バンゾック・フォールズ14
「何しているんだい……君達……」
「「!!?」」
気配もなく発せられたその言葉に、俺とセイナはびっくりして左右の両窓際に飛び退いた。
運転席と助手席の間に、いつの間にか目を覚ましていたアイリスが、コアラの子のように首だけ覗かせ、やる気のない死んだ目をこっちに向けていた。
「……ア、アイリス……起きていたの?」
泡を食って何も発せないセイナに代わって、俺がぎこちなくそう訊ねると、何故かアイリスはため息一つ漏らしてから────
「全く、君は見境が無いというか、こっちとしてはあの言葉、少し嬉しかったのに、なんて言うか……ちょっとがっかりしたよ……」
「は、はぁ?」
寝起き早々に訳の分からないことを言ってきた。あの言葉?がっかり?俺、なんかアイリスにそんな感動されるようなこと言ったっけ?
そもそもコイツはいつから俺達のやり取りを聞いていたんだ……?
「大体は聞いていたけど、そういうのは人のいないところでやって欲しいかな……んっ────おちおち寝てもいられないじゃないか……」
俺の表情から心を読んだのか、小さく伸びをしながら抑揚のない声でそう漏らしたアイリス。
ぜ、全部聞かれていたのか……さっきのやり取りを……全部……
それを理解した俺とセイナの顔が再び、パトカーランプのようにポンっポンっと真っ赤に点灯する。うぅ……穴があったら入りたい……
「ちちちちち、違うわよアイリス!!アタシとフォルテは別にそう言う関係じゃ────」
「じゃあ、どういう関係なんだい?」
食い気味にそう聞いたアイリスの言葉に「うっ」と声を詰まらせるセイナ。
随分と痛いところをついてきたな……
「否定するなら、説明できるんだよね?」
マフラーの下に隠れた口が、ニィッと吊り上がったように見えた。
あれ……コイツちょっと楽しんでないか?
サディスティックな意地悪い笑み……相手が嫌がることで徹底的にいたぶる、スナイパーらしい性格を表しているようだった。
普段強気なセイナが押され気味なのは、ちょっと心の中でガッツポーズしてしまうくらい愉悦なんだが……地味にそれ俺の方にも被害が及んでいるから正直素直には笑えない。止めてくれアイリスその質問は俺に効く……
「そ、それは……その、あれよ!主従よ主従関係!「おい」アタシがご主人でコイツは使用人!召使!奴隷!決してそういう……関係じゃ……ないんだから……」
途中で入れた俺のツッコミを無視して、必死にジェスチャーを交えながら言葉を紡ぐセイナ。最初こそ強気な口調だったが、全てを見透かしたような、アイリスのニヤニヤした視線に気圧されたのか、風船が萎んでいくような調子で声音は次第に弱くなっていた。そこは素直にパートナーって言ってくれよ……とも思ったが、本当に俺達の今の関係は、パートナーと呼べる間柄で間違ってないのだろうか……?
確かに最初、四月にセイナと出会い、協力することを決意(強制)させられた時は、その程度にしか考えていなかった。だが俺はさっき、明らかにその一線を越えようとしていた。セイナに対する俺の考え方が、数か月行動を共にした程度で、大きく変化していることを示すように……
じゃあ、逆にセイナは俺のことを、どのようにして見ているのか……本当に、パートナーとして見てくれているのだろうか……?
「まあ、ボクは何でも構わないけど……それで、君達はこれからどうするんだい?」
ロナと違って引き際を弁えているアイリスが、からかうのを止めて真面目な口調で聞いてきた。
「俺達は、捕まったロナを助けに行くために工場へ行く」
横目に見たセイナは「ま、末代までの恥だわ……」と、真っ赤な顔から湯気を立てていたので、代わりに俺がそう答えた。すると、アイリスがやる気の無かった瞳から、やや冷ややかな視線をこっちに浴びせてくる。
「たった二人でかい?……本来は工場偵察が目的なんだろ、一度戻って態勢を立て直した方が良いんじゃないか……?」
遠回しにロナのことを見捨てろ、と言ってきたアイリス。ハッキリ言ってその答えは正しい。敵に捕まった仲間が助かる確率は、統計的に見てかなり低い。しかも向こうは、最低でも十人以上にスナイパーを編成した、一個分隊規模の軍人。たった二人、仮にアイリスを入れても三人で立ち向かうのは自殺行為だ。
そもそも今回の俺達の目的は工場偵察であって、破壊工作ではない。もし破壊する必要が生じたとしても、一旦引いて態勢を整えるのが定石だろう。
だけど、そんな定石クソくらえだ。百人の指揮官に聞いて、仮に全員が撤退を唱えたとしても、俺は引く気は一切なかった、理由?そんなもの決まっている、だって俺達にとってロナは────
