赤き羽毛の復讐者6
「ロナッ!しっかり……!」
後ろで、ロナに駆け寄ったセイナが介抱している声を背に、俺は意識を全体から前方────目の前にそびえ立つ中国領土の山地に目を向けた。
どこだ……どこにいやがる……!
見える山地はこっちの山よりも標高が高く、どこか圧迫感すら感じる。その全域を目が覚めるような光り輝く高原が埋め尽くし、それをさらに彩るような深緑のみずみずしい木々が至る所で風に靡いていた、そんな人なんてちっぽけな存在に感じる大自然の中、隠密行動に特化したスナイパーの場所なんて、そう簡単に見つけることはできない。
それでも俺はめげずに目の前に広がる景色全体を見た。それも一点ではなく、全てを視界に収めるように……均等に見るようにして────
────ピカッ!
「……ッ!」
朝日に照らされ、エメラルドの宝石のように輝く雄大な大地。その中に混じった不自然な人工物の光を俺は見逃さなかった……!
銃声が聞こえるよりも先に反射的に反応した俺の左手は、持っていたHK45を一発放った。
狙いはその不自然な光に向けて────ではなく、その光と俺との間、飛来してくるであろうそれに向けて、何もない空中に放たれた銃弾は────
────バンッ!!────キンッ!!
自然とは無縁の場違いな金属音、俺から数十メートルの空中で火花を散らし、逸れたライフル弾がすぐ横にあった木の幹に着弾した。流石に自然様の力には敵わないようで、電柱サイズの木の幹に少しめり込んだ程度で銃弾は直進運動を止め、誰にも直接的な被害を出さずに済んだが、代わりに着弾時の衝撃で弾けとんだ鋭い木片が、俺の頬を掠めていた。
つぅ────と左頬を伝う生暖かい液体の感触……草木の青臭い香りの中に、いつも嗅ぎなれた火薬と鉄のような臭いが混じりあう。頬を切って出血したか……?
「フォルテッ!?」
近くに着弾した音と遅れて聞こえた鋭い銃声に、後ろでロナを介抱、からの背中に背負っていたセイナが不安げな声を上げた。どうやら、頬を伝って地面にポタポタ垂れる俺の血を見て撃たれたと思ったらしい。
「大丈夫だ!!それよりもロナは!?」
「────ごめん……ダーリン……」
振り返った先、どうやら気絶から意識を取り戻したロナが、セイナに背負われた状態のまま返事をした。撃たれたダメージが残っているのか、その声はいつもの元気いっぱいな時よりもずっと弱弱しく、か細い声になっていた。心なしか、頭の銀のツインテールを飾るアメジストのリボンも、しなぁ……として元気がない。
「しゃべっちゃダメよロナ!骨折に響く!」
俺が反応するよりも先にセイナが声を張り上げた。
どうやら銃弾はロナの左の脛に着弾していたらしく、その部分にはセイナがミリタリーバッグに積んでいたマット状添え木が、周辺の組織や神経を傷つかないよう巻かれていた。元々その箇所は防弾仕様のICコートと、愛用の白いニーソックスの二重で守られていたため貫通こそしなかったようだが、それでもコンクリートを砕くほどの威力は殺すことができない……結果としてロナは出血は免れたものの、脛の骨を折ったらしいな。
「とにかく一旦引くぞ……!セイナはロナを頼む!」
「うん!」
頷くセイナがロナを背負ったまま山の斜面を駆け下りていく。ぬかるんだ泥やそれを覆い隠す雑草と足元は決して良いとは言えないにも関わらず、銃や槍の他に一人背負った状態でも俊敏に動ける辺り、流石現役と言うべきか。
数か月過ごしていくうちに、俺もセイナに対し信頼している部分が日に日に多くなっているのは感じていた。特にその中でも力────そしてそれを長時間維持する体力が非常に優れていることには、目を見張るものがある。何故か知らないが、元々少女とは思えない高い潜在能力が備わっていることもそうだが、それに加えて毎日裏山での鍛錬や努力を惜しまないところからきているのだろう。最初の一か月、初めてセイナと出会い、色々ケンカしながらも共同生活をしていた四月下旬、あの時はまだ、自宅の裏山の地形は俺の方が詳しかったが、正直今ではセイナの方が詳しいかもしれない。
そんな、マラソンの金メダリストすら楽々凌駕するセイナの体力に頼る、情けない男こと俺は、スナイパーの方を見たままセイナの足音を耳で拾いつつ、後ろ向きにダッシュする。二人を庇うようにして……
流石にもう狙ってはこないだろう……
遠のく頂上、さっきまで見えていた広大な中国山地は、無造作に生い茂った樹木で完全にその姿を隠していた。幾ら2長距離を狙撃できるスナイパーでも、目標が見えないじゃ話にならな────
そう思って銃と小太刀をしまおうとした俺の耳に小さく銃声が届く────その音に気づいて見上げた視線の先、頂上付近、その頭上を覆うように生い茂っていた捻じれた太い木の枝。その人の胴体よりも太い、電柱のようなそれに纏っていた緑色の苔が、何かの衝撃で弾け飛び────
「な……!?」
ゴンッ!と質量を含んだ音を響かせ、遥か頭上に逸れていたはずの銃弾が、角度で言うと180度から140度ほど軌道を変えてこっちに飛来してきた。
跳弾を利用した狙撃……だと!?それも、見えている目標ではなく、俺がどのルートで逃げるか予測したうえで放ったって言うのか……!?
ハンドガンなどの近距離ならまだしも、2キロも離れた位置からの文字通りの離れ業に、ほんの一瞬だけ呆気に取られてしまった。眉間目掛けて飛んできた銃弾……銃も小太刀も間に合わない!かといって今避けたらロナやセイナに被弾してしまう────
────バァァァン!!キーン!!
間に合わないと思いつつ、何とか防ごうと顔の正面で腕をクロスさせた俺の後方から、聞きなれない銃声が響いた。
見開いた右眼の先────飛来したきた銃弾の横っ腹を別の銃弾が抉り、甲高い音を響かせた。
「クッ……!?」
「きゃッ!?」
ジャングルの中を不自然な突風が吹き抜け、俺達の髪や服を煽った。
まるで後方から飛んできた銃弾────その回転運動を視覚化したような小さな竜巻、辺りの落ち葉や小石まで巻き込んでいたため、口の中がじゃりじゃりとした。
俺を守るように間一髪で着弾を防いでくれたのはありがたいが、明らかにセイナやロナの銃弾ではない……一体誰が……
「────まさか、こんなに早く会えるとはね……」
気だるく、生気を感じないくぐもった中性的声────
「この2年、ずっと貴様のことだけを考えていた……」
だが、その中には若干の歓喜ような感情が伝わってくる。
振り返った先には一人の少年────目尻が垂れたジト目の琥珀色の瞳、口元にはマフラーと鮮血にも似た真っ赤な羽が、その表情の下に隠した内なる感情を表すかのように、まるで炎のようにゆらゆらと風になびいていた。着ていたグレーのパーカー、そのフロントポケットからブースタードラッグ入りの注射器を取り出すと、慣れた手つきで首元にそれを打ち込み、無造作に地面へと捨てた。髪と同色の甘栗色のマフラーの下、一体どんな表情を浮かべているのか定かではなかったが……きっと。
「復讐できるこの日を……!」
それはきっと、獲物に飢えたオオカミの面構えだった。