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二つの世界

 もう一生分は走ったのではないか、そんな風に思えるほど走り続けてどれほどの距離を進み、どれほどの時間が経ったのだろう。


「もう……ダメだ……一歩も動けない」


 息も絶え絶えに直樹はよろよろと道端に倒れこむ。汗の雫が幾つも地面に落ちていき、さながら小さな雨のようでもあった。


「これは……私も……ちょっと、つらいです……ね」


 明らかにちょっとどころではなさそうだが、それでもレミィは何とか座り込むまでには至っていなかった。

 沈黙。足りない酸素を求めた二人の呼吸だけが互いの耳を打っていた。

 そんな2人の熱を奪うように、穏やかな涼しい風が吹いた。


「クリスティナさん大丈夫でしょうか……」


 風に乗せられたレミィの問いかけに、直樹は答えることが出来なかった。

 息が苦しかったからではない。

 本当に答えられなかったのだ。

 気の利いた言葉や、もっと単純に大丈夫だとか言えればレミィの不安も少しは和らいだのかもしれない。


 沈黙。風が吹き、街道に沿って茂る深緑の木々を揺らす。

 それを合図にでもしたかのようにレミィは別れ際にクリスティナから渡された荷物の中身を検めだした。


「直樹さん、これを」


 疲労感に負けて起き上がるのを早々と断念した直樹は、首だけを起こして声のほうを見る。


「もう夏も近いですが、まだ夜は少し冷えますから」


 告げて、差し出された外套を手を伸ばして受け取る。


「あと、念のためにこれも」


「え?」


 差し出されていたものが短剣だと気づいて、伸ばした手が空を掴む。

 困惑した様子の直樹を安心させるように、レミィはそっと直樹の手に短剣を握らせながら、真っ直ぐに目を見て告げる。


「直樹さんがこういうものを持ったことがないというのは、なんとなく分かります。これはあくまで用心として、もし何かあれば直樹さんは私が守りますから」


「ならやっぱり君が……」


「いいえ、私には魔法があります。だからそれは直樹さんが持っていて下さい。大丈夫です。直樹さんがその短剣を適当に振り回している間に私が全部やっつけますから!」


 そう言ってレミィは短剣を握らせた直樹の手を包むように握って微笑んだ。

 そこまで言われては断る事もできないと、直樹はその短剣を腰につけてから外套を羽織った。

 纏った外套はその薄さのわりにしっかりとした暖かさがあったのに驚きつつ、腰にある慣れない重さを確かめるように手を伸ばした。


 柄のひんやりとした感触に、言い知れない生々しさを覚えながら、ふと沸き上がる、ここが異世界なのだという思いを思考から追い出した。


「あと、これもどうぞ」


 思い出したように再びがさがさと荷物を漁り、レミィは小袋を取り出した。

 小袋の口を開いて中身が見えるようにして、直樹へと差し出す。


「これは?」


 袋の中には見たことのない食べ物らしき物が見えたが、直樹にはそれがどういう物なのか知るよしもない。

「プルードという果物を乾燥させたものです。甘くて美味しいですよっ!」


 得たいの知れない食べ物ではあったが、そこは人の性というもの、好奇心と空腹に負けて直樹はおずおずと手を伸ばした。

 伸ばして、一口サイズに収まった果実を一つ手に取ると、恐る恐る一口かじる。弾力のある歯ごたえ、ついで濃縮された果汁が、じわりと染み出してくる。


 鼻腔を抜ける濃い果実の香り。それはどこか覚えのあるような、懐かしい風味。そして、グミのような弾力の果肉は噛めば噛むほどに甘さを増していく。


「ん……うまいなこれ」


 古くから旅人のポケットにはプルードの実が入っていた。

 生でも甘酸っぱく庶民にも馴染み深い果物であるプルードは果実酒の材料としても一般的なものとして広く親しまれている。 

 ひとしきり租借して飲み込んでも、口の中には果汁の甘さと香りが余韻として残っている。その余韻に浸りながら、直樹はおもむろに皮袋へと手を伸ばした。


「なにやってるんですか?」


 プルードの入った皮袋を守るように抱きかかえたレミィが睨むような目線を向けている。


「いや、もう一個ほしいなぁ……なんて」


 伸ばした手を彷徨わせながら、直樹は冗談まじりに言う。

 だが、プルードは旅人にとって貴重な栄養源。干し肉や燻製した魚、塩漬けに

焼き菓子といった旅の食料は様々だ。

 だが、やはり保存が効く食べ物というのは、基本的に味が濃く、また乾いているものが多い。

 その点、プルードは多少の水分を含み、程よい甘さと濃厚な香り、そして弾力のある果肉は腹持ちもよく、手軽に食べられるということもあって、水や路銀に次いで旅の必需品だと言う旅人もいるほどだ。


