暁に染まる巨人《ダイド イン ザ ダウン》6
地下は別世界になっていた。
地上が飛散したオイルと加工熱に覆われていたのに対し、地下は時間間隔が分からない防塵室のような、全体的に白を基調とした通路や部屋が広がっていた。
「まさか入り口にエレベーターがあったとはな……」
地上と違い廃材のような身を隠せるものは皆無なので、通路の角から野戦服姿の男を追いつつ、俺は小さく呟いた。
FBIの副所長を取ッ捕まえて居場所を聞き出すことや、ロナとの人質交換も考えたが……奴がどれほどこの工場で優遇されているか分からない。下手に騒ぎを起こすのは得策ではないと判断したうえで、野戦服姿の男を追っていくと……工場のエントランス付近に地下に降りる階段とエレベーターが設置されていた。正面から来た人には分かりやすい作りではあるが、少々マニアックな方法で工場に入った俺達にとっては一番気づきにくい位置だった。
セキュリティー面が心配だったが、辺鄙な田舎で侵入者も少ないおかげか、エリアセンサーや指紋装置。騙すがかなり面倒な体内魔力を計測する、魔力認証システムといった装置は特になく、あるのは地上と同じ監視カメラくらいで侵入するのは容易だった。
「あの男、何処まで行くのかしら……」
隣にいたセイナが眼光を鋭くした先……学校の教室程度のサイズに区切られた研究室には気にも留めず、スタスタと通路の奥へと進んでいく野戦服姿の男。
防塵室と言っても、特にエアシャワーや白衣などを着る必要もないのか、作業している人物は皆、地上と同じ野戦服姿。ただ、やっていることは製鉄のような力仕事ではなく、何かを調合したりデータをまとめたりと、インテリ系のことが多かった。直接PCを見れないので、一体何のデータを取っているのかは分からなかったが……
「さあな……地上の製品とは別に、何かを取りに行くとは言っていたが……この奥に一体何が……」
と、男が通路の最深部の扉の前で半身になった。どうやら、部屋から出てきた研究員の男とすれ違ったらしい。それ自体は特に問題なかったが、その研究員の男がこっちに向かって歩いてくる。
このままここにいるとバレてしまうが、無理に捕まえて気絶させなくとも、一旦下がることや、セイナが持ってきたロナのICコートで一人だけやり過ごすこともできる。どうするか……
「おっ?」
考えるように視線を上に向けた先に、簡易な入り口の排気ダクトを発見した。地下で換気ができないために設置されているものだろうそれは、俺の見立てでは各部屋へと繋がっている作りになっていた。
「セイナ、こっちだ」
そう言って背伸びした俺が、排気ダクトの入り口についていた鉄サッシ外そうとしたが、微妙に届かない。
「ちょっと屈んで」
それを見たセイナが俺の肩をバシバシ叩くので、言われた通りに中腰になると────ゲシッ!!両肩に衝撃が走った。
「ぐへぇッ……!」
間抜けな声を漏らす俺が、その衝撃にグッと堪える。
なにが起こったのか一瞬理解できなかったが、両肩から生えたコンバットブーツですぐに何が起こったのかを察した。
身長の低いセイナが、屈んだ俺を踏み台にして、入り口の鉄サッシに手を掛けていた。要は組体操の肩乗せ状態。
確かに手っ取り早いかもしれないが、やるなら前もって言ってくれよ……
不満げに顔を上げて、作業の進捗具合を確かめようとした俺の目の前を、ひらひらしたものが舞っていた。ジープで着替えて綺麗になっていた、折り目正しい黒いプリーツスカートの裏側……男なら誰もが一度憧れたであろうそのアングルの先には……きめ細かな白い肌を際立たせる、シワ一つない薄ピンクのシースルーランジェリー。鼠径部や局部の凹凸のラインを型取るようにそれは、隠している部分の寸分違わぬ正確な形を表してしまっていた……
ゲシッ!!
突然セイナからの鋭い踵ストンピングが、俺の右眼に突き刺さった。もう一度言うぞ?右眼に突き刺さった。
「セ、セイナさーん……右足の位置おかしくないですか?」
眼球を陥没させる勢いで煙草の火を消すかの如く、ぐりぐりと踵をねじ込んでくるセイナ。いやいやもう片方の眼も失明しちゃうぞ?
「アンタこういう時、無防備なアタシに絶対何かしてくるじゃない?そのための処置よ、日ごろの自分の行いが悪かったって我慢しなさい」
いや、処置のレベル越えてるよねこれ?残った眼を失明させるなんてもはや処置じゃなくて罰の領域だよね?あれ、俺の考え方がおかしいのかな……?
