バンゾック・フォールズ8
観察し終えた俺が投げ返したその銃弾を、片手でキャッチしたアイリスが、艶黒の光沢を感慨深く見つめていた。
「────これはちょっと、通常の銃弾に比べて重すぎるから……威力はあるけど操作するのが難しいんだ。結局あの時、苦し紛れに放ったボクの銃弾は外れていたようで、奴は生きていた……」
タングステン合金弾の表面には悔しそうな表情が写り、それを握りしめたアイリスが、小さく吐き捨てるように呟く。
俺は、フルフルと震える右手の握りこぶしを見ながら、ふと疑問に思ったことを口にした。
「……どうして、あのスナイパーが親父の仇だって断言できるんだ……?」
数キロもの長距離を狙撃できるスナイパーは、世界でもほんの一握りしかいない。だが、いくら少ないからと言っても、顔どころか姿もロクに見ていない相手に対し、そこまで確信を持てるはずがない……そう思って訊ねると、タングステン合金弾をポケットにしまうアイリスは、ただでさえ開き切ってない、その琥珀色の瞳をさらに細め、鋭い眼光を瞼の間からレーザーのように覗かせていた……昨日の車内でも見た、獲物を狙うオオカミの瞳。
「……分かるんだ……弾丸の口径、撃ち方のクセ、戦法、傾向、狙撃時の呼吸の仕方。直接目で見なくても、二年前と何も変わってない。父を撃ち、ボクにこの傷痕をつけた、あの時と……」
「それ、あのスナイパーにつけられた傷だったのか……?」
小さく頷くアイリスに、俺は言葉を失う。
アイリスがマフラーで隠していた右頬の傷。あれは、ライフル弾が掠めていった痕だったのか……
古傷の辺りを手で覆うアイリスは、苦々し気な表情でさらに続ける。
「ボクの放った銃弾はたぶん外れた。だけど奴の銃弾は、ボクが当時構えていたライフルのスコープと、右頬の表面を抉っていった。そのあとのことは、銃弾の衝撃で脳震盪を起こし、曖昧にしか覚えてないけど、山頂よりも遥か下に転げ落ちていたボクが目を覚ますと、時間が結構経っているはずなのに、連中は気絶したボクを追ってこなかった。奴らは、ボクのことを脅威として見ていなかったんだろうね……」
マフラーの下からギギィ……と食いしばった歯の軋む音が聞こえてくる。静かな怒りの闘志を燃やし、瞳孔は大きく開きかけていたが、感情を表に出しすぎると魔力を消耗することを思い出したのか、瞬き一つですぐに冷静に戻る。
「だけど……鉛弾しか使わなかった奴が、魔術弾を使うとはな……本当に君達が戦ったというスナイパーで間違いないのかい……?」
「あぁ……あの赤い銃弾は、口径も刻まれた術式も一緒だった。あのスナイパーが何のために、俺達を襲ったかまでは分からないけどな……」
俺は、港区で襲撃にあったことも含め、あのスナイパーについて説明したが、話しを聞いたアイリスは、どこか解せないといった表情で唸っていた。
「奴がボクと同じ小賢しい道具を使うとは思えないが、どんな手を使って来ようと、必ずボクは仇を取って見せる……!」
────ドンッ!
昨日会話していた内容を、うんざりする暑さから逃れるために、思い出していた俺は、何かにぶつかって現実に引き戻される。
「わ、わりぃ……」
ぶつかったのは、俺の前を先導していたアイリスだった。
どうやら考え事をしていたせいで、アイリスが突然足を止めたことに気づかず、そのままぶつかってしまったらしい……
「……」
俺の謝罪には反応せず、斜め上の位置を見上げたまま、アイリスは直立不動になっていた。
視線を追うように俺もその位置を見ると、五メートルくらいの高さに美味そうな蜜柑がたくさん生っていた。
未熟完熟の入り混じったその蜜柑の木々、緑とオレンジのコントラストは、装飾されたクリスマスツリーのようにも見えるそれを、じゅるり……と溢れ出るよだれを吸い込みながら見上げるアイリス。
「……食いたいのか?」
後ろから声をかけると、おもちゃを欲しがる子供のように、コクッ!コクッ!と大きく頷くアイリス。
しょうがないなぁ……と、俺は地面に落ちて傷んだものではなく、いま直接実っている蜜柑を取りに行こうと腕を捲る。
すると、何故かアイリスが、そんな俺を右手で制した。
「なんだ?食いたくないのか?」
俺がそう訊ねても、アイリスは何も答えないまま、制した右手の指先をくるくると円を描くように回し────自分の正面に指先を滑らせる。
すると……円盤投げのように払われた指先から小さな風の渦が生まれ、五メートル上にあった蜜柑の生る木、その枝の一部を切り落とした。
昨日言っていた、風の魔術を使ったのだろう……落ちてきた枝をキャッチしたアイリスが、未熟完熟問わず、皮ごと蜜柑を目にも止まらぬ速さで食べていく。そんな緑色のみかん食べて大丈夫なのか……?
