赤き羽毛の復讐者2
雨期のハノイ、霧がかった街を幻想的な夕日が優しく包み込む。
その黄昏の光が林の隙間を零れ落ちた先────赤い大きなスーツケースの中に一人の人間が入っていた。
ショートボブの甘栗色の茶髪、乳白色の肌をした中性的顔立ち、歳はセイナやロナよりも年下の女の子……いや、おそらく男の子だろう……髪の長さ的に見て。ユニクロかGUにありそうなフロントポケットのついたグレーのパーカーに、運動性重視の紺色のハーフパンツと黒いスポーツタイツ、コンバットブーツを履いたその少年は、身体を抱え込んだ態勢のまま、静かな寝息を漏らしていた。
ただ、その中で何よりも特徴的だったのが────
────マフラーと羽……?
寒がりなのか日中30度を超えるベトナムで、鼻下、顔の下半分を包み込むように巻かれた髪と同色の甘栗色のマフラー。さらに、マフラーの巻かれた鎖骨部分に挿された一枚の鮮紅色の羽根。まるで血のような色をした羽のワンポイントが、ベトナムの湿った風に揺れていた。
「「「……」」」
そのあまりの衝撃的な出来事を前に、俺は完全に言葉を失っていた。
この前のアルシェの魔術にも度肝抜かれたが────それ以上の衝撃……一体誰がスーツケースの中に人がいるなどと想像ができるだろうか……
隣にいるセイナや尻もちをついていたロナも俺と同様に、開いた口が塞がらないといった様子でその少年を見ていた。
いつからスーツケースにいたのかは知らないが、アメリカからこの荷物が送られてきたというロナの話しを信じるなら、アメリカから日本、日本からベトナムまでの時間、最低でも一日以上閉じ込められていたことになる。にもかかわらずその少年は黄昏の中で、まるでオルゴールの音楽でも聞こえてきそうなほど幸せな表情を浮かべていた。
────これは……ロボットじゃなくて、本物の人間だよな……?
「────んっ……」
俺達の見つめる先、深い眠りについていたその少年が突然吐息を漏らした。
どうやら目が覚めたらしい……
「……んん……?」
気だるげに身体を起き上がらせ、こちらを見る────見ているのか?
まだ眠たいのか?それともそれで全開なのか?死んだ魚のように目でこっちを見てくる少年。
スーツケースに閉じ込められていたことについて騒ぐこともなく、周りの景色にも一切の感情を示さないその少年……俺達もそれに対し、どのような反応を取っていいか分からず、互いに見つめ合うこと数分……
「……」
「「「……」」」
「……グゴー……」
「「「いや、寝るな!!」」」
少年は何も発することなく、首をガクリッと落として再びの眠りについた。
甘栗色のマフラーに膨らんだ鼻ちょうちんには、俺達の背後から差し込む綺麗な暁の光が反射し、虹色の輝きを放っていた。どうやってんだよ……それ?
「だから、ロナちゃんは何もしてないって!?」
自分の清廉潔白を訴えるため、両手を大袈裟に振って見せるロナ。
オオカミ少年とはまさにこのことを指すのだろう……その仕草と慌てようが、どうも胡散臭く見えてしまう。
「ロナはホントに中身については何も聞かされてなかったよ!確かに少し大きなスーツケースだな~って思ってはいたけど……まさかその中に人間が入ってるなんて……」
ロナの話しを聞く限りでは、俺からスーツケースを奪って中を確認したところ、このマフラーをした少年が入っていたという……自称天才にも予想できないことはあったらしく、つい悲鳴を上げてしまったと……
「まあ、アンタのあの反応を見る限り、多分嘘ということでは無いのでしょうけど、それにしたってどうするのよ、これ……?」
セイナは胸の上で腕を組んで、口を真一文字に引き結んだ。
「ん……密入国させたからには俺達も同罪、一人で送り返すことは難しいし、ここに放置するわけにもいかないだろう……」
セイナの言葉に俺がそう付け加えた。
今回ここに入国したのは、大統領から秘密裏に命を受けた俺達三人。そのためベトナムには、日本に常備してあった大統領自家用機を借りて、仕事道具を検査なしで持ち込むという荒業を使っているのだが……そこでマフラーからよだれを垂らして寝ている少年は、人ではなく、その仕事道具と同じ扱いになっている。
ベトナムにFBIはおそらくいないので、国際指名手配中の俺が捕まる心配は限りなく低いが、密入国はバレたら即刻アウト、全員まとめて強制送還されるだろう……
「でも、どうしてわざわざこんな回りくどい形で大統領はこの子を入国させたのかしら?」
腕組したまま視線をそのマフラーの子に落とすセイナ。
確かにそうだ。俺のパスポートはロナに偽造してもらっているので、もしこの子を入国させたいのなら同じ手段使えばいい。
「────通常の方法では入国させることができないからだよ……セイナ」
思案顔のセイナにロナはそう告げた。まるで何か知っているかのように……
「……どういうことよ?」
セイナが少年から視線をロナの方に向ける。
そのロナの顔からは、数分前までのケラケラ笑う不真面目な様子は消え失せ、黄昏時を過ぎた暗闇を背に、少し深刻そうな顔をしていた。
────なにかあるのか?この少年に……?