 確かにおいしいが、だからといって闇雲に食べるわけにもいかない。今、レミィたちにある食料はこれだけだ。水もクリスティナから貰った荷物の中に入ってはいたが、二人分となると心もとないものがある。

 貴族の屋敷まで、どれほどの距離があるのか分からない以上、レミィは心を鬼にして、この貴重な食料と水の管理をしなくてはならない。そう、心を鬼にして……。


「もう一個だけですよ?」


 決めた矢先から挫けそうな気分になりつつも、レミィは直樹の方から漂ってくるプルードの甘い誘惑を振り払って、皮袋をしまい込んだ。

「そろそろ出発しましょう」


「もう少し休んでからでも……」


「ダメです。日暮れまでにはクリスティナさんが言ってた屋敷にたどり着かないといけませんから」


 ぴしり、と言い切られて、直樹はそれ以上抗議の声をあげることが出来なかった。


「そんなに急がなくてもいいんじゃないか?」


「ダメですっ! 今はまだ明るいですが、この辺りはあの山に夕日が沈むので、夕暮れが少し早いんです。だから、今のうちに少しでも距離を稼がないといけません」


 見上げた空はまだ、青く明るさを保っている。だが、森にいた頃と比べれば、確かな変化があった。

 昼の只中のような、照りつけるような日の光ではなく、柔らかく包むような日差し。

 時計がない所為で、正確な時間は分からないが、なんとなく直樹は昼下がりだと感じた。

 空の色、雲の動き。それだけを見ていればここが異世界だという感覚はまるでない。だが、少し視界を下にずらすだけで、広がる景色は直樹の知るものではなくなってしまう。


 些細な変化。大きな違い。

 見慣れていた景色が見えないだけで、人はこんなにも不安になれるのだと、直樹は知った。


「直樹さん?」


「え、ああ。行こうか」


 直樹はクリスティナから渡された荷物を持って立ち上がり、尻をはたいて砂を落とす。痛む足も一つの現実。しかし、そんな痺れるような痛みさえ、直樹は否定する。

 認めるわけにはいかない。

 認めてしまえば、きっと今よりも深く考えてしまうだろう。元の世界の事を、もう会えないかもしれない人たちのことを……。


「大丈夫ですか?」


 尋ねてくるレミィは心配そうに、眉をひそめている。


「足、痛みますか?」


「ちょっとだけな」


「荷物、持ちましょうか?」


「大丈夫だ。歩けないわけでもないし、荷物だってそんなに重いものでもないからな」


「そうですか? あ、でも勝手にプルード食べたらダメですよっ!」


 思い出したように、レミィは言った。

 言われて、直樹は良いことを聞いたといわんばかりに悪戯な笑みを浮かべてみせる。


「荷物持ちの特権ってことでどうだ?」


「プルードの袋だけ頂けますか?」


「冗談だって」


「どうだか……」


 そんな会話を挟みながら、二人は街道を進んでいく。誰かとすれ違うこともなければ、直樹がいた世界のように雑踏がひしめいているわけでもない世界。

 まるで、自分達以外にはこの世界に誰も居ないような錯覚さえ生まれるように、穏やかで静かな場所。


「ところで、直樹さんのいた世界ってどんな場所だったんですか?」


「え?」


「知りたいんです。私達が住むこの世界以外にどんな世界があるのかなって」


 憧れを抱いた瞳がきらきらと輝いていた。

 ふっ、と吸い込まれそうになる感覚が直樹の脳裏を突き抜ける。


「聞きたいって言われても、特に話すような面白い世界でもないしなぁ」


「何でもいいんです。直樹さんの居た世界のことを、私は少しでも知りたい」


「うーん。ならさ、なんか質問してくれよ、その方が俺も答えやすいし」


 レミィの質問は沢山あった。

 それこそ、当たり前のことから、風習や文化のようなことまで様々だ。

 質問に答えることで、ほんの少しだが距離が縮まったように直樹は感じた。


「それで、直樹さんの世界にはどんな魔法があったんですか?」


 きっとレミィにとっては、いやこの世界には当たり前のこと――だがそれは直樹にとって、非日常の最たる例だ。


「やっぱり“魔法”なんだな……」


「どうかしました?」


 直樹の様子の変化にレミィは首を傾げている。


「俺のいた世界には“魔法”なんてないよ」


「はい?」


