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超訳・百人一首 其の一

作者: 藤 香房

一、〈秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ

            わが衣手は 露に濡れつつ〉



 私はとても困っていた。このような失態を演じてしまった自身を恥じた。確かにかつては、つまり私がいまだ未熟だった時分には、かようなことも度々であったと言えよう。しかしながら時は流れた。このような罪を犯すには、時はあまりに流れすぎた。私はもうあと幾日で齢八つの男児になろうとしていた。先日弟が欲しいと駄々をこねはしたが、この家の一人息子、長男としての自覚と責任を持たねばならない年齢なのだ。私はこれまでの人生で最も深いため息を、この憂鬱の原因たる染みに向かって吐き出した。親愛なる読者の皆様にだけは正直に告げておこう。

この染みの正体は、私の小便であった。


 私は初めに困っていた、と記したのだが、これは私がしでかした失態、所謂おもらしをしてしまったことに対する感情ではない。過去を反省する時間というものは、これから先の未来に想いを馳せる時間に比べれば価値が格段に落ちると私は考えているからだ。したがって、私が困っていたのも過去に対してではなかった。それはこれから先予想される未来、つまり両親(とりわけ母親)からの叱責及び折檻に対する精神的動揺であった。母が私の臀部に叩きつける平手の威力は筆舌に尽くし難く、それがぺちぺちと幾度も振り下ろされるたびに、私は中世期の哀れな奴隷たちが拷問をうける様を想起せざるを得なかった。また母が激昂した際に出す声も私を恐怖させた。その大喝一声に耳を貫かれるくらいならば、私がこの世で最も忌み嫌うピーマンを食べた方が随分とマシだと思えるほどのパワーを持っていたのであった。


 事が発覚して一〇分が経過していた。その頃になると私の頭も幾分落ち着きを取り戻したとみえ、今しなければならないことを思考する余裕も生まれていた。まず私が考えたのはこのおもらしを母から隠す策はないか、ということであった。しかし結論から言えばこれはノーである。現在部屋の掛け時計は5時23分を指している。早起きである母はあともう一時間ほどで起床するであろう。その間に、この量の小便が乾くとは思えないし、よしんば乾いたとしても、私が使っているこの真白いシーツには黄色い跡がくっきりと残ってしまうことを私は経験上知っていた。残された方法はもう洗濯するしかないのだが、この世に生をうけてまだ7年と少ししか経っていない私には不可能であるこことは火を見るよりも明らかであった。となると残されたのは、母におもらしの事実を知られた上で叱られない弁明を考えるということである。制限時間は、1時間。


 さて、時間が限られているため出来るだけ簡潔に、そして順序良く考えなければならない。まず、おもらししたのは私であるにも関わらず私が叱責その他の対象にならない弁明とはどのような性格を持つものなのか考える必要があろう。つまり、おもらしをしたのは確かに私であるが、原因は他にあり、私はおもらしをするより仕方がなかった、ということを証明できれば良いのだ。もちろん嘘を吐くのは簡単だ。だが嘘を吐くにしても必要なのはリアリティである。したがって、私がまずしなければならないのは過去、つまり昨晩から私が小便を漏らすまでを出来るだけ克明に思い出すことである。そこから勝利への道を見出すのだ。


 私が昨晩床についたのは22時。むろんそれまでに食事に風呂、歯磨きなどを一つ一つ丁寧に済ませている。ルーティンワークこそ意識して丁寧にすることは私の信条の一つである。そしていざ自室のある2階に上がるその直前、私はいつものようにきちんと用を足した。そして自室のベッドへ身を投げたのであった。ここまでの流れは完璧であり、もしこのまま何事もなく朝を迎え、そしてシーツを濡らしていたならば、もはや私に責任があるとは言えないだろう。私に何の落ち度もないのだから、母に叱られることもなかろう。しかし事はそう簡単ではなかった。私が就寝してから約3時間後、私は目を覚ますことになる。理由はよくある話だが、のどの渇きだ。その喉の渇きに導かれるように私は、9月も末になり、ひんやりとしてきた廊下を抜け、1階の台所へ行き、水をがぶがぶと飲んだのである。この事実だけを見れば、明らかに私に責任があるように感じてしまうだろう。しかしそれでは私の尻はまた赤く腫れあがることになってしまうのだ。何とかしなければならない。そして、ここまで思い出した時、私は強い違和感を覚えた。なぜ私は1階に行くことができたのだろう?