「この子は、アイリス……「アイリス・N・ハスコック」、ロナと同年代だったからよく知ってるよ……数年前の任務をきっかけに、この子は無期懲役の判決を受けた重罪人……でもその任務は────」
「……ふぁ……はぁ……」
鬼気迫る表情で語っていたロナの声とは対照的に、やる気の感じられないだるーい欠伸がその会話を遮った。俺達三人が同時のその欠伸の方向、スーツケースの上で身を起こしていた少年、アイリス・N・ハスコックを見ると、彼は寝ぼけまなこを両手でゴシゴシと擦っていた。
「全然そうは見えねーけど……?」
と俺が呟くと、セイナも同じように頭を縦に振った。
とても無期懲役を受けた人物には見えない……おぼろげな、どこか、起きていると感じない目尻の垂れたジト目と琥珀色の瞳。マフラーで顔半分は隠されていたが、その整った薄い線で描かれたような顔は、少女に見えなくもない。まだこれがベルゼみたいな雰囲気なら話しは別なんだろうけど……
「……」
「「「……」」」
再びの沈黙……向こうが何か話し出してくれればいいのだが、アイリスはこっちをボケッと見たまま何も言わない。こっちから話し出そうにもなんて切り出したらいいのか分からず、何とも言えない奇妙な時間が流れ出す。それに、見た目もセイナやロナと同じ白人というよりも、どちらかというと肌の色は俺やヨルムンガンドの彩芽に近い印象だったので英語が通じるかどうかも分からないのだ……
「……ん……」
俺達三人が辛抱強くアイリスが言葉を発するのを待っていると、言葉……ではなく、パーカーのフロントポケットから一本の注射器を取り出した────そして……
「……んっ!」
あろうことか右手でそれをマフラーの上からブスッ!……自分の首元に打ち込んだ!
半透明なシリンダーの中に入っていた黄色い液体が、プランジャーを押し込む親指に合わせてゆっくりと体内に流し込まれていく。
無言でなにかの薬を打ち始めたことに、俺達三人は度肝を抜かれ唖然とする……その液体が減っていくごとにアイリスの瞳が徐々に開かれていき────液体が切れたところで注射針を首元から無造作に抜き取った。
「君たちが今回の任務に同行するメンバーかい?」
初めて聞いたその声は、見た目通りの気迫を感じない、マフラーでくぐもった中性的低い声。
セイナのキチッとしたイギリス訛りや、俺やロナの少し雑な北欧訛りとは違い、綺麗な英語、よく聞くと若干カナダ鈍りの入った英語でアイリスはそう聞いてきた。
さっきの打ち込んだ薬が何なのかは知らないが、意識もはっきりしているようだった。目は閉じかけたジト目にまた戻ってるけど……
「任務なのか何なのかはまだ知らないけど、アタシ達は確かに大統領に頼まれてここに来たわ。そして、ここで詳しい話をアナタから聞けとも言われた。で?アンタは何者なの?」
「……人の名前を聞くときはまず自分からって教わらなかったのかい?」
────うわっ!だいぶ攻撃的な返しだな……多分俺がそんな返ししたらすぐそこの滑走を一日中引きづり回されるんだろな……
案の定、その言葉を聞いてセイナの拳に力が入る────が、初対面の相手には流石に感情を露わにまではしなかった。
「……確かにそうね、アタシはセイナ、こっちの冴えない男がフォルテ、こっちのアホ面銀髪がロナよ。」
「「おい」」
「分かった、覚えた」
「「いや覚えんでいい!」」
「自己紹介が遅れて申し訳ない、ボクはアイリスだ」
あくまで真面目な雰囲気で話しをしている二人は、俺とロナのツッコミを無視したまま話しを進めていく。スゲぇ俺達が寒い奴みたいじゃねーか……
「……薬注でも何でもいいけど、任務についてはハッキリと説明しなさいよ……!」
さっきからちょっと怒り気味のセイナ。たぶん目の前で急に薬を使われたことが、あまり心地の良いものではなかったのだろう……だが、地獄の閻魔も裸足で逃げ出すようなセイナの凄味に対しても、肝が据わっているのか?それとも本当に薬でラりっているのか?アイリスは頬を軽く上げ、琥珀色の瞳を細めただけだった。
「……気に入らなかったかい?だが、仕方のないことなんだ……ボクは数年前から、この魔力入りのブースタードラッグのような、身体に刺激を与えるようなものを使用しないと、長時間起きていられないんだ……それに、心配要らない、目的の場所は一緒でも、ボクは別に君達のような仲間を必要としていない、目的地まで届けたらそこからは単独行動だ」
「目的地……?単独行動……?」
俺は首を傾げた。
この少年はどうやら、俺達の任務とは別に、なにか目的のようなものがあるらしい……そんな言い回しだった。
「ぐ、具体的にロナ達は何をすればいいのかな?」
セイナがイライラを感じてか、ロナがことを荒立てないよう穏便な様子でアイリスに尋ねた。
────すると、アイリスはスーツケースからようやく立ち上がり、軽く伸びをした。
身長は、セイナと同じくらい。ロナより若干低いくらいだった。
「……ここはベトナムのハノイで間違ってないかい?」
「う、うん……そうだけど?」
「……じゃあ詳しい場所については、移動中に話す。どうせ、車で10時間は移動しなければならないから丁度いい……」
黄昏時が終わり、林横のハイウェイの街灯が点灯しだしたころ、その甘栗色の髪を持つ少年がサラッと言った内容に、俺達はまた絶句した。