「っていうかさ、“魔法”って概念がそもそもないんだ。作られたお話の中になら、“魔法”はあるけど普通に暮らすって言うか、基本的に“魔法”はないものとして考えられてる」


「魔法がない……魔法がない……魔法がない……魔法が……ないんですかっ!?」


 よほどショックだったのか、レミィは何度も繰り返して、ようやくその意味を理解したのか、足を止めて声を上げた。

 一瞬足を止めたレミィが小走りで追いつくのを待ってから会話を続けた。


「そんなに驚くことかよ? 俺に言わせりゃ、当たり前に“魔法”がある方がよっぽど驚きなんだけどな」


「え? でも、それだと日々の生活どうやってるんですか?」


「んー、それは俺たちの世界には機械っていう便利なものがあるんだよ」


「キカイ……ですか?」


 聞きなれない言葉に、レミィはぽかんとした様子で問い返した。


「なんていうのかな、いろいろな部品を組み合わせて作られた、“魔法”じゃないけど“魔法”みたいな物かな」


「それって魔法なんじゃないですか?」


 言っていて、自分でも段々意味が分からなくなってきていた。

 機械がどういう物なのか、ただそれだけを説明するのがこんなにも難しいのだと始めて知った。

 現物があれば話が早いのだが、この世界に来たときに持ってこれたのは、最後に来ていた衣服だけだ。

 しかし、その唯一の衣服さえ既にない今となってはもう、向こう側の世界との繋がりは何も残ってはいないのだ。と、直樹は目を伏せる。


「あ……」


 直樹は気づいた。まだ全て失っていないということに。

 余りに身近にありすぎて気がつかなかった。

 部屋にいた時は、確かに素足だったのにも関わらず、この世界にやってきた時には当たり前のように履いていたスニーカー。


 それは直樹が高校生になってからバイトをして買ったものだ。

 友人と何気なく立ち寄った靴屋で気に入り、衝動的に買ったものだが、レジで告げられた金額と今まで履いてきた安物との違いにとても驚いたのを覚えている。

 些細な繋がりではあるが、まだ全てを失っていないと気づいて、直樹は顔を上げる。


「まぁ確かにこの世界の人から見たらきっと“魔法”に見えるかもしれないな」


「でも、魔法じゃないんですよね?」


「ああ。というかさ、この世界の“魔法”自体俺にはよく分かってないんだけどね」


「そっか、そうですよね。私もまだまだ勉強不足ですけど、少し説明しますね」


 告げて、レミィは魔法について語り始めた。それはきっと、とても丁寧に説明してくれたのだろうけれど、直樹にはその半分も理解することはできなかった。


「えーっとつまり、人が持ってる生命力が魔力で、それを術式で変化させたのが魔法ってことで……いいのかな?」


「かいつまんで言えばそうなりますね」


「なんか難しいな、魔法って」


「そうですか?」


「うん。やっぱ頭使うのは疲れるなー」


 人は頭を使うと甘いものが欲しくなるのはきっと一種の本能なのだろう。だから、直樹が半ば無意識にプルードが入った袋へと手を伸ばしたことを咎めることは出来ない。

 しかし、それを口に運んでしまえば話は別だ。


「直樹……さん?」


「レミィも食うか?」


 悪びれた様子もなく、むしろ袋を差し出してくる直樹にレミィの理性は軽く吹き飛んだ。


「悪かった。すみません。ごめんなさい……」


 長い長い説教のあと、プルードが入った袋はレミィの管理下に置かれるということで決着した。

 頬を膨らませて、不機嫌そうに早足で歩いていくレミィの後ろを歩きながら、直樹は謝罪の言葉を呪文のように紡ぐ。


 いつの間にか随分と歩いていたようで、幾度かの休憩を挟む頃にはもう空は随分と様変わりしていた。

 だが、それだけ歩いても目的の貴族の屋敷らしき場所は一向に見えてはこない。


 この頃になるとお互いに随分と会話も減って、互いの息遣いを聞く時間が増えてくるようになっていた。額に汗を浮かべ、息を切らしながらも足を止めたりはしなかった。


「きれいです」


 なだらかな丘を登りきり、そう呟いたのはレミィだった。今しがた歩いてきた街道に沿って広がる森の先に聳え立つのは、霊山ジェニウスに沈み行く朱色の太陽が輝いている。そして空は遠くに向かうにつれて、青く……蒼く染まっていく。


