少女と魔法使いの呪い
ある王国の辺境の村に、一人の少女がいた。彼女はキャシーという名前の、平凡な村人である。ただ、その笑顔はとても明るく、向日葵のようであると村人からは親しまれていた。
彼女には病気の母親がいた。その病気はどんな医者も首を振るような、原因の分からない難病であった。
治療法もなく、症状を和らげる方法もない。キャシーの母がただ苦しみやつれてゆく日々が続いた。
ある日、キャシーは遂に1つのことを決断した。
――村の外れに住んでいる魔法使いの家を訪ねよう。魔法使いなら病気を治せるはず。
村の外れに住んでいるという魔法使いの噂は他の村人からいくつか耳にしていた。
魔法使いはボロ屋敷に住んでおり、一度もそこから出てきたことはない。その姿は化け物の様であり、とても人間には見えないという話だ。性格もひねくれており、頼みごとをすると命を喰われてしまい、もう二度と帰ってこれないと聞く。
いい噂なんて1つもない。だが、もうこれしか方法はないのだ。命を喰われてしまったら、その時はその時だ。母がいなくなれば自分だって生きていけないのだから。
キャシーは腹をくくり、まだ夜も開けない時間帯に家を出た。母には『しばらく用事ができました』と、その他の心配事と共に書き置きをしておいた。
村の外れの屋敷に到着すると、十数匹のカラスがキャシーを出迎えた。ギャアギャアと喚くカラスすら魔法使いが化けているのではないかと疑ってしまうが、そんなことはないだろうと頭を振り、気を取り直して屋敷のドアを叩いた。
「ごめんください」
なるべく大きな声で言ったが、数分過ぎても中から反応はない。
ここは本当は空き家で、魔法使いなどいないのかと諦めかけたその時、ドアが大きく開け放たれた。人の気配はしなかった。
手で触れずにドアを開けられるのは魔法使いしかいない。キャシーは希望を持ち直し、屋敷の中へ足を踏み入れた。
体が完全に屋敷の中に入るとドアはまた自動で閉じられてしまった。
──────
「魔法使いさん、いませんか?」
屋敷の中は至るところがボロボロで、埃は溜まり、ネズミも蜘蛛もあちこちをうろちょろしていた。
足を進めるほど不気味さも増すこの屋敷は、噂に聞いた通りのボロ屋敷だ。ここのどこに魔法使いはいるのだろう。
いくつもある部屋の中を確認しながら進んでいくと、一つの、他より大きめな部屋を見つけた。そこはある程度綺麗にしてあり、人が住んでいる形跡がある。
キャシーはその部屋も確認しようとし、ある物を見て小さく悲鳴を上げた。
置いてあるソファの一つに、化け物としか言えない姿の生き物が座っていたからだ。
化け物はその大きな図体を重そうに動かし、顔と想われる部位をキャシーに向けてがらがらにしゃがれた声で話しかけてきた。
「何の用だ、小娘」
声をかけられ、キャシーはハッと我に帰る。
ここには魔法使いに、母の病気を治してもらうために来たのだ。ここで逃げてはいけない。
幸い、化け物と言葉は通じるようなので、キャシーは恐怖を押し殺して気丈に笑ってみせる。
「私は魔法使いにお願いがあって来たの。あなたは誰? もしかしてあなたが魔法使い?」
「ああ、そうだ。俺が魔法使いだ。それで、願い? 何だそれは。富か? 女か? 権力か? 願いを叶える代わりにお前は何を俺にくれる?」
「そんなものいらないわ。私は、お母さんの病気を治してもらいに来たのよ。対価は何を払えばいいの?」
「そうだな……」
順調に話が進んでいくのを、キャシーは少し順調過ぎではないかと怖くなりながら、考え込む化け物――魔法使いを見つめた。
対価は何だろう。もしかして命を喰われてしまうのだろうか。いやいや、それも覚悟の上でここに来たのだ。今更怖じ気づくことはない。
再び心の中で覚悟を決めていると、魔法使いが指らしき部位でパチンと音を鳴らした。
「ならこの家を掃除してゆけ。掃除を終わらせたら治してやってもいい。ただし、終わらせるまで家には帰らせない」
「えっ?」
キャシーは驚いた。そんなことでいいのか、と。
驚いたキャシーに魔法使いは不機嫌そうな声を出す。
「なんだ、不満か。怖じ気づいたか。なら帰ってもいいのだぞ。願いは叶えないがな」
「やるわ! やります! ちゃんと掃除するから、終わったらお母さんの病気を治してもらうわよ!」
帰らされてしまいそうな雰囲気だったので、キャシーは慌てて返事をしてしまった。
ただ、終わるまで家に帰れないとなると困った。この屋敷は広い。到底、1日で掃除しきれない。
だがキャシーは母のためと気合いを入れ、次の瞬間から掃除魔となったのだった。
──────
掃除を始めて七日が経った。ボロボロだった屋敷は、壊れてしまったところを直すことこそできなかったが、埃もネズミも蜘蛛もなくなり、十人中十人を『綺麗』と言わせられるだろうほど丁寧に磨かれた。
