたんだから……」
「どういうことだ?」
なにか含みのあるその言い方に、俺が首を傾げた。
「全てはロナちゃんの計画通り……てね!お二人さん……研究所が手薄ってことは、何か取りに行きたいものがあるんじゃないかな?」
俺とセイナは八ッと互いの顔を見合わせた。
「「タングリスニとタングニョースト!」」