訓練場にて
その朝から、さっそく訓練が始まった。
《獅子隊》の面々のうち、二十代のなかばを超えた戦士たちはすでに何度も実戦を経験し、それぞれにすばらしい武勲を持つつわものばかりであったから、訓練の内容は非常に高度なものとなり、しかも、彼らにはそれを楽しむほどの余裕があった。
しかし年若い戦士たちにとっては、その訓練は熾烈を極めるものとなった。
選ばれて《獅子隊》の一員に名を連ねた彼らも、それぞれに優れた資質の持ち主であったが、神代の英雄に比すべき古参戦士たちに囲まれては、ひたすらに自分たちの力の不足を思い知らされるばかりだ。
疲れ果てて倒れそうになる者には容赦なく罵声が飛んだ。
「そんなへっぴり腰で蛮族どもを打ち破れると思うのか!? 敵をケツで喜ばせてやるつもりか!」
「どうしたどうした! 泣きたくなったらお家へ帰ってもいいぞ!」
神経の細い者なら首でもくくりかねない悪口雑言に耐え、少年たちはふらふらになりながら己の限界と戦っていた。
レオニダスはゆっくりと歩き回りながら、冷静に全体の様子を観察し、部下たちそれぞれの性格、能力を把握することにつとめていた。
おおむねのところを見終えると、彼はみずから少年たちの相手をすることにした。
少年の念者たちには手を止めさせ、その様子を見ておくように命じた。
後で、少年の癖や弱点について、彼らから教えさせるためだ。
レオニダスは重い模擬槍を取ると、片手で軽々と振り回して感触を確かめた。
少年たちは《半神》との手合わせと聞いて興奮した様子だったが、見事に鍛え上げられたレオニダスの肉体を目の当たりにすると、鋼の盾に小枝の槍で立ち向かうときのような気後れを感じずにはいられないようだった。
最初の少年は、かすかに身体を震わせていた。
緊張のあまりか、それとも武者震いか。
おそらくは両方だ。
「来い」
軽く顎で誘うと、少年は模擬槍を握り締めて目をいっぱいに見開き、うおおっと声をあげて突進してきた。
悪くない。
レオニダスは、わざと何度か突き込ませてから、
「左の守りが甘い」
ぼそりと呟いて、あっという間に少年の槍を払いのけ、左の脇腹に一撃を見舞った。
もちろん充分に手加減はしていたが、少年は息を詰まらせて膝をつき、涙目になって喘いだ。
何とか立ち上がろうとしているようだが、それ以上は身体が動かなかった。
少年の念者が、黙ってその腕を取り、彼を立たせた。
その仕草が労わりに満ちているのを見て、レオニダスはうなずいた。
「次」
こうして少年たちは次々と《半神》に挑んだが、無論、誰一人として勝利をおさめることはできなかった。
「次……」
流れる汗をぬぐいながら言おうとして、レオニダスは言葉を途切れさせた。
模擬槍を手にしたクレイトスが、ぴたりと身構えていた。
身体つきこそすらりとして、いまだ男としては未完成であることを思わせるが、膂力に不足のないことは微動だにせぬその構えを見れば判った。
照りつける陽射しの下で、波打つ黒髪がつややかに光り、不思議に涼しげな青い目がレオニダスを見つめている。
――美しい。
自然にそう思い、同時に、心臓が騒ぎ始めた。
あえて今まで忘れていたのに、駄目だ、この少年を見ると、どうしても妙な気分になる。
それが、単なる美への感動でないことは判っていた。
何か、もっと……
「来い」
それでも反射的に言った瞬間、クレイトスが繰り出した穂先が顔面めがけて飛んできた。
おおっ! と声があがる。
周囲で見ていた戦士たちが思わずどよめいたのだ。
レオニダスはすばやく頭をそらしてその一撃を避けたが、顎のあたりをわずかにかすめられた。
(踏み込みが早い)
と、驚いている自分に驚く。
こんな少年に先手を打たれるとは。
集中が欠けているせいだ。
時間にしてほぼ一瞬で、レオニダスは自分を取り戻していた。
クレイトスは攻撃の手を緩めず、守りを破ろうとあらゆる方向から攻めたが、レオニダスは鉄壁の防御でそのすべてを打ち払った。
ぶん、と横に振り抜かれた少年の槍を、身体を屈めてやり過ごす。
慌てて引き戻される槍の柄を受け止め、力任せに弾き飛ばした。
武器を追って反射的に泳いだ少年の身体を突き倒し、喉元に穂先を突きつける。
おお……と周囲からもう一度声があがったが、今度は安堵の響きが多分に含まれていた。
クレイトスの肩が激しく上下し、突きつけられた穂先の下で、鎖骨の間に汗が光っていた。
レオニダスは、眩暈がするような気がした。
倒れた念弟に手を差し伸べることすら、思いつかなかった――
「隊長!」
《フクロウ》フェイディアスがいきなり叫んだ。
「次は、ぜひ俺のお相手を!」
皆が目を丸くするなか、勇んで模擬槍を手に取り、進み出てくる。
少年たちとレオニダスとの立ち合いを見ているうちに、自分もやる気になってきたらしい。
「では、俺も!」
「私も!」
腕に覚えの男たちが鼻息も荒く次々と名乗りをあげ、まだぼんやりしていたレオニダスは、断る機を完全に逸してしまった。
彼がはっと気づいたときには、クレイトスは自分で立ち上がり、静かに人垣のなかに下がってしまっていた。
後に戦士たちのあいだで語りぐさとなる「訓練場の百人斬り」の幕は、こうして開いたのだった。