 というのも、私が日頃深夜に1階に行こうとすると、私の夜食を警戒した母が眼前に立ちはだかることが常であったのだ。私は母の厳しい警戒網に引っかかってしまったことを悔い、そしてあえなく撤退を余儀なくされるのであるが、昨晩に限っていつもと様子が違っていた。私はより鮮明に思い出そうと、記憶の海をより深く潜っていった。そして記憶は、徐々にその輪郭を現しはじめた。


 音がしていた。私が寝ぼけ眼で自室を抜け出し、両親の寝室の前を過ぎた際である。ギシギシとおそらくベッドがきしむ音、そして妙に湿り気を帯びた荒い息づかいであった。賢明なる読者の皆々様はもう勘付かれたかと思う。かくいう私も容易に推察することができた。そして、同時にふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。そんなことのために母は私の1階への侵攻を許し、結果的に私は小便を漏らすなどという辱めを受ける羽目になったのである!なにゆえ!そのような時間帯を選んで〝筋トレ〟をする必要があったのか!

 私の推理はこうだ。まずベッドのきしむ音。両親が眠るベッドは決して古くなく、簡単にギシギシと音を発するようなものではない。つまりその上である程度激しい運動をしていなければならないことになる。これは息づかいも同様に考えられる。そして何故筋トレであると断定できたか。両親の寝室の広さを考えれば室内でできる運動は筋トレ以外にも列挙することができる。例えば反復横跳び、例えばブレイクダンス。しかしここに、ベッドの上という制約が入るのだ。より狭いフィールドになったことで、その選択肢は激減することになる。つまり、野球の素振りと、筋トレ、この二つに絞られる。そして私の両親はともにスポーツはサッカー派であるため素振りは自動的に候補から外れ、残るのは筋トレだけになるのである。我ながら無駄のない、そして鮮やかな推理である言っていいだろう。

 

そして私は同時に、たった一つの真実にたどり着くことができた。やはり、この私のシーツにできた小池の原因は私には無かったのだ。真の原因は、私を台所にまで行かせてしまった母のあまりに荒い警戒網にあったのである。確かに近頃気温も涼しくなり、体を動かしたくなる気持ちはよくわかる。しかしその結果、愛する息子におもらしをさせてしまったのである。これは断固抗議をすべき事案であると考える。いつもならば無抵抗に尻をひっぱたかれ、涙を流していた私であるが、今日は違う。今日涙を流すことになるのは、予想外の反撃に遭い、めためたにやっつけられた我が母の方だ。その右目からは悔しさの、左目からは息子の成長を肌で感じた喜びの涙を、それぞれ流すに違いないのである。


 その時である。完璧な弁明が完成した余韻に浸っている私の寝室のドアが勢いよく開かれた。

「あら・・・?もう起きてたの?・・・ちょっと何よこれ!おもらししてるじゃないの!そんな年齢になってまで何をしてるのこの子は!」

「ち、違うんです、この原因は実は僕にあるんじゃなく・・・」

「何をごちゃごちゃ言ってるの!お尻ぺんぺんよ!」

「うわぁぁん!ごめんなさぁぁぁい!」



〈秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ

                我が衣手は 露に濡れつつ〉

(秋だからって警戒の網をあらくしていた母のせいで、私はおもらしをしてしまった。それなのに罰を受けた私は、涙で袖までも濡らしてしまったよ。)


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