「アイツは俺達にとって替えの効かない大切な仲間だ……それに、アイツは仲間を庇って捕まったんだ。ここで見殺しにはできない……でも、一個分隊程度なら俺達二人でどうにかなるが、流石にスナイパーはどうしようもできない。まして奴は世界でも指折りのトップクラスだ。まともにやって勝ち目は無いだろう……」
俺はそこで一間置いてから、改めてアイリスの瞳、やや冷淡な視線でこっちを見ていた琥珀色の瞳を、ただ真っすぐと見据えた。
「……だから、俺達に協力してくれないか、アイリス……」
「嫌だ、と言ったらどうするんだい?」
その冷たいナイフのような鋭くとがった一言に、俺は押し黙ってしまう。
アイリスとはあくまで昨日知り合った仲、そんな奴から死地に付き合えと言って、簡単に「行きます」なんて返事が返ってくるとは思っていない。思ってはいなかったのだが、俺はそれを説得するための材料を、何一つ一切持ち合わせていなかった。正直脅しも考えた……でも、それじゃあ意味がない。仮にもしそれで着いてきたとしても、そこに信頼関係はない……隙を見せた瞬間に後ろから撃たれるのがオチだ。
「アタシからもお願いするわアイリス。こっちのサポートは一切しなくていいから、あのスナイパーだけでも、アナタにお願いしたいの……」
無い頭で色々と熟考していた俺の横で、いつの間にか平常心に戻っていたセイナが頭を下げていた。
その様子を見て、アイリスよりも俺の方が眼を剥いて驚いていた。あの強情でワガママでプライドの塊のようなセイナが頭を下げるなんて……ベトナムで雪が降ってもおかしくないレベルだぞ……
アイリスも何となくそのことに気づいたのか、腕を組みしながら、少し考えるような仕草を取る。
「愛銃は滝に落としたんだが、そんなボクに奴の相手をしろと言うのかい?」
俺とセイナが同時に頭を上げて渋面を作る。やべぇ……そのことすっかり忘れてた……
「……そうだったわね……フォルテ、今すぐその滝まで行ってライフルを回収してきなさい」
「できるか!……ライフルと言えばセイナ、俺のHK417を渡してあっただろ?あれはどうした?」
「追手から逃げる時に捨てたに決まってるでしょ……?馬鹿なの?」
「だよな……薄々勘付いていたけど……いやーあれ結構な額してたんだけどな……」
ボヤく俺にセイナはバツが悪そうな顔で口をへの字に曲げた。
「わ、悪かったわね……!でも、アタシだって必死に逃げていたから────」
「あーごめんごめん、嫌味じゃなくて、もしそれがあれば多少はアイリスも使えるのかなって思ったんだけど……」
何とかできないかと悩むお俺達に、相変わらずのムスッとした顔つきで、話の一部始終を黙って聞いていたアイリスが、突如、マフラーに隠していた口元を緩めるように苦笑を漏らした。
「ふっ……冗談だ。フォルテには助けてもらったんだ、それくらいの恩は返すよ……」
「本当か!?でも、ライフルは────」
「フォルテ、君はジープに来た理由が、武器を取りに来たってことをもう忘れたのかい?」
あぁ、そう言えばそうだったな。セイナと再会したことに対する印象強すぎて、そのことをすっかり失念していた。
「その武器でやれるのか?あのスナイパーを……」
「問題ないよ、使っていた時期だけなら、昨日の7.62mm仕様ナイツアーマメント社リボルバーライフルよりも長い、使い慣れた銃だ……多少の弊害や癖は否めないけどね……」
「じゃあ、何であんな回りくどい言い方をしたんだよ?」
訊き返した俺に、アイリスは返答に困ったかのように、小さく唸りながら、助手席に置いてあった縦長の古びた黒いアタッシュケース(何故かそれが置いてあったため、俺は後部座席に座ったのだが)を取り出した。
「ボクはただ、君達二人がどれくらいの覚悟を持っているか、そこが知りたかったんだ……中途半端な作戦で失敗されて、こっちまで巻き込まれるようなことは、流石にごめんだからね……それとフォルテ、君はセイナにあのことを言わな────」
途中まで言いかけたところで急にアイリスは押し黙り、「?」と小首を傾げる俺の前で、聞き取れないくらいの小さな声で「これは言うべきじゃないね」と、何かを呟いていた。
「なんか言ったか?」
「何でもない、それよりもこれを……」
アイリスは、助手席に置いてあった、その掠れ傷や色艶のムラがいくつもある、いかにも使い古された感じの黒いアタッシュケースをこっちに寄越してきた。
途中まで言いかけたその言葉の続きが気になったが、聞き返す暇を与えないようにアイリスが、渡してきたケースの中身を見ろと、顎で催促してきたので、聞くのを諦めて、俺は渡されたケースを膝の上に置いてから、ゆっくりと開いた────