暁に染まる巨人《ダイド イン ザ ダウン》7
神器、俺達が探している、イギリス王室から盗まれた雷神トールの神器。
それの存在に一早く気づいたことで、俺が触れても話しかけても気づかないくらいセイナは動揺していたらしい。
俺はセイナの視線を追うよう鉄サッシに肉薄し、目を凝らしてそれを探すと────俺達の排気ダクトとは反対の壁際に、この部屋で一番大きなガラスの容器を二つ見つけた。中には半透明な液体と、金銀のシンプルなリング状のブレスレッドが一つずつ浮かんでいた。
「もしかして……あの二つの容器に入っているのが神器か?」
指さして問う俺に、声を失っていたセイナが辛うじて頷いた。
マジかよ……一つどころか二つもあるとはな……
空いた口が塞がらない……セイナがあそこまで放心するのも納得だ。
「あれは「タングリスニ」と「タングニョースト」……二つで一つの神器なの。でもどうして……王室から盗まれた神器がこんなところに……」
完全に我を失っているセイナ……無理もない。世界的なネットワークを駆使したロナの力を介しても、なかなか見つけることのできなかった代物が、まさかこんな僻地で見つかるとは思っていなかっただろう。喜びよりも驚きの感情が勝ってしまうのも理解できる。
「でもあれって本物なのか?神器って確か近くに存在している場合、祝福者ならすぐに気づくんじゃないのか?」
一か月前のアメリカでの事件、あの時セイナは数キロ以上離れた神器の位置さえも、何となく察知していたらしい。そんな動物嗅覚並みのセンサーが有りながら、数十メートル近づくまで気づかないというのはおかしな話だ。正直見た目も、そこらで数千円と言われても信じるくらい簡素な作りだしな。
するとセイナはそれをハッキリと否定するよう、ブンブン左右に頭を振るう。
「いいえ、あれは間違いなくアタシ達が探していた神器よ、そうでなければあそこにあることすら気づかなかったわ……ただ……」
揺れる金のポニーテールを止め、一呼吸置くセイナ。その表情には若干の動揺の色が未だ残ってはいたが、綺麗な碧い瞳には思い込みや希望的観測でモノを言っている……という感じでは無いことが伝わってくる。
「アタシが感じ取れる神器のエネルギーと言えばいいかしら?、それが信じられないくらい微弱になっているの。こんな短距離まで近づかないと分からないくらいに……そして理由は分からないけど、その微弱なエネルギーがこの部屋全体から同じように感じるの」
「部屋全体から?」
難しい話に俺は、眉の間にシワを寄せる。セイナと違って祝福者ではないので、神器の力がどのように伝わってくるかは分からない。それでも、部屋全体から伝わってくるというのはおかしな話だということはなんとなく理解できる。神器はあくまで神の力が秘められた道具であり、他に伝染することも、ましてやその力が部屋に充満することはない。よく自宅でグングニルをどこかに置き忘れたり、ロナがイタズラで隠した時でも、セイナが一切迷わず神器を見つけるところから、俺でもそのことは予測することができた。要は匂いではなく、電波と捉えるのが分かりやすいかもしれない。
おそらくセイナはその微弱の電波群の横を通りかかった時に、神器の存在及びこの研究室の異常性に気づき、放心するほど驚いていたということらしい……
「うん、全体って言うとちょっと大雑把だけど。えーと……あの神器の入った円柱形の容器から他の容器にかけて枝分かれしているような……そんな感じ……こんなの初めて見たから上手く説明できないけど……」
うーんと集中するようにこめかみの辺りに手を置き、瞳を閉じるセイナが自信なさげにそう付け加えた。
そのことを踏まえて改めてよく見ると、神器の入った二つの容器の下部からは、大量のケーブルがタコの足のように伸びており、部屋に置かれた全ての装置に最低でも一本ずつ接続されていた。ケーブルは他の部屋にも伸びているようだったが、ここで作業する数人の研究員達も、容器の前に置かれたPCや、リアルタイムに表示されるポリグラフのようなデータを記録用紙に熱心に書き写していた。尾行していた男も、その研究員達と混じってPCを覗き込み、何かを話し合いをしている。
まさかここは……魔術兵器工場じゃなくて、神器を研究するための────
ガガーン……!!
「「ッ!?」」
突然響いてきた何かを叩きつける強烈な衝撃音に、俺とセイナは凍り付いた。
────やば!?
無意識のうちに自分たちが何か大きな音を出してしまった思い、俺とセイナ大慌てで音源を探る。
早く止めないと、俺達の居場所がバレてしまう!
「「ッ……?」」
面接中に鳴ってしまったスマートフォンのように、狭い排気ダクトの中で血眼になって音源を探したが見つからずに顔を見合わせる俺達。ようやくそこで、音源が自分たちの物ではなく排気ダクトの奥から聞こえてきていることに気づいた。囲われたダクト内では、音が反射するため勘違いしてしまったが、不思議なことに研究者達は、その音には気づいた様子でちらりと音源の方……排気ダクト奥の部屋の外に顔を向けてはいたが、それがまるで日常であるかのように、大して興味無さそうにすぐPCの光源に顔を戻していた。衝撃音は……途切れない。
「行きましょう……」
どこか不気味な研究員の態度に、不快な表情を浮かべたセイナがどこか不愉快そうに呟いた。
「いいのか……?」
四つん這いで前に……音源の方に進み始めたセイナに後ろから問いかけた。
研究室に置かれたあの神器は、セイナにとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。もしかしたら、この機を逃せば二度と手に入らない可能性さえある。
「いいのよ、ここにはロナを助けに来たんだから……それに神器は今ここで逃してもあとで回収することができるけど……その……ロナは……そういう訳にはいかないでしょ……」
こっちには振り返らず、どこか気恥ずかしそうな様子でボソボソと呟くセイナ。
憎まれ口を叩く仲でも、根はやはり仲間想いのセイナのその言葉が素直に嬉しかった。
「そうか……ありがとな」
媚や世辞など一切ない、素直な気持ちでそう言うと、セイナは小声で「仲間なんだから当たり前でしょ……バカ……」とだけ告げて、衝撃音を目指してヨチヨチと前に進んでいった。
排気ダクトを進み始めて数分、断続的に聞こえていた衝撃音は何の前触れもなく、ある時を境にぱっと止まった。
それが一体何の音か分からない分、妙な薄気味悪さを感じながらも、俺とセイナはほぼ一本道のダクトを進んでいくと、ようやく鉄サッシの出口が見えてきた。
ここに来るまでに感じた研究室の空調で整えられた大気とは違い、生暖かく鳥肌が立つような、湿気混じりの嫌な空気。照明もロクなものではないらしく、鉄サッシに差し込む光はどんよりした暗いものとなっていた。
どう見ても他の部屋とは違う空気に妙な確信を覚えた俺達は、監視がいないか確認してから鉄サッシを外した。
「ちょっと高いわね……」
首だけ開口部から下に覗かせ、足元を確認したセイナが呟く。
「どれくらいある?」
「ざっと十五メートルくらいかしら……んッしょ……どうする?」
覗かせていた首を引っ込め、うつ伏せの状態のままこっちに振り返るセイナ。
その短いスカートで無防備な態勢になるのは止めて欲しいな……見てるのバレたら怒られるの俺なんだから……と少し視線を外しつつ、
「コイツで降りるか……場所代わってくれ」
左腕の手首、伸縮する義手を使うため、狭いダクトの中でセイナと前後を入れ替わる。
「よし、ゆっくり捕まれよ」
開口部から足を出し、垂直で凹凸の無いコンクリートの壁面に、懸垂するよう両腕でぶら下がる。
俺の頭上からセイナがゆっくりと背中に覆いかぶさったところで、右手を開口部から外して左手を伸ばす。
長さ十メートルのワイヤーが伸びきったところで、俺とセイナは飛び降りて地面へ着地した。
余程清掃されていないのか、地上の工場よりも汚い埃の溜まった部屋。ダクト内といい勝負だな。
照明は十五メートルある天井に一つしかなく、とてもじゃないが心もとない。
ようやく地下らしいイメージの場所に降り立った俺達だったが、ここが一体何の部屋なのか?と疑問に思う前に、両脇に既に答えが存在していた。
「ここが拷問部屋と牢屋ってことね……」
「……みたいだな」
セイナが重い表情のまま呟いた。
俺達の両脇には、鉄格子の牢屋が三つずつ。合計六つの牢屋が存在していた。その中には鉄加瀬や荒縄、腐ったような水の入ったバケツなど、誰かを拷問をした形跡が残されていた。
表の工場からは想像できない非人道的な空間、口の中が酸っぱくなるような異臭に、酷い寒気や頭痛を覚える。
「ッ……!」
鼻が利きやすい体質の俺が、吐き気を抑えるために口元を抑えていると、何かに気づいたセイナが急に走り出した。
「ロナッ!?大丈夫!?」
「何だって!?」
左側の一番奥の鉄格子に縋り付いて叫ぶセイナ。俺が同じように急いで駆け寄るとそこには、両腕をYの字に繋がれた、銀髪の少女らしき人物がそこにはいた。身体には無数の千切れた傷や殴打の跡、服は黒いキャミソールが破かれ、黄色い派手なランジェリーが露出していた。気絶しているのか反応はなく、垂れさがった銀髪は汚れて表情を隠していたが、一応息はあるらしく、小さく「……ぅ……」と少女は呻き声を上げていた。
「待ってて!今出してあげるから……!」
鉄格子を施錠してあったブルドック倉庫錠に、銃口を向けるセイナが引き金に指を掛けた瞬間────
「────動くなッ!!」
俺達が入ってきたダクトとは反対側、牢屋よりも少し上段にある本当の入り口から、武装した兵士を引きつれた小太りチビの男が入ってきた。
聞いたことのある甲高い声と見覚えのある風体に、俺は憎々しい表情を浮かべて歯噛みする。
「チャップリンッ……!」