「もう野宿でもいいや」


「えっ?」


「何て言うかちょっと興味が湧いた」


「でもそれは……」


「このくらい暖かければ死にはしないだろ?」


「それはそうですが。この装備だと絶対、風邪引きますよ?」


「大丈夫だって二人でくっついて寝れば一晩くら……いっ!?」


 刹那、顔の横を通り過ぎたのは熱風。


「バカ! 変態!」


 顔を真っ赤にしながらレミィは次々と<ファイアバレット>を放つ。


「ちょ、たんま! ストップ! マジで死ぬ!」


「死んでくださいっ!」


 直樹の悲鳴が夕闇の空へと溶けて消えていく。


「本当にすんませんでした」


 数分後、ぜぇぜぇと息を切らしながら直樹はレミィへと土下座していた。否、させられていたという方が正しい。


「全く、どうして男の人ってこうなのかなぁ……」


 深いため息を吐くレミィ。


「俺としては非常時だし、クリスティナさんから貰ったこれに一緒にくるまって寝ればって思ったんだけど……やっぱだめだよなぁ」


 今考えれば、年頃の男女が身を寄せ合って一晩を過ごすというのは、精神衛生上よろしくないものがあった。


「ところで、レミィさんは一体何を想像したんだ?」


 それを聞かされ、耳の先まで紅潮させたレミィに、悪戯心をくすぐられた直樹は、ニヤニヤと笑みを浮かべて問いかけた。


「べっ、別に何も!」


「そのわりには顔、真っ赤だけど?」


「ゆ、夕陽の所為ですっ!」


「いや、もう夕陽沈んでるし」


「っ!?」


「お、さらに赤くなった」


「……で下さい」


 プルプルと震えだすレミィ。発せられたのは殺気。


「へ?」


「死んでくださいっ!」


 レミィの足元に魔方陣が浮かび上がる。そして、次の瞬間――


「サンダーバレット!」


 直樹へと雷が落ちた。

「重ね重ねすんませんでした」


 再び土下座の格好で地に伏す直樹。


「反省してます?」


「はい」


「本当に?」


「心から」


 繰り返す事で納得したのかレミィは一人頷いて、ため息を溢す。

 頬を膨らませて怒るレミィを見ていると、なんとなくアニメやゲームなんかでありがちな、妹に叱られる兄の気分が分かるような気がした。


『もう、お兄ちゃんは本当にダメダメなんだからっ!』


 そんな美少女の妹が脳裏に浮かび上がる。当然、そのような事を考えているのだからレミィの話しなど当然、聞いていない。


「聞いてますっ?」


「は、はい!?」


 それは聞いていなかったと宣言しているようなものだったが、レミィはそれよりも気になる事があるのか、目を細めて遠くを指差して直樹を呼んだ。

「あそこの大きな木の向こう側。灯りのように見えませんか?」


「どれだ?」


「あれです、あれ」


 薄暗い事もあって、レミィの言う、あれとやらがわからない。

 直樹の視力はそれほど良い方ではない。コンタクトも持ってはいるが、つけるのは主に学校にいるときだけだ。

 何度も目を細めては凝視している直樹であるが、やはりはっきりとは見えない。


「よく見えるなぁ、ほんと」


「これも魔法なんですよ?」


「そうなのか?」


「視力を強化してるんです」


「へぇ……」


 感嘆の声を上げながら直樹は街道の脇にあった石の上へと腰を下ろした。

 前回の休憩からもう随分とたっているのと、さっきの余計な運動の所為でもうヘトヘトだった。


「私もちょっと休憩……」


 言って、レミィは直樹の隣にやってくると、腰に下げていた皮袋からプルードを一つ直樹へと差し出した。


「いいのか?」


「はい。別に食べさせないつもりではないですから」


 だからといって闇雲に食べられても困るので、こうして管理しているのだとレミィは言う。


「やっぱうまいな、これ」


 疲れた身体に、果実の甘みが染み込む心地よさをかみ締めながら、ふと気になったことを聞いてみる。


「レミィって意外と体力あるよなぁ」