キャシーは朝から晩までずっと掃除をしたのだ。魔法使いは、意外なことに美味しい料理を用意して、掃除で疲れるキャシーをあの大きな部屋で迎えてくれたのだ。
掃除しているときにたまに話しかけてくるのだが、それが普通の人間がするような世間話ばかりで、キャシーは拍子抜けした。
話しているうちに魔法使いの人柄も分かってきた。
外見に似合わず穏やかな性格のようで、キャシーがつい怒鳴ってしまっても軽く流されてしまう。
それに、情に脆いらしく、屋敷には数匹の犬やら猫がいた。なんでも、捨てられているのを見ると拾ってきてしまうらしい。
「動物ならこの外見でも、優しくしていればなついてくれるからな」
魔法使いがそう言ったとき、キャシーの胸にはチクリとなにかが刺さった気がした。
七日目の今日の早朝、掃除を終わらせたキャシーはまだ起きてこない魔法使いにたまには自分が、と朝食を用意した。
魔法使いがあの大きな部屋に現れたとき、キャシーは満面の笑顔で両手を大袈裟に振り回した。
「掃除が終わったわよ、魔法使いさん! これは記念の手料理! 魔法使いさんは意外といい人だったから、振る舞ってあげるわ!」
屋敷にあった適当な食材で作った料理だが、味も見た目も完璧だとキャシーは胸を張った。
「ささっ、どうぞどうぞ」
そう言いながら魔法使いの腕らしき部位を引っ張り、ご馳走を並べたテーブル前のソファに座らせる。
自分も椅子に座って料理を食べようとしたが、その前に魔法使いが体を震わせているのを見て慌ててしまう。
「どうしたの、魔法使いさん。何があったの?」
「お前は、俺が怖くないのか」
「最初は怖かったけど、今は全然。言ったでしょ、意外といい人だったって」
素直にそう答えると、魔法使いは更に体を震わせ、泣き出してしまった。
泣きながら魔法使いは今までのことを語り始める。この姿になってからずっと人から怖がられてきたこと。魔法使いの力を求めてここに来る者は皆欲望に貪欲で、誰もが自分を道具のように扱おうとしたこと。拾った動物しか自分という魔法使いを見てくれなかったこと。そんな、つらくてつらくて大変なとき、キャシーが訪ねてきてまた力を求められて――。
「こいつも俺を罵りながら力だけ寄越せと言うのだと思っていた。だがお前は違った。俺を怖がらず、掃除もちゃんとして、俺に笑顔を向けてくれた」
少しだけだが、救われたと。
魔法使いの話を聞き終わり、キャシーは疑問に思ったことを口にする。
「『この姿になってから』ってことは、本当はこういう格好じゃなかったの?」
「本当は人間だ。だが、敵対していた魔女に呪いをかけられてしまった」
「その呪い、解けないの?」
「方法はある。だが、条件は『人を想い、人に想われるようになること』だ。もとより人嫌いな俺が人を想えるものか。こんな化け物の俺を人が想ってくれるものか」
嘆く魔法使いに、キャシーは微笑んだ。
「なんだ、そんなことなの? なら大丈夫。人を好きになるなんて簡単なことだわ。人を好きになる人なら想われるものよ、きっと好きになる人がいる。だって私は知っているもの。あなたは情に脆くて小さい動物が大好きな、とっても優しい人だって。少なくとも私はあなたのこと好きよ」
「……は?」
魔法使いは目を丸くさせ、キャシーを信じられないものを見る目で眺めた。そんな反応にキャシーは頬を膨らませる。
「何よ、そんなに驚くこと? 私があなたのこと好きになるのって、そんなに変? そりゃあ、見た目はこんなだし病気を治してくれるのに対価を払えとかいうけど、命は食べないし料理は出してくれるし、優しいし……」
キャシーは1本ずつ指を折っていき数えたが、やがてにっこりと、ひまわりのような笑顔を浮かべた。
「とにかく、あとはあなたが人を好きになるだけよ!」
その笑顔は魔法使いの目に眩しく映った。
思わず目を細め、その笑顔に見惚れていると、魔法使いの体から光が発せられた。
キャシーも魔法使いも訳が分からず戸惑っているうちに光はどんどん強くなり、やがて消えた。光が消えたとき、化け物の魔法使いはもうそこにはいなかった。
キャシーはもう一度、頬を綻ばせる。
「ほらね、簡単だったでしょ?」
化け物はいなくなり、端整な顔立ちの青年がそこには呆然と立っていたのだ。
青年は自分の手を驚愕の表情で見下ろしていたが、やがて笑顔になると、キャシーを抱き締めた。
何度もお礼を言う魔法使いを、キャシーもまた笑顔で抱き締め返した。
――ある王国の辺境の村には、一人の少女がいた。彼女は勇敢にも魔法使いを訪ね、対価を払い、母の病気を治してもらった。
その村では近々、魔法使いの挙式が行われることになった。式には少女の母親も目に嬉し涙を浮かべながら参列したという。
少女と魔法使いは末永く幸せに暮らしたとさ。