ちなみに、目にも止まらぬというのは決して比喩ではない。アイリスは頬の傷を他人に見せないために、どんな手品を使っているか知らないが、マフラーをしたまま(のように見える超高速で)飯を食べる。食事の最中はずっとリスのようにモグモグしているのだが、口に食材を放り込む瞬間はどれだけ目を凝らしても確認できなかった。
「お前ほんと燃費悪いんだな……」
幸せそうな表情で、蜜柑の美味しさに眼元をトロンと緩ませるアイリスに、俺はちょっと嫌みっぽく声をかける。
「しあたないあろう、いのうはあいあおうり────」
「口の中を空にしてからしゃべれ、なんて言っているのか分からん……」
「……うくっ……昨日言った通り、ボクは魔力の補給を食事でも行っているんだ。本当なら、普通の人の三倍近くは食事しないといけない体質なんだ、大目に見てはくれないか……」
俺の意地悪い言葉に、ムスッとした表情でぶっきらぼうにそう告げるアイリス。
魔力の補給方法として、寝る、薬物以外に、食材に含まれる魔力を直接摂取する方法を取っているらしいアイリス。ただ、食材に含まれる魔力というのはそれほど多くはない。そのためアイリスは、人の三倍近い量の食事をとらないと、普通の長時間の生活ができないらしい。
昨日、アイリスの魔力が切れかかった時、俺の出した筍を食べて元気になったのはそのためだ。
どうやら、魔力が切れかかったり、戦闘に集中すればするほど、どんどん無口になっていくらしく。食事をすれば、普通の人くらいには喋ることができるみたいだ。
でもだからと言って、昨日の筍だけでなく、今朝食べようと、雨の中の可燃物探しの時に持ち帰っていた、バナナとドラゴンフルーツもほとんど食べられたのでは、少しくらい怒ったっていいだろう。
俺は昨日からバナナ二本しか食べていないのだから……
「そう言うならあんまり魔術を使うなよ……魔力が減るとまた眠くなるぞ」
寝たら俺が背負う羽目になるんだから頼むぜマジで……
「これくらいなら大して魔力を使わないから平気だよ……昨日、君を助けた時のような竜巻級の風は消費量が多いけど、この程度なら、分量で表すと、せいぜい小さじ一杯程度の魔力しか消費してないから……」
そう言いながら、再び蜜柑を口いっぱいに頬張るアイリス。
昨日────キーソン川に流されている時、バンゾックの滝を知っていたアイリスが、気を失っていた俺がそこに落ちる前に、風の魔術で竜巻を起こし、岸辺へと運んでくれた……らしい。
今のような、物体を軽く切るくらいならまだしも、人間二人を吹き飛ばす魔術は魔力の消費量が多かったらしく、ただでさえあのスナイパーとの戦闘で魔力を消耗していたアイリスは、竜巻を起こしたところで魔力切れを起こし、自分の風で打ち揚げられた岸辺で気を失っていたらしい。
嘘ではないことは分かっているが、その表情を見る限り魔力補給とは建前で、グルメを楽しんでいるようにしか見えないがな……
まあ、正直そこまでして助けてくれたアイリスには感謝してもしきれない。だが、パクパクとブドウのような感覚で蜜柑を食べるアイリスのその言葉に、俺は少し引っかかりのようなものを覚えた。
「あのさぁ……昨日からずっと思ってたんだけど……」
「なんだい……?」
「いや……その、俺のことを「君」って呼ぶのどうにかならないか……?」
セイナのことは名前で呼んでいたのに、俺のことは「君」と呼ばれるのは、なんかこう違和感というか、壁を感じるというか、上手く言い表すことができないが、どうもしっくりこない感じがある。
ましてや同性同士、別に変に気を遣う必要もない。
「別に気軽に名前で呼んでくれていいから、」
と俺が思っていると、アイリスは何故かポンッ!顔を湯沸かし器のように真っ赤に染めた。
「ど、どどど……どうして急に君はそんなこと言うんだ……!?」
慌てすぎてこけそうになった身体を、持っていた蜜柑の木の枝で何とか支えながら、早口で告げるアイリス。今までに見たことのないその必死な反応に、俺は訝し気な表情を浮かべる。なんでこんなに取り乱してんだコイツ……
「別に変なことは言ってないだろ?セイナのことは名前で呼んでいるのに、どうして俺は未だに「君」なのか気になっただけだ。名前は最初に聞いたよな?」
「し、知ってはいるけど、君とセイナじゃこう……色々と訳が違うだろ……!」
訳が違う……?頭を捻るがよく分からん。
俺の中では別に、男友達を名前で呼び合うことは普通と考えている。まだ百歩譲って女性などの異性が相手なら「俺のことを名前で呼べよ……」なんて臭すぎて俺には言えないけどな。もしそんなこと言うくらいなら、切腹してから銃で自殺するレベルではキモイと思う。
でも、アイリスの中では異性は良くて、同姓を名前で呼ぶことのできない理由があるらしい……と、その時ピキーン!と、俺の脳裏に一つ恐ろしい答えが浮かび上がった。
「お、お前……さては────」