「どうしたんですか、急に」


「いや、これだけ歩いてるのに結構平気そうだからさ」


「それはそうですよ。これでも一応は騎士団の訓練を受けているんですよ?」


 真顔で返すレミィに、直樹は一瞬、言葉を失った。


「あれ、レミィって幾つ?」


「女の子に歳を聞くのって失礼だって知りません?」


「あ~じゃあ、十三歳くらい……とか?」


「雷、いります?」


「マジで勘弁してください」


 何とも情けない勇者もいたものだが、レミィはぷぅっと頬を膨らませながらも、答えてくれた。


「この前に十六歳になったばかりです」


「ええっ!?」


「なんですか、その反応は」


「いや、なんというかその……」


「別に良いですよ、もう慣れてますし」


 やれやれといったため息を溢しながら、レミィはその理由を話し始めた。


「私、小さい頃は病気ばかりしていたんです」


「今でも小さ……」


「炎にします?」


「ごめんなさい」


「それでずっと部屋で寝てばかりいた所為か、成長が遅れちゃっているんです」


「そう、だったんだ」


 あまり話したくはなかったのか、レミィは立ち上がると、道端の小石を蹴飛ばした。

 日が沈んでからまだそれほどの時間は経っていない。というのに随分と肌を撫でる空気が冷たくなったように思えて、レミィは外套で身を包んだ。


「これでもまだ野宿したいですか?」


「前言撤回。これは無理」


 同じように外套をしっかり纏う直樹を笑いながら、レミィは耳朶を打つ異音に気がついた。


「この音……」


 遠くから聞こえてくるのは、地鳴りのような振動音。一瞬、外獣かとも思ったが、音のほうへと目を向けて直ぐにそれが誤りだと分かった。

 音の正体は馬だ。馬が地を蹴り駆ける音が、たいまつの明かりを伴って、今しがた通ってきた街道のほうから近づいて来ているのが見えていた。


「良かった……」


 レミィは張っていた緊張を解くように息を吐いて直樹へと微笑んだ。

 あの人達に事情をかいつまんで話せばきっと、人の居る集落まで連れて行ってもらえるだろう。そうすれば教会に連絡を取ることが出来るし、そうなれば迎えだって来てくれる。

 肩の荷が下りた。というのにはまだ早いが、少なくともこれ以上勇者……いや直樹を危険な旅をさせずに澄むというのは嬉しかった。


 徐々に大きくなっていくたいまつの明かりと足音に、レミィは早く早くと待ちわびるように、うろうろと歩き回っていた。


「座ってればいいだろ。一本道なんだしさ」


 直樹に言われて、隣へと腰を下ろす。

 じっとしていると、時間の流れがゆっくりに感じられて、レミィは何度も立ち上がっては座るという動作を繰り返した。

 そして、ようやくその一団がレミィたちの場所へと差し掛かったとき、ようやくレミィは自身の考えがいかに甘かったのかを思い知らされた。


「……ッ!」


 レミィと直樹を囲むように馬を止め、馬から降りる男達をレミィは睨むように見据えている。 


 たいまつに照らされた男たちの手にはそれぞれ刀剣の類が握られ、揺れる明かりに覗くその顔は醜悪な笑みを湛えていた。

 迂闊。まさにその一言に尽きた。少し、ほんの少し考えれば分かることだったのだ。


 こんな、交易でも使われていないような街道に、たまたま偶然にも旅人か商人の一団が通るなんて、都合が良すぎるし、何より旅人も商人も“日が沈む”よりも早く野営地を見つけ、夜が明けてから動き出すものだ。


 夜の闇は単に見通しが悪いだけでなく、外獣が活発になることもあって襲われる危険性も高くなる。そして、たいまつの明かりは盗賊などの無法者に目印を掲げているようなもので、良いことは何一つありはしない。


 レミィは自らの浅はかさを悔やみながら、ぐっと唇を噛み締める。


 長い、長い夜の始まりだった。

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