「…マジ?!」
眼が覚めた時、そこは暗闇だったけど、風が運んで来た緑の芳しい香りが、私を包んでくれていたから、慌てることなく痛む腰をさすりながら、立ち上がることができた。
「痛~。私、車から飛び出して、公園でそのまま寝ちゃったのかな?うら若き乙女が公園で寝ちゃったとは…半分ホームレスだよ。情けない。しかし、変な夢を見ちゃった。自称幸運の女神が現れ、スクラッチで運命を変えない、なんて言われて…異世界に…」
でも後が続くかなかった。
ようやく、暗闇に眼が慣れてきた私の眼はここは公園じゃない事を、すぐさま理解して、眼の前の光景を見つめていたから…。
ゴクリと息を飲み、言葉を忘れてしまったように、ポカンと開けたまま固まっていた口がようやく開いて
「…マジ?!」
言えたのはこれだった。
だって…
この…大きな生き物を見たら…。
いるはずがないこの生き物を見たら…。
誰だって、うまく言葉を出せないよ。
竜。
だって、竜だよ!
動かないその生き物を、私はしばらく唖然と見ていた。
薄暗いこの洞窟では、この生き物の大きさも、色もはっきりとはわからないけど…巨大な爬虫類の身体に、蝙蝠のような翼があり、長い鉤爪はわかる。
「あれは…、あれは夢じゃなかった。あの自称幸運の女神も、あのスクラッチも、本当だったんだ。」
《もう…いいか?》
「えっ?」
突然聞こえた低い声に、私は周りを見渡した。
《もう、観察は終わったか?》
また、聞こえてきた声にまさかと、目の前の竜に視線を向けると、大きな体に見合った大きな眼が私を見下ろしていた。
《お前は、女神リリアーヌが送ってきた娘か?》
「女神リリアーヌ?って、あのスクラッチの?…おまけにちょっと騒がしい?」
そう言ったら、竜が少し笑ったような気がして、思わず私もにんまりとしてしまった。
竜の抑えた笑い…あの女神様、やっぱりこの世界でも少々難有りなんだ。
その時…
微かにだけど…ほんとに微かなんだけど…錆びたのような匂いがした。
血の匂い
そう思った瞬間。
職業柄か…思わず一歩近づこうとした私に竜は眼を細めると
《…近づくな。》
と言って、唸り声を上げた。
「怪我をしているんじゃないの?」
《だとしても、お前には関係ない。》
「そうかもしれないけど…でもね、一応!!」
そう言って、私は仁王立ちになって、その竜に言ってやった。
「私は医者よ!」
正確に言うと獣医だけど…。
相手は竜だし…獣医でいいよね。
ちょっと興味本位も入っているんだけど…いいよね。
《医者?異世界の医者なのか?》
「……そうよ。」
訝しげな声に、ちょっと怯んだけど、一歩近づいても…竜は動かなかった。
そっと、手を伸ばすと硬い鱗があり、少しビビッてしまったけど…体の温もりになんだかホッとして、触りながら視線を上げると、竜は黙って私を見ている。
《何故、俺が怪我をしていると思った?》
「血の匂いがしたの。やっぱりどこか怪我をしているのね。診療道具はもっていないし、この世界での医療は知らないから、どこまで出来るかわからないけど…傷を見せてくれる?」
竜は黙って反対側の前足を出した、その前足には…槍?のようなものが刺さっている。
「これはいつ…?」
《3日ほど前だ。》
見た目はかなり衝撃的だったけど、3日前にしては、傷口から膿みも出ていないし、刺さった周辺に熱は感じない。化膿はしていないみたいだけど…どうしたらいいかなぁ。ぁ…
「あっ!そうだ!」
ジーンズのポケットの中に手を入れ、小さな容器が入っているのを確認したら、思わずエヘヘ…と笑ってしまった。
「いいこと、思いついたわ。」
そう言いながら、竜を見上げると、竜の前足が微妙に動いた。
慌てて、前足につかまり、その動きを止め
「大丈夫だって!心配しないで。」
《なら…その気味が悪い笑いを俺に見せるな。》
「し、失礼な!私は今のあなたに必要な物を持っていることを思い出し、感動に打ち震えていたのに!」
《・・・》
無言の抵抗に、大きな溜め息をついて
「取り合えず抜くわよ、これ!」
竜の前足に登り、両手でその槍のようなものを持った。
槍の太さも、刺さった深さも、この体の大きさから見れば大したことはない。それに…周辺の皮膚の色等の変化もないところを見ると、毒はこの槍にはつけられていなかったようだ。
「せぇ~の!」
《…ぅ…》
小さなうめき声が聞こえた気がしたが…気にせず引っ張ると、槍のようなものは一気に引き抜けた。
「3日前という話だったわね、なら傷は化膿していないわ。周辺皮膚にも以上は見られない事から、毒の心配もいらないわね。」
そう言って、小さな容器を竜に向かって見せながら
「私の唇が荒れていた事に、感謝しなさいよ。」
《どういう意味だ。それに…その薬はなんだ?》
「ワセリンよ。【消毒をしない】【乾かさない】【綺麗な水でよく洗う】を3原則として行う治療法。湿潤療法よ!さぁ、傷を洗いにいきましょう!そしてワセリンを塗ったらバッチリ!!」
《水?綺麗な水…あぁ…お前は…ここがどこか知らなかったんだな。》
なんだか嫌な予感がして、私は恐る恐る
「…異世界…だってことぐらいしか…。ピンポイントでこの場所は…と言われると全然わからないけど…傷が洗えるような環境ではない?…ないんだ。」
竜は大きな口を少し開け、笑ったような顔で
《あぁ…ないな。ここは処刑場だ。ましてや、俺はもうすぐ処刑されるから、必要ないしな。》
自称幸運の女神様…
ど、どこが!!!当たりしかないスクラッチよ~。
異世界の処刑場だなんて、マジ!ありえない!