貴方が僕をさがす時
仕事を終え、電車を降りて家にたどり着く頃には、時計の針は深夜の十二時を
回っていた。
妻と子供達の寝静まる部屋を避け、ひとり台所の冷蔵庫を空けると、渇いた喉にビールを流し込んだ。ささいな、いや、ささやかではあるが、この瞬間が私にとって大切な楽しみであるには違いなかった。
そんな自己満足に寛ぎ浸っていると、(いつの間にだろう?)今年5才になる娘が、眠い目をこすりながらキッチンの入り口に立っていた。
一瞬の戸惑いに(いや、なんて事は無い)、いつもの
「一人じゃ恐くてトイレに行けない」
だった。
瞬間。仕事を引きずる男から、どこにでもいる二児のパパに戻る。そして、せかす娘の背中を押し、暗い廊下を急ぐ。
ふとその時。わたしは昨年の春にガンで入院し、手術をした父の事を思い出していた。
幸い、手術で一命は取り留め、なんとか日常の生活には戻れたが、時々体調がすぐれない事があるらしい。
あの時。医者の話に狼狽え、泣いた母の姿もはっきりと覚えている。そして、母の言った言葉も。その悲しみとも喜びとも、驚きとも安堵とも分からぬ涙に
「良かった。生きてさえいてくれればいいから……」
そう呟いた。思えば、あの時の母は自分の生への支えとして、父の存命を捜したのだろう。
同時に、私は幼き日の自分を捜してもいた。
娘同様、夜中に一人でトイレに行けなかった時。
縁日の人込みではぐれそうになった時。
夏の砂浜で遊びに夢中になって迷子になった時。
私は父を、そして父は私を捜した。
あれから幾つもの年月が流れ、私は大人になった。
そうして今。
私も貴方の人生の、残りの幸せを捜しています。
おわり