真面目に悩んでいると、鉄サッシを開けたセイナが俺を飛び台にぴょーんと跳躍。悠々と排気ダクトに足を掛けて入り込み、振り返ってから俺の方に手を伸ばした。
俺はその手を取りつつ排気ダクトに入り、鉄サッシを閉じる。
埃っぽい排気ダクト内を、セイナのよちよち歩きについて行く俺。思っていたよりも中は広く頑丈な作りで、四つん這いで人が通れるくらいにはスペースが確保されてあった。ただし、通路と違って照明がない分かなり暗く、最初マジで右眼が見えなくなったのかと錯覚したが、排気ダクトの外から差し込んできた部屋の光が見えて、そうではないことを再確認する。
「痛ッ……」
ゴテンッと衝撃が頭部の先に伝わる。
暗くて気づくのが遅れたが、前にいたセイナが急に立ち止まったせいで、俺はその小ぶりな膨らみのあるプリーツスカートにおでこをぶつけたらしい。ぶつけたらしい……
────ヒェッ……
全身の血の気が一瞬で消え失せ、恐怖と戦慄が同時に走る。
ついさっき、見たことがバレてない状態でストンピングだぞ?触ったとなれば……一体何をされるか分かったもんじゃない……!
今できる限りの最大限の防御態勢を作って身構えたが、セイナからの制裁は何も起こらない……それどころか、俺がぶつかったことにすら、気づいていない感じだった。
「どうした……?」
明らかに様子がおかしいと、心配になった俺が声をかけるが、反応はない。かわりに────
「……う、嘘……なによ、これ……」
譫言のように呟く視線は排気ダクトに差し込んできていた光の外……さっき尾行していた野戦服姿の男が入っていった、通路の一番奥にあった部屋に当たる部分だ。
線状の光が差し込む鉄サッシの隙間から、息を殺した俺も同じように排気ダクト外を見ようと眼を細めると……
「……これは……!?」
外の異様な景色に、驚きを隠せず生唾を飲み込んだ。
部屋の天井角に設置された排気ダクト、そこから見下ろした薄暗いその部屋は、サイズが他の研究室よりも二回りくらい大きな小体育館程度の空間となっていた。驚いたのはなにも部屋のサイズではなく、その中に所狭しと置かれた設備量だ。発酵槽やカラムクロマトグラフィーを思わせる、大小様々な円柱形や円錐形で、素材もガラス、ステンレス鋼、プラスチックなど様々な容器。そこに流し込まれた液体が何かの化学反応によってボコボコと音を立てていた。
全ての容器の隅に描かれた六芒星に「D.H」と書かれたロゴに、俺は苦虫を噛みつぶしたような表情で呟く。
「アメリカの民間魔術兵器会社「Double Hexadram」の製品ってことは、ここは魔術兵器を作っている場所か?それにしたってこんな大規模な設備見たことねーぞ……」
きっとセイナが港区で放った真っ白な魔術弾もここで作られたに違いない。
Double Hexadramとは、2000年以降に設立された武器会社ながら、魔術と科学を併用したハイブリッド兵器に一早く着手し、他の同業者とは比較にならない勢いで成長したアメリカの有名な企業だ。
そのロゴのおかげで、ようやくFBIの副所長とこの工場とのつながりが見えてきた。
そもそも武器密造工場にしては、ここは規模も精度もかなりの高水準であることがずっと気になっていた……理由としては、それを可能にする資金力、技術力、どっちもこのベトナムには無いからだ。その二つをチャップリンが供給する見返りとして、精度の高い武器を密輸……しているのだと思うが、一体何のために……?
さっきのチャップリンの会話から察するに、俺達が小山さんに頼まれた密輸品も奴が関与していたことが伺える。だがどうしてあんな物騒な兵器を、比較的平和な日本に仕入れる必要があるんだ……それに、ヨルムンガンドがここの武器を扱っていることについても、チャップリンがどの程度まで関与しているのか……疑問は増えるばかりだ。
「……ど、どうしてあれが、こんなところに置いてあるのよ……?」
「セイナ……?」
馬鹿なりに必死に頭を働かせていた俺の横で、魔術兵器が作られる様子を呆然と眺めていたセイナ、その驚愕した表情は、俺が規模や設備に対して抱いていたものとは違い、もっと別の何かに驚いているような……まるで、結婚式で用意されたウェディングケーキよりも、それを持ってきたパティシエに驚いているような……そんな感じに近かった。
何かを見つめたまま放心状態の相棒。俺がその訳を聞こうとした時……発したその一言で全て理解した。
「どうして、ここに神器が置いてあるのよ……」
「